第一章 夜の雪の街
編み目状に広がる街の端にある学校で、アイミーはエリーの話を聞いていた。
「この街には、雪の日の夜は外に出ちゃいけないっていう規則があるのよ、規則が」
エリーは鼻高々に人差し指まで立てて気取りながら、アイミーに説明した。
「それぢゃあ夜に雪が降ったら、どうやって遊べばいいのサ」
バカにされたような気がして、アイミーは些か不機嫌になりながら訊ねる。
返すと、エリーはここぞとばかりにより一層気取った調子で言い出した。
「ただし、特別な場合があるの、特別に外に出ていい条件がね。それは、長靴を履くこと。加えてそれはただの長靴ぢゃないわ。底が厚くて滑り止めがあって、皮製の留め具があって、内側に金色の刺繍で”S.W.“の文字が施してある長靴なの。あなた、そんな長靴を持っているかしら」
「……分からないどこで売っているの、」
「あ、もちろんこの街ぢゃ売ってないわよ。ここの靴屋さんぢゃ、長靴さえ置いてないものね。行商人がいるの。たまに、一年に一回来るか来ないかっていうくらいの、長靴屋さんがあってね。その長靴は、そこでだけ買うことができるのよ」
言い終えたエリーは、満足げに胸を張って見下ろした。アイミーはどこか納得がいかず、エリーにそんな態度を取られることを悔しく思ったが、彼女の言った街の規則を、奇妙で珍しく思った。ここが風変わりな街であることは有名だったが、それにしても不思議な規則である。
「ふうん、それで、エリーはその長靴を持っているわけだ」
アイミーは得意げな彼女の態度から、当然”S.W.”の刺繍の入った長靴を持っているものだと思ったが、聞くとエリーは狼狽したふうに慌ててはぐらかした。
「さ、さあね、あ、もう授業が始まるわ」
エリーはいつもいらいらしている。
それでいて、いつも誰かを嫌ってる。
授業中だって、頬杖を突いて眉根を寄せている。
何を考えているのか分からないが、ただいらいらしていることだけは分かる。
どこでそれをもらってくるのか分からない。
見ると、クラスメイトと新しくできたお菓子屋さんの会話を軽い笑みすら浮かべてしていた。
クラスメイトや友達にそれをあてつけることをしないくせに、アイミーにだけは違う。
自慢げにして気取った調子も見せたし、無茶な理屈で愚痴をぶつけてきたりもする。
そのたびにこちらまでいらいらするし、最後には気をよくして笑いながら去るエリーに、さらにいらいらする。
どこかアイミーははけ口にされている節があった。
「うちの妹が、また私のプリン食べたのよ、これで三度目よ、私が怒っても、あやまるどころか笑ったのよ。にやりって。ほんっとうにかわいくない」
「それでも妹なんでしょ」
「それぢゃあ私が、あなたの妹だったとしましょう」
訳の分からないことを言って、エリーは席に戻った。
アイミーはトイレに行って戻ると、授業が始まった。
ノートを取ろうとすると、筆箱からペンが消えている。
いくら探してもない。
仕方なく、隣の席のルーベルト(仲は良いのだが、無口で頑なな少年だ)に借りて過ごした。
授業が終わると、エリーが訪れてペンを差し出した。
「あら、私、かわいいかしら」
ブロンドの髪をかき上げて、エリーは笑った。にやりと。
「かわいくない、」
ペンを受け取りながら、アイミーは呟くしかなかった。アイミーとエリーは、こんな具合である。
その日の晩、雪が降った。
アイミーは驚いて窓の外を見ていた。雪が降るのを見るなど、この街ではほとんど初めてである。小さい頃、一度降ったきりだ。
アイミーはエリーから聞いた話をはっと思い出し、夜も更けた頃、玄関横にある戸棚をひっくりかえす勢いで探し始めた。
めあてはもちろん、話の長靴だった。
「何をしているんだい、アイミー」
父から声がかかり、アイミーは背を一瞬ふるわせた。長靴で夜の街に繰り出したいなどと言ったら、絶対反対されると思ったからだ。だから内緒で、今も探していたのだ。口ごもるアイミーの様子に、父は薄く笑った。
「もしかしてきみは、これを探しているんじゃないかい」
父は背後から、手を回して、アイミーに見せた。それは長靴だった。赤とオレンジのチェックである。アイミーは驚いてそれを受け取った。全部見透かされていたのだ。
内側にはしっかりと、輝くような金糸で、“S.W.”の文字が縫われている。
「この街ではめったに雪が積もることなんてないからね、ママには内緒で行っておいで」
父は物分りよく、アイミーに言った。アイミーは嬉しくてしかたなかった。
「あら、私が反対するとでも思った?」
そんな父の背後から、母が影にでもなっていたみたいに姿を現した。
「こんな〈積もり雪〉が降る日なんてめったにないもの。」
母がか細い頬にふくれっつらを浮かべると、父はごまかす笑いを浮かべた。
「それに、今日は真っ暗な夜なんてどこにもないわ。この街には、どこにもないわ。」
母は、外の、今の世界に思い馳せるようにして言った。父もその通りというふうに、アイミーが長靴を履くのを、手馴れた様子で手伝った。
「さ、しっかりこの靴を履いていくんだよ」
皮の留め具を締めると、最後に父はとんと長靴を優しく叩いた。
アイミーは意気揚々に言った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
玄関の扉を開く。外には一面に真っ白な雪が積もって、厚みを持っていた。舞積もる結晶のひとつひとつが、ひらりとゆれてきらりと灯りに輝いているように見えた。
外の寒気がアイミーのい頬をないで家へ入り込んでいった。
アイミーは、赤とオレンジのチェックの長靴、暖かい長靴で、雪に一歩目を踏みしめた。二歩、三歩、次々と踏みしめていき、やがてそれは”歩み”に変わっていく。
門扉へ続く石畳の両脇には、うえこみの植物たち。水仙やビオラ、どうだんつつじ何かが植わっていたが、どれも雪を被って、誰が誰だか分からなかった。
葉を落としたもみじは全身を化粧し、冬でも緑を光らせる楠やヒイラギは。たくさんの雪をその葉に乗せていた。
門までたどり着いて振り返ると、降り積もった雪に自分の足跡が残って、アイミーの道のりをくっきりと示していた。
自分が歩いた跡など、初めて見た。先には、二人が扉から覗いて、手を振っていた。アイミーは元気よく手を振り返すと、蔓草紋様の門を開いて、街へと飛び出した。
明るい。
街は、真夜中とは思えないほど明るかった。誰の足跡もつかない<積もり雪>が、石畳の路地一杯に広がっていた。
居住街のてんでバラバラな様式の軒なみ。高級感のある大きな家家には、雪を被ってその姿を大きく見せていた。間仕切りの壁や樹のならぶ敷地にも等しく降り積もって、まるで境界を失っているようだ。街路樹のcherry-treeは、雪をまとって枝をしならせ、アイミーに迫ってくるようで、それがいつもより、桜の樹を身近にさせた。時折雪を落としては、また枝を揺らすのだ。
いくつも散らばって立つ街灯の燈が、雪の表面を照らしては反射する。
橙の燈は、雪に色を付け、街そのものが灯りを持っているように思えた。アイミーは知らなかった。
雪の日の真夜中の街が、こんなに明るいものだなんて。
アイミーは興奮して駆けていく。雪は降り積もる。
垣根に植わった椿が、唇のような色の花を、家の灯りが透かしていた。
その隣に、アイミーは雪だるまを見つけた。アルミのバケツを被って、アイミーの背丈を少し越えていた。桜の枝の腕には赤色の毛糸の手袋。口も枝で笑みがかたどられ、鼻にはにんじん。眼には碧色の硝子玉がはまっていた。首にはオレンジ色のマフラーをしていて、雪でできているのに、まるで寒さを感じさせない雪だるまだった。
それどころかアイミーは、暖かみさえ感じた。そんなスノウ・マンは少し見上げ気味に、向かいの屋根下の二階の窓に眼を向けてたたずんでいた。
するとふと、何かが擦れてこすれるような音がする。
向かいの、右隣の家からだった。アイミーは気にかかって近づいていくと、大きく耳に残っていくのを聞いて、それが雪かきの音であることが分かった。
引いては寄せる波のように、敷石とスコップの銅板が、一定のリズムで反復していく。
アイミーはへだつ雪の塀からのぞき込むようにすると、玄関前のキャラメル色の敷地に、少年がいた。
傍らには、雪が積まれて山となっていた。いささかへんしつに、反復的にスコップを〈積もり雪〉の下に滑りこませては、かきあげて横に放る。身体と同じくらいかそれ以上のスコップを手慣れた様子で扱う少年は、見覚えがある。
「ルーベルト、」
呼ばれた少年は、それでも手を止めず、それをもくもくと続ける。
「ぼくは忙しい。持ち上げます、振り上げます、滑らせます、掬います、」
手を止めずに、小さな顔だけをルーベルトは向けた。
「ああ、アイミー、こんばんわ。見て分からないのかい、ぼくは忙しい」
「うん、忙しそうだ」
「パパから雪をかけと言われます、ママは長靴を履かせます、夜のうちに雪をかけるのは、うちだけ、」
「かわいそうに、」
「重要なのは滑らせるところ? 違う、振り上げるところなんだ、量を優先してもだめ、もちろん、少なすぎても、雪には雪でいられる、適量がある。その量をすくい上げた瞬間、雪はもっとも雪として魅了的でいられて、振り上げた瞬間、雪はとっても輝くことができるんだ、」
「楽しそうだね、」
「ぼくは楽しんでいるんじゃない、これがぼくの雪との関わり方なんだ、」
「深いなあ」
「コツは少し浅くいれることなのさ」
言いながらも、雪をかき続けるルーベルトは、何かとてもこだわりがあるようだった。そういえば、毎年雪の降る街で彼が育ったという話を、アイミーは思い出した。
「それにしても、きれいな街だねえ、ルーベルト、」
「だから余計に気合いが入る。ぼくも、こんな街は初めて見た。」
子どもは夜に免疫がない。夜は危ないという親が、早い時間に寝かしつけるのだ。アイミーはそうだったし、ルーベルトもきっとそうなのだろう。ルーベルトは街をみやって、見とれるふうに白い息をこぼした。
「こんなに明るいんだね、雪のおかげだね、」
「あ、そうか、」
長靴がなかったり、履けなかったりするヒトは、今晩の街には出られない。だから今晩は危ないヒトがいないと言って、アイミーたちを出してくれたのだ。
アイミーは、雪の日の夜の街が、こんなにも明るいものだとは思わなかった。
夜の闇は相変わらずあるのに、まるでそこに夜がないかのようだ。
「あれ、」
その時、路地の奥で何かがちらつくのを、アイミーは捉えた。
「あれ、何だろう、」
向うの方で、何かが動いている。
「どれ、」
ルーベルトが手を止めずに訊ねた。
「ほら、」
アイミーは目線で示す。ルーベルトも顔だけ上げてそちらを見やった。雪の舞い降りる中から、やっとその姿が浮かび上がってくる。
すんぐりと丸まった身つき。ペレットの帽子を頭にのせ、シャツの上にチョッキを羽織ったヒトは、白髪の混じり始めていそうなおじさんだった。
「誰だろう」
足には、ちゃんと長靴を履いている。
ついにはルーベルトも手を止めて見やっていた。
しかしペレットおじさんはそのままこちらへやってくるものかと思えば、手前の角を、アイミーから見て右に曲がってしまった。
「追ってみる」
気になって仕方がなかったアイミーは、ルーベルトに呼びかけた。彼もスコップをもったまま、自然と動き始めた。表情は変わらなかったが、ルーベルトも気になっているらしい、二人で雪を長靴で踏みしめていき、後を追って十字路を右に曲がる。先の道も、軒なみが両側から連なっている。
手擦りがぐにゃりと曲がる外階段を正面に這わせた家や、橙の大きな門が、石の垣根にあったりした。
ふいに誰かいる、と思えば、それは雪だるまだった。アイミーとルーベルトは駆けていくと、スノウ・マンが通りの道を点々としていて、いくつか通り過ぎていった。自分の背丈を超えたものもあれば、自分の眼下くらいのものもあった。アイミーはそれを眺めて見過ごして行きながら、何か不思議に感じていた。
「なんか、変ぢゃない、」
ルーベルトが怪訝そうに声を上げた。
雪が振る中、ペレットおじさんの姿が霞んで先に見えた。
「うん、」
ルーベルトに、アイミーも頷いた。
通りには、おじさんの足跡がひとつ続いているが、それ以外には見当たらない。
それ以外には、見当たらないのである。
「なんか、変だ、」
〈積もり雪〉が降り始めたのは、今晩からである。それなのに、何故こんなにもスノウマンがいるのだろうか。
「まるで、生えてきたみたいだ、」
アイミーは、昔雪が降って積もった時に、同じことを思ったことがある。すぐに雪は掻き乱されて足跡だらけになって、子どもがはしゃいですぐに雪だるまをつくってしまう。
いつの間にかつくられたそれを見て、まるで雪が積もると、自然と生えてくるもののように思ったのだ。それを聞くと、ルーベルトは片頬を吊り上げて、少し笑い気味に言った。
「いやだな、生えてくるわけないだろう」
「でも、ね、」
そうは言っても、スノウ・マンは、いくつもいくつも、道に脇にたたずんでいた。通行人のように、歩き出しそうに突っ立っているものまでいた。
ひとつ十字路をまたぐと、家の間隔が狭くなり、細い道が現れた。ペレットおじさんは、そのままそこへ入っていく。
「なんか、大丈夫かな、」
ルーベルトが不安げに呟いた。その先は、行き止まりであるはずだが、アイミーは知っている道で、何度か通ったこともあった。
「大丈夫だよ、あの先は、酒場や倉庫があるだけだ。ひとけはないけど」
構わない、問題ないというふうに、アイミーは元気良く言って駆けていく。半信半疑な表情で、ルーベルトが横に続いた。おじさんはこちらに気付いているのかいないのか、それすらも分からないほど変わらない調子で、小道を進んでいく。
雪化粧した軒なみに灯りは少なく、街灯も同じだった。雪は敷地と通りの境を曖昧にする。薄暗い中でも、雪は白さで視界を照らしていた。
まるで白銅貨の月を敷き詰めたようだ。時折家の窓から橙が漏れて、オレンジの実を絞ったように染めていた。
奥にゆくと、突き当りのあたりで、ペレットおじさんが立ち止まっていた。占めたと思いながら、少し歩調をゆるめて近づく。
すると突然倒れる。雪の上に肩から転がって、抱えていた木箱が投げ出された。
アイミーは驚いた。雪の上だったので痛くはなさそうだったが、怪我でもしていたら大変なので、すぐに駆け寄った。(アイミーのおじさんは、前にぬかるみで滑って転んだだけで、骨を折る大怪我をしたので、そのことが余計にアイミーを心配させた。)
ルーベルトも続いていく。ペレットおじさんは痛そうにうめきながらも、口元が笑みをかたどっていたことが、アイミーには恐かった。
先に、ヒトが幾人かいる。先頭のヒトはニット帽を被っていた。集団はマフラーやコートを羽織って、シックな色に収めた青年たちだった。いずれにしても、長靴を履いていない。厚底の革ブーツだとか、縫い合わされた布靴だった。倒れたおじさんを見て笑っている。あまり良い感じではなかった。
先頭の、雪を被った肌色のニット帽をした青年が言う。
「間抜けなじいさん、きっと鼻が曲がってるせいで、真っ直ぐには歩けなかったんだろうなあ。かわいそうに」
「おい、見ろよ、転げてもまだにやけてるぜ。気違いの街から来たのかね」
すると再び青年たちは笑いあった。浮かれて奇声を上げるものもいた。しかし近づいて来たアイミーたちに気付くと、調子もこわもてに変えた。
「おい、そこのガキ、何見てんだ」
「ちょっと、まずいって、」
進み出たアイミーを、ルーベルトが止めようとする。どう考えても、街のごろつきや不良のような青年たちだったが、アイミーは下がらなかった。
「へえ、お前たちもこうなりたいのか」
ニットの青年はアイミーたちのことを見下しながら、倒れるおじさんを示して口の端を歪めた。
足が震えるが、それでもアイミーは引き下がらず、棒のように立ち止まっていた。青年は舌打ちした。
「生意気な、ああ、それにしても、そこの箱は、一体何が入ってるんだろうな」
青年は、おじさんの傍らで雪に転がる木箱に、興味の色を移らせた。それはペレットおじさんが大事そうに抱えていたものだったので、アイミーも気になっていた。
ある長靴を履かなければ出られない街にも関わらず、そんな中をわざわざ、その上”ある長靴”らしきものを履いて、こんな真夜中に運ばなければ、あるいは届けなければいけない荷物とは、一体何なのだろうか。
ニット帽の青年は、〈積もり雪〉が粉砂糖のようにまぶされ始めた木箱に近づく。ペレットおじさんがそれに気づいて這いながら手を伸ばす。その必死な様子を見て、アイミーは木箱が、よほど大事なものだということを悟った。しかし、青年はおじさんの腕を革靴で踏んづけた。おじさんがうめく。何てひどいことをするのだろうと、アイミーは驚いた。青年の足に飛びついてやろうと思った。しかし、彼はそのまま木箱に手を伸ばす。アイミーはとっさに、跳ぶようにして木箱に組みついた。
「な、おい、」
青年が驚いて憤った声を上げた。構わずアイミーは素早く持ち上げてきびすを返す。
「待て、ガキっ、」
叫んで追おうとした青年の足を、ルーベルトがショベルでがんと叩いた。途端青年は悲鳴を上げてすねを押さえる。そんな事態を後ろで見ていた他の青年たちが、罵声を飛ばして寄ってくる。
「重要なのは滑らせるところ? 違う」雪の中に滑り込ませる。
「振り上げるところなんだ」
そんな彼らもふくめて、ルーベルトはショベルを振り上げて、青年たちに雪を浴びせかけた。ショベルを持っている時のルーベルトは、なぜだかヒトが変わったように格好良い。「走ろう」
アイミーは叫びかけて、露地を戻り出す。ルーベルトも続いて駆け始めた。
「待て、」
青年たちが勢をなして追ってくる。雪の路地を、木箱を抱えて駆けるアイミーの胸は、早鐘のように動悸をを連ねていた。
「大丈夫だったかな、おじさん、」
「分からない、雪で埋めちゃったかも」
「いや、ルーベルトが雪をかけたことぢゃなくて、不良に襲われたこと」
「あそこに置いてきて大丈夫だったのかって、」
「そう」
アイミーは声を張り上げる。ルーベルトは振り返って、確認する。
「全員追ってきているよ」
「なら、逃げていることを祈ろう」
それにしても、危機迫る状態だった。会話を交わしている間も、青年たちは、汚い言葉を吐きながら、こちらへ向かってくる。
「この先この街で、生きれる気がしない」
「こんなことできるなんて、するなんて、思わなかった」
「ルーベルトが?」
「アイミーもね」
二人は互いに吹き出した。路地では何事かと、通りすがる家の窓から、カーテンを端からめくって顔を覗かせるヒトが、幾認か見られた。その動作のたびに家の灯りが漏れ出して、陽射しが差し込むように、雪に橙と人影をつくった。細い路地を抜けた。立ち止まっている暇もなく、先ほど来た広い道を戻っていく。
「あれ、」
アイミーはふと呟いた。来る時につけた足跡は、<積もり雪>のせいか、もうほとんど消えてしまっていた。アイミーと通り過ぎていく道に、何か異変を感じたのだが、何か分からない。妙にさっきよりも、道を広く感じた。(何となく違うことが分かるのに、それを特定することとになると分からない、間違い探しの気分だった。)歩調をゆるめずに、アイミーはくるりと一回転して辺りを見回す。歩幅の大きい青年たちの方が、当然足は速く、だんだんと追いついてきていた。むしろまだアイミーたちが捕まっていないのは、長靴が雪路を走るのに適しているおかげだろう。青年たちはところどころで足を取られたり、滑らせたりしていた。そしてアイミーは、ふいなことに異変に気づいた。
「ねえ、ルーベルト」
「うん、」
右後ろをゆく彼の顔を見やると、まぶたの開ききらないその顔を、青ざめさせていた。
「雪だるまが、いない、」
ルーベルトはその事に、返事をしなかった。ただ表情を強ばらせて、沈黙を保ったまま走り続けていた。たぶん、アイミーも同じような顔をしていた。
雪路には、スノウ・マンがひとりもいなくなっていた。また、雪の上にはいた跡すら見あたらない。煙のように消えていた。まるでさっき見たのが、蜃気楼のような錯覚や幻であったようだ。
その時、道の奥に、金の端がきらりとちらついた。あそこは十字路の辺りだった。雪の舞う中に、人影があった。遠目に、アイミーくらいの子どもである。近づくと、光った金は長い髪であることが分かった。何か見覚えがある。
「あら、」
さらに近づくと、誰なのか分かった。
「アイミー、ルーベルト、?」
”e”を発音する形に、アイミーは口を歪めた。十字路に立っていたのは、少し身に雪を被ったエリーだった。白のトレンチコートに、下からは紫色の長靴が覗いている。手から何か布のようなものが垂れていた。
「こんばんわ、エリー」
しかし、確かめる間もなく、アイミーは来た道を辿って左に曲がっていく。
「それぢゃあ」
アイミーは木箱を抱えながら片手を上げて、通り過ぎようとした。
「待ちなさい、」
ルーベルトも続こうとしているようだったが、二人とも襟首を掴まれて引き留められた。次には女の子とは思えないバカ力で、エリーは二人を自分の方へ引き戻した。
「何をするんだ」
「何するんだぢゃないわよ。私を素通りしていこうだなんて、あなた本当にイライラするわね。こんな夜中に二人で走り回ってるなんて、あなたたちは何をどうしているの。なんて面白そうなことをしているの?」
「何を言ってるのさ。エリーはあれが聞こえない?あれを見て面白そうと思う?」
「全くだ」と、ルーベルトはアイミーに付け加えた。二人は息を切らしながら来た道を示した。エリーのせいで、青年たちは追いついていた。少し間を開けたところで、息を切らしている。先頭のニット帽が、こちらへ笑みを向けていた。
「おまええら、どうなるか、分かってるよな」
青年の笑みが獰猛なものへと変わる。
後ろの青年たちも悪意をたたえてにやにやとし始めた。
”あなたたち、一体何したのよ”と、エリーは当然問い質してくるかと思えば、そのまま表情を澄まして青年たちに向き直った。その際に、「下の端を持って、」と、二人にただぽつりと呟いて、目線で促した。とんとんと、二回足踏み。
「あ、あなたどこか見覚えあると思ったら、豚だわ。お兄さん豚にそっくり。そっちのあなたは馬面。あら、あなたはナマケモノだわ。大変、動物園から飛び出して来ちゃったのね。街中でヒトに吠えてるって、おまわりさんに知らせなきゃいけないわ!」
誰もが一瞬唖然とした。エリーの口の悪さはアイミーも知っているが、柄の悪い青年たちに対して、豪語してのけるとは思わなかった。
エリーは悪を蔑む表情を浮かべながら、最後にまたとんとんと、二回足踏みした。
その足音に、アイミーとルーベルトは我に返った。
一瞬呆気に取られた青年たちだったが、すぐに震えだした。激しい怒りをたぎらせていた。
わざわざたきつけてどうするのだと、アイミーは身を凍てつかせる思いだった。
改めてエリーの神経を疑いつつも、アイミーは動く。
言葉通り、さっきまでエリーが持っていた、足下の布の端を見つけて持つ。
ルーベルトもショベル片手に同じようにした。
一度、青年が弾けたように大きく汚い言葉を吐いた。「殴り飛ばしてやる」そう言って、ついに身構えた彼らが足を動かす。勢をなして襲ってくる。
エリーが突然屈んだ。
「引いてっ」
声を張り上げたエリーは、足下の布を再びひっつかむ。
気が動転しながらも、アイミーと二人は思いきり布を引っ張り上げた。
青年たちから奇声が上がる。
下にあった布は、長く垂れ敷かれていたカーテンだった。
純白な上に雪がつもっていて、うまく隠れていたのだ。
足下がずらされバランスを崩した青年たちは、もたれ合って重なりあい、互いにぶつかり互いにぶつけながら、一斉にして雪の上に崩れさった。
突然視界が一転して、理解ができないといった間の抜けた顔をしていた。
「さ、カーテン持って、逃げるわよ」
よくアイミーにも浮かべるような、したり顔で、エリーは促して走り出す。
「待てっ」と、青年たちは叫ぶが、もつれあうばかりだ。アイミーとルーベルトは引き抜いたカーテンをしわしわに引き寄せて畳みながら駆け出す。ルーベルトが片腕に抱えた。大胆に意表をついたエリーの行動に、ただ苦く驚くばかりだった。
「さて、これで私をのけものにできなくなったわけだけど、感想は?」
雪路を駆けながら、エリーは訊く。アイミーは応じた。
「最悪」
「だけど?」
エリーは当然、その続きがあるといった調子で、アイミーの顔をのぞきこんだ。睫にふちどられた青い瞳が、妙に光った。アイミーは溜息をついて肩を竦めた。
「ちょっと爽快」代わりに、ルーベルトが言ってのけた。
「よろしい」
エリーは満足げに、意地悪く微笑んだ。こうして三人して真夜中の街を駆けていると、自分たちが悪童になったように、アイミーは思って少し気が引けた。しかし、胸は動悸を、こんなにも早く打ち続けている。
「それで、これはどこに向かっているの?」
問われて、アイミーとルーベルトは顔を見合わせる。眼で確認し合って、二人して首を振った。このまま家に逃げ帰っても良かったのだが、アイミーが腕に抱えるこの箱を、どうにかしなければいけない。もう一度ペレット帽のおじさんと会って、渡したいと思っていた。
「そうだと思った。ねえ、私の家にいらっしゃい。丁度向かうところだったの。正確には、私の家ぢゃないんだけどさ」
「言ってる意味が、よく分からないケド」
それはエリーの家ではないのだろうか。
「大丈夫よ。一旦身を隠して静かになるのを待った方がいいわ。ほら、そこを左に曲がるの」
言われて、三人は左折していく。アイミーの家とは逆方向である。
「ところでそれはなんなの」
「どれ」
「木箱よ」
エリーは興味深げに、好奇の眼でアイミーの手元を見つめていた。アイミーが抱える木箱は、古く湿った匂いがする。
「なんだろうね」
「ぢゃあなんで持っているのよ」
「おじさんが持っていたものなんだ。さっきの不良たちに盗られそうになったから、ぼくたちが、えっと、」
「守ってる」
「そう」
ルーベルトが付け加えて、アイミーは肯定する。
「ふうん、それで、中身は何が入っているの」
「知らない」
「ぢゃあ開けさせて」
にやりと口を歪めてエリーは木箱に手を伸ばして来た。アイミーは木箱を反対にのけて避ける。
「ちょっと」
「だめ」
アイミーは思い出していた。昔おじさん宛に届いた小包を勝手に開けてひどく叱られたことがある。それ以来、アイミーはヒトの手紙や小包を許しなく開けてしまわないように気をつけていた。
「昔おじさんに宛に届いた小包を勝手に開けるのは、悪いことだって。自分の引きだしを勝手に開けられるようなものだってさ」
聞いたエリーは手を引っ込めると、不満そうに口を結んだ。
「まあ、いい子ちゃんね。ふうん、それは分かるから、いいけど、あら、そこを左手に行って、右に行って、左よ」
いつも強引で、こっちの事情などおかまいなしのエリーが、珍しく収まった。
角を曲がって、曲がって、また曲がっていく。青年たちはすでに振り切っていて、後ろに姿は見られなかった。
改めて、アイミーはよく木箱を見ると、木の重なり合いに溝が見られ、そこに針金がひとつ通されていた。先には、捻れ合ってひとつの札がくくりつけられている。よく確かめると、文字が書かれている。宛名のようだった。新しくはなく、使い古されたか、付けたまま放っておかれた旅札の名残のようだった。
「ここよ」
少し細い路地だった。
隣り合う家のひとつを、エリーは止まって指さした。
三人とも息を切らす中、アイミーとルーベルトはようやく立ち止まって向き直り、眼をやった。
被った雪の下から、焦げたオレンジの屋根がのぞく。
その下はぽっかりと空いていて、二階部屋が張り出したような形になっている。
空いた下は物置になっていて、明るい花柄の鞄がかけられ、前には植木鉢がならんでいた。
玄関から入って左上の部屋には、アーチ型の窓が四つならばり、中まで開く水色の塗られた木戸が、それぞれつけられていた。
植物の編まれた鉄格子の門を開くと、灯りのつかない玄関へ階段が少し続いていた。
すでに足跡があって、大きさからしてエリーのものだった。
「さ、入った入った」
ご覧いただきありがとうございます。
童話風のお話です。
先もよろしくいただければ*