EP13 始源七星の器
[1] ―― スーシャルの聖域 ――
スーシャルの聖域内へ足を踏み入れた俺達は、中央にあるモニュメント、サーラの門へと向かって駆け出した。
俺は走りながら、この青い空に覆われた聖域内を少し見回す。
今は日が落ちようとしているのか、俺がこの地に来た時よりも、やや薄暗い様相をしていた。
例えるならば、夕暮れの一歩手前といったところだろうか。その所為か、若干ではあるが、肌寒い気温になりかけていたのである。
また、周囲を見回した感じだと、死の使いは此処にはいないみたいである。
多分だが、聖域というだけあって、奴らも、そうそう簡単には近づけないのだろう。
とりあえず、一安心といったところだ。
だがそんな風に周囲を見回していると、奇妙な事に、ひどく懐かしい光景にも見えたのであった。
まだこの地に来てから、8時間も経っていないというのに、だ。
恐らく、怒涛のように降りかかる予測不可能な事態が、俺にそう感じさせたのだろう。
無理もない。だって人知を超える事が多すぎンだよ。
もう、リアルでファンタジー世界は本当にコリゴリです。
勘弁してください。俺が悪うございました。ゲームや小説の中だけでお腹一杯です。
オカワリはもう結構ですッ。おあいそお願いしますッ。
今は何故か、そんな言葉しか浮かんでこない。俺もだいぶ疲れているようだ。早く帰って寝たいところである。
まぁそれはさておき。
一応、周囲を見回した感じだと、日の角度と気温がやや低くなっていること以外は、あの時のままの光景なのであった。
俺達は聖域に入ってから真っ直ぐ中央付近まで駆けてゆく。
すると先頭を走るエルが、石版のやや手前で立ち止まったのである。
俺もそこで立ち止まった。
勿論、俺だけじゃなく、宰相達もだ。
そして全員が揃ったところで、エルは胸元から導きの鍵を取り出すと、それを俺達に見せて言うのであった。
「皆さん。私は今から、この導きの鍵を用いてサーラの門を開き、スーシャルの守護結界の力を強めてみるつもりです」
だがエルの言葉を聞いた宰相は、眉根を寄せて言った。
「門を開くだとッ。本当にそんなことが出来るのか? 古文書には、確かにそのような事が書いてはある。だが未だ嘗て、それを行った王は歴史上おらぬのだぞッ」
エルは頷くと言った。
「ええ、確かにハシュナード卿の言うとおりです。ですが今は、古文書の記述を信じるしか手はないのです」
だがそれを聞いた宰相は、俯くと共に、首を左右に振りながら溜息を吐く。
そして弱々しい口調で話し始めたのである。
「グラムドア女王よ……ひとつだけ言っておく。今のこの事態……言い伝えを守らなかった我々に非があるのは認めよう。だがな、こうなったのも、スーシャルが記したという古文書の記述を、我々が信じたが故に起こった事でもあるのだ。古文書の内容に、過度の期待はせぬ方が良い」
すると宰相の話を黙って聞いていたエルは、何も言わずに目を閉じたのだ。
しばしの沈黙が俺達に訪れる。
静かな中、やや冷たい風が俺達の間をそっと流れてゆく。
それから程なくして瞼を開いたエルは、静かに言うのであった。
「ハシュナード卿、それは私も承知の上です。ここに来る途中、カーミラ秘書官から伺いましたが、聖廟に凶星の化身が封印されていたという事実には、私も戦慄が走りました。……ですが、聖者スーシャルは、我等を騙す為に悪意を持って、そんな記述をしたのではない気がするのです」
宰相は即座に言った。
「では、なぜ偽りの記述をしたというのだ?」
エルはそこで背後にある石版に視線を向ける。
そしてやや俯きながら、自分に言い聞かせるように話し始めたのだった。
「それは、わかりません。しかし、今のこの事態を何とかするには、古文書を信じる以外にないのです。だから私は、古文書を信じて門を開くつもりです」
その言葉を告げた直後。
エルは石版へと向かい力強く歩き出したのであった。
石版にエルが近づくに従い、俺が最初に近づいた時と同様、白く発光する現象が起きた。
またその光は、近づけば近づくほど強く発光するのである。
あの光の中に飛び込めば、俺は日本に帰れるのだろうか?
俺は光を見ながらそればかり考えていた。
だが、今はエルの用事が先である。その為、エルの挙動に俺は視線を向けるのである。
エルは、手を伸ばせば触れられるくらいの位置で立ち止まると、導きの鍵を首から外す。
それから導きの鍵を、発光する石版の中心部に掲げ、呪文のような言葉を唱え始めたのであった。
【ヨーケ……アオーラ……】
エルはやや長い呪文を唱えてゆく。
そして唱え終えると共に、石版の周囲に彫られた文字が幾つか光り輝いたのだ。
光り輝く文字は、何かの文章の様に俺には見えた。
しかし、それが何なのかは、俺には分からない。
だが、石版自体が何らかのメッセージを発しているように、俺には見えたのだ。
エルはその文章のようなモノを見るなり、「そ、そんな……」という言葉を呟くと、身動きをしなくなった。
そして暫くの間、エルはそのまま立ち尽くしたのである。
何かあったんだろうか?
俺はエルのただ事ではない様子が、若干、気になった。
それから30秒程経過した頃だろうか。
エルがトボトボと力無く、俺達のところへと戻ってきたのである。
俺はエルの様子が気がかりな為、すぐに問いかけた。
「エ、エル、どうしたんだ。何かあったのか?」
エルは泣きそうな表情で俺に言った。
「だ、駄目です……。導きの鍵で門を開くピュラトを唱えたら、『サーラの証である始源七星の器を掲げ、その名を告げよ』と文字が浮かびました」
俺は今の言葉の意味が分からんので、再度尋ねた。
「はぁ、なんだって? ウェアルソーサの器? 何だそれ」
エルはションボリしながら答える。
「始源七星の器とは、聖者スーシェルが七眷聖に授けた、唯一無二の秘宝ともいえる聖法武具の事です。そして……それが無ければ、サーラの門を開けないみたいなのです」
するとエルに続き、カーミラさんが重々しく口を開いたのである。
「聖者スーシャルから、眷聖グラムドアが授かったと云われる始源七星の器・スファディータは……今、敵の手の中です……」と。
その言葉を聞くと共に、エルの瞳はみるみる潤んできた。
そして大粒の涙が、エルの頬を伝ったのである。
どうやら、エルの思惑は失敗に終わったようだ。
エルのこの様子を見た他の者達も、今の言葉を聞き、落胆していた。
俺達の中に、暗い雰囲気が漂い始めてくる。
だがその時であった。
――またあの声が、俺の脳内に響き渡ったのである。
《……ソーサリュオンの継承者よ。グラムドアの末裔と共にサーラの門へ近づき、そなたの持つ導きの石を掲げよ……》
はぁ、またかよ……。今度は何なんだ、一体?
時折聞こえる奇妙な声に俺は辟易としながらも、涙を流すエルに視線を向ける。
そして仕方ないと思いつつも、エルに言ったのだった。
「エル、ちょっといいか。さっきのあの声が、また聞こえてきたんだけど」
だがエルではなく、宰相がムスッとしながら口を開いた。
「あの声だと? お前は何を言っておるだ。何も聞こえぬぞ」
宰相はそう言うと共に、訝しげに周囲を見回す。
この宰相の様子を見る限りだと、俺にしか聞こえない声……と言っても信じて貰えそうもない。
その為、俺は「う〜ん」と唸りながら困った仕草をしたのだった。
だが宰相は、そんな俺を無視して続ける。
「それにお前は一体何者なのだ? 第5魔精術師団のローブを着ておるが、このアストランドの者ではないな。先程の魔精の術法といい、ただの魔精術師ではないッ。一体、何者なのだッ?」
宰相は矢継ぎ早に捲し立てて言った。
そんな宰相を見た俺は、溜息を吐くと共に、どう説明したもんかと悩む。
だがその時、カーミラさんがスッと俺達の間に入ってくれたのだ。
そしてカーミラさんは真剣な表情で、宰相に言ったのである。
「お父様、今はこの方の邪魔はしないほうが良いと思います」
「しかしだな……ッエエい」
宰相は何かを言いたそうだったが、カーミラさんの言葉に従い、口を噤んだ。
話しやすくなったところで、エルが涙をぬぐいながら、俺に問いかけてきた。
「グスッ……ソースケさん。それで、その声は今、なんと言ってるのですか?」
俺は後頭部をポリポリかきながら、緊張感なく言った。
「それがさ、『グラムドアの末裔と共にサーラの門へ近づき、そなたの持つ導きの石を掲げよ』なんて事を言ってるんだけど、どう思う?」
するとエルは思案顔になり、何かを考える。
そして10秒程すると口を開いたのだった。
「その声がなんなのか、私には分かりません。ですが、今は何もせずにいる時間が惜しいです。その声に従ってみましょう」
だがそれを聞いた宰相は、眉根を寄せて不満そうに言うのである。
「なんだと、素性の分からぬ者をサーラの門に近づけるつもりかッ。大体、今が非常時とはいえ、このような得体の知れない男が、この聖域にいる事自体、有り得ない事なのだぞッ」
エルは言う。
「ハシュナード卿、今はそれどころではありません。それに私の考えが正しければ、ソースケさんは……七眷聖の継承者かもしれないのです」
「なッ七眷聖の継承者だとッ!。ど、どういう事だ、一体ッ? こやつは他の守護国の王族なのか?」
と、叫ぶように言った宰相は、目を見開いて俺をガン見する。
するとそこでカーミラさんがまた、宰相の前に立ちはだかってくれたのだ。
そして、やや迫力のある口調でこう言ったのであった。
【お父様、今はこの御二方の邪魔はしないでください】と。
「ンググ……」
宰相はそんなカーミラさんを見るなり口ごもる。
カーミラさんは、そこで俺達に振り返ると言った。
「さぁ、私達に構わず、門へ向かってください」と。
俺とエルは、カーミラさんに無言で頷く。
そして俺達は、あの声に従って、サーラの門へと歩み始めたのであった。
[2] ―― サーラの門 ――
俺とエルがサーラの門に近づくにつれて、首に掛けられた導きの石が青白く輝きだした。
またそれに呼応するかのように、サーラの門と呼ばれる石版の中心部が、眩く発光を始めたのである。
先程と同様に、近づくにつれて白い光は強くなってゆく。
そして俺とエルはさっきと同様、手で触れれるくらいのところで立ち止まると、導きの石を石版の中心部で掲げたのである。
するとそこで、またあの声が聞こえてきたのであった。
《……グラムドアの末裔に開門の言語を唱えるよう伝えよ》
俺は隣にいるエルにその旨を伝える。
「エル、またあの声から指示が来た。なんかさ、『グラムドアの末裔に開門の言語を唱えるように伝えよ』と言ってるんだけど」
エルは無言で頷くと、先程の呪文のようなものをゆっくりと唱え始めた。
【……ヨーケ・アオーラ・ビトゥー……ノーモゥ・ルズ・イーメリ……】
やや長い意味不明の言葉をエルが唱え終えると、さっきと同じように石版の文字が光り輝いたのだ。
因みに、俺にはなんて書いてあるのかさっぱり分からん。
だがそれを見たエルは、少し元気なく俺に言った。
「やはり、先程と同じです。『サーラの証である始源七星の器を掲げ、その名を告げよ』と、この石版は言っております」
さて、これからどうすんだろ一体?
何か知らんが、もう既に詰んでる気がするんだけど。
などと俺が考えていると、あの声がまた聞こえてきたのである。
《……では最後だ。そなたの右腕にある始源七星の器、七星法転輪を光の前にて掲げよ。そして門に告げるのだ。……ソーサリュオン、と》
「はぁ? な、何だって、これがそうなのか?」
俺は右腕の腕輪を見ながら、思わず、そう小さく呟いた。
なんか知らんが、この金色の腕輪が始源七星の器というやつらしい。
まさか、住職から貰ったこの七星法転輪が、眷聖の証だったとは……。
そして七星法転輪の本名がソーサリュオンだという事にも驚いたのだ。実を言うと、今までソーサリュオンの意味が分からなかったからである。
俺は初めて知った意外な事実の為、マジマジと腕輪を見詰めていた。
だが、このまま腕輪を眺めていても埒が明かないので、俺は声の指示の通りに行動することにした。
というわけで俺は右腕を伸ばして、装着してある腕輪を光の中心に掲げる。
それから指示通りに、この腕輪の名を告げたのだった。
―― 【ソーサリュオン】 ――
その瞬間。
物凄い光が、腕輪から発せられたのである。
「ウッ、なんだ一体、この光は……」
あまりの眩さから、俺は片目を閉じてそう呟く。
それから目を細めて、この現象を見続けたのであった。
すると腕輪が発光してすぐに変化があった。なんと、埋め込まれた七つある虹色の珠から、光の糸が勢いよく飛び出したのだ。
そして、それらの光の糸は石版内部に侵入するかのように、石版の中心で光り輝く部分へと伸びてゆくのである。
光の糸は中心部に到着すると、ピンと張った糸のように真っ直ぐとなる。
するとその直後であった。
今度は何かを送るかのように、腕輪から石版に向かって虹色の光が、七つの糸に走ったのである。
例えるならば、管を通って何かが流れ込むような感じであろうか。
とにかくそんな感じなのだ。
だが暫くすると、更に変化が現れた。
その更なる変化とは……。それは、虹色の光が相互に行き交う様になったのである。
それらの光景は、まるで情報の伝達をしているかのようであり、その所為か、俺には七つの光の糸が、電子基盤どうしを繋ぐワイヤーハーネスのように見えたのであった。
俺はこの不思議な現象を呆然と眺めていた。
だが暫くすると脳内に、またあの声が聞こえてきたのである。
《……これでこの地の守護を司る、守護聖界の紋章とソーサリュオンが繋がった。後は、私に残っている魔精の力で何とかしよう……》
その声が聞こえるや否や、俺の胸元にある導きの石が、突如、眩く輝きだしたのである。
そして導きの石から生まれた光は、石版の中心部に向かって青白い光線のようなモノを放ったのだ。
だがその時だった。
一瞬ではあったが、白いローブを着た長い黒髪の男の姿が、俺の目の前に現れたように見えたのである。
因みに、結構なイケメンであった。
見間違いかと思った俺は、目を擦って、もう一度確認する。
だがその男の姿は、何処にも見当たらなかった。
すると今のは幻だったのだろうか?
それは分からない。幽霊の可能性もあるし……。
まぁでも多分、色々な事が起きているので、脳が疲れて幻覚を見せたのだろう。
とりあえず俺はそう結論すると、今起きているこの現象に意識を向かわせたのであった。
導きの石が輝きだしてから、暫くすると、異変が現れ始めた。
【キィィィッ!】
【ヴァギャッ!】
【グエッ!】
なんと聖域の周囲から、悲鳴じみた声が響き渡る様になったからである。
今、この周辺で、一体何が起きているのか? それは分からない。
だがこの悲鳴は、死の使いのもののような気がするのである。
何故ならば、今までさんざん聞いてきた、死の使いの断末魔にそっくりなのだ。
という事は、ここから導き出される結果は一つしかない。
恐らく、エルがさっき言っていたように、守護結界の力を強める事に成功したという事なのだろう。
これはもしかすると、かなり良い兆候なのかもしれない。
そこで俺は、隣にいるエルに視線を向けた。
するとエルも、俺と同じことを考えていたのか、少しほっとしたような表情をしていたのであった。
そこで俺とエルは目が合う。
俺は少しだけ微妙な笑みを浮かべると、エルに言った。
「なんか知らんけどさ。う、上手くいったのかな」
エルも僅かに微笑むと、自分に言い聞かせるかのように答えた。
「そ、そうですよね。……上手くいったん、ですよね?」
「うん……た、多分」
俺達はそこで無言になった。
そして半ば半信半疑の状態ではあったが、今のこの現象を暫く見守り続ける事にしたのである――
――だが、しかし……。
この現象が始まってから3分程経過した頃のことであった。
またあの声が俺の脳内に響き渡ったのだ。
《……不味い。この地に封印したモディアスの魔精魂が、何者かに解かれてしまった。クッ、間に合わなかったか……》
声の意味が分からん俺は、聞き返した。
「はぁ? 間に合わなかった……って、どういう事だよ」
するとエルが俺の言葉に反応した。
「ど、どうしたんですか。ソースケさん」
俺はエルに視線を向けると、首を傾げて言った。
「それがさ。例のあの声が もでぃあすの封印が解かれてしまったとか、間に合わなかったとか、言ってんだけど。もでぃあすって何なんだ、一体?」
「モ、モモ…モディアスですってッ!」
だがエルは、若干悲鳴じみた声で言うと、途端に青褪めた表情になったのだ。
この表情を見る限りでは、かなり不味い事が起こったのだと、すぐに俺は察した。
俺はビビりつつも尋ねる。
「あのさ、エル。もでぃあすって、ところで何なの?」
するとエルは、小刻みに震えながら、恐る恐る話し始めたのである。
「モ、モディアスは……破滅の凶星マリスが創り出した邪悪な化身の一つです。言い伝えによると、全部で六つあるらしいのですが、詳細な事は分かりません。ですが、カーミラ秘書官は先程、聖廟に凶星の化身が封じられているという事実を私に教えてくれました。ということは、ソースケさんに聞こえる声を信じるならば、恐らく……その化身というのは、モディアスの事なのだと思います」
言い終えたエルは、頭を抱えて力なく膝を地に着けた。
エルのこの様子。
これはただ事ではない感じだ。
という事は、かなりやばい事態が、この先に待ち受けているのかもしれない。
また、そんなエルの様子を見た俺の中にも、得体の知れない恐怖心が、徐々に湧きだしてきたのである。
そして一体これからどうなるんだという、不安も一緒に押し寄せてきたのだった。
もしかして……今度こそ、俺の人生は終了なのか?
などと考えていたら、突然、石版と腕輪から発していたあの眩い光が消えたのだ。
まるで電灯のスイッチを切ったかのように……。
俺はこの突然の出来事にポカンとする。
エルも光が消えたのに気付くや否や、慌てて俺に問いかけてきた。
「ソ、ソースケさん。光が消えてしまいましたよ。ど、どうしてなんですか? なんで消えたんですかッ?」
「それが分からないんだよ。と、突然、消えたんだッ」
俺は訳が分からんのでシドロモドロになった。
だがその時だった!
【なッなんだ一体アレはッ!】
【アレはまさか……奴なのかッ!】
突然、後ろの方にいる宰相達がガヤガヤと騒ぎ出したのだ。
俺はまた何かあったのか思い、背後を振り返る。
すると宰相達は、この聖域の上空に視線を向けて、慌てふためいていたのだ。
空に何かあんのか? と思った俺は、宰相達の視線の先を目で追う。
そして俺も同じように驚いたのだった。
俺の目に飛び込んできたモノ……それは漆黒のローブに身を包んだ人のようなモノであった。
それが上空30m程の位置で、宙に浮いて俺達を見下ろしていたのだ。
人のようなと形容したのには、勿論理由がある。
まず奴は、色は違えど、俺の着ている第5魔精術師団のローブとそっくりなローブを着ているという事と、人間の様に手や足や頭部があるという事である。
因みに奴は、銀色の細長い箱のようなモノを左手で抱えていた。
真っ黒な中に銀色の物体があるので、非常に目を引く存在であった。中に何が入っているのか気になるところではある。
まぁそれはさておき、今の奴を例えるならば、以前見たファンタジー映画、ロード・○ブ・ザ・リングにでてきた指輪の幽鬼・ナズグルのようなと表現した方が分かりやすいかもしれない。
そういった出で立ちをしている為に、俺は人のようなと形容したのだ。
だがフードで深く顔が覆われている為、その中が人間かどうかはわからない。
特にこの世界では、普通にトカゲ人間や獣人がいるから、簡単に判断するのは早計である。
しかし、俺が今まで見てきた種族には、ある程度共通点があるのだ。
それは俺のような人間と根っこの部分は同じという事である。要するに地に足を付けて生活しているという事だ。
しかしこの上空にいる物体は、翼もないのに浮遊しているのである。
これは明らかに普通ではない。が、もしかするとそういう魔精の術があるかもしれないので、とりあえず、保留という事にしておこう。
だが問題はそこではない。
一つだけ普通の生命体ならば『ありえない』と言い切れる事柄があるのである。
それは……奴の周囲からは絶えず、黒い炎のようなモノが噴き出しているのだ。まるで燃え盛る火炎のように。
ここに来る前に遭遇した虎のような化け物も、ここまでではないが、深紫色の炎のようなモノを纏っていた。
それを考えると、奴も同類の化け物である可能性が非常に高いのである。
だがもしそうだとしても、どうやら、ただの化け物では無いようだ。
何故なら、上空の奴からは、非常に圧迫感を伴う只ならぬ気配をヒシヒシと、俺は感じるからだ。
その所為か、身体が無意識のうちに、奴から逃げたがっているような錯覚を俺は覚えたのであった。
まるで本能が逃げろ、と告げているかのように。
またそれと共に恐怖心のようなものも、俺の中に生まれたきたのである。
そして俺は、こう考えてしまうのであった。
もしかするとこれが、エルの言っていた、モディアスとかいう化身なのかもしれない、と……。
[3] ―― 化身 ――
上空にて暫く浮遊していたこの得体の知れない奴は、やや高度を下げて俺達に近寄る。
そこで俺達を見下ろすと、不気味な笑い声を上げながら、丁寧な口調で話し始めたのであった。
「クックックッ。これはこれはハシュナード閣下、先程はどうもお世話になりました。閣下も、お元気そうで何よりでございます。しかし、運が良いといいますか、何といいますか……。今のハシュナード閣下の御様子を見る限りですと、私の心からの贈り物をガルナから受けとらなかったようですね。非常に残念です」
と、そこでコイツは、俺とエルに視線を向ける。
そして愉快に笑いながら言った。
「おやおや、そこにおられますのはグラムドア女王陛下ではありませぬか。陛下もお元気そうで何よりですよ。クックックッ」
何か知らんがコイツの口調を聞く限りだと、どうやら、エルと宰相の知り合いのようである。
どういう奴なのか気になったので、早速、俺はエルに問いかけた。
「あのさ、エル。アレはお友達?」
エルは即座に首をブンブン振ると言った。
「ち、違いますよッ。あれはジャミアスと言って、ハシュナード卿の部下だった者です。そして、此度の騒乱を起こした首謀者だと思います」
「マジかよッ」
俺は驚くと共に、ジャミアスという奴に視線を向けた。
するとジャミアスという奴は、無言でこっちをジッと見ていたのだ。なんか怖い……。
暫くすると奴は、愉快そうに口を開いた。
「クックックッ。しかし、第5魔精術師団程度の術者を、このスーシャルの聖域へ入らせるとは思いませんでしたよ……。クックックッ、女王陛下にハシュナード閣下も、最早、形振りを構ってられない、といったところでしょうかね」
どうやら俺は、遠まわしでバカにされているみたいである。
まぁ俺は第5魔精術師団のローブを着てはいるが、その団体の人間ではないから、あまりムカついたりもしないけど。
だが、このジャミアスという奴や、大広間での宰相達の口振りを聞いた感じだと、多分、第5魔精術師団という部署は、このアストランド城内でもかなり階級が低い部署なのだろう。
こいつ等の口振りから察するに、第5魔精術師団の者が、女王や宰相にお供をするなんてことは、まずありえない事のようだ。
要するに超下っ端の底辺部署ってことなのだろう。どこの世界でも、上下関係は厳しいようだ。
まぁそれはさておき、これから一体どうなるのだろうか……。
隣のエルは、さっきから怯えたような表情をしている。
また、宰相やカーミラさん達もエルと同様に、怯えたような表情でジャミアスを見ているのだった。
もうこの表情だけで、俺のテンションはダダ下がりである。
はぁ、嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしてない。もう家に帰りたい……。
などと思っているところで、ジャミアスは言ったのであった。
「スーシャルの守護結界を強めたのは、どうやら、あなた方の様ですね。そして、女王陛下の所にある石版が、守護結界の中心で間違いないようです……」
ジャミアスは何かを考えているのか、少し間を空けてから続けた。
「……しかし、何事も想定外というのはあるのですね。まさか、水星の器・スファディータの力もなく、スーシャルの守護結界を操れるとは思いませんでしたよ。私が調べたところでは、始源七星の器が無ければ、守護結界は操れない筈でしたからね。まぁこれは、私の慢心が招いた失敗ということで、後で反省する事にしましょう……ですがその前に……」
と言ったその時だった。
ジャミアスの身体に異変が起きたのだ。
周囲に纏う黒い炎のようなモノが、まるで燃料をくべられた炎のように大きく膨れ上がったのである。
そしてジャミアスは、今までのような丁寧な口調ではなく、怒りに打ち震えた声で言い放ったのであった。
【……どこまでも小賢しい眷聖グラムドアの末裔どもよ……調子に乗るのはそこまでだッ! 我が滅びの黒焔の力で消え去るがいいッ!】