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凌いだ先に

 食事が終わった俺たちは、今後ながらくお世話になるという宿に案内された。


「それじゃあ、今日はおつかれさまでした。初めのうちは慣れないことも多くて大変だと思うけど、及ばずながら私でも手助けできることがあったらするから、気軽に相談してね。それじゃ、きみたちのこれからに幸多かれ」


 一日の終わりに、お世話になったカリーさんを見送る俺たち一同。

 俺たちはそれぞれの言葉で感謝を彼女に伝えた。今日を振り返ってみても、戸惑うことばかりであったがこの人が居たおかげでだいぶ助かった。

 俺と駆くんと武くんの三人が案内された部屋は、なんとも質素だった。部屋の半分を占領する大きなベッドが一つと、独り掛けの机と椅子があるのみ。


「まあ、無料なんだし、贅沢を言っちゃいけないよね」


 そんなに期待していたわけではないが、思ったよりも狭いというのが本音だった。

 まあ三十日間無料、その後も一泊一人千五百ゴルだというのだから文句はいえないか。


「成り上がって、もっといいとこ泊まれるようになればいいだろ!」


 駆くんは部屋の様子をたいして気にした様子もなく前向きだった。こういうところは見習いたい。


「これって、ベッド一つしかないけど、三人で寝ろってことだよね……」


 武くんがぼそりと呟く。


「あ」


 人に言われて気が付いた微妙な事実。

 俺たちはこれから男三人、仲良く川の字になって寝るのか。


「別にいいだろ。男同士なんだし」   


 駆くんはこれまた気にした様子もなく、すんなりと実情を受け入れていた。

どうやら彼は顔と細い身体に似合わず性格は図太いらしい。

 俺たちは、外へ出て宿の隣にある浴室に行き、お風呂というよりはお湯浴びをして身体を洗った。

 巨大な武くんを俺と駆くんが挟む形になって寝ることとなった。仰向けになり、俺は石の天井を見上げる。


「なあ、二人って歳いくつ?」


 静けさを払ったのは、寝付けない様子の駆くん。


「俺は今年十七だよ」

「お、俊って俺とタメなのか」


 思わず「え?」と聞き返したくなるような駆くんの言葉。絶対年下で、せいぜい中学一年か二年生くらいかと思っていた。 


「僕は今年二十歳」

 言われると、武くんについては歳相応だと思う。ただ年長者の貫録さみたいなものは感じないが。


「おお。武はでっかいだけあって年上かあ」


 どうやら駆くんは、武くんが年上だということが判明しても、言葉遣いを改める気はないらしい。

 そして、俺がそうであるように、二人とも見知らぬ世界の慣れないベッドで雑魚寝するという状況のせいもあって、なかなか眠りに就けないようだ。

ぽつぽつと始まった会話は、しばらくの間途切れることはなかった。


「なあ、二人とも、明日から気合いいれていこうぜ」


「みんなで、元の世界に戻れたらいいよね」    


 幾ばくかの時が経ち、まどろみはじめた意識の淵で二人の言葉がたゆたう。 

 ああ、なんだかんだ言っても、二人ともいい奴だなあと思っていると、安らかな気持ちで眠りに入れた。  


「ん」


 真夜中過ぎ、尿意を催し目が醒める。

 トイレのある外へ向かおうと部屋を出ると、眠気からくる気怠さが身に染みた。

 外に出ると、空に無数の星が瞬いていた。

 昼には太陽。夜には月と太陽。ほんとに、俺たちの世界とそっくりだ。


「ママ、パパあいたいよ」


 泣きじゃくる子供の声が耳にはいる。

 聞き覚えのあるその声の主は、綺麗な亜麻色の髪とアッシュグレーの瞳が良く似合う有紗ちゃんだった。

 ホームシックという言葉が頭の中をよぎる。

 考えてみれば当たり前だ。目まぐるしい一日のおかげでほとんど考える余裕がなかったが、元の世界のことが気にならないわけないのだ。


 残された家族のことが気になり恋しくなるのも当然だと思える。

 俺だって、普段は煩わしく感じている両親や姉に会えるのなら会いたい。 

 有紗ちゃんのような小さな子供だったらなおのことだろう。

 俺は星に願いを語る少女の小さな背中を見て、胸が痛んだ。

 

――どうしよう。

 このまま見て見ぬふりをする、のはさすがに薄情だ。律子さんでも呼んで来れば、有紗ちゃんは泣き止むだろうか?  

 翻って一度宿に戻ろうかとも思うが、踏みとどまる。

 

 こんな夜中に律子さんを起こしたら迷惑だろうと思ったのが半分。もう半分は、泣きじゃくる小さな女の子を見て、素直に声を掛けてあげたいという気持になったから。

 考えたのち出した結論は、まず自分でどうにかしてみよう。そしてどうにもならなかったら助けを呼ぼう、というものだった。


「有紗ちゃん?」


 ゆっくり近づいて声をかける。

 振り向いた有紗ちゃんの瞳は涙で溢れ、赤くもなっていた。

 捨てられた子犬の姿が頭をよぎり、どうにかしてあげなければと保護欲がかきたてられる。


「家、帰りたいよね」


 俺の言葉に無言のまま、こくんと頷く有紗ちゃん。


「俺も帰りたい」


 彼女の嗚咽は止まらない。


「きっとみんなも帰りたいと思っている」


 頷いてはいる、だが、彼女の心には俺の言葉が届いている気はしない。


「だから早く帰れるように頑張ろう」

「…… うん」 


 一応は返事をしてくれてはいるが一向に有紗ちゃんの涙は止まらない。

それらしい言葉で慰めようとしたが、自分の言葉が上滑りしているのがわかった。

 前向きな言葉は時に人の背中を押すかもしれないが、少女の涙には効果がないらしい。

 

どうしよう。


 俺は自分が小学生だった頃を思い出してみる。

 駆くんみたいな元気な男子が女の子を泣かせてしまい、必死にどうにかしようとしていた光景を思い出す。あの時は確か……


「ありさひゃん。べろべろべろー」


 俺は自分の頬を両手で引っ張ると、舌を出してなるべく変な顔を造る。


「へ?」


 俺の奇行に驚く有紗ちゃん。

 沈黙。 失敗だったか? でも今更やめられない。

「べろべろべろー」


 俺は覚悟を決めて必死で顔を歪ませる。すると、


「ぷ」


 呆気にとられていた彼女が突然吹き出す。 


「あはは、変な顔」


 笑いだした有紗ちゃん。

 俺の恥を捨てた行為は無駄にはならなかったようだ。


「ふふ。私、そんなので笑うほど子供じゃないですよ」


彼女の顔からは、涙こそ止まらなかったが、同時に笑顔もこぼれていた。


「でも、ありがとうございます」


 まさに泣き笑いの顔を浮かべて有紗ちゃんはお礼を言った。


「ひえひえ」


 変顔の止め時が分からなくなった俺は、ついそのままの状態で返事をしてしまう。


「ふふ、ほんとに変な顔」   


 まさか変な顔をといわれて喜ぶ日が来るとは思わなかった。


「おにいさん、ありがとう」


 天使のような微笑みがこぼれる。

 俺の行動が少しでも有紗ちゃんの慰めになっていればよい。

 有紗ちゃんはほどなくして涙を止め「寝ます」と言って去って行った。


「ふう」


 有紗ちゃんが宿に戻るのを見送っていると安堵の息がもれる。

 俺の今やったことなど所詮その場しのぎだろう。

 だが、未知なる世界の未踏の場所を目指すのだから、その場その場をどうにか凌いでいくことが、これからの生活で求められてくるのかもしれない。

 故に、困難にであっても、なんとかしようという気概だけは持ち続けていきたい。

 願わくば、数多の試練を凌ぎ切った先には、明るい未来があると信じたいものだ


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