第六章 Sleigh Bells
エリーは螺旋階段を駆け上がり、屋外席へと飛び出した。
スノウ・マンに言ってやりたいことは、たくさんあった。しかしエリーは混乱していて、出た言葉は短かった。
「一体、どうなっているの、」
また、スノウ・マンたちは、食卓で賑やかに笑っていた。
しかしエリーは気付いた。
スノウ・マンたちの笑顔が、少しだけ悲しげなものになっていた。
それで、続けようとしたエリーは、少しだけその気が失せてしまった。
何せスノウ・マンたちの身体が、すでに溶け始めていた。
さっきの司会のスノウ・マンと同じように。しかしそこまで速くはなく、ゆっくりと確かに溶けて、足元を水溜りにしていた。
そして雪に覆われていた食卓も、隣屋根や倉屋根、樹の葉という葉に被っていたものや、床、見渡せる路地までも、ホワイトチョコレィトを溶かしたように所々垂れ下がりながら、先から水滴を連ねて波紋を幾重にも広がらせていた。
「どうやら“ストーヴ”に、火がくべられてしまったようね、」
母スノウ・マンが、察し顔で静かに言った。
「さようなら、」
一番小さかった、席でエリーの隣にいた子どものスノウ・マンが、飛び跳ねて、着地して崩れ去った。もう本当に小さくなってしまっていたので、あとには少しのみぞれが残った。
「こんなはずではなかったのだけどね、お嬢さんには、本当に悪いことをしてしまった、」
気前の良かったのが、申し訳なさそうに縮こまって言うと、エリーは自分の身に起きていることを、察した。
相変わらず、エリーのてのひらからは、しずくがしたたっている。
「やっぱり、私、溶けているのね、」
食卓のスノウ・マンたちは、黙ってしまった。
「さっきの男の子の、“シェフ”の“なりかわり”っていうのは、あの男のを人間にするかわりに、私が、スノウ・マンになるってことだったのね、」
それを聞くと、スノウ・マンたちはいかにも申し訳ないというふうに、さらに黙りこくってしまった。
「私をみんなしてだましていたんでしょう、なんとか言いなさいよ、」
「ごめんよ、“スノウ・アリス”、」
気前の良かったのが皮切りに、口々にスノウ・マンたちは謝った。
「私は、エリーよ、」
エリーは苦い顔をして言い張った。
溶け出したしずくが、エリーの頬を伝って落ちた。
しかし、それはスノウ・マンたちも同じことだった。
エリーが苦い顔をしたのは、彼らが溶けるのが、自分に比べて、あまりにも速かったからである。
エリーは見ていられなくなった。
「私、下に行ってくるわ、不良たちをうちやって、“ストーヴ”の火を消してくる」
エリーがきびすを返して行こうとすると母スノウ・マンから、必死な声が上がった。
「それはいけない、いけないの、雪溶けの中心は、あの“ストーヴ”なの、分かるでしょう、きっと、彼も溶けてしまったのだから、」
エリーは踏みとどまった。
確かに司会のスノウ・マンはおそろしい勢いで溶けきってしまった。
「それぢゃあ、このまま溶けろって言うの、」
エリーは困惑してしまった。
自分とスノウ・マンにしてしまった彼らが、自分の心配を本気でしてくれていた。
スノウ・マンの眼は、それこそ本気に、子どもの危険を憂う母の眼だった。
「こちらへいらっしゃい、エリー、」
スノウ・マンは、やっとエリーの名前を呼んだ。
エリーは何を今さらと思って近付くと、彼女は後ろから何かを取り出して、頭を通して、エリーの首に何かを提げた。
エリーは手に取って見下ろすと、“Ring”と鳴った。
首にかかるそれは、鈴をいくつも連ねたネックレスだった。
「この鈴を身につけているといい、これは奇跡を呼ぶ鈴なんだよ、」
鈴は少し揺れるたびに、静かに凍った音を立てた。
「みんな、こっちの食卓の隅へ来るんだ、ここが一番冷たい」
気前の良いのが言って、母スノウ・マンに促され、エリーもそちらへ身を寄せた。
次に小さかった子どもが続こうとして、最後にはしゃいだ。
「雪どけ雪どけ雪どけい、三時になったらおやつに帰る」
小さくなった子どもはそんな歌を歌いながら溶けてしまった。
“Ring”と鳴ったかと思えば、音が連なる。
等間隔に、鈴の音が続く。
酒場の青年たちは、その音を聞いて表に飛び出した。
そこから響いているのか不思議がる彼らは辺りを見回す。
そしてすぐに、路地の真ん中で手持ち鈴を鳴らすアイミーに気付いた。
「またお前か、」
傷だらけのアイミーを見て、青年たちは驚くというよりも、呆れた。
しかしからかうようにひたすらに鈴を鳴らすアイミーに、青年たちは再び苛立った。近付き始めると、アイミーはそれに合わせて遠ざかる。
“Ring Ring”
「また痛い目にあいたいらしい、」
ニット帽の青年が言うと、青年たちは駆け出した。
細い路地で、追い駆けっこが始まる。
アイミーが奥まっていくと、青年たちも追う。
やがて距離が縮まり、追いついてきたところで、アイミーはタイミングを見計らって大声を発した。
「今だっ」
途端、“Ring”という鈴の音が、辺りからたくさん響き渡った。
「なんだ、」
すると青年たちに雪が一斉に降り積もった。
青年は声を発して慌てふためきながら、大量の雪に押しつぶされるようにして倒れ伏す。
細い路地、屋根上の両脇から、一斉に雪が落ちた。
屋根上にはひっくり返したソリが見える。鈴つきのソリは、酒場の脇に積み重なって古くなっていたものだ。左脇の屋根から、ルーベルトが手を振ったので、アイミーは返した。
雪に埋まる彼らは、顔を出すが、何人かは動けなくなったようだ。
「お前、」
そんな中から、ニット帽の青年が、立ち上がると、怨念のこもった、、恐い眼で、アイミーを睨みつけた。
もう二人、背後で立ち上がりつつあった。
アイミーは一瞬どうしようかひるむと、突然、再び雪が、今度はかたまりとなって落ちてくる。
三つ、四つ、球が次々落下して青年たちにぶつかった。
球は、屋根にいたスノウ・マンたちだった。
「ありがとう、」
救われたアイミーはお礼を言う。
しかし、そこからひとり、強引に這い出して来た。
「ふざけんな、」
ニット帽の青年はアイミーに這うような姿勢で向かってくる。
アイミーは驚くが、逃げずに向かった。
青年の拳をかわせたのは、奇跡だったかもしれない。
アイミーは思い切り、青年の頬を殴り飛ばしてやった。
スノウ・マンがしたり顔で微笑む。
しかし何か小さくなっているように見えた。
落ちた衝撃で、いくらか崩れてはいるのだが、それにしても全体として雪が減っている。
「みんな、」
アイミーは青年が倒れたのを横に、彼らに詰め寄った。
見ると、身体からしずくがぽたりぽたりと垂れて雪へ染みている。
「“スノウ・フレーク・ストーヴ”のせいだな」
「とすると、」
「うん、」
「あのお嬢さんが、気になるな、」
「お嬢さん?」
スノウ・マンたちが難しい顔をして口々に言うが、アイミーはなんのことだか分からない。
お嬢さんは、エリーのことだろうか。
しかしアイミーの頭は、眼の前の事態で手一杯である。
さらによく見れば、路地奥の酒場に向かうにつれて、雪の積もり方が薄くなっているのに気付いた。
突き当たりの酒場にいたっては、すでに雪が溶けきって、白が見当たらず、水溜りばかりとなっていた。
「みんな、溶けないでよ、溶けたらだめだよ、みんな、」
「私たちはいい、それよりも、早く酒場へ行くんだ」
近寄って来るアイミーを、スノウ・マンは追い払うように言った。
「でも、」と躊躇するアイミーをスノウ・マンは身体で押した。
溶けて不恰好になった顔を険しいものにつくりかえて、アイミーを無理矢理促す。
アイミーも、従って駆け出した。
するとすぐに、足を掴まれる。
雪を這ってしっかりと足首を掴んでいたのは、肌色ニットの青年だった。
しぶとくも苦しさを張り詰めた顔でアイミーを見上げ、笑みを浮かべた。
それが、またすぐにがくりとうつむき失われる。
同時に痛いほどに力強かった手もほどけた。
見るとルーベルトが、ショベルで軽く頭を叩いたのだった。
屋根から急いで駆け下りて来たらしく、ルーベルトは、息を切らしながら、アイミーに眼で示した。
頷いて、アイミーは今度こそ意を決めて、酒場へ向かって走り出した。
スノウ・マンと身を寄せ合うエリーは、ふいと雪を撫でていく“ストーヴ”の熱気の中で、彼らの冷えた空気に包まれていた。
ヒトにぬくもりが心地よいように、今はエリーには、彼らの寒さが心地よかった。
例えばスノウ・マンに巻いたマフラーをいつか、水溜りに拾いにいくことがある。
エリーはそれを手に取ると、スノウ・マンの最後の冷たさが、そこに染みて残っている。
それを肌にひたしてみれば、自分とは相容れない温度を、湿ったマフラーの中に少しだけ感じることができた。
そんなふうに、エリーは身につけていた服を自ら湿らせては、身が細くなっていくように感じていた。
「そう、お嬢さん、エリーには、彼らの話をしなければいけないね」
気前の良い方が言った。
「彼ら、」
「さっきの少年、ジェイムス、今晩の“シェフ”と、また違うお嬢さんのことサ、」
「また違うお嬢さん、」
「そう、ぼくらも遠目にしか見たことがないんだけどね、そのお嬢さんはね、ジェイムスを、つくったお嬢さんなんだ」
「つくった、」
「そうさ」
気前の良いのは、さも当たり前というように言った。エリーは今晩そんなこと、まるで考えてもみなかった。
「そもそも“シェフ”というのはね、その雪の積もった晩で、一番人間になりたいと願ったスノウ・マンが、就くことができる役なんだ」
「人間になりたいのは、どうして、」
エリーはスノウ・マンはスノウ・マンままで、十分に素敵なのに、と思う。しかしやはり、溶けたくない、ということなのだろうか、とも思った。
「それはね、お礼を言いたいからだよ」
「お礼、」
「つくってくれたことへのお礼、産んでくれたことへのお礼、恩返し、」
エリーはスノウ・マンの中に、暖かさを感じていた。
「ジェイムスをつくったお嬢さんは、病弱な女の子だった。ジェイムスを昔つくってくれた時はまだ雪の世界をはしゃぎ回れるほど元気だった。だけども今は、部屋にこもりきり、外に出て散歩もできず、街の屋根を眺めてばかり。だけどジェイムスは今夜だけ、今夜だけ彼女を連れ出して、長靴を履いて、一緒に雪の世界を散歩するんだ、って、そう、彼は願っていたよ。ぼくらの中の誰よりも強く、自分をつくった彼女のことを重いやっていたんだ」
「それで、この食卓、私は、彼の“かわり”をやってここにいるのね」
エリーはイライラする気が失せるどころか、すでにどこかへ忘れてしまっていた。
「街で、木箱を抱えたおじさんを見なかったかい、あれもね、儀礼の一環なんだ。ひとりさけ、この街のわけを知る人間に手助けしてもらうんだ。木箱の中身は長靴でね、きみたちと同じで、“S.W.”の金刺繍が入った特別製のものなんだ。あの長靴はね、ぼくらからの招待状のようなものさ。もちろん夜の街の、こんなにも明るいスノウ・マンの雪の世界のね。だからちゃんと、行き渡るようにしてあるんだ、スノウ。マンを心をこめてるくった、子どもたちへね。その長靴を持っているきみも、きっと昔つくったことがあるんだろうね。たくさんの愛情をこめてさ。その長靴は、そういうものなのさ」
「私がどこかでつくったスノウ・マンも、あなたたちみたいにどこかで動いているかしら、」
「動いているさ、きみみたいにね、」
「もうすぐ、溶けてしまうね、」
「私たちの方が、早いみたいね、」
「どうしてかしら、」
「愛されているほど、スノウ・マンは溶けにくくなるものなのさ。エリーは、愛されているんだね、たくさん、たくさん、」
「そんなこと、」とエリーは言いかけて、やめた。何かがエリーの身に染みた。
「友だち、それとも家族かしら、」
「分からない、」
「あなたにしか、分からないわ。ちゃんと、私たちはそれぞれそれを知っている、スノウ・マンって、そういうものよ、」
母親顔で、スノウ・マンは笑った。
気前の良いのもまた、気前良く頷いた。話し終わる頃には、スノウ・マンはもう本当に小さくなって、ティブルにのっているものくらいになっていた。
「きっと来るわ、きっと、」
呟いたスノウ・マン二人、ふたつの雪だるまは、ついに溶けて崩れてしまった。