EP15 帰還への道標
[1] ―― 目覚め ――
俺は暗闇の中を彷徨っていた。
何処を見渡しても、何もない深い暗闇の世界の中を……。
もう少し進めば、何かが見えるかもしれない。もう少し進めば……。
俺はそう考えながら、ずっとこの闇の中を走り続けていているのだ。
しかし、その先に存在するのは、終わりの見えない深い闇の世界だけであった。
だがそれでも俺は、走り続けるのである。
それからどれくらい経過しただろうか、俺は相も変わらず、ずっと走り続けていた。
だが走り続けるに従い、俺の中に奇妙な疑問が湧いてくるようになったのだ。
それは、何故、俺はこの中を走っているのだろうか、という事である。
また、いつからこの中を走っていたのだろうか、という疑問も同時に湧いてきたのであった。
俺はそこで一旦、走るのを止めた。
そして、俺は肩で息をしながら考えるのだ。
何もない世界。こんな世界が本当に存在するのだろうかと。
だがそこで俺はある事に気付いた。
それは、俺自身がこの闇の中でちゃんと存在しているという事だ。
何もない世界ではない。
では一体、此処は何処なのだろうか。
死後の世界?
いや、それならば、俺の他にも死者がいなければおかしいだろう。
では何処だ、一体……。
さっぱり分からない。
分かっているのは、今のところ、俺だけがいる暗闇の世界というだけである。
ン……俺だけがいる暗闇の世界?
俺の世界……つまり俺の……夢?
と、その時だった。
どこかで聞いたような声が、周囲の暗闇から響き渡ったのである。
《ソーサリュオンの継承者よ……そなたには、そろそろ目覚めの時がやってくる。……目が覚めた後、眷聖グラムドアの末裔と共に、サーラの門へと行くのだ……》
ソーサリュオンの継承者に眷聖グラムドアの末裔?
はて、どこかで聞いた単語だなぁ。何だったっけ?
俺は暗闇に響き渡った声の内容が、妙に引っかかった。
何故なら、非常に重要な事のように思えたからである。
それと共に、今の事について、どうしても思い出さなければいけないような気がしたのだ。
するとその時だった。
またどこかで聞いた事がある男の声が、暗闇の世界に響き渡ったのである。
「どうだ、この男の様子は? まだ目が覚めぬか? ウィッシラよ」
しかし今度の声は、近いような遠いような……そんな微妙な感じで聞こえてきたのだ。
何でだろう。
さっきの声と随分聞こえ方が違うなぁ。
などと俺が思っていると、今度は優しそうな女性の声が聞こえてきた。
「はい、あなた……まだですわ。この御方の魔精体はかなり弱っておりましたから、致し方ないかと。私の見立てでは、魔精の消耗による疲労だと思いますので、今しばらくは眠ったままの状態が続くと思います」
何か知らんが、この男女は意味の分からん会話をしている。
でも男の声は、何処かで聞いたような気がするんだけど……。
う〜ん、思い出せん。
するとまた今の男の声が聞こえてきた。
「そうか……まぁ仕方ない。女王陛下は、ジャミアスとの戦いでかなり高度な魔精の術法を使ったと仰っておられた。かなり無理をしたのだろう」
ン? ジャミアス……はて、つい最近、この名前を聞いた気がする。
えっと、誰だったっけか。
「しかし、スーシャルの聖域でこの男を見た時は、素性の知れぬ怪しい不審者だと思っていたのだが。まさか、アストランドの救世主になるとはな。世の中、分からんもんだ。この男と面識のある、イローシ隊長やニーダ隊長も随分と驚いておったわ」
「そういえば今日も、近衛騎士隊のイローシ隊長がお見えになりましたわ。ソースケの具合はどうだろうか? と、しきりに心配なさっておりましたわよ」
ふぅん、ソースケねぇ。
俺と同じ名前だな……ソースケか、ソースケ……ハァ、ソースケッ!?
そこで俺は瞼を開いた。
すると俺の視界には、絡み合う2頭の青い竜が描かれた、美しい天井が目に飛び込んできたのだ。
ここは何処なんだ、一体?
この見慣れない天井を見た俺は、一瞬、わけが分からなかった。
だが次第に、湧き出る水の如く、今まであった出来事が鮮明に蘇ってきたのである。
またそれと共に、勢いよく、俺はガバッと体を起こしたのだった。
上半身を起こした俺は、とりあえず、周囲に視線を向けた。
すると当然、この部屋の様相と、声の主の姿が視界に入ってきたのだ。
まず、この部屋だが。
俺がいるこの部屋は結構広く、日本の言い方で言うならば、30畳程ありそうな感じの正方形の部屋であった。
このだだっ広い部屋のど真ん中に、俺はいるのである。
因みに、俺はフカフカの大きなベッドで寝ていたようだ。
しかも、かなり高級な感じがする木製のベッドで、西洋アンティークを思わせるような、美しいレリーフ模様が施された大きなヘッドボードが、頭部側にある。
俺に掛けられていた赤い毛布みたいなものも、薄手ではあったが、非常に手触りの良い質感で、触っただけで良い品物だというのがすぐに分かるほどであった。
そんなわけで、はっきり言って、俺には勿体ないほどの高級な寝具とベッドなのだ。
まぁベッドはこれぐらいにして、俺は次に部屋の壁へと目を向けた。
壁には意匠を凝らした壁面を背に、山や街並みといった風景を描いた絵画や壺に、アンティーク感バリバリの木製の机。それと銀色に光り輝く甲冑等が、厳かに飾られていた。
そして、この部屋に唯一ある1つの窓からは、それらの美術品をライトアップするかのように、優しい日の光が降り注いでいたのだった。
俺からすると、この見渡す光景自体が美術品のようであった。
だが同時に、ひどく自分が場違いに感じる光景でもあるのだ。まぁ俺自身が、こんな美術品とは無縁な男だから、当然と言えば当然である。
それはさておき、俺は次に床へ目を向けた。
するとそこには、水色の美しい絨毯が敷かれており、それがまるで湖面の上にでもいるかのような錯覚を俺に感じさせるのだ。
以上がこの部屋の大まかな様相である。
そして俺は、そんな部屋の装いをみるなり、非常に爽やかな気分になったのだった。
まぁそんな感じで、この部屋の全体の雰囲気としては、非常に気持ちの良い様相をしているのである。
とりあえず、部屋の事はこれくらいにしておこう。
上半身を起こした俺は、周囲を見回した後、ベッドのすぐそばにいる声の主達に視線を向けた。
すると声の正体は、俺をスーシェルの聖域から拉致したあのバディアン将軍と、初めて見るフェーネス族の美しい女性であったのだ。
バディアン将軍は初めて会った時と同様、白いマントに金色の鎧という出で立ちで、まるでファンタジーゲームにでてくる歴戦の騎士や、黄金聖闘士等のコスプレをしているような格好をしていた。
その厳かな雰囲気は相変わらずで、今にも「コスモを燃やせ!」とか言いそうな感じだ。
そして、そんなバディアン将軍の隣に、ベッドの傍の椅子に腰かけるフェーネス族の女性がいるのである。
この女性は、ニーダと同じく、長く美しい銀色の髪が特徴の方であった。
優しい水色のローブを纏う姿をしており、ローブの色と同じく穏やかな感じがする女性だ。
因みにローブ自体の様式は、俺が着ていた第5魔精術師団のと同じような感じに見えた。まぁこの辺の事はよく分からんから、そういう事にしとこう。
まぁそれはさておき。
この女性は今、おっとりとした優しい目と暖かい微笑みを浮かべており、その表情を見た俺は何故か知らないが、妙な安心感を覚えたのである。
例えるならば、大きく包み込むような包容力といった感じだろうか。
俺の見た感じでは、そんな聖母のような雰囲気を持つ女性にみえたのだ。
年齢は分からないが、結構、いってそうな気もするし、いっていない感じもする。人間で例えるなら30代くらいだろうか。でもエルより年長者なのは、間違いないだろう。そんな雰囲気を全体から感じるからだ。
今、この室内にいるのは、この方々と俺だけのようだった。
他は誰も見当たらない。
と、その時。
上半身を起こして室内を見回す俺に、まず、フェーネス族の女性が声をかけてきたのである。
「あら、目を覚まされたのですね。かなり長い間、寝ていらっしゃったので、御気分の方はどうかしら?」
俺は自分の身体を見回しながら言った。
「え〜と……と、とりあえず、大丈夫みたいです。ところで、ここは一体何処なのでしょうか?」
するとバディアン将軍が、笑みを浮かべながら答えてくれた。
「ここはアストランド城に来られた大事な客人を丁重に迎える、来賓用の部屋だ。心配するな、地下牢ではない」
「そ、そうなのですか」
と言いながら、俺は引き攣った笑みを浮かべる。
またそれと同時に、あの嫌な事も思い出したのだった。流石に檻の中はもうコリゴリだ。
それはともかく、俺は尋ねた。
「そんな大事な部屋に何故、俺……じゃなかった、私がいるのでしょうか?」
バディアン将軍は言う。
「これはグラムドア女王陛下直々の御命令によるものだ。アストランドの救世主には、丁重にもてなすようにと御達しがされたのでな。つまりそういう事だ」
「そうだったのですか……」
何か知らんが、エルが気を使ってくれたようだ。
だがバディアン将軍は今、俺にはあまり縁のない単語を言った。
なので、とりあえず、尋ねる事にした。
「あのぉ……今、救世主って言いましたけど、俺なんかしましたっけ?」
するとバディアン将軍は、俺の肩にポンと手を置いて言うのである。
「何を謙遜する。陛下が仰っておられたぞ。そなたがジャミアスを退けたお蔭で、アストランドは滅びを免れたと」
「そ、そうなんですか……」
だがそれを聞いた俺は、少々複雑な気分になった。
何故ならあの時、奴を撃退できたのは俺の力ではなく、謎の声がやったことだからだ。
その為、俺は微妙な受け答えになってしまったのである。
まぁそれはともかく、今の救世主は言いすぎだと思うが、エルの心遣いには感謝しておこう。
と、そこで、フェーネス族の女性がバディアン将軍に言った。
「それはそうとあなた、目が覚まされたのを陛下に報告しなくてよいのですか?」
「おお、そうであったな。陛下にお伝えせねば」
バディアン将軍は、そこでもう一度、俺に目を向ける。
それから軽く俺に一礼をして言ったのだ。
「では、暫くゆっくりしていてくれたまえ、ソースケ殿。それとウィッシラよ、しばらく、ソースケ殿の話し相手になっていてくれまいか」
「はい、わかっておりますわ」
「では頼んだぞ」
そしてバディアン将軍は、颯爽とこの部屋を後にしたのだった。
部屋にはこの女性と俺だけになった。
バディアン将軍が去った後は、シーンとした静かな空間へと変化してゆく。
そこで俺は、とりあえず、窓に視線を向けた。
外は春の日差しの様な、麗らかな日の光が、優しく降り注いでいた。
時折、窓からそっと流れ込む優しい風が、窓辺のカーテンを僅かに揺らす。
またそれと共に、小鳥の囀りの様な「チュッチュッ」という鳴き声も、この部屋へお裾分けするように入ってくるのだった。
今が朝なのか昼なのか、それは分からない。が、凄く平和で長閑な感じだった。
あの化け物達と戦っていた場所だとは、到底、考えられない光景である。
だがしばらく眺めたところで、何か話さないと気まずいな、という考えが俺の脳裏に過ぎった。
なので、何か話のネタはないかと考えてみたのだ。
するとそこで、この女性とバディアン将軍のやり取りに、気になるところがあったのを俺は思い出す。
というわけで、まず、それを聞いてみる事にした。
「あのぉ……今、バディアン将軍の事をあなたと仰いましたが、お二方はもしや……」
「はい、そうですわ。私はバディアンの妻にございます」
俺が言いにくそうにしていたら、女性は察したのか、すぐに答えてくれた。
「やはり、そうだったのですか」
夫婦という事は、フェーネス族と人間は、身体の構造が同じなのだろうか……。
俺は今の返答を聞くなり、ついこんな事を考えてしまったのだ。
すると表情に出ていたのか、女性は微笑むと俺に言ったのである。
「ウフフ。その顔を見る限りですと、少しびっくりなさったようですね。でも分からなくもありませんわ。このアストワールでも、フェーネス族とアシェラ族が夫婦になるという事例は少ないですからね」
夫婦になる事例は少ないという事は、一応、あるにはあるという事か。
という事は、身体的な特徴以外、フェーネス族と人間はそれほど変わらないのかもしれない。
などと思っていると、女性はそこで何かを思い出したのか、改まって言ったのである。
「あ、そういえば。私の自己紹介がまだでしたわね」
女性はそう言うと共に、ローブ左胸部分に刺繍された王家の紋章に右手を添えて、丁寧に頭を下げた。
そして恭しい口調で、俺に自己紹介をしてくれたのだ。
「私はアストランド王家に仕える魔精学顧問官、ウィッシラ・バディアン・フェーネスと申します。ウィッシラとお呼び下さい。そして夫であるゲオールド・バディアン・アシェラ共々、以後、お見知りおきを」
こんな丁寧に自己紹介されると、俺も適当には出来ない。
そう思った俺は、何故かしらないが、ベッドの上で正座をする。
そしてひれ伏すように自己紹介したのだった。
「わ、私の名前は、ソースケ・ミナミカワ……え〜とアシェラと申します。な、なにぶん、作法の分からぬ若輩者ではございますが、何卒、宜しくお願い致します」
俺は自己紹介しながら思った。
なんで土下座したのだろう……分からん。
条件反射的に、こういう風に体が動いてしまったのだ。日本人の悲しい性か……。
すると、そんな俺を見たウィッシラさんは、悪いとばかりに言うのであった。
「ソースケ殿、そんなに畏まらなくてもよろしいですわ。礼を言わなければならないのは、私共なのですから」
「は、はぁ」
俺は後頭部をかきながら、苦笑いを浮かべた。
何か知らんが、俺自身、あまり実社会で感謝されることが少ない所為か、こういう風にでられると、凄く戸惑ってしまうのである。
おまけにソースケ殿なんて大層に呼ばれるのも、俺にはこそばゆいのだ。
と、その時だった。
この部屋の出入り口である扉の奥から、物凄くハキハキとした声が聞こえてきたのである。
【グラムドア女王陛下が救世主殿にお会いなさる為、ただ今、こちらに御着きになりましたッ】
ウィッシラさんは椅子から立ち上がると、扉に向かい口を開いた。
「お通ししてください」
【ハッ】
するとウィッシラさんはベッドから遠ざかり、やや壁際へと移動する。
そして左胸にある紋章に右手を添えて、軽く会釈するような姿勢をとったのであった。
恐らくこれが、このアストワールという国の礼節作法なのだろう。
などと思っていたその時。
ガチャリという音と共に、この部屋の扉がゆっくりと開いたのであった。
銀色の鎧を着た騎士2人によって扉が開かれてゆくに従い、向こう側の光景が俺の視界に入ってくる。
扉の真ん中には、綺麗な水色のガウンに身を包む、気品ある装いをしたフェーネス族の女性がいた。
その女性は、サラッとした長く艶やかな水色の髪を背後におろしており、それがまるで澄んだ水が流れているかのように俺の目に映った。
またその女性の頭頂部には、煌びやかな宝石をちりばめたカチューシャの様な冠があり、一目でその身分の高さを窺わせる高貴な姿となっているのだった。
俺はこの女性を知っている。
そう、エルである。
エルは俺を見ると共に、少し微笑む。
そして背筋を伸ばした気品ある動作で、ゆったりとこの部屋に入ってきたのである。
エルが入室すると共に、その背後の光景も確認することが出来た。
エルの後ろには、十数名の騎士や魔精術師達の姿があり、それらはすべてウィッシラさんと同様な仕草をとっているのである。まるで、上様のおなぁりぃと言った感じであった。
その中にはバディアン将軍の他に、獄中で世話になったヒロシやニーダの姿もあった。
そして俺は、彼らの顔を見た瞬間、少し顔が綻んだのである。
何故ならば、見知った顔という事も有るが、それよりも、無事であったことについてホッとしたからなのだ。
生きていてくれて良かったと、心から思ったのである。
エルがこの部屋に完全に入ったところで、バディアン将軍にニーダ、そしてヒロシが順に入ってくる。
そして彼らが全員入室したところで、この部屋の扉が閉ざされたのだった。
扉が閉まると、エルは俺の傍へと静かに歩み寄る。
それから、やや赤い顔をしながら、恥ずかしそうに口を開いたのだ。
「ソースケ殿……先日は、我が国アストワールを窮地から救って頂き、誠にありがとうございました。そしてお礼を述べるのが、遅くなってしまいましたことを、まず、ここに深くお詫び申し上げます」
そう告げると、エルはぎこちなく一礼をした。
なんか知らんが、エルはかなり無理して喋っている感じだ。
ここの政治形態は知らんが、別に謁見とかするような公務でもないのだし、そこまで遜る必要はないんじゃないかと思った。
だがエルにはエルの事情があるのだろう。
俺がそんな事を考える中、エルは続ける。
「あの戦いの折、勇猛果敢に立ち向かった貴殿が倒れたのを見た時から、私はずっと貴殿の事が心配でなりませんでした。そ、そしてあれから3日目の今日、貴殿が目を覚まされたと聞いて、私は急ぎ此方へ参ったしだいにあります。ソ、ソースケ殿、お身体の方は大丈夫ですか? 何か必要な物やご要望等がございましたら、遠慮なく仰って下さい」
エルはかなり恥ずかしいのか、さっきよりも顔全体が赤くなっていた。
絶対無理して喋ってるな、これ……。なんか作った文面を読んでるような感じだ。
多分これも、女王としての立ち振る舞いの一つなのだろう。
と、そこで俺の中である閃きがあった。
その為、俺は足を正して正座をすると、オホンッと一度咳払いをして背筋を伸ばしたのである。
そして時代劇風の言葉づかいにて、それを実践したのであった。
「グラムドア女王陛下。誠に僭越ながら一つお願いがあるのですが、宜しいでしょうか?」
エルは俺の態度に少し驚きつつも言った。
「お、お願いでございますか。どうぞ、仰って下さい」
俺は一礼すると続ける。
「私は他国の者ですので、このアストワールでの政治形態や習慣、そして礼節作法には、あまり精通しておりませぬ。故に、この前のような話し方で、出来ればお願いしたいのです。いかがでしょうか?」
するとエルは、少し困った表情をした。
だが、俺の意を汲んだのか、ニコリと微笑むと言ったのである。
「わかりました。ソースケさんが、それをお望みなら仕方ありませんね」と。
俺もそこで微笑み返した。
とまぁそんなわけで、俺はエルと3日ぶりの再会となったのである。
[2] ―― 夕食 ――
俺はエルと一緒に、夕食を食べる事となった。
その為、このアストランド城内にある王族が食事をとる食堂へと、俺は今、案内されたところなのである。
案内されている途中、どんな豪勢な部屋で食事をするのだろうかと、俺は色々と考えていた。
何故なら、王族専用の食事をする場所なんて、まず行くことはないから、興味津々というやつなのだ。
だが実際は、意外と質素な感じのところで、思っていたほど飾りっ気がある空間ではなかった。
周囲には確かに彫像や絵画等はあるのだが、金銀が入り乱れた様な煌びやかさもなく、結構シックな感じなのだ。
例えるならば、中途半端な美術館モドキといった感じだろうか。
まぁだからといって殺風景というわけではなく、それなりに品のあるつくりの場所ではあるが……。
因みに食堂の様相は、10畳から15畳程度の長方形の室内で、その真ん中に10人用のこれまた長方形のテーブルが置かれるといった感じである。
まぁ良くある部屋といえば、良くある部屋である。
だが、流石にテーブルは鏡面仕上げの美しいモノが置かれており、そこだけは清潔感とゴージャス感が滲み出ているのであった。
ともかく、そんな王族専用食堂なのだ。
ウィッシラさんに案内されて食堂に来た俺は、とりあえず、周囲に目を向けた。
だが食堂には、まだ誰も来ていない様であった。いるのは使用人と思われる、紺色の衣服を着た者達が、数名いるだけである。
そこで俺は、食堂の中央にある無人のテーブルに視線を向けた。
するとテーブルの上には花瓶と燭台があるだけで、まだ料理は何も用意はされていなかったのだ。
もしかすると、全員が揃ってから料理を持ってくる様式なのかもしれない。
それに何といっても王族の食事だ。だからフランス料理みたいに、前菜から始まるフルコースなのかも。
などと思っていると、ウィッシラさんが、左側の一番奥にある椅子を引いたのだった。
そして俺に手振りを交えて、そこに座るように促したのである。
俺はそれに従って椅子に座った。
するとそこで、使用人と思われる紺色の衣服を着たフェーネス族の女性が2名現れ、俺の前に、食事用の小さな白いクロスを敷いたのである。
だがそこで俺は首の傾げる事があった。
何故なら、クロスは2つ分しか用意されなかったからだ。
俺の席とその向かいの席に2枚敷いただけなのだ。
どういう事なのだろう。2人しか来ないのだろうか。
などと思って、俺が首を傾げていたその時。
エルがこの食堂に現れたのであった。
今のエルはガウンの様な物は纏っておらず、可愛らしい白いドレスのような衣服を着ていた。
また、白い衣服に青い髪が生えるので、全体として今のエルは爽やかな明るい感じがするのである。
それはともかく、エルは俺の向かいの席に座ると言った。
「すいません、遅くなってしまいまして。色々とありまして、少し執務が増えたものですから」
エルはそこで頭を下げる。
俺は首を振ると言った。
「全然、気にしなくていいよ。俺も今来たところだからさ。ところで、なんか忙しそうみたいだけど、大丈夫? 何かあったの?」
するとエルは、しょんぼりとしながら口を開いたのだ。
「ソースケさん……ハシュナード卿を覚えてますか?」
ああ、あのオッサンか。と思った俺は言った。
「宰相の事だろ。知ってるよ。で、どうしたの? 宰相がまたなにかやったの?」
「それが……実は……宰相を辞任したハシュナード卿が、『アストランド大聖殿で、残りの余生を贖罪に使いたい』と言い出しまして……それでもめていたのです」
「へぇ〜辞任して贖罪ねぇ。それが何か不味いの?」
要は出家するという事だろう。
多分、自分の行った過ちが、『過ちってレベルじゃねェぞ!』とでも思ったに違いない。実際、それに近いし。
でもエルと宰相は、ソリが合わないような事を誰かが言っていた気がする。
ならば、それほど気にする事はない気もするのだが。
俺がそんな事を思っていると、エルは弱々しく言うのである。
「そ、それが実は……今まで、この国の内政を取り仕切っていたのはハシュナード卿なのです。彼は執政官として優れておりました。なので、私と口論する事も有りましたが、そこは素直に認めていたのです。ですから私は、謀反の事はある程度水に流して、そこまでの罰は与えないつもりだったのです。が……卿は決心が固いらしく……つまり、そういうわけなのです」
まぁ要するにエルが言いたいのは、内政を担える人材がいないって事か。
確かに政治学となると、それ相応の知識や機転も必要になってくるからなぁ。
それに結構、国益を得る為の裏街道も知っているだろうと思うし。
中々、一朝一夕にはいかんのだろう。
それはともかく、俺は言った。
「なら、後任にカーミラさんはどうなの? 彼女、確か、宰相の秘書官なんだよね。少しは分かるんじゃない?」
「それが、カーミラ秘書官も辞退すると言いまして……非常に困っているのです。彼女は、今回の事に責任を感じているらしく、戒めの為に役職は遠慮したいと申しておりました」
どういう政治形態をしているのか分からんが、まぁこの国なりの色んな事情があるのだろう。
と、そこで、白い皿に盛られた料理が幾つかテーブルに運ばれてきたのだった。
皿には何処となくメロンぽい果物や、ポタージュに似たスープから、まずテーブルに並べられてゆく。
それからマッシュポテトみたいな料理とかパンのような料理、そして魚を煮たような一品もでてきたのだ。
また料理と共に、上品な味付けと思われるクリーミーな香りも漂い始めてきた。
そして、この地に来てから何も食べてない俺は、これらを見るなり、流石に腹がグゥウと鳴ったのである。
まぁこれは仕方ない。実際、腹が減ってんだから……。
だが、出されたメニューを見る限りだと、この地域では肉類系は少ないのかもしれない。
なんとなく、そう俺は思ったのだった。どっちかというと、日本の精進料理とかに近いのかも。
一体どんな味がするんだろうと少し気になったが、どうせすぐわかることだ。
それに俺はコッテリしたのがあまり好きではない。
だから、意外とこういうあっさりした料理の方が好きだったりするのである。
まぁ、まだ食べたわけじゃないから、今のは俺の想像だが……。
テーブルに並べられてゆく料理を見ていた俺は、そこであることを思い出した。
それは、暗闇の中を彷徨い続けていた俺に語りかけてきた、あの謎の声の事であった。
俺はそれを思い出したので、エルに告げる事にしたのである。
「あのさ、エル。今日、あの声をまた聞いたんだよ」
するとエルは、目を見開くと共に言った。
「あの声と言いますと、ソースケさんだけが聞こえたという、謎の声ですか?」
俺は頷くと続ける。
「うん、その声。それで声の内容なんだけどさ、『眷聖グラムドアの末裔と共に、サーラの門へ行くのだ』って言ってたんだよ」
「それは……私と共にサーラの門へ行け、という事ですよね?」
「ああ、多分そういう事だろ。で、どうする?」
エルは暫し思案顔をする。
そして俺の目を見ながら、真剣な表情で言うのであった。
「分かりました。それでは食事の後に、サーラの門へ行きましょう。その声は、なんとなく、無視してはいけない気がするのです」
「俺もなんとなくそう思う。じゃあ、食事の後でね」
俺はそう告げた後、静かなこの食堂内を暫く見回した。
何故見回したのか?
それは俺達以外、一向に誰も来ないからである。だから見回したのだ。
するとそんな俺を見たエルは、首を傾げて聞いてきたのだ。
「どうしたんですか? 何か気になる物でもありましたか」
「いや、俺達以外、誰も来ないなぁと思って……」
エルはキョトンとした表情をする。
そして申し訳なさそうに言葉を発したのである。
「そういえば、言ってませんでしたね……。食事は、私達だけです。本当は他の方々も呼びたいのですが、この間の一件で、城内が乱れておりますので、中々そういうわけにはいかないのです」
「なんだ、そうだったのか。良いよ、気にしないで。仕方ないよ。あんな事があった後だからね」
まぁそういうわけで、少しさびしい面子ではあるが、エルと俺の2人きりの晩餐がこれから始まるのだった。
[3] ―― 眷聖の言葉 ――
食事を終えた俺達は、スーシャルの聖域へとやってきた。
今はもう日も沈んでおり、聖域の上空は無数の光で構成する星空に覆われていた。
そんな夜空を見上げながら、俺は思ったのだった。
日本で見る星空とあまり変わらないなぁと。
正座とかに詳しい人ならば、意外とこの星空を見ただけで、ここが異世界だと分かるのかもしれない。
だが俺にはそんな知識があまりないから、どれも同じに見えるのである。
まぁそれはともかく、俺とエルは、目的のサーラの門へと歩を進めてゆく。
そしてサーラの門の付近に来たところで、この間と同様、サーラの門と俺の首に掛けてある導きの石が呼応したように光り輝いたのだ。
近づくにつれて、サーラの門とこの石は、更に輝きを増してゆく。
それから俺達がサーラの門のすぐ傍に来た瞬間、俺の導きの石から、突如、青白い光線が飛び出したのであった。
だがその時だった。
俺達の目の前に、白いローブ姿の若い男の亡霊のようなモノが浮かび上がったのだ。
「キャッ」
エルは突然現れたこの亡霊に驚き、俺の背後に回って隠れた。
だが俺は、この男の姿を一瞬だが見た事があったので、驚きはしたものの、ある程度冷静に受け止めたのである。
その亡霊は長い黒髪をしており、どことなく寂しげな表情をしている男であった。
良く見ると、日本人でも探せばいそうなタイプの顔立ちをした男である。
それはとにかく、俺はコイツに言った。
「お前か、わけの分からねェ事ばっか言ってやがったのは。一体、どういう事なんだよ。そして、何で俺がこの地にいるんだ。答えろよッ」
亡霊は言った。
《我が名は、リュオール・レイ・サーエン。聖源都の聖皇・スーシャルに仕えし眷聖なりッ」
エルは震えた声で、今聞こえた単語を呟いた。
「リュ、リュオール・レイ・サーエン……サチュヌス……サーナ……スーシャル…」
多分だが、エル的には、かなり驚く単語なのだろう。
だが俺はわけが分からんので言ってやった。
「だから、意味分からんのだよ。俺の質問に答えろッ」
すると亡霊は、淡々と静かに言うのであった。
《ソーサリュオンの継承者よ。そなたに頼みがある……。この地では遥か昔、凶星マリスと聖皇の戦いがあった。だが……まだ決着はついておらぬ。マリスはまだ完全に封じられてはおらぬのだ。そして、そなたと他の眷聖の末裔達とで、マリスを完全に封じてもらいたい。これが私からの……いや、スーシャルに仕えし七眷聖の願いだ》
俺はブチ切れて即座に言った。
「何で、俺がそんな事しなきゃならないんだよ。いい加減、元の世界に返してくれッ。と言うか、帰らせろッ!」
しかし、リュオールとかいう亡霊は、無情にも首を横に振って言うのである。
《……すまぬ……今はそれはできぬのだ。それにソーサリュオンはもう、そなたの魂を主と認めた。だから私の遺志を継いで、この地を救ってほしい》
「なんで帰れないんだよッ……なんで……帰れ……」
俺は落胆して地に腰を落とす。
そして呆然としながら呟いたのだった。
「も、もう日本に帰れないのかよ……なんで……なんでだ」
帰れないと知った俺は、ただただ、溢れ出る涙を流し続けた。
だがそこで亡霊は、一言、こう言ったのである。
《私は帰れないとは言っていない……そなたが、帰る方法はある》
俺はハッと顔を上げると叫んだ。
「どうやってだッ? 言えよッ!」
《凶星マリスを封じる祭に生じる膨大な魔精の圧力を使えば、そなたの持つソーサリュオンと西修寺にある七星転移陣とをつなげられる。だから、そなたは帰る為にもマリスを封じねばならない》
また選択肢が1つかよッ。
はぁ……なんでこんな最悪な事が次々と続くんだろう。
と、そこで亡霊は、エルに話しかけた。
《そしてグラムドアの末裔よ。そなたにも頼みがあるのだ》
「は、は、はい。ななな、なんでございますか?」
エルは突然話を振られたので、ややドモったように返事した。
《この男の魔精体は、まだまだ未熟である。その為、魔精体を鍛える修練と、始源七星の器を開放する創生の言語を教えてやってほしい。何故ならば、創星の器・ソーサリュオンは、始源七星の器のほぼ全て力を一時的にだが使えるのだ。頼む、手を貸してやってくれ》
「なッ! そ、それは、ほ、本当なのですかッ?」
エルは亡霊の言葉に驚くと共に、俺の右腕にある腕輪に目を向けた。
このエルの驚きようは、初耳と言った感じである。
まぁそれはともかく。
俺は少し気になった事があったので、それを問いかけた。
「じゃあ、アンタが教えてくれりゃ良いんじゃないの? この間もさ、俺を操って色んな呪文を唱えてたじゃないか?」
しかし、今の言葉を聞いた亡霊は、力なく言うのであった。
《……残念だが、それは無理なのだ。私はこれからまた、魔精を溜める為に、しばらくの間だが眠りにつく。そなた達を助ける為に、導きの石に溜めた魔精を使いすぎたのだ。私が魔精を溜めた本来の目的は、ソーサリュオンの継承者を導くためのもの。だがしかし、あのような事態は想定していなかった。その為に、こうなってしまったのだ。そこは理解してほしい》
俺とエルは顔を見合わせる。
俺達は2人共、微妙な表情となっていた。
多分、エルもこんな事になるとは思ってなかったのだろう。
エルも眷聖の末裔だから当事者だし。
まぁそれはともかく、俺は盛大に溜息を吐きながら、脳内で呟いたのである。
ハァァァ……帰るにはマリスとか言うのを封じるしかないのか。帰れるんだろうか、俺……。
と、その時。
このリュオールという名の亡霊は、最後にこう言って消えていったのであった。
《では頼んだぞ。最後の希望たちよ》と――
そして俺、いや俺達の長い冒険の旅が、これから始まろうとしているのである。
誰か代わってくれぇ……トホホ。
第一部 完