第三章 雪の食卓
二人を、黙って放っておくの忍びないと一瞬思ったが、初めから自分を仲間に入れる気のなかった二人を思いだして、むしろ自分だけおいしい体験ができるのが、気味のいいことに思った。
スノウ・マンが跳ねて先導する。エリーは、階段を気分良く上っていった。螺旋階段を回っていく。とうに中身を忘れてしまった木箱を、開けるような心地だった。
短くうねる階段を上りきると、スノウ・マンは先にあった扉を押し開いた。
「ようこそ、スノウ・マンの食卓へ」
屋外には、雪が積もっていた。四角い型のティブルがひとつあるだけの、小さな空間。しかし無理をすれば、十人くらいはたむろできそうな場所だった。
ティブルには両側に三つずつ椅子があり、すでにそのうち四つが、彼らスノウ・マンが埋まっている。
エリーが入るなり、彼らから歓迎の声が飛んだ。二人ほど小さな子どものようなスノウ・マンがいて、やんややんやと飛び跳ねてはしゃいでいる。右にならんだ奥には気前の良さそうに笑うのがいて、子を挟んだ右手前には、母親のように控えめに穏やかに笑うのがいた。
「そこの真ん中の席へおいでなさいよ」と、母スノウ・マンが向かいの真ん中の席を、片方しかない枝の手で示した。左の奥には、小さなスノウ・マンがおいでおいでと飛び跳ねている。
「やあ、これはかわいらしい子が来たぞ」と言ったのは、右奥の気前の良さそうなだった。
本当に歓迎してくれているようで、彼らの明るい調子に、思わずエリーも笑みになった。気が進むままに、足を進んでいく。
席へ辿り着くと、お嬢様の気分でどかりと真ん中に座った。
遅れて、案内してくれたスノウ・マンが、右隣に座る。
スノウ・マンに囲われて、エリーは少し圧迫感を感じた。右隣の赤ニットのスノウ・マンがひとつ間を取るように咳払いした。それがエリーのお父さんのものと似ていて、エリーは少しおかしくなった。
「ええ、今晩は良い雪です。久しぶりのディナー。ご出席くださった、こちらのお嬢さん」
示されて、エリーは立ち上がった。
「お招きに預かり光栄です」と、お辞儀を続けた。
「長靴を履き、ブロンドの髪をしたこちらのお嬢さん、お名前は、えっと、お名前は、」
言いよどんだ司会の赤ニットが、ちらりとエリーを見やって困ったような顔をした。エリーに視線が集まる。そういえばまだ名前を言っていなかったので、知らなくて当然である。
名乗りを促すような視線にエリーが答えようとした時、隣の小さなスノウ・マンが言った。
「知ってるよ、”スノウ・アリス”って言うんでしょ」
途端、小さなスノウ・マンに彼らの視線が集中した。その、まるでいたずらした子を咎めるようなみんなの眼に、一瞬エリーは恐さを感じた。
しかし本当に一瞬だけで、すぐにまた柔和な表情が戻っていく。エリーが確かに聞き取った”スノウ・アリス”という言葉に全く聞き覚えはなく、エリーはその名前と彼らに困惑した。
「名前は、」
しかし司会のスノウ・マンが、何事もなかったようにまた語尾を濁らせて、弱った眼をエリーに向けた。
「エリーよ」
エリーは眼をきょろきょろとさせて様子を見ながら、今度こそ答えると、みんなして一度エリーの名前を確かめるように呼んだ。遅れ気味に木霊のように、”エリー”と、左隣の小さな子が呼んだ。
「さて、それではご紹介も澄みましたところで、鈴と空と子どもに祈りまして、ディナーをいただくとしましょう」
エリーは疑問を感じて眉をひそめた。
「待って、ディナーがないわ」
囲んだ眼の前の装飾机には、どう見ても食べ物らしき物はない。積もった雪が、まばらになってのっているだけである。
「ああ、そうか、誰か、彼女に用意してあげてくれ」
司会のスノウ・マン言うと、左隣のスノウ・マンが、左腕にしていたフォークを差し出して、ティブルにおいた。
「どうぞ」
小さな子が葉っぱの口を歪めて微笑んだ。
「え、」
エリーは驚いた。当然その子の左腕はなくなる。
「さ、遠慮なさらずおとりなさい」
次に母のようなスノウ・マンが、スプーンの左腕を差し出していた。母も穏やかにしているのだが、エリーは当然身体の一部をもぎとっているようで気が引けた。
「さ、早く、」
エリーは辞退しようとするが、母がしきりに取るよう促すので、エリーは、スプーンを引き抜いて受け取った。すると母は満足げに乗り出していた身体を元に戻す。エリーの手元に食器がそろった。
「お嬢さんのような子は、食器を使うのだったね、忘れていたよ。さて、準備は整ったね、それでは。」
「待ってよ、」
再びエリーは慌ててとめた。まだ肝心の、ディナーがどこにもない。別にエリーは食器の話をしていたわけではないのだ。
「だから、ディナーはどこに、」
すると、スノウ・マンたちは不思議そうな顔をした。正面の小さな子は、もう待ちきれないという顔をする。
「何を言っているんだい、お嬢さん、食事なら初めからそろっているぢゃないか。きみは面白いね」
「え、」
当然という顔で、今度は気前の良さそうなのが言って、快活に笑った。エリーはまじまじと、眼の前の机に見入った。
改めて見ると、まばらに雑然としているだけだと思っていた雪が、しっかりと形をなしていた。お皿の上に、お肉やポテト、ボウルに入った野菜サラダや、付け合わせのソテーやスープなども見て取れるが、全てが雪でかたどられたものだった。
「今晩はごちそうだよ、」と左隣の子が言い、「たっぷりお食べなさい」と母が言った。「好物ばかり」と気前の良さそうなのが笑った。
「では改めて、いただきます、」
司会が言うと、みんなが声をそろえた。するとそれぞれ両方あったり片方あったりする手で、雪のディナーを口へと運び始める。
おいしいなど感嘆の言葉を吐きながら、スノウ・マンたちは満足げに幸せそうにたいらげていく。
エリーはしまったという顔をした。
スノウ・マンの栄養や肉になるものといえば、やはり雪に相違ないのだ。エリーは彼らがフツーの、エリーたちが取るような食事をするものだと思い込んでしまっていた。
雪の食卓を前にして、エリーは気まずくなる。
雪は冷たすぎて、とてもぢゃないがたいらげられそうにない。
しかしおいしそうに食べる彼らに囲われて、加えて自分の身体を差し出して、親切に食器まで用意してくれて、「こんなものいただけないわ、」と言えるはずもなかった。
エリーは少し黙ってスノウ・マンたちの食事を眺めていると、右隣の司会がついにそんなエリーの様子に気づいてのぞき込んできた。
「おあがらないのかい、」
椅子に乗るとエリーの背丈よりもずっと高いので、変な威圧感すら感じた。
「ごめんなさい、ちょっと、寒くなってきちゃって、」
エリーは身とともに気を縮める思いで言った。
実際に、エリーはダッフルコートを着ていても、肌寒さを感じてきてもいた。
しかし、「こんなにおいしいのに、」と、左隣の子が言う。「ほんの一口でいいから、食べてごらんよ、」と、気前の良いのが言う。
すると一斉に手を止めてみんながこちらをのぞき込んできた。みながみな、期待するような表情である。
エリーにしても一挙一動を見張られているようで、そんな顔をしてと、空気を止まらせては、もう口にしないわけにはいかなかった。
「さあ、さあ、」と息をのむようにして促すスノウ・マン。エリーはついに手を動かして、フォークを逆手に取る。
スノウ・マンのフォークは凍てついていた。苦い顔をしながら、雪の食器に、エリーはフォークを突き立てた。
皿は氷のように固まっていて、上のものにだけフォークが通る。
それは柔らかくも、ひとつの物となって、フォークを上げると持ち上がった。肉のような雪を、エリーは意を決めて口へ運んだ。
一口だけ食べて、やはり食べれないと断ってしまおうという心積もりだった。
口に入れて噛み切ると、不思議と弾力があった。
舌や頬がしびれるくらいに冷たい。しかし、味覚があった。
「おいしい、」
気付くとエリーは、そう叫んでいた。
「そうだろう、」気前の良いのが笑った。
エリーは二口、三口と続けて口に入れて雪を頬張る。
驚くべきことに、お肉のような雪はちゃんと焼いたお肉の味がして、ソテーや野菜もちゃんとその味がしていた。加えてその味が、食べたことのないほどになんとも絶妙な味付け、極上の味なのだ。
気付けばエリーはまだ夕飯を食べておらず、お腹が空いていた。
エリーは噛むことも忘れるくらいに食事をたいらげていく。
次々に舌の上で溶けては味覚がひろがった。
感覚がなくなるほど頬は冷たくなって、ついに冷たさすら忘れかけていた。
スノウ・マンが笑って、エリーがおいしそうにたいらげることに喜んでいる。エリーは自分とスノウ・マンとのずれが分かった。そして、それが少しなくなったように思えた。
「喜んでくれたみたいで良かったわ」
「な、おいしいだろう、」
「エリーは食いしん坊だねえ」
「さて、こんばんはお話に花を咲かせよう」
スノウ・マンたちがまた手を動かし、騒ぎ始める。
「みなさん、私の武勇を聞きたいかしら」
エリーはスープを掬っていたスプーンを掲げ、調子にのって言いながら、会話に加わり始めた。
エリーはだんだんとスノウ・マンたちに馴染んでいることを感じ、それを心地良く思った。
楽しい会話の中で、ふとエリーの家の窓から見える、隣の家のことを思い出した。
そのうち愉快げな大家族が、いつも笑いながらティブルを囲んで食事している。ひとりっこな上にたまにしか家族のそろわないエリーは、いつもそれをうらやんでいた。
そんなことをかえりみて、そんな、賑やかな食卓が、そして自分を歓迎し、受け入れてくれる食卓が、今自分の手に入っていることを感じた。
例えそれが、雪の食卓であっても、それを感じて、エリーは少しだけ、話の途中で瞼を閉じた。
アイミーたちは路地を進んでいく。
見慣れた街なみだったが、雪景色はどこも新鮮で面白かった。
街は輪郭をはっきりさせて砂糖や糖蜜をかけたように屋根から雪を垂れ下げていた。
街の灯りが少しだけ映った夜の雪空が、明るい線の上に、アイミーたちの頭上に広がり渡る。
すでに〈積もり雪〉がやんだ中、アイミーは相変わらず賑やかなスノウ・マンに囲われていた。細い路地を、彼らは窮屈そうに進んでいく。
ただ中でこっそりと、ルーベルト抱えた木箱を押し付けて来た。
アイミーはそれが、”隠れた秘密の行動”であることを感じて、不思議に思いながらさりげなく木箱を受け取った。
すると同時に、ルーベルトがひそひそと耳打ちする。
「さっき、スノウ・マンがこの木箱を盗ろうとした、ような気がした、」
それを聞いて、アイミーは驚いて見回した。しかしルーベルトのその曖昧な口ぶりに、眉をひそめた。
「ようなき気がしたって、本当に、そんなことしようとしたの、」
アイミーには、この陽気なスノウ・マンたちが、そんなヒトのものを盗るようなマネをしたとは、とても信じられなかった。アイミーもまた声をひそめ返すと、ルーベルトは訴えるように言う。
「でも、本当に盗ろうとしたんだ、ような気がする、」
しかしやはり、ルーベルトの語尾は曖昧だった。
「心もとないなあ、」
アイミーは呆れたようにうなった。
「どうしたんだい、長靴を履いたきみたち」
「いや、何でもないよ、」
二人はそろって曖昧に笑ってごまかす。
再び注意がそれると、アイミーとルーベルトは声をひそめる。
「どのスノウ・マンがやったのサ、」
「あのピエロ鼻だよ、」
ルーベルトは前に進む、ずんぐりと他と比べて面白い動きをするスノウ・マンを視線で示した。
「そうは見えないよ、」
「それならいい、」
アイミーが否定するようなことを言うと、ルーベルトは拗ねたように言って、顔をそらしてしまった。
気を悪くさせてしまったかと、アイミーは不安に思って何か言葉を探していると、ルーベルトは続けて言った。
「それとね、スノウ・マンとの散歩もいいんだけど、ぼくは少し離れさせてもらう。行きたいところがあるんだ」
「ルーベルト、」
そこまで、自分から離れたいほど気を悪くさせてしまったのかと、アイミーは疑って気を落とした。
「それなら、ぼくも行くよ、」
「それぢゃあ、スノウ・マンもついてきてしまうでしょう。それぢゃだめんだ。ぼくは、ひとりで行く」
「ルーベルト、」
アイミーは焦って呼びかけると、そんな二人の様子に、スノウ・マンが気付いた。
「さっきから、どうかしたのかい、」
「何でもないよ、です、」
アイミーは再び、曖昧な笑顔をつくろって向けた。ピエロ鼻のスノウ・マンは首を傾げると、しかし細い路地をようやく抜けたので、すぐに戻した。
「さあ、路地を抜けたよ」
そこはこじんまりとした、風変わりな軒なみが囲う広場だった。
「夜というのは、実は一生くらいに短い。きみたち、ここらで遊ぶとしよう、」
「それぢゃあ、またあとで、」
ルーベルトはアイミーの耳に呟いた。素早く木箱を、ドアをノックするように二回叩くと、ルーベルトは走り出した。
「待ってよ、ルーベルト、」
アイミーは慌ててまた叫んだ。
「おや、そこのきみ、どこへ行くんだい、」
去ってゆくルーベルトに気づいたスノウ・マンたちが驚いて声を上げる。
しかしルーベルトはスコップを握ったまま、何も言わず駆け去っていく。すぐに路地へと消えた。
「あの青の長靴の子は、一体どこへ行ったんだい、」
後ろにいた焦げ茶マフラーのスノウ・マンが、冷静なふうに訊ねてきた。
しかしその落ち着きが”よそおったもの”であると、なんとなくアイミーは感じていた。薄水色のビー玉の眼が、なんともなしに泳いでいるのだ。
「分からないよ、」
こぼすようにして言った言葉は、どうしようもなく本音だった。ふいにアイミーは何故だか、淋しさすら感じていた。
「まあ、仕方ない、数は減ってしまったが、遊びを始めることにしよう」
スノウ・マンは再び歓声のようなものを上げて賑やかになり始める。
そういえば、エリーも置いてきてしまっていた。彼女は置いていかれたことに怒っていないだろうかと不安になって、彼女の性格を考える。
すぐにイラツく彼女のことだ。怒っていることは確信した。
アイミーはどんどん不安になっていく。気が下の方に澱んでいき、自分を責めるように反省すると、少し冷静になった。
ルーベルトが去り際に、この木箱を二回ノックしてみせたのはどういうわけだろう。今考えれば、何か意味ありげな合図だった。
そういえば、この木箱の持ち主のおじさんは、未だに見つからない。
もしかすると、このおじさんを探しに行く、という意味だったのだろうか。
アイミーはぼんやりと木箱の蓋を眺める。
そこには銀糸で、旅行用のタグがついていた。
スノウ・マンたちは声をかけながら、”だるまさんがころんだ”の持ち場についていく。
しかしアイミーは、心がちぐはぐでとてもそんな気分ではなかった。
旅行用のタグには、当然住所が書かれている。
アイミーは目を見開いて閃いた。
そこに書かれた住所は、この街のものである。
つまりルーベルトのノックは、ここの住所に行ってみる、ということだったのではないだろうか。
「さ、始めるよ、長靴の男の子」
後ろから太った、胸に釦をあてがったスノウ・マンふが笑顔でアイミーを押した。
「う、うん、」
アイミーは眼を上げた。するとその先に、誰かが通り抜けて、するりと路地へ入っていく。
それはペレット帽を被った、少し背を曲げたおじさんだった。
アイミーは目を見張った。この木箱の持ち主を、やっと見つけた。
アイミーは、おじさんが消えた路地へと走り出した。
「おい、きみ、」
用意していたスノウ・マンが慌てて叫んだ。構わずアイミーは路地に向かって折れる。
「待ってよ、おじさん、」
アイミーは声を張り上げる。しかし曲がったそこには、すでにペレットおじさんはいない。ただ足跡だけが、奥へと続いていた。
「きみこそ待ってくれよ、きみまでどこへ行くつもりなんだ、」
追いついて近寄ってきたスノウ・マンが戸惑った調子で言う。
見ると、さすがに、一様に困った顔をして、少し気を落としているようだった。
ルーベルトが怪しげなことをほのめかして、アイミーは少し距離をとっているけらいがあったのだが、確かに自分たちが、少し勝手で失礼だったとアイミーは思って、悪い気持ちになった。
「うん、ごめんなさい」
アイミーは謝ると、スノウ・マンは少し明るくなって笑った。スノウ・マンは寛容だった。
しかし、振り返ってみると、疑問があった。
広場をすり抜けるようにして横切っていった。あのおじさんもまた、スノウ・マンの姿を目撃していたはずである。
それにも関わらず、特に際立った反応を見せずに通り過ぎていったのはどういうわけだろう。
ペレットおじさんも、スノウ・マンのようにフツーな感じのヒトではないのだろうか、という疑念が、アイミーの頭をよぎった。
「そうだ、きみの名前を教えてくれよ、」
焦げ茶マフラーのスノウ・マンは気さくなふうに訊ねた。
「ぼくは、アイミー」
「アイミー、」
アイミーは答えると、スノウ・マンたちは繰り返した。
「そうか、良い名前だね、ありがとう、アイミー、」
「きみの名前は、」
気になったアイミーは、逆にスノウ・マンに訊ね返した。するとスノウ・マンは言う。
「ああ、そうだな、うん、ほら、彼女の名前は、シーミィさ」
示すと、後ろにいた水色のニットを被ったのが、にこりと頷いて笑った。
「彼女って、きみは、」
「いた、見つけたぞ、」
その時声が響いた。大きく威勢を張った青年の声だった。アイミーが入り込んだ路地の奥の角から、青年たちが姿を現して、アイミーを見出していた。