あなたと会えた誕生日
昏い。その表現さえおこがましい、黒の粋を極めた黒。
まろやかなようで、四角四面な空間。どちらでも果てがないことに変わりはないけれど。
背中に感触がないから寝転んではいない。浮いているにしては固定された感が否めない。ただ体ごと上を向く。
ここには時間がない。ないなりに数えた。
千を何回かくり返して、やっと何らかの変化を観測する。
黒一色の世界から徐々に浮上していく感じ。
自分の中に色が、光が戻ってくる。
目が覚めるんだ。
生き返るんだ。
よかった。このまま死んじゃったらどうしようかと思った。
怖かった。
だって、本当に何にもなくて、アタシだけがいて、怖かったんだもの。
…………
……
…
瞼の裏が眩しさで焼ける。
てことは、どっかの王子様がアタシにキスしたのね。
あーあ、ファーストキスなのに。こんなことなら生前……じゃない、寝る前にしときゃよかった。
今なら彼にも許してやらないこと、ないのに。
うー、目開けたくない。
「せめて心の準備にあと五分……」
「ダメですー。起きないともっかいするぞ」
――この、声!
飛び起きると頭がくらっとした。
き、気持ち悪い。視界が揺れる。長い船旅のあとの足元が定まらないアレよりきつい。
でもね、今はクラクラしてる場合じゃないのよ!
根性で目眩を追い出して、この耳になじんだ声の主がいる、横を向く。アタシを目覚めさせた王子だっていうんなら……
「何であんたがここにいるのよ!!」
アタシがすべきことなんて、いつもどおりに怒鳴ることだけ。
「茨の城に勇猛果敢に突入した救いの君にそれはないだろ」
彼の服はあちこち破れてほつれて、それはひどいことになってる。わざとらしいふくれっ面だって、赤い線の乾いた跡があるじゃない。こいつ、本気で茨越えしてきたわけ?
「何で、来てるのよ」
「そりゃ君は、他の王子にキスされるより、俺のほうがいいと思って」
くっ、こいつのこの自信はどこから来てるの!? アタシがいつ、何年何月何日何時何分、あんたにキスされたいなんて言った!?
あ、言ったっけ。十四歳の誕生日に。しまった。
「それにこっちにも長年の習慣から来る意地があってな」
「意地?」
「毎年の『おめでとう』、言えなかった。十六歳になる日」
ああ、それ。あんたが到着する前に倒れたからね、アタシ。
「俺が着いた時には、国中とっくに茨に囲まれてたから、突破するのに退魔の剣を調達して、他の部下が何人か倒れたら治療に停まってって感じで。彼らを軟弱者とか思ってやるなよ? 俺一人じゃ絶対突破できなかった」
自分のことは一切言わない。苦労を延々ぶちまけてくれたほうが、アタシだってしおらしくなりやすいのに。ごめん迷惑かけたね、の一言で、ちょっとは素直になってあげられるのに。
「じゃあ、ここを出て真っ先にすることは、彼らに勲章を追加してあげることね」
「どーんと気前よくヨロシク」
だから、文句言いなさいよ! 「何で俺より俺の部下を優先で労うんだよ?」って怒ってくれなきゃ、あんたに何か言うことなんてできないじゃない。
どんどんお礼が言いにくくなってく。
はっ、これが俗にいう墓穴掘り!? 葬儀屋みたいに自分で穴を掘るんじゃなかったのね。
彼はニコニコと、ベッドに頬杖ついてアタシを見上げてる。
何で笑えるのよ。アタシはあんたにヒドイことを言ったのに。
何で助けにきたのよ。そんなに傷だらけになってまで。
「君の呪いが解けたことで、国にかかった魔術も解ける。茨が消えたらパーティだ。王女の帰還を祝って。国民もきっと大喜びだよ」
ああ、もう、そんなにイイ笑顔にならないで。
アタシから言わなきゃダメなの? アタシが言うためのきっかけを、あなたは作ってくれないの?
一体いつからこんなに意地悪になったのかしら。いつもなら流れるように言いたいことを言わせてくれるじゃない。ねえ。
「前に贈った林檎と李の苗、覚えてるか?」
「え、ええ」
「実をつけてたよ。茨に覆われてたのに、たくましいこって。その実でパーティのデザートを作らせよう。きっと美味いぞ」
「――ちょっと。確かに苗は元から育ってたけど、実りまでは一日二日じゃないはずよね」
アタシは何年眠っていたの?
こいつはアタシを助けるために何年を費やしたの?
「心配するな。そんなに長くは経ってない。あの苗たちは、君の血を吸った茨に巻きつかれたせいで急成長したらしい。君には曲がりなりにも妖精の呪いがかかってたからな。妖精の力が染み込んだ血を、どこかで取られただろう?」
あ、あのサマースノーの花束! あれが『茨が国中に』って状況を作るための触媒だったのね。
「そこまでよく分かったわね」
「我が国にも賢者はいるからな。お知恵を拝借した」
そんな偉そうな人まで引っ張り出したのね……
ああ、もう、聞けば聞くほど、彼がアタシのためにどれだけ手間暇かけたか伝わってしまって、頭がクラクラしてきたわ。ここまでされたからには。
「お礼を、しなきゃいけないんでしょうね――」
「何か言ったか?」
うっ。心の中でのつもりだったのに、声に出た。
ええい、ままよ。このまま勢いで行ってしまえ。
「お礼よ、お礼。ここまでされたんだから、返礼をするのは救われた者の義務だわ」
「ああ。別に今はいいさ。落ち着いてからゆっくりで。この状況じゃ何も用意できないだろう?」
むっ。言われてみれば確かに。でも、何か引っかかるわね。欲しいものが今のアタシじゃ用意できないからって。
個人的なお礼はとにかく、公式にはこれでアタシの伴侶の座は彼のものだし――
だからなの?
その話を持ち出されるのがイヤで、お礼について先送りにしようとしてる。そういう可能性はないかしら。
「さ、行こうか」
そうよ。いつだってこいつは土壇場で逃げ出す男だったじゃない。
「待ちなさいよ!」
まぬけ面でふり返るんじゃないわよ。
「あんた、何でアタシにキスできたのよ!」
「な、何でと言われても」
「この国が欲しくて王女から攻略にかかったの? それとも騎士道精神に則って、あわれにも呪われた姫君を助けに来ただけ?」
「どれにせよ君は目覚めたんだ。君が気にすることじゃない」
そっぽ向くんじゃない!
「ごまかされないわよ。あんたは事が一大事になりそうだと、すぐに嗅ぎつけて逃げ出す男だわ。アタシを目覚めさせればあんたは自動的に我が国と副王の位が転がり込む。それに喜んで飛びつく人間じゃないでしょう。それなのにアタシを助けたってことは」
「ああ、もう、頼むから黙れ!」
強引に腕を引っ張られる。
彼の顔のどアップと、唇に生ぬるい感触。
二度目。でも、意識があってされるのは一度目の、キス。
ある程度、どこかで予想はしてたから、驚きはびっくりするくらい少ない。
「一目惚れだったんだ。悪いか!」
うん、まあ、ここまで来ればやっぱりこの展開しかないわよね。
これで実は全部国を手に入れるためのお芝居だったとしても、アタシが今、上手く騙されてるからいいことにしておく。
あ、耳まで真っ赤。今つついたら血噴くんじゃないかしら? えい。……何も起きないわね。熱いけど。
アタシは土壇場になるとかえって冷静になるタイプみたいね。この状況で心臓がちっとも動かない。また頭のネジがかっとんじゃった。
「ねえ、いつまでも照れてないで」
「君はフリでいいから恥じらってくれ……」
がっくりと項垂れる彼。ふふ、全く情けない。男ならきちっと顔を上げなさい。まだ言うべきことが残ってるでしょう。また叩くわよ。
「頭ペシペシ叩かないでくれ。何だよ」
「セリフは用意してきたんでしょう? だったらちゃんと言って。いつもみたいにキザったらしく」
いい驚き顔。ちょっとすっきり。
「……君には敵わないな」
毎年の恒例行事。
何がめでたいもんですか。昔ならそう思ったけど。
「また会えた誕生日、おめでとう」
それはちょっとだけ、めでたいと思ってあげてもいい。