:東の大嘘つきと正義5
「悪く思わないで下さい。少し痛いかもしれませんが、すぐに楽になります……」
「や、やめ………!?」
あまりの激痛に身体が痺れて動かない。ラルクは首に牙を立てようと、顔を落とす。錯夜は抵抗しようと、手を動かそうとするが、やはり指先しか動かなかった。
「……つっ!?」
ラルクが声をあげる。錯夜はその後ろに目を向けると、黒い影が目に入る。
「漸………!!」
「錯夜様、お許し下さい…」
ラルクは手を振り払うと、人間と化した漸は、軽やかに宙を舞い、距離をとる。
「……下朗が。身の程を知れ………!!」
漸の目には、鈍い白い光が入り、もはや獣の目と言っても過言ではなかった。ラルクは構える。
「お前……。我々と同じ類か……!!」
「貴様ら下朗共と一緒にするな。虫ずが走る……。錯夜様にそれ以上手を出してみろ。……貴様の命、ここで散らしてくれる……!!」
「……先程の姿からして、貴様、猫又か……。小動物風情が生意気な口を叩くとは、度胸があるな。誉めてやろう……」
「貴様の礼など……。ヘドが出る……」
漸は駆け出す。袖に忍ばせた脇差し程の刀を出し、その獣の様な目を持ってして、ラルクに向かい、横払いする。が、ラルクはその刀身を、素手で掴んだ。
「………!!?」
刀身にラルクの肌が食い込む感覚が手に伝わる。そしてそこを伝い、血が流れてきた。
「吸血鬼を嘗めないでもらおう……」
「吸血しか出来ない、餓鬼が……。大口を叩くな」
刀ごと漸の身体を部屋の壁に向かって払うと、漸は垂直に壁に足を付き、そのまま再びラルクに向かって、血の着いた刀身を振るう。ラルクは瞬時に両手の爪を伸ばし、その刀身と火花を散らしながら交える。
「…漸。やめろ……」
口を必死に動かし、喉からなんとか声を絞り出すが、漸には届かない。すると、錯夜の横に新手の人影が現れる。立派な顎髭を持った、年老いた老人だった。その者と目を合わせた瞬間、錯夜は頭を押さえられた。
「……ぐ……っ!!?」
「……若造よ。我らをほふりに来たのか……?」
「父上…!?」
ラルクが一瞬こちらを向く。老人は錯夜の頭を締め上げた。
「な……あ…………!!」
「ならば人間とて容赦せんぞ……!!」
「あ、あぁぁ…………!!!!」
「錯夜様!!」
掠れた悲鳴が響く。
しかし、それはすぐ止む。
「馬鹿が見る……」
錯夜のその発言の後、その部屋に突風が吹く。老人とラルクは腕で顔を庇い、足で踏ん張るが、窓ガラスが割れ、家が吹き飛ぶと同時にその場に倒れる。10秒もせず、風は止み、ラルクは直ぐ様立ち上がった。
「………!!!?」
ラルクは目を疑った。目の前には、生気を失った目をしてこちらに向かってくる、村民達がいたのだ。
『人間の血の匂い……』『何年ぶりだ……』『どこだ……。早く飲ませろ………』『どこだ、人間……!!』
「くっ! お前ら!! 何故外に出ている!! いくら我々が朝も行動出来るとはいえ、朝方は出るなとあれほど言ったはずだ!! なぜ!?」
「俺が頼んだんですよ」
ラルクが後ろを振り向くと、そこには、錯夜と漸がいた。錯夜は、先程まで苦しい顔をしていたのに、今は何事も無かったように、涼しい顔をして笑っている。
「彼女に、ね……?」
その後ろから、長細い藍色の袋を持った、一人の女の子が現れた。
「アイハード…!! お前……!!」「……もうやめてよラル!! こんな事もうやめて!!」
「………何を言っている! お前、今更その人間を逃すのか!?」
「ラル! 錯夜さんはいい人だよ! だからやめて、お願い!!」
ラルクは奥歯を鳴らす。
「その前にどういう事だ! 旅の人。お前には毒を流した! なぜ平然と立っていられる!!」
「彼女に解毒してもらった。……妥当な答えでしょ?」
「嘘だ! あの間のどこに、アイハードに解毒してもらう間があった!?」
「…じゃぁ、貴様が見ていたのは、何なのだろうな…?」
漸が見下す。ラルクは言葉を呑んだ。
「……若造。幻覚か……」
老人が起き上がりつつ、そう問う。
「ご名答。……流石、吸血鬼の長。頭の回転が早い」
「……幻覚だと!? 一体どこから………」
「君に首を噛まれてしばらくな。君が気絶した俺を見て、周囲を確認している間に、幻覚で出来た俺を、君の腕に抱かせた。そして、漸は最初から幻覚。レイアと一緒に、俺の血を村民の家の前からここまで撒いて来てもらったんだ。…ここに誘導するために」
錯夜はレイアから、細長い袋を受け取る。
「…だ、だとしても…!! 馬鹿な!! 幻覚だと!? ふざけるな、お前達には感覚も体温もあった! なのに…! くそ……! それに、猫又が幻覚を使えるなど……!!」
「ばぁか……」
錯夜は漸に合図すると、袋を結んであった紐の端を口に挟み、ほどく。漸はその横に並び、刀を構える。
「幻覚は、相手が思うほど強くなる。君とお父上は、自分達の有利な立場に勝気を感じたが為に、幻覚は本物へと実体化していった。……それに」
錯夜の発言が終わると、漸はラルクに剣先を向け、突っ込んだ。ラルクはすぐに爪を伸ばし、受け止める。その時の衝撃で、漸のフードが内側から風を含み、後ろにずれた。
「………!!? お前……!!」
「誰が猫又だって……?」
錯夜は言った。ラルクが見た物。フードを脱いだ漸の黒髪の中に、ピンと立った、黒い耳があった。それはどう見ても、猫の耳ではない。
「…まさか、お前………!!」
漸は離れ、錯夜の横に並ぶ。すると、錯夜は藍色の袋から、漆黒の鞘を取り出した。柄頭から、黒の紐で結われた紐が二本ゆれる。袋をその場に落とすと、その刀身を露にした。その刀身は、黒かった。黒く、朝日に鈍い光を反射する。
「…黒刀……!!?」
「……漸。解放!!」
その言葉の直後、二人の回りから、地面を這うように、黒煙が放たれる。漸の姿が黒煙が濃くなるに連れて、変わっていく。やがて二人の姿が見えなるが、それはすぐ晴れた。
錯夜の姿に変わりはない。が、漸の姿が、明らかに変わっていた。人間である漸の原型が無い。現れたのは、白銀の毛並みに、九本を持ち、赤と白のしめ縄を首に巻いた、狐だった。
「……白銀の……九尾の、妖狐………!!?」
ラルクは声を震わした。白銀の狐は、青い瞳をラルクに向ける。ラルクは思った。あれは間違いなく、漸の目だと。狐と化した漸が一歩動くと、しめ縄の端に付いている金色の鈴がリンと鳴る。そして喉から唸り声を上げた。
「漸、待て…。まだ手を出すな。面白味が無くなる……」
錯夜が頭を撫でると、漸はいつも通り、錯夜に甘えた。尾を微かに振り、耳を垂らして、甘えた声を出す。
ラルクは、後ろに一歩下がり、息を震わした。視点が定まらず、冷や汗を流し、頭を押さえた。錯夜はそれに気付くと、ラルクの方を見て、黒刀を肩に担ぐと、怪しく笑う。
「…どうしたんですか? まるで、``狐につままれた様な顔``をして……?」
「………!? ………?? ………!!?」
錯夜は、真っ正面からラルクを見ると、皆に聞こえるように、しかし、囁く様な声でこう言った。
「………存在証明。始めましょうか………」