:東の大嘘つきと正義
東の空は晴れていた。
その下の荒野を駆け抜ける一台の黒バイクに、一人の若い青年が乗っている。
膝を軽く越す黒のロングコートに、中には白いシャツ。手にはグローブがはめられ、足元はブーツ。色白の肌が瑞々しいところを見ると、歳は十代後半から二十歳ぐらいだろう。ゴーグル越しの瞳は藍色で、黒髪が向かい風に舞う。
だだっ広い荒野の道は激しく揺れ、青年は溜め息をついた。
変わりない景色は全て土色で、果てしなく続くその道を進む。溜め息を何回ついたか、青年にはわからない。
「……あ」
一言漏らしたその先に、青年は緑を見つけた。森だ。
「………漸。喜べ。森だぞ」
すると、青年のコートのフードが、動く。小さい黒い三角の耳が見えたと思えば、その中から、黒猫が頭を出し、青年の肩越しから前を見る。
「とりあえず、あの森で一旦休もう。暑いだろうが、もうちょっと待っててくれ」
猫は無言でフードの中に隠れた。
森の中は静かだった。青年は、入って数十メートルでバイクを降り、押しながら前に進む。深緑な森の中は、木漏れ日が降り注ぎ、鳥の囀りが聞こえる。
「やけに静かだな…。森はそれほどの大きさじゃなかったが……」
その時、目の前に隣の茂みから出てきたであろう、茶色い兎が二匹横切る。
「………なにも無ければいいが……な」
「なにが起きると言うんです?」「うわ!? ……って、漸!」
青年の横に、背の低い少年が立っていた。
全身黒のローブで覆われていて、頭にはフードを被っている。襟足の長い黒髪は癖毛気味である。青い瞳は、青年を横目で見つめていた。
「……いきなり出てくるなよ。心臓に悪い」
「そうでしょうか……」
漸と呼ばれた少年は、辺りを見渡すと、大きく息を吸い込んだ。
「………! 兎の匂い…!」
「まずは水だ。ほら行くぞ」
「ところで錯夜様。失礼ですが、ここは一体どこですか?」
「森」
「いえ、そういう事で無く………」
漸は道の先を親指で示した。
「この奥に、記録する者がいらっしゃるのですか?」
「いないさ。仕事でもなんでもない。立ち寄っただけだ」
「貴方らしい………」
目を細める漸。錯夜と呼ばれた青年は、薄く笑うと、再びバイクを押しながら進み始める。漸はその後を付いて行った。しかしすぐに足を止めた。
「くん……。水の匂い……」
「漸………?」
漸は駆け出した。
「錯夜様、早く! 近くに水があります!!」
「あ、おい。漸!」
俊足だった。漸の姿はもう見えない。錯夜は溜め息をつくと、ゆっくりとバイクを押した。
木の道を抜けると、日にあたり、きらきらと流れる川が見えた。漸は既にその川で顔を洗っていた。錯夜が来たのに気がつくと、濡れた顔を向けてきた。
「飲めるか?」
「冷たくて、すごく美味しいです。錯夜様もいかがですか?」
錯夜は、バイクの荷台の荷物からタオルを引きずり出すと、それを漸に向かって投げる。バイクのスタンドを立て、錯夜も川辺に腰を下ろす。グローブを外し、両手で水をすくい、口に運んだ。
「……うまいな」
そう言うと、再び水をすくい、飲む。喉仏が上下し、ごくりと鳴る。食道を通るに限らず、全身に行き渡る感覚が、たまらなかった。
「錯夜様、水筒…」
漸がステンレス製の水筒を差し出す。お礼を言い受けとると、川の中に水筒の口を沈めた。
「…とても静かな所ですね。ものすごく落ち着きます」
「あぁ。…少し休んでからこの森を抜けよう」
「……………」
「どうした?」
錯夜は水筒の蓋を閉めると、バイクのそばにある木の根本に腰を下ろす。
「いえ。錯夜様の事ですから、てっきりここで野宿するのかと思ったのですが……」
「それも悪くないが、ちょっと気になってな…」
錯夜はコートのポケットから木の枝を取り出した。
「それは…?」
「さっき来る途中で見つけたんだ。ここに、赤い色で、マーキングしてある」
「マーキングというと、まさか……」
「あぁ。おそらくはこの近くに村がある。木材で作ったらしい罠も確認出来たしな。…何より、道がくっきり分かる。人が通ってなければ、こうにはならないだろ」
今まで歩いていた道は、しっかり土肌が見えていた。
「村に泊めてもらった方が、森の中より幾分かマシだろ? 俺、二度と寝てる最中に兎に叩き起こされたくないからさ」
「そうですね。僕も眠くなってきました」
漸は、重く膝を落とすと、錯夜の膝に頬を擦り付け、そのまますやすやと寝息を立てた。
すると、漸の身体が、黒い煙に包まれていく。しばらくして晴れると、そこには先ほどまで、錯夜のフードの中にいた黒猫が、錯夜の膝で丸くなっていた。
錯夜は、その猫の頭を撫でる。「漸。俺から見れば、お前の方が気分屋だよ」
「ミャァ………」