EP10 漆黒の戦士
[1] ―― 続・大広間2 ――
このエルと名乗る女性は、今、自分の事をこの国の女王だと言った。
だが俺は、その言葉に驚くと共に、凄い違和感も覚えたのであった。
なぜなら、ニーダやヒロシの話だと、この国の女王は何処かに幽閉されていると聞いていたからだ。
幽閉されている女王が何故ここにいるのか……。それが一番、違和感を感じるのである。
勿論、随分前に実は解放されていたという事も考えられるので、その間、獄中生活をしていたヒロシやニーダの言っている事をそのまま鵜呑みにはできない。
しかし、これまでの女性の言動や変装していた事実を考慮すると、解放されていたのではなく、幽閉場所から脱走したという可能性も捨てきれないのである。
また更に穿って見れば、この女性が俺に嘘を言っている可能性も若干あるのだ。
だがこの女性は、逆に今まで、帽子や付け毛を被せてその素性を隠していたという事実がある。
その為、この状況で女王の名を騙る事は普通まずありえないし、何より今までの言動から考えても、辻褄があわないのだ。
以上の事を踏まえると、俺的には、嘘を言っていないように見えるのである。が、しかし、それはあくまでも俺の感覚であって、それを決定づける証拠などは何もない。
というわけで俺は、とりあえず半信半疑で、この女性の言動を受け止めているのだった。
俺は女性に視線を向ける。
女性は自分の過ちを悔いているのか、さっきからシクシクとずっと泣いている。
この姿を見る限りでは、演技ではないように見えるのだが……。
俺は考える。本当に女王なのだろうか、と。
だが、今言った事がもし本当の事ならば、この女性は、かなりのオッチョコチョイだろう。自ら墓穴を掘ったのだから。
まぁそうはいっても、俺にバレたところで、あまり大した問題は出てこない。
なので、俺は女性を慰めるべく、その旨を伝える事にしたのであった。
「あの、エル……さん。女王かどうか知りませんが、俺にバレたところで、大して問題ないですよ。だって俺は、この国のゴタゴタとは全く関係ない者ですからね」
エルは涙ぐむ顔を俺に向ける。
すると、さっきより幾分明るい表情で言った。
「……そ、そうですよね。グスッ。貴方は、この国の民ではないのですから、宰相達とも何の関係もないんですよね?」
俺はニコリと微笑みながら頷くと続ける。
「そう、だから泣かないで。別に女王だろうがなんだろうが、俺は何も気にしてないですよ。ただの部外者だしね。それに俺もさ、隣でこんな可愛い子に泣かれると、妙な罪悪感が湧いてくるんで困るんですよ。だから泣かないでください」
すると女性は照れたように、はにかんだ様な笑顔を見せる。
そして下を俯いて言った。
「な、何を言うんですか、こんな時に突然……」
どうやら少し恥ずかしがり屋でもあるようだ。
エルの見た目は、人間で言うと高校生くらいな感じだから、こういった反応は年相応に見える。
それに今の反応を見る限りだと、少しは元気が出たのかもしれない。
だが足の傷があるので、元気というには程遠い状態かもしれないが……。
まぁそれはとにかく、俺は言う。
「そうそう、エルさんは、そうやって笑ってる表情がよく似合うよ。あ、それと、俺の名前はソースケなんだから、ちゃんと名前で呼んでよ。せっかく自己紹介もしたんだし」
「そ、そうですね」
と言ったエルは、若干、戸惑う表情をする。
それから少し何かを考えているのか、やや間を空けてから、申し訳なさそうにエルは言った。
「あの、ソースケさん。……実は、私の本当の名前は、エルミナス・アリシュナド・グラムドア・フェーネスといいます……黙っていてごめんなさい」
「え? じゃあ、エルという名前は偽名なの?」
エルは首を左右に振ると続ける。
「いいえ、偽名ではありません。さっきエルと言ったのは、両親が私をそう呼んでいたんです。ですからそのまま、エルと呼んで下さっても結構ですよ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、そうするよ」
どうやらエルという名は、親しい者が呼ぶニックネームのようだ。
俺的にはエルの方が呼びやすいので、寧ろそっちの呼び方のほうがいい。
エルミナス・ア何ちゃらは、長くて呼びにくいし。
まぁそれはともかく、エルも少し元気でたみたいなので、ついでにさっき疑問に思った事を聞くことにした。
「ところでエルさん。少し聞きたい事があるんだけど、いいですか?」
「はい、なんでしょう。イッ……」
エルは痛みが走ったのか、表情を歪めて患部に手を当てる。
痛々しいエルを見て、一瞬、質問をやめようかとも思った。が、本人が了承してるのでそのまま尋ねる事にした。
「実はさっき、地下牢に投獄された時なんだけど。そこにいた囚人から、女王は幽閉されていると聞いたんですよ。エルさんは女王と今仰いましたが、もしかしてそこから逃げてこられたのですか?」
エルは頷くと言った。
「はい。とある方の手引きで、私は幽閉場所から逃げて来ました。そしてアストランド大聖殿に向かう予定だったのですが、その途中、このアストランド城から只ならぬ気配を感じたのです。なので、従者の反対を押し切って、此方に引き返して参りました」
アストランド大聖殿というのは初めて聞く名前だが、エルの言動からは嘘や偽りみたいなものは感じられない。
まぁそれはともかく、俺は言う。
「引き返してきたって事は、ハシュナード閣下のくだり部分は、やっぱ嘘なの?」
「はい、嘘です……。でも、そうでも言わないと、聖域には行けないと思ったものですから……ごめんなさい」
エルはそう言うと、シュンとしながら頭を下げる。
「べ、別に謝らなくてもいいよ。責めるつもりなんてないし。気にしないで」
なんか知らんが、これでは俺が尋問してるみたいだ。
もう少し軽い感じで聞いた方が良いのかも。
というか、エルは自分で王族と言った割に、凄く謙虚だ。だから、あまり女王という貫禄がないのである。
エルの話が本当ならば、謀反を起こされた原因の一つに、もしかすると、こういう大人しい性格の部分もあるのかもしれない。
などと思いながらも俺は言った。
「という事は、そこから城に戻って、ちょうど死の使いに襲われていた所に、俺と警備兵長が出くわしたというわけか……」
「はい、そうなんです」
大体の流れは分かったが、肝心な部分がまだ残っている。
というわけで、俺はそれを問いかける事にした。
「ではエルさんが、引き返してまで聖域に行こうとした理由は、その首に掛けた導きの鍵を用いれば、この事態を収拾できるからなのですか?」
だがこの質問を聞いたエルは、視線を落として暫し無言になる。
それから静かに話し始めたのだった。
「……ソースケさん。これは機密事項なのですが、今は非常時なのでお話しします。先程、ソースケさんが捕まったと仰っていたスーシャルの聖域なのですが、あの聖域は、このアストランド城や城下の町を守るために、聖者スーシャルが施した守護結界の要なのです。その為、非常時を除いてですが、建国以来ずっと、王の許可無き者の立ち入りを固く禁じてきたのです」
「へ? そ、そうだったんだ……。だから俺は、凄い剣幕であの人に拘束されたのか」
俺はエルの口から出てきた意外な内容に、少しびっくりした。
だが今の話を聞いて、ようやく俺は理解したのだ。
あのバディアンとかいう将軍が、血相を変えて俺を拉致した理由を。
そんな重要な場所なら、あの将軍がブチ切れるのも仕方ない。ヘタすりゃ国が窮地になるし。
俺はてっきり、宗教的な意味合いで立ち入り禁止だとばかり思っていたので、これは目から鱗であった。
そんな風に俺が感心する中、エルは続ける。
「すいません、話がそれました。それで、私が急いで城に舞い戻ってきた理由ですが……ン?」
とエルが言いかけた時だった。
この大広間へ「ドタドタドタ」となだれ込むように、突如、ローブを着た数名の者達が入って来たのだ。
しかも全員が、息も絶え絶えといった感じで、疲労がモロに顔に出ている状態なのである。
まるで、何かから逃れる為に全力で走ってきたという感じなのだ。
エライ息が荒いけど、この方々は一体何者だろう……。
などと俺が考えていると、向こうも俺達の存在に気が付く。
すると、エルとよく似た髪色で赤いローブを着たフェーネス族のオッサンが、突然、大きく目を見開いて、俺達に向かい驚きの表情を浮かべたのである。
またそれと同時に、俺達へ指をさしながら口を開いたのであった。
【な、グラムドア女王! 女王が、どうして此処にいるッ!】――
[2] ―― 続・大広間3 ――
――【ハ、ハシュナード卿ッ!】
エルは大広間に突然やってきた者をみるなり、顔を引き攣らせて言った。
なんか知らんが、これは非常に不味い事態のようだ。
今、エルが言った名前だが、確かハシュナード卿と言った気がする。
これはヒロシ達が言っていた宰相の名前だ。
今の状況をKYすると、恐らく、このオッサンはエルを幽閉した宰相本人なのだろう。
驚きと怯えが入り混じるエルの表情が、何よりもそれを物語っている。
要するに、出遭ってはいけない人物に出遭ってしまったという事だ。
これは不味い。修羅場である。
俺は一体どうすればいいのだろうか。出来るならエルを助けてやりたいが……。
だがどちらにせよ、今はとりあえず、この状況を暫く見守る必要があるようだ。
何故ならば、この人達も慌ててここに入って来たという事は、恐らく、外にいる死の使いから逃げてきた可能性が高いからだ。
もしそういった理由ならば、俺とエルをすぐにどうこう出来る状況にない筈。
かといって、あまり楽観視も出来ないが……。
まぁそれはともかく、俺は以上の事から暫く様子を見る事にしたのだった。
エルと俺、それとこのハシュナード卿と呼ばれたオッサンとその取り巻き達は、暫し無言で対峙する形になる。
僅かの時間ではあるが、俺達の間には、物凄く張りつめた壁のような空間が出来上がっていた。
俺は当事者ではないが、物凄く息苦しい。
隣のエルに目を向けると、もうこの突然の事態に、傷の痛みも忘れてる感じであった。
また向こうの方々も同様に、目を大きく見開いてエルをガン見しているのである。
そんな中、エルとよく似た髪色で、白いローブを纏う若く美しい女性が口を開いたのだった。
「グラムドア女王陛下、どうして此処に……いえ、どうやって此処まで来られたのですか?」
「そ、それは……」
エルは言いにくそうに、ボソッと呟く。
と、そこで宰相と思われるオッサンが、睨みを利かせながら言った。
「さてはバディアン将軍だな! おのれバディアン将軍め……直近の近衛隊長2名だけならいざ知らず、女王まで解放したのか。クッ」
だが、このオッサンの言葉を聞いたエルは、やや目つきを鋭くして言った。
「ハシュナード卿。この私が憎いのなら、それで構いません。ですが、今はそれどころではない筈です。卿が解いた守護聖霊の封印によって、今、この地には未曽有の危機が訪れているのですよ。まずはこの事態をどうにかするのが、宰相たる貴方の勤めなのではないですか?」
するとオッサンは、痛いところを突かれたのか、若干、表情を歪める。
そして忌々しく言った。
「クッ。おのれ、言わせておけば……」
エルとオッサンの睨み合いが続く。
だが、俺はフト気になった事があったので、とりあえず聞くことにした。
「あの、お取込み中に悪いンすけど。今の話を聞く限りだと、あなた方が封印解いたらしいですが、此処にあなた方がいるという事は、もうアストゥラーナとかは復活したんですか?」
オッサンはそこで俺に視線を向ける。
すると睨み付けながら言った。
「なんだ貴様はッ。一介の第5魔精術師団風情が偉そうに……。一体、誰に向かって口をきいているか、分かっておるのかッ!」
うわぁ……。エルと違って、今度は典型的な権力ジジイかよ。
こういう奴は、大抵、自分に都合が悪い場合、よく逆ギレして煙に巻くタイプだ。
ああもう、やだやだ。そういえば、俺の担当区域に、こういうウザい顧客がいたわ。
このオッサンを見るなり、俺は仕事上での嫌な顧客の顔を思い出したのだった。
まぁとはいうものの、話をせんと先に進まん。
なので、あまり怒らせない様に、丁寧な杉○右京風で俺は言った。
「申し訳ありあせんが、生憎、私はこの国の者ではございませんので、何方かは存じておりません。ですが、今の御2人の会話をお聞きしますと、あなた方が守護聖霊というものを復活させようとしていたように、私には聞こえたものですから、その詳細をお聞きしたのですよ」
だがこのオッサンはムキになって言った。
「き、貴様ァァァッ。余所者かッ。さてはジャミアスの仲間だなッ。おのれ、凶星の手の者めがッ」
「はぁ?」
なんか知らんが、もの凄い誤解をしているようだ。
次にこのオッサンは背後に視線を向ける。
そして従者と思わしき、青いローブを着た者に言ったのだった。
「オイッ、この者を召し捕るのだ。こやつは我が国に仇名す、ジャミアスの手下だ」
「エッ? しかし……」
従者は戸惑っていた。
多分、突然テンパった宰相に、ビックリしてるのかもしれない。
まぁそれはともかく、何か知らんけど、俺がそのジャミラ? とかの仲間だと思われてるようだ。
心外な上に、なんかムカついてきた。せっかく丁寧に聞いてやったのに……。
またムカつくと同時に、この地に来てから今まであった不遇の出来事が、鮮明に、俺の中でカムバックしてきたのである。
……いいだろう宰相ジジイ。俺も言い返してやる。
平時ならビビッて俺も言い返せないかも知れないが、今は非常時。
オッサンはああ言ってるが、死の使いが徘徊する城内のバタバタした状況を考えたら、実際の所、俺にまで手は回らんだろうからな。
それに日本へ帰れさえすれば、こんな宰相オヤジとの出会いなんぞ、水洗便所の如く、きれいさっぱり水に流して忘れてしまえばいい。
今まで降りかかってきた最低な展開に、いい加減、俺も頭に来てたところだ。
行ってやるぞ、反抗というものを。
などと情けない事を考えながらも、ブチ切れて俺は言ってやったのだ。
「……人が下手に出てれば、いい気になりやがって。一体、誰に向かって聞いてるのかだって? 知るかジジイッ。こちとら、生まれも育ちも日本じゃ、ボケェ。大体なぁ、テメェの失態で、この城の中はこんな事になってんだよ。なんで封印を解くなって伝わってるのに、封印を解くかなぁ。馬鹿じゃねェの。それと、ジャミラだかジャイアンだか知らねェがな、訳のワカンネェ奴に、信憑性のない情報を掴まされて踊らされるから、こんな事になるんだよ。出所不明の情報くらい、しっかり精査しろや。そんなんで国を窮地に追い込む馬鹿が、国の代表という時点で、もうこの国は詰んどるやんけ。わかってんのか、糞ジジイ。テメェこそ、疫病神の癖に偉そうなことぬかすなッ! つうか、何で俺がこんな状況の国に居なアカンのじゃァッ! もう帰って寝たいわ、クソッタレッ! ゼェ、ゼェ」
俺は息継ぎなしで捲し立てる様に喋ったので、少し肩で息をしていた。
流石に息継ぎなしは苦しい。フゥ、でもすっきりした。
言いたい事を言うと、なんだか、肩の荷が下りたように錯覚するのである。不思議だ。
という訳で、サッパリした俺はエルに視線を向ける。
エルはポカンと口を開けて、呆然と俺を見ていた。
俺は次にオッサンに視線を向ける。
するとそこには、プルプルと小刻みに震えて、俺を物凄く睨み付けるオッサンの姿があったのだった。
俺は思った。
超怒ってる、と。
だがいい気味である。
因みに俺は、ヒロシ達に聞いた話と、今の惨状から導き出された内容を想像して口にしただけだ。
なので、多少は予想で言った部分もあるが、概ねこんなもんだろう。
そう思いながら、俺はオッサンを眺めていたのだった。
するとオッサンは、拳を握って小刻みに震えながら口を開いた。
「お、お前に……何が……何が分かる。お前に何が分かるッ!」
オッサンは怒りで打ち震えていた。
だがその時だった!
このオッサン達が現れた方角から、不気味な掠れた声が聞こえてきたのである。
【クックックッ。ミツケタゾ、サーラノマツエイドモヨ。ジャミアスサマノメイレイダ、ミナゴロシニシテヤル】
俺は声の方向に視線を向ける。
するとそこには、漆黒の甲冑に全身を包んだ非常に大きな戦士が、威圧的な雰囲気を纏いながら仁王立ちしていたのであった。
[3] ―― 漆黒の戦士 ――
突如現れたこの漆黒の戦士は、宰相達がやってきた出入り口の前で、不気味に、そして殺気を放ちながら佇んでいた。
その戦士は身の丈が2m以上は優にあり、また全身が黒い甲冑という事も有ってか、まるで黒い巨人が立っているようにも見えるのである。
体が大きい為、その全体像に圧倒されてしまうが、一番目を引く部位は、何と言っても漆黒の兜を被った頭部であろう。
この戦士の被る兜は、左右の側頭部に牛の角のような物が出ており、正面部分はまるで、北○の拳に出てきたジャギの被るヘルメットに酷似しているのだ。
その為、この兜は目だけが見える作りになっているのである。
しかも、その目が見える部分からは、赤くぼんやりと光る不気味な瞳が見えるのだった。
これは明らかに普通の人間ではない。
というか、俺は今まで、目が赤く光る人間なんて見た事ない。
なので、戦士の様相を見た俺はこう思ったのである。
漆黒の甲冑の中身は人間じゃない。しかも、滅茶苦茶ヤバイ化け物のような気がすると……。
この戦士の風貌がこんな感じの為、「おい、お前、俺の名前を言ってみろ!」とか言いそうに見えるが、確実に危険な臭いがプンプンするのである。
漆黒の戦士を眺めた俺は、次に、エルやオッサンに視線を向けた。
すると2人共、何か嫌なモノを見るように、この戦士を見ていた。
どうやら2人の表情を見る限りだと、俺を含めたこの場にいる者達にとって、脅威になる存在のようである。
だが、しかし……。
この戦士は妙な事に、まだこの大広間の中へは入ってこないのだ。
もしかすると、守護結界で守られているこの大広間には、入って来れないのかもしれない。
勿論、それ以外の理由もあるので、あまり楽観はできない。
なので、俺は場合によってはすぐに逃げ出せるよう、他の出入り口に視線を向けて確認をする事にした。
だが他の三つの出入り口には、大広間にいる俺達を窺うように観察する死の使いの姿が、何体も視界に飛び込んできたのである。
これは不味い……。
四方の出入り口全てが閉ざされているのと、なんら変わらない状況だ。
どうやら宰相達と揉めていた間に、俺達は何時の間にか、退路を断たれていたみたいである。
こうなると、もう大広間にいる以外方法がない。もう完全に包囲された状況なのである。
一応、行く手を阻む死の使いを倒していく方法もあるが、数も多い上に聖法武具もないので、これを決行するとなると死ぬ確率はかなりハネ上がる。
要するに今は、一見、安全な様には見えるが、裏を返せば袋の鼠ということなのだ。
八方塞がりの現状を見た俺は、こう考えていた。
この大広間に張られた守護結界は大丈夫なのだろうか。
それと、あの漆黒の戦士は、この結界を無視して大広間に入ってこれるのだろうか。
女王や宰相がいるのに、救出には誰も来ないのだろうか、等々……。
出入り口付近に見える死の使いや、あの戦士を見ると、そんな事ばかり考えてしまうのである。
と、その時だった。
俺がそんな事を考える中、漆黒の戦士が不気味な笑い声と共に、言葉を発したのである。
【クックックッ……ケッカイ ノ ナカデ、アンシン シテイルヨウダガ。コノテイドノ ヒンジャクナ ケッカイヲヤブルコトナゾ、イマノワタシニハ、ゾウサモナイッ!】
漆黒の戦士はそう告げると共に、平然とした動作でコチラに向かい歩き出す。
そして、出入り口に差し掛かった所で一旦立ち止まると、両腕を前に突き出して、大きな奇声を上げたのだった。
【キェェェ!】
すると漆黒の戦士は、見えない扉をこじ開けるかのごとく、ゆっくりと左右に腕を広げ始めたのである。
その瞬間、この大広間に異変が現れた。
突然、大広間の空間全体が、小刻みに振動し始めたのだ。
またそれと共に、漆黒の戦士が伸ばす腕の周囲には、稲妻のように不規則に折れ曲がる白い光線が、幾つも走り始めたのであった。
稲妻のような白い光線は、次第に、この空間内すべてに広がっていく。
それらはまるで無数の亀裂が走ったかのようにも見える為、この空間自体が割れる寸前のようにも見えるのだ。
俺はそんな空間の変化を目の当たりにし、言いようのない恐怖感が脳裏に渦巻き始める。
そして今の状況を見るなり、こう考えたのであった。
やばい……。この大広間の結界は、もうもたない気がすると。
するとそこで、エルが怯えた様にボソっと呟いた。
「ダ、ダメ……。もう、け、結界が破られます」
俺はエルの表情を見て、いよいよ最悪な展開になるのだと確信した。
そしてそれは、程なくして現実のものとなったのである。
漆黒の戦士が両腕を左右に目一杯広げた、その瞬間。
まるで大広間内の張りつめた空気が弾けるように、何処かに霧散してしまったのだ。
またそれと共に、あの稲妻のようなものも消え去ったのである。
辺りはシーンとした不気味な静寂が漂う。
この変化を目の当たりにした俺は、周囲に漂っていた見えない何かが無くなったのを肌で感じていた。
勿論、それが守護結界に他ならない事も、俺にはもう分かっていた。
この状況が意味するところは……。
要するに俺達は、ほぼ詰んだ状態になったという事なのである。
結界が消え去ったところで、漆黒の戦士は堂々と、この大広間に侵入してきた。
またそれに続くように、他の三つの出入り口付近にいた死の使い達も、大広間へゾロゾロと入って来たのである。
俺は身動きできないエルに目を向ける。
エルは恐怖のあまりか、身体を震わせて呆然としていた。
とりあえず俺は、エルの手を俺の肩に回すと、そのままの状態で補助しながら、エルと共に後退る。
だが後退ったところで、逃げ場等ない状況である。
なので俺達は次第に、大広間中央へと追い詰められる形になるのだった。
また大広間中央には、当然、宰相達も後退りながら寄ってきていた。
そこで丁度、宰相の顔が、俺の視界に入ってきたのである。
すると、先程まで偉そうな事ぬかしてた宰相も、流石に青褪めた表情を浮かべていた。
だがそれは宰相だけに限った話ではない。
勿論、エルや俺を含めた他の者達すべてがそんな感じなのだ。
流石に今回ばかりは、俺も死ぬな……。
今の状況を見た俺は、そんな諦めに似たような感情が支配し始めていた。
なぜなら、もう俺達の周囲には逃げ場など無く、沢山の死の使いに包囲されているからだ。
これは完全にチェックメイト状態なのである。
漆黒の戦士は、俺達の前に来ると言った。
【ジョウオウ ニ ハシュナード……イヤ、サーラ・グラムドア ノ マツエイドモヨ。キサマラノケットウハ ココデシュウエンヲムカエル】
こ、これは、もう後がない。
慌てた俺は必死に考えた。助かる方法を……。
今コイツは、サーラの末裔がどうのこうのと言っていた。
無理かもしれんが、ここを交渉材料にしよう。
そう思った俺は、助かりたい一心で、とりあえず言ってみた。
「あ、あのぉ。僕、サーラ・グラムドアとは何の関係もないんで、帰っても良いですか?」
【……】
この戦士は無言で、俺に鋭く赤い視線を向けてきた。
その煮えたぎるような赤い目の睨みに、俺は背筋が寒くなってきたのである。
赤い目のメンチ、超怖ぇぇぇ。
俺はチビリそうになる。というか、ちょっとだけチビッた。
するとそこで宰相のオッサンが、俺に向かって口を開いたのだった。
「なッ! 貴様ッ、自分だけ助かろうなど、なんと情けないッ」
ムカついた俺は言ってやった。
「じゃかあしいわッ! こんな所で、なんで関係のない俺が死ななアカンのや! つーか、このお方は、オッサン等に用があるんじゃんか。俺には関係ないッ」
だがオッサンもムキになって言いかえしてきた。
「馬鹿めッ、そんな言い訳がコイツラに通用するとでも思うのかッ。貴様もここで死ぬんだ!」
この野郎……。
などと思っていると、エルも首を左右に振りながら言った。
「ソ、ソースケさん。ハシュナード卿の言うとおり、多分、無理です。生かしてなんかくれませんよ。それに……ちょっと情けないです」
エルの最後の言葉がちょっと切なかったが、俺は漆黒の戦士に目を向ける。
そしてもう一度確認してみた。
「……え〜と、やっぱり駄目?」
だが漆黒の戦士は俺の質問に答えずに、突然、腕を交差させると共に、若干、背を丸めて蹲る。
そして、身体全体を小刻みに震わせたのであった。
俺はその仕草をみて思わず言った。
「あのぉ……お腹が痛くなったんですか?」
しかし、この質問をした途端。
エルと宰相のオッサンは、微妙な視線を俺に向けていたのである。
まぁそれはともかく、なんで蹲ったんだろう。
などと考えていたその時だった。
この戦士は何かを開放するかのように、両手を一気に広げたのだ。
その瞬間、黒い衝撃波のようなモノが俺達に襲いかかってきた。
そして俺達は、この衝撃波に吹き飛ばされる事になったのである。
だがこの衝撃波は、敵味方関係なく、周囲にいた死の使いも吹き飛ばしてゆく。
その為、漆黒の戦士が爆心地の様になっており、その周囲にいたモノ全てが薙ぎ倒されていたのだった。
吹き飛ばされる俺の目には、そんな光景が一瞬ではあるが、視界に入ってきたのである。
大広間の壁まで吹き飛ばされて、床に叩きつけられた俺は、そこでヨロヨロと上半身を起こす。
と、そこで、ヌルヌルとしたモノが額を伝っているのに、俺は気付いたのだった。
俺は額に手を当てて、それを拭うと共に、拭った手に視線を向ける。
だが俺は、自分の手を見て驚愕した。
なぜなら、手には真っ赤に染まる液体が付着していたからだ。
そして直感的に、これは俺の血だと認識したのである。
どうやら、吹き飛ばされた時に、頭を何処かにぶつけたようだ。
ジワジワと頭部も痛くなってきたし、間違いないだろう。
おまけに、この頭痛と血を見た所為で、俺自身の気分も悪くなってきたのである。
とりあえず、俺はそこで周囲を見回した。
すると俺の視界には、死の使いと宰相達が入り混じるように倒れていたのだ。
これは、あの戦士が放った黒い衝撃波が、全て吹き飛ばした所為だ。
宰相達も息はあるのか、少しづつ手足が動き始めていた。
そんな宰相達を見た俺は、次にエルを探す。
だが、周囲を見回しても、エルの姿は何処にもない。
俺は一瞬焦った。が、しかし、やや重たいモノが胸元にあるのを感じたので、俺はそこに視線を落としたのであった。
するとそこには、苦悶の表情を浮かべるエルの姿があったのだ。
俺は辛そうなエルを抱きかかえると、慌てて呼びかけた。
「エ、エルさん。だ、大丈夫ですかッ」
「ウゥゥ……」
エルは辛そうに瞼を閉じたまま、低く唸っていた。
ただでさえ足を怪我しているのに、今の衝撃だ。かなり堪えたのだろう。
俺は辛そうなエルの頭を優しく撫でながら、周囲に視線を向けて逃げ道を探す。
だがその時だった。
突然、俺の前に、黒い大きな影が現れたのである。
俺は前方に、恐る恐る視線を向けた。
するとそこには、巨大な大剣を右手に持つ漆黒の戦士の姿があったのだ。
俺は巨大な戦士の姿に息を飲む。
またそれと同時に、あと少しで訪れる自分の最後を悟ったのだった。
漆黒の戦士は言った。
【シヌガイイ、サーラ・グラムドアノマツエイヨ】
そして漆黒の戦士は、身動きできない俺達の前で、大剣をゆっくりと大きく振りかぶったのだった。
俺は恐怖のあまり、脳内で叫んだ。
――こ、こんな所で俺は死んでしまうのか……嫌だッ! ま、まだ死にたくない! 嫌だァァァァァ!――
だがその時だった!
俺に、何者かの語りかける声が、聞こえてきたのである。
《 ……ソーサリュオンの継承者よ……唱えるのだ…… 》
「だ、誰だッ!」
俺は周囲を見回す。
しかし、いるのは、大剣を振りかぶる黒い戦士のみ。
今の声は一体なんなんだ……。男の声のようだが、一体、誰が話しかけてきたんだ?
などと考えていると、今、聞こえてきた者の声色で、奇妙な呪文のような言葉が、俺の脳内に響き渡ったのである。
そして俺は何故か知らないが、響き渡るその呪文を何の抵抗もなく、自然と口にしていたのであった。
――【スーデン・ケーナ・イータ・ミ・アバーセ・ト・イーラ・ラドラム】――
その瞬間!
なんと、俺の右腕が突如、ローブ越しに白く光り輝き始めたのだ。
ビックリした俺は何事かと思い、右手のローブ袖を捲りあげると、光の発生源が視界に飛び込んできたのである。
光り輝いていたのは、住職から貰った七星法転輪と呼ばれる、七つの珠が埋め込まれた金色の腕輪であった。
この腕輪の周囲に、まるで白い光の糸が渦巻いており、それが繭を形成するかのように眩く光り輝いていたのだ。
その光はやがて俺の掌へと移動する。
すると、それは次第に細長い棒の様な形状になり、最後には剣のような形状へと変化を遂げたのである。
「あわわッ、何これッ? 何これッ?」
俺はこの展開に付いて行けないので、思わずそう呟いた。
すると俺の手で形成された光の剣をみた漆黒の戦士は、鼻で笑いながらこう言ったのだ。
【クックックッ、ヒトリゴトヲツブヤイテ ナニヲスルノカトオモエバ。サイゴニ ムダナアガキカ。クダラン。オワリダ! シネェェェ】
漆黒の戦士はそう言い放つと、振りかぶった大剣を振り下ろす。
だがこの時の俺は、大剣を振り下ろす漆黒の戦士に対して、右手にある光の剣を無意識のうちに突きだしていたのであった。