第五章 長靴
アイミーを見つけた青年たちは、こちらへ近付いてくる。
しかしアイミーのことと同じくして、アイミーの後ろにたむろして取り巻いていた、スノウ・マンたちのことも、眼にしていた。
「な、なんだ、」
青年たちがどよめいた。ニタニタとした趣味の悪いふうな笑みが、一気に打ってかわった。気味の悪いものを見る眼になる。あるいは、理解が追いつかなくて呆けたようになる。
「な、なんだよ、これ、雪だるまが歩いてる、」
スノウ・マンはと言うと、彼らを見た途端、表情を止めていた。
「しまった、」
アイミーは、彼らのことを半分忘れていた。
自分は追われている身だったことを思い出して、手の木箱を力をぎゅっとこめて握った。すると青年たちは、驚きを罵倒へ転じさせた。見栄を張ったように、ニット帽の青年が、叫んだ。
「なんだろうが、関係ない、まとめて雪に埋めてやる」
アイミーは少し、片眉を跳ね上げてひるんだ。
一歩、逃げるべきかと思って後ずさった。
しかし驚いたことに、その時突然糸を切ったように、スノウ・マンが動き出した。
群をなして、長靴を履かない青年たちに向かっていく。
ひるむのは、今度は不良たちの番だった。
その壁が迫るような勢いは、二人が後ずさって倒れた。同じく後ずさったひとりに、後ずさらなかったニット帽の青年が言った。
「用意した、あれを投げてやれ、」
すると立ちすくんでいた青年は、はっとして肩にかけていた皮袋を急いで開くと、ひとつ、酒壜を取り出した。蓋のコルクに、何か細工が見えた。
青年は、その壜をそのまま投げやった。雪路地に当たって、壜が割れる。
すると、壜が火を吹いた。
突然の炎に、みるみるうちに溶けていく。
こんな炎を直接被ってしまったら、スノウ・マンはひとたまりもない。
「やめろっ」
アイミーは必死になって叫んだ。
しかし青年は止まらなかった。
勢いよく投げられた壜は、先頭にいたピエロ鼻のスノウ・マンに激突して破裂した。
発火して、頭から腕にかけて炎がたぎる。
するとピエロ鼻のスノウ・マンはみるみる溶け出して、やがて黒曜石のような黒い石と、真っ赤な丸い鼻だけが残った。
スノウ・マンたちが悲鳴を上げて、炎から遠のいた。
その悲しげな表情を見て、アイミーも泣き出したくなった。
それなのにスノウ・マンが溶けて消えたのを見て、青年たちは笑っていた。
彼らの愛想の良さや賑やかさを思うと、アイミーは許せなかった。
また壜が投げられてスノウ・マンの身体に火がついたかと思うと、アイミーはもはや木箱も投げ出して青年たちに向かっていた。
火が燃える場所を踏んで擦り抜けて、長靴で必死に足を走らせた。
青年たちが笑っている。
アイミーはニット帽のに殴りかかろうとすると、蹴飛ばされた。
続けて不良たちに、殴られたり踏まれたり、殴られたり、蹴飛ばされたりする。
青年たちは汚い言葉を吐いて、アイミーはうめいた。
衣服をボロボロにされ、打撲傷にああだらけとなる頃には、不良も気が済んだ。
青年たちはそのまま、路地奥の酒場の方へ戻っていった。きっと、たむろして飲み直すのだろう。
スノウ・マンも離れて炎も消えて、アイミーはひとり踏みふらされた雪の中に横たわっていた。
青年たちが持っていったのかどうか、投げやった木箱もいつのまにか消えて、この辺りには、スノウ・マンの眼だたっり、鼻だったり、身につけていたものの欠片が散らばっている。
全身痛む身体で、アイミーはうなった。
アイミーは悔しかった。
エリーは鏡から離れ、また荒い足取りで屋外席へ向かおうとすると、下から物音を聞いた。
アイミーやルーベルトたちが帰ってきたのかと思って引き返す。
そのまま階段を下りようとしたが、ふと聞こえた声が、そうにも彼らと違うので、エリーは訝しがりながら階段の手すりの隙間から、そっとのぞきこんだ。
酒場に入って来たのは、二人でもスノウ・マンでもなく、エリーたちがケンカを売った青年たちだった。
逃げきったように思っていたエリーは、顔を青ざめさせた。
「すっとしたな、」
「ガギが俺たちにケンカ売るから、ああなる、」
「しかしあの雪だるまはなんだったんだ、」
「怪け物か、不気味なものがいたもんだ、」
「溶かしてやったけどな」
青年たち何か嘲る調子で話しながら、笑った。エリーは眉をひそめた。今の会話は、一体どういうわけだろう。
「しれにしても、ここは寒いな、」
「ストーヴが、点いていないんぢゃないか、」
青年たちは話しながら、ストーヴのある酒場の奥へと向かっていく。すると少し悲鳴を上げた。
「なんだ、ここは、ストーブに近付くほど寒いぢゃないか、」
「おかしいな、どうなっているんだ、このストーヴは、」
青年は訝しげに腕を組んだりさすったりしながら、ストーヴを調べ始めた。
脇に薪があったのを見つけて、手に取ると、ストーヴの蓋扉を開けて、中へと放る。
「何か、雪が染み付いてそうだな、」
「いいさ、火を点けよう」
言いながら青年のひとりが、持っていた皮袋から油の小壜とマッチ箱を取り出した。エリーは驚いた。青年たちは、ストーヴに火をくべようとしていた。
スノウ・マンが食卓で教えてくれたあのストーヴのことを、エリーは思い出した。
「大変、“スノウ・フレーク・ストーヴ”が、」
見るうちすぐに、小壜を内に開けて、マッチを擦って放ると、蓋を閉めた。
たちまちスノウ・マンたちのストーヴが、暖炉に変わってしまった。
ひやりと漂っていた空気が、熱気を帯びた暖かいものになってゆく。
「お嬢さん、そんなところで何をしているんだい、」
背後から声がかかり、エリーはまた驚いて振り返った。
司会を務めていたスノウ・マンが不思議な顔をしてエリーに近付いていた。
口に一本指を立てて、静かに、という合図をする。
そんなエリーに、司会は様子を察して、エリーのそばに物音を立てずに寄り添う。
「それにしても、何か熱いね、」
小声で言って、ない首を伸ばして手すりの隙間からのぞき込む。
「それが、」
エリーは再びのぞきこみながら、ちらりと、司会の顔を見た。司会は、信じられないというふうに呆然としていた。
「いけない、お嬢さん、今すぐ屋外席へ上がるんだ」
するとエリーの身体に、手となる枝が押し当てられた。折れてしまうのではないかというくらいの力で、エリーが自然と上へ足を運ぶように押し流す。もう一度顔を見ると、必死な形相となっていた。
「あれは、スノウ・マンの特別なストーヴなんだ、決して、火をくべてはいけないストーヴなんだ、」
エリーは、さし迫った様子のスノウ・マンを見てやはり驚いた。
足を運んだ先で、何か跳ねた。足元には、いつの間にか水溜りがあった。スノウ・マンは、そのままエリーを奥へと押して促す。
「一体何が、」
エリーは言いかけた言葉をとめた。司会のスノウ・マンがひどい勢いで溶け始め、崩れかけていたのだ。
「はやく、」
か細い声で司会がそう言うと、口が崩れてなくなる。エリーは残酷なものを見る表情で、胸打たれていた。
少しストーヴを点けたくらいで、こんなに早く溶けていくはずがなかった。それなのに、スノウ・マンは眼の前で、顔をなくし、みるみる小さくなっていく。
エリーは躊躇して手を伸ばしかけた。
しかし最後に、スノウ・マンの枝がエリーの腕を示したように思った。
エリーは自分の手を見ると、水が垂れていることに気付いた。スノウ・マンに触れたせいかと思えば、何か違った。手だけでなく、袖からしてじっとり濡れている。もっと注意して見れば、それは、袖だけではなかった。
まるで水が、エリーの身体から、染み出してきているようだった。
スノウ・マンの腕となっていた枝が、ついに倒れた。
それが、屋外への階段を示していて、エリーはそちらへ走った。
ルーベルトはペレットおじさんを探して街を走っていた。
足跡が多くなった路を見つけて、それを辿ると、また元の、細い路地へ出た。
足跡は、おじさんというよりも青年たちのもののように思えたので、ルーベルトは用心して歩んでいった。
途中に枝やにんじん、ビーズやマフラーや石ころ何かが転がっていて、ルーベルトは妙に感じた。
ルーベルトはおじさんよりも、先に木箱を持っているアイミーに合流して、おじさんよりも先に直接荷物をチェノゥラに届けてしまってもいいとも思っていた。早くチェノゥラに届けて、彼女を元気付けることを、ルーベルトは優先したかった。
ルーベルトは、てっきりアイミーはまだあの開けた広場で、スノウ・マンと遊んでいるものだと思っていたが、アイミーはいなく、どこかへ移動したようだった。
ふと路の途中で、より雪が踏み荒らされているのを見つけて、ルーベルトの注意を引きつけた。
その荒れ方のもっともひどいところを見つけて、じっと見つめた。
足跡がいくつもいくつも重なって、偏ったり溶けたりして、石畳が透いていた。
引きずられたような跡もあって、逆に雪が踏み固められたところもあった。
ただ歩いただけでは、そうはならない。ルーベルトは、不思議に思って、何があったのかを考えた。
「ルーベルト、」
消え入りそうな声だった。背後からかけられた声に驚いて、ルーベルトは振り返る。
路地の暗がり、家の壁に、少年が動いて、雪へ踏み出す。
たよりない足取りでルーベルトに近付く。
少年はアイミーだった。
額や頬にコブとアザが見られ、赤黒く、または青く変色していた。
衣服はすそなどがちぎれ、ボタンが欠けていた。
雪混じりに濡れて、血が出ている場所は赤くなっている。
長靴は相変わらずだった。
傷だらけで満身創痍のアイミーに、ルーベルトは言葉を失う。
「ルーベルト、」
今度は力強くルーベルトの名前が呼ばれた。
倒れこむように、ただし強引なふうに肩にアイミーの手が置かれると、あざだらけの晴れ上がった顔で、ルーベルトの顔をのぞき込んだ。
泣きそうなものかと思えば、意志をたぎらせた色の眼だった。
「頼みがある、」
アイミーは言った。
ルーベルトは、手のショベルをぎゅっと握った。
ルーベルトが去ったあとを、チェノゥラは静かに雪景色を眺めていた。
窓から見える屋根の広がりは、いつも同じようでいつも違う。同じ窓でも、同じ景色など一度もなかった。そして今日ほど、いつもと違った景色なこともなかった。
一面に真っ白の屋根は、街の上に広がる雪原のようだった。
チェノゥラは、街を眺めることでは、退屈なんてしていなかった。
ここから見えるものと同じくらい綺麗な街を見ているヒトが、はたしてこんな夜中に、何人いるだろうか。
今この瞬間、真っ白な雪の世界となったこの街を、一望しているのが自分だけだと思うと、まるで街が自分のものになったような気分だった。
それでも退屈なことと言えば、そんなふうに思うこの街を、自由に歩き回れないことだった。
チェノゥラは、街をゆくヒトに憧れた。
あの屋根の下はどうなっているのだろう、誰が住んでいるのだろう。あのおしゃれな屋根の隙間の路地には、どんなにか素敵なものがあるのだろう。そんなことに思いを馳せては、チェノゥラは空想の街をつくり上げていった。
いつか病気が治ったら、路地という路地を、確かめながら歩いてみたかった。
ルーベルトが言ってくれた、この街のこと。スノウ・マンなど、彼の言う半分くらいは冗談事だと、チェノゥラは思っていたが、ルーベルトがそんなふうに自分を元気付けてくれたことが、嬉しかった。
交友のとぼしくなってしまったチェノゥラに、何か荷物が届くという。それが一体なんなのか、チェノゥラはぼうっとしながら毛布にくるまって窓の外を眺めて考えていた。
一方で、届かないのではないかとも思っていたし、自分の宛てでないのではないかと思っていた。
または、わざわざルーベルトが用意してきて贈ってくれるものなのではないかとも、想像していた。
その時、正面の通りの向こうから、ヒト影がうっすらと見えた。
チェノゥラは眼を凝らす。
ルーベルトが帰ってきたのだろうかと思うが、彼にしては、それはとてもゆったりとした歩みだった。
誰か違うヒトなのかと思って、チェノゥラは眺めていると、姿からして、少年であることが分かった。
やっとチェノゥラが見て取れるような街灯の明るい下まで来ると、服装何かも照らし出され、また、その少年も、不思議なことに、こちらを見ているのであることが分かる。
灯りもついていない、三階にいるチェノゥラの姿を、遠くから見知らぬ少年が見つめていたことに驚き、眼があったように思ったことに、チェノゥラはどきりとした。
少年はオレンジ色のマフラーを首にして、赤い手袋をしていた、
見間違いかと思って、もう眼を凝らす必要もないくらい少年が家の近くに来ると、少年はこちらを見ているどころか、じっと眼をそらさずにチェノゥラのことを見据えているのだった。
これが大人のヒトだったらチェノゥラも不気味に思ってすぐに窓を閉めたのだが、それがチェノゥラと同じくらいだったので、そんな気にもならなかった。
しかし知った顔かと思えば、やはり知らない。
整った蒼白な顔に、きらりと眼が碧色に光った気がした。
ついに自分が、幽霊化何かに近付いたか、彼らの方から迎えに来たかと疑い始めたところで、門扉の前で立ち止まった少年が、りんとした声を投げた。
また違う人影が、左の方から駆けて来るのが見えた。
少年よりも速く、丁度交差しそうだった。
その人影は少年ではなく、帽子を被り、暗い色のコートを羽織ったおじさんのようだった。
背を曲げて、何か抱えている。
「今晩は、チェノゥラ。会いたかった」
少年は、自分の名前を知っていた。
そのことに、チェノゥラは驚いて見入った。
知っているはずがないと思ったが、少年が身につけているオレンジー色のマフラーや赤色の手袋には、見覚えや、それどころか、愛着すら自分が感じていることに気付いた。
そこへ、走りからゆったりとした歩みへと変えたおじさんが着いた。
おじさんは、木箱を抱えていた。
「あなた、名前は、」
チェノゥラは窓から乗り出して訊ねた。
おじさんが、木箱の蓋を開けた。
下の部分を持って、腰を低くし、膝をつく。
うやうやしく頭を下げ、献上するようにして、木箱を少年に差し出した。
少年はお辞儀して、開いた木箱へ手を入れ、中のものを取り出した。
「降りてきて、チェノゥラ、」
両手で持って、チェノゥラへ翳した。
「ぼくの名前は“ジェイムス”」
それは、長靴だった。