:東の大嘘つきと正義4
レイアが起きないようにと、静かにその部屋のドアを開け、猫になった漸をコートのフードの中に入れて、玄関に向かった。ドアに手をかけ、怪しまれない様にと、ゆっくりドアのブをひねり、押した。
が、外に出た瞬間、風が一気に吹き抜けた。
「………………!!」
錯夜を迎えたのは、早起きした村民達ではない。森の木々の間を抜ける風だった。呼吸などいつも自然にしているが、今は自主的に呼吸したい。一瞬でそう思った。錯夜は一気に空気を吸い込み、一気に吐いた。
「…空気に、味があるみたいに、うまい……」
錯夜は目の前に流れる大きな川に走った。朝日が木漏れ日となり、水面を照らし、昨日の昼に見た、あの川より、吸い込まれそうな程に透き通っていた。
錯夜は水の中に両手をゆっくりと入れた。
「……すごい冷たい………」
指の輪郭線が揺れる。錯夜は生唾を飲み込むと、両手の平で、水をすくいあげ、口に運んだ。
「…ミャア」
フードの中で漸が鳴く。肩から顔を出すと、錯夜の口の端から水が流れてくるのを見つける。漸は直ぐ様舐め上げた。フードの中から出ると、その横で水を飲み始めた。
「……うまい。ただの水じゃないみたいだ………」
「ただの水ですよ」
聞き慣れない声に後ろを振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。
一枚の淡い青の着物を着ていて、顔立ちは落ち着き、青に近い黒髪の下の金色の瞳が印象的だ。
錯夜は手の甲で口元を拭うと、青年の方を見て立ち上がった。
「貴方が、アイハードの家に拾われた旅人ですね?」
「……そうですが、貴方は?」
「村長の息子、ラルク・ディレイスです。父が家でお待ちしています。こちらに」
ラルクは歩き出した。錯夜は手を漸に差し伸べ、漸はそこを辿り、フードの中へ入ると、その後を付いていく。錯夜は辺りを見渡した。村民が誰一人といない。そんな早起きした訳でもないが、窓も全部閉まっている。
「朝はこんなに静かなのか?」
「…そうですね。長年この村にいますが、朝が騒がしい時はありませんね」
「…君は、生まれはこの村だよな?」
「えぇ。…貴方はどこから?」
「申し訳ない。仕事上、他人には出身も本名も言ってはいけないことになっていてね……」
「………仕事…ですか」
「えぇ。……幾つか質問していいかな…?」
「どうぞ……?」
「この村には…、何か風習や伝統。または、伝説とかあったりする……?」
ラルクは足を止めた。慌てて釣られて足を止める。ラルクは錯夜の方を見る。
「…お時間よろしいのであれば、軽くお話ししますよ」
「………そっちの時間も良ければ…是非」
「……では」
その一瞬、ラルクは錯夜との距離を一気に縮めた。錯夜が一言漏らした時には、ラルクは錯夜の手首を掴み、口を耳元に近付け、こう言った。
「……この村に来たのが、運の尽きでしたね……」
「………!?」
「……貴方はここで命を落とす……旅の人……。我々の命になって下さい……」
「……お目覚めですか?」
ラルクの声が聞こえ、錯夜は目を開け、跳ね起きた。
「つ………っ!!?」
すぐに首を押さえ、あまりの激痛に力が抜てしまい、枕に頭を勢い良く落としてしまう。
「はぁ…はぁ…はぁ……。なんだこれ……身体が熱い……」
意識を持ち始めてすぐ、汗がじわりと滲む。ラルクが右側の視界に入ると、その手が、錯夜の首に当ててあった手をどける。
「……一体、何を……」
「申し訳ない。我々は、こうでもしないと生きていけず…。父からは、実際にこうしてもらった方がわかりやすいと言われまして。手荒な真似をしてしまいました。父はもうしばらくかかるので、待っていて下さい。……貴方の飼い猫もお怒りのようで…おっと」
ラルクは錯夜の首から手を離す。錯夜の首もとでは、漸が毛を逆立て、威嚇する。今にも飛び掛かりそうな勢いだ。
「……よせ、漸。手を出すな」
棘の様に逆立った漸の毛並みを撫で、落ち着かせる。
「……俺に、一体何をしたんだ……」
もう一度問うと、ラルクは先程錯夜の首に触れていた手を見せる。その指先には、赤い液体がついていた。
「……血?」
ラルクはそれを舐め上げた。その際、口元から覗いたのは、鋭い犬歯だった。
「……ここは、吸血鬼の村です。先程、貴方の血をいただきました。アイハードもよく耐えたものです。……久しぶりの人間に、吸血衝動で理性を失ってもおかしくないのに。…そして、今、貴方に毒を流しています。ご理解ください。他の村民に知られたら、危ないの一言で済みませんから……」
「………吸血鬼……? じゃぁ、あんたらは……」
ラルクは目を細める。
「…あなた方、政府の犬は、我々の様な者を、『何者かである者』と、言うんでしょう…?」