第三話 『迫るカドカワの影』
テンプレに限らず、ラノベに限らず、現在の読者は厳しい現実に晒されており、虚像の世界でまで重苦しい空気に浸りたいとは思わないものなのではないか。ストレートにそうと開き直った読者も多かろう。
そう、私がともすれば佐藤裕子の名から逃れたいと無意識に願ってしまうように。
さりげなさを装って尋ねた時の、娘の微妙な返答はなんと考えれば良いのだろうか。
「え? 大学の友達? お父さん、なんで急にあたしに興味出してんのよ。」
私は娘に無関心だったわけではない。
そう、断じて無関心から会話が無かったわけではない。
いや、動揺を悟られてはならない、それは肯定するも同然だ。
そうだ、こういう時こそ小説を、小説を書くべきだ。
書き手は読み手を思って執筆をする。楽しんで書くという本来は、こう書けば相手が楽しいと想像する事から始まる。読者を考えずに書いている作者など居ないという事だ。だが、勝手な思い込みではある。すれ違いではある。私と娘の関わり合いのように。
読者の多くは、自分が本当には何がしたいのか、何が読みたいと思っているのかが解かっていない。目に付いた"良さげ"なモノを手に取りはするが、本当には充足したいと思っている。充足感が、どんな傾向のモノから得られるかは個人で違う、千差万別だ。何を求めているかとは、すなわち、充足を与えてくれるモノなのだ。
漠然と手に取るモノは、確率で決まるのだ。人気一位の作品が、すなわち充足を与えてくれるという保証は何処にもない。ランキングに載る作品群の全てが、自身の求める傾向に一致していないなら、そのランキングはもはやスーパーの特売チラシなのだ。自分にはまるで関係がないページ。
そうなった時に、検索システムがバカであったら不幸なのだ。
タグが機能しない時、ランキング趣向とは一線を画する読者たちは、唯々諾々と漠然とこのサイトのカラーに甘んじてきた読者たちは、ただ検索システムの不具合ゆえに縛られているに過ぎない読者たちは。
多くの投稿サイトの検索は機能しない。ユーザーがタグを自身で付けるからだ。タグ詐欺が横行すれば検索機能は死亡する。検索できない投稿サイトは上からモノを投げ込むだけの巨大な箱だ。中から何かを探すことは面倒すぎる。
後続のSNSは虎視眈々とこのサイトの顧客乗っ取りを狙う。
もっと便利なサイトが登場すれば、乗り換えるのになんの不義理が発生しようか。
棲み分けが為されている場所を読者は求める。
人気の作品が読みたいのではなく、自身の趣向に合う作品が読みたいのだから。
作者と読者の相互不理解。作者と読者は相容れぬ。私と娘のように。親と子は立場が違う。
良い作品が読みたいと思う。人気作は良いと思う。見方によって良さは変わる。
与える側は誤解する。私のように。
あるいは、だから検索はバカになっているのか?
唯云諾々と不満を押し殺して人気作でお茶を濁すことを強制するために?
一つの傾向の、決して求めてはいない傾向の、良質を並べたてる事で目晦ましに掛けるのか。
目晦まし。
女性名でありながら、男性の声をもつ女。
佐藤裕子ーー