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プロローグ 『あるいは私の本気』

 私はこのところ、時間を見つけての話であるが下手なりに小説を書いている。


 齢四十を超え、会社での評価もそこそこに固まってきた一社会人に過ぎない私だが、一念発起でかつて断念した"夢"に余生を賭けてもいいのではないか、そう思った次第だ。今から始めれば、六十の手習いとは言え、そこそこの実力を持ってリタイア後の人生に向かえるだろう。そんな目論見がある。


 今までまったく書いていなかった訳でもない。だが、小説家を目指すと言いながら、私が今まで本気でなかった事は確かだ。これは負け惜しみでも何でもなく、本心から、私は努力というものをしてこなかった。

 言ってみれば、小説家になりたいなー、などと言いつつ、その漠然とした夢に日々の鬱憤を肩代わりさせて逃げてきたというような所だ。つまり私は本気ではなかった。なんちゃってワナビだ。


 学生時代からそうやって、のほほんと好きな事だけをして作品を発表し、好きな事だけを書いて読者を無視し、そうして現実では就職して結婚して家庭を設けた。夢は夢と誤魔化して、燻ぶるように日々を平凡な一社会人として埋もれてゆこうとしていた。人生の終わりまで妥協しようとしていたのだ。


 嗚呼、だからこそ、今、私は今度こそ本気で小説家を目指そうと思い至ったのである!


 娘ももうじき二十歳となり、立派に成人することであるし、そろそろ私も本気で夢を追っていいのではないか? そう思い至った次第である。

 独り、しんみりと感慨に耽っている最中、突然に場をぶち壊す軽快なメロディーが鳴り出した。


 む、この呼び出し音は娘のケータイか。いや、今はスマフォとか言うんだったか。いつも肌身離さず持ち歩いていると思ったが、今日はどうやら忘れていったらしい。珍しいことだ。薄い端末機材はポップな楽曲を奏で、真っ黒だったディスプレイには自動で文字が浮かび上がって忙しなく動いている。角ばった白のフォントは佐藤裕子という文字を、電光掲示板のように画面上に流していく。なるほど、なるほど、今のケータイ端末というものはやたらとお洒落になっているようだ。

 昨今のケータイは利便性にも優れると聞くが、なるほど、誰からの電話かすぐに解かるらしい。電話に出るまでもなく、相手が誰であるかを知らせてくれる機能まで付いているとは。

 娘はズボラを絵に描いたような女の子なので、ロックナンバーなど探るまでもない。誕生日だとすぐに私はアタリを付けた。相手に教えてやるべきだろう、娘はコレを忘れたのですよ、と。スマフォを耳に当てた私が話をする前に、相手の名乗りが聞こえた。


『もしもし、佐藤ですけどー?』


 私は耳を離した。


 男の声だった。

 もしもし、佐藤ですけどー? の音声を脳内で再生させながら、ケータイのディスプレイを確認する。「佐藤裕子」の名がてろてろりんと流れ去って、また再び表示される。ケータイからは今もまだ謎の男の声が何かを喋っている。


 娘の通う大学は、女子大だ。

 そしてディスプレイに表示された通話相手は「佐藤裕子」。


 お前は誰だ?


 私が狼狽していると気付いたものか、通話が突然に切られた。いや、私の狼狽が佐藤裕子に見えるはずがない。いや、佐藤裕子だろう? お前、誰だ?


 こういう時は落ち着きを取り戻すためにも小説を書くべきだ。うん、何も浮かんでこない。いや、佐藤裕子の四文字だけが、脳内をぐるぐるとマラソンランナーのごとく競技場トラックを周回し続ける。

 娘に直接聞けと言われそうだが、そうはいかん。娘ももうじき成人式、大人だ、プライバシーは尊重されねばならん年頃だ、中高生の子供ではないのだから。

 そう、年齢的には虫の一匹や二匹、付いていて当然。むしろよくここまで無事にすくすくと成長してくれたものよと神に感謝せねばならないほど、問題なく育っている。世を騒がせるあれやこれやのニュースと、我が家は無縁、無縁でここまで来たのではなかったか。親に言えない秘密の一つや二つ、私が娘の時分には半ダースほども抱えていたものではなかったか。

 半分オーバーロードを起こしかけている私の脳内では、取り留めもなくあらゆる事柄がぐるぐると回り、その速度を上げていった。だが私の視線が私の矜持とは無関係に、自然に手の中の物体へと向かっていく事を私は止められない。


 佐藤……裕子……。

 佐藤裕子のおとうさん?


 こうして私の果てしない葛藤は始まりを告げた。

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