第7話 標を追う者ども
「ったく……。うちの姫さんも、もちっと落ち着きが欲しいもんだ」
そうぽつりと呟いたのは御者台で手綱を握るクレスだった。何気なく呟いたそれは、荷台に乗っている本人にもしっかりと届いていたらしく、「あっそ」と簡単な返事だけが返ってきた。悪いとは微塵も思っていないらしく、文句言うならもっと急ぎなさいよとでも言いたげなオーラがクレスの背中越しにびんびんと伝わってくる。
やれやれと内心でため息を吐きながら、ちらりとクレスは後ろの荷台を見やった。
どこぞの冒険家にも見える地味な服を纏い、ナイフを腰に差しているリリー。目立つ金髪は後ろで纏められており、ダメ押しとばかりにベージュの帽子も被っている。【世界の巫女】でありながらその行動力はクレスの感心するところでもある。
そして、その隣であわあわと落ち着かない様子のリースは、クレスから見れば従者にしては頼りないといった印象を持っていた。
二人と知り合ったのは、随分と昔の話になるが、そのことはよく覚えている。
クレスがまだ騎士団にいた頃、二人の少女は自分のもとへやってきては、彼の武勇伝を聞きに来たものだ。もっとも、相手をするのも面倒くさかったので適当に嘘でもついて逃げていた記憶があるのも確かだが…。
「クレス、このまま行ってたら森に入るのは夜になっちゃうわよ? もっとスピードを上げれないの?」
にゅっとすぐ近くに顔を出し、リリーは口を尖らせる。
出てきた額に狙いを定め、クレスはデコピンを放った。「キャッ!」と可愛らしい声を上げ、額を押さえて蹲る。ジトッとした目でクレスを睨むが、本人は素知らぬ顔である。
「なにするのよ」
「馬鹿な依頼人にデコピンやっただけだろ、気にすんな」
その言葉にひくひくとリリーは口端を引きつらせた。お返しでもしようとしているのだろう。こそこそと自分の従者と内緒話をする姫を見て、肩を竦めたのだった。
幻惑の森は王都から数十キロも離れた場所にある。徒歩で行けば1日から1日半はかかる距離で、そこに行く大抵の人間は時間短縮のために馬車や騎乗用の獣を使う。
彼女らもその例にもれず、馬車を借りて幻惑の森へと向かっていた。
「だから私はラビナーの方がいいって言ったのに…」
「ラビナーは金かかる上に…、お前乗れねえだろ。おまけにクックルは全部借りられてたし、いいのが馬車しかなかったんだよ」
言葉に詰まり、リリーは顰め面でそれに答えた。
ラビナーは移動に使われる獣で、頭部から尾の付け根まで走る、背中の褐色の毛が特徴的だ。そのスピードは地上では最速と言わしめるほどだが、その分気性は荒く騎乗にはかなりの技術を要求される。
それ故に、ラビナーを借りる猛者は少ないのだが、そのスピードの捨てがたさからごく少数からは重宝されていた。
それに対し、誰でも乗りやすいようにと調教されたのがクックルと呼ばれる鳥だ。
鳥でありながらその翼は進化の過程故か衰退しており、足の筋肉が発達している。空を飛ぶのではなく、地上を走り、荷物や人を運ぶ少々異風な鳥だ。
こちらは比較的大人しく、よほどのことがない限りは人懐こい性格なので今ではこちらが使われることが多い。
繁殖力も高く、それぞれの町にも借りられるクックルの数は多いのだが、今回は生憎とすべて借りられており、仕方なくクレスたちは馬車と馬を借りたというわけだ。
「これからが心配だわ…」
お前の無鉄砲の方が心配だよ、と危うく口に出しそうになってコホンと咳払いをする。そして何事もなかったかのように前を見続けるクレスに、つと訝しげな視線をやり、リリーは馬車の中へと戻っていった。
クレスには彼女が急ぐ理由も分かる。仮にこの世界に勇者などというものが現れたとしたら、国の幹部たちはこぞってそれを手に入れようとするだろう。そうなれば争いは避けられない。それこそ、数十年前にも起きた騒乱にも匹敵する時代が訪れることは、火を見るよりも明らかだ。
しかし、クレスにはその勇者自体が災厄の種をばら蒔く存在に見えてならない。
勇者あるところに必ず救いはある。しかし、それがこの世界に姿を現すときには必ず動乱が起きている。
動乱が勇者を呼ぶのか、勇者が動乱を呼ぶのか。
「きゃああぁぁぁ…!!」
そこまで考えて、クレスの思考は突然に響いた悲鳴に中断させられた。
「…!? クレス、今の!」
中にいた二人にも聞こえていたらしく、リリーに至っては馬車から勢いよく馬車の中から飛び出してきた。
「ああ、誰かが異形にでも襲われたんだろうよ!」
手綱を握り直し、馬に鞭打った。
馬は甲高く嘶き、それまでの速度が嘘であるかのように猛進を開始する。
「クレス! やっぱりもっと早く走れたじゃない!」
いつの間にかクレスの隣に座っていたリリーが前を凝視しながら叫んだ。
「うるせぇ! そんなことしても到着は夜で森には入れやしねえよ! それより遠見はできるのか!?」
「今やってるわよ!」
リリーの身体からふっと淡く白い光が立ち上る。周囲のマナを吸い上げ、魔法を行使している証だ。
クレスはそれを一瞥するやいなや馬の制御に全力を注ぎ込んだ。これだけスピードを上げていればその制御の難度も先程に比べれば遥かに高い。針の穴に糸を通すように繊細に、かつそれでいてスピードは落とさずに…。じっとりと嫌な汗をかく作業だ。
「見えた…!」
「今どうなってる?」
「2人…、いえ、3人の人が2匹の異形に襲われてる。しかも…厄介なことにウルフォスよ」
「クソッ! 森の奥から出てきやがったのか」
「距離はもうないわ、急いで!」
盛大に舌打ちする。これ以上はスピードは上げられないが、近かったことは幸いだろう。
願わくば、自分達が間に合う前には…。
果たして、その願いは聞き届けられたのだろうか? リリーの遠見から数秒後には目的の姿を視認することができた。だがしかし、それは今まさに1匹の獣が、一人の少女をかみ殺そうとする瞬間だった。
§
2匹の狼と会った時、ただ運がなかったんだ、とおばあちゃんは言っていた。
涎を垂らして追いかけてくる赤い目のそれはどうしようもなく私を怖くさせて、私は泣きながらおばあちゃんの服を握っていた。
おじいちゃんは馬を必死に走らせて、私たちから狼を離そうとしていたけど、それでも追いつかれて馬車から投げ出された。
地面にからだがこすれて、じんじんして痛かった。
でも、本当に怖かったのはそれからだった。
起き上がった私のすぐ目の前にはあの狼がいた。
「…あ………ぁぁ………!」
食ってやろうかと言いそうな白く光る牙と喉の奥から響いてくる唸り声。それで目の前の生き物が本当に化け物なんだってことが分かってしまって、私の体はそれからピタリとも動かなくなってしまった。全身がびりびりして動かなくて、のどはからからで乾ききっていて、震えと涙が止まらなかった。
遠くからおじいちゃんとおばあちゃんの声が聞こえたけど何を言っているのか分からないほどに怖くて、それでも私は目を瞑ることができなかった。
私ここで死んじゃうんだって思ったら、いつの間にか私は尻もちをついてがくがくと震えながら狼を見上げていた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
頭の中がそれだけでいっぱいになって、狼が大きく口を開けた時…。
「間に…、合えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
私の目の前を凄い速さで何かが通り過ぎた。
そのすぐ後に物凄い音がして、そっちを向こうとしたらふわりと柔らかいものを頭からかけられて、私の世界は黄色いものでいっぱいになった。
「もう大丈夫よ。怖くないから」
ぎゅっと誰かに抱きしめられながら女の人の声が聞こえた。
黄色いものがふわりと無くなって、そこから女の人がにこにこ笑いながら私を見下ろしていた。
その体がとっても暖かくて、体のびりびりがなくなったから、気が付けば私はわんわん泣いていた。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言われて背中をさすられて、私は泣きながらだんだんと眠くなって…、
「ゆっくりお休みなさい…」
いつの間にか重い目蓋を下ろしてしまっていた。
§
スタリと地上に着地する。どうやら間に合ったらしく、老夫婦と少女は依然としてクレスの後ろにいた。
咄嗟の判断にしては正解だった。あれがなければ少女は間に合うことなく、その命を散らしていただろう。
ぎろりと眼前の敵を睨みつける。1匹は先程の一撃でよほどダメージを負っているらしく、身体の動きはぎこちない。
「てめぇら…、よくもやってくれやがったな…」
投げた槍を再びその手に呼び戻す。大地に突き刺さっていたそれは彼の呼び声に応え、ドクンと脈動してフッと彼の手の中に現れた。
「この俺の目の前で人を食らおうとしたこと…、死にながら後悔しろよ、クソ狼ども」
ゆっくりと槍を構え、気力を身体に巡らせる。怒りは闘志に、闘う準備はとうにできていた。
逃すことはない。否、彼には逃すつもりもない。ここで抹殺すると固く誓う。
自らのテリトリーを出てきてまで人を食らおうとした。それならば、人間に殺されたところで文句も言えるはずもない。
ウルフォスは低く唸り、自らの食事を邪魔した障害物に殺意を向けた。一匹がもう一匹を庇って前に出て、その牙を剥き出しにして威嚇する。
クレスはそれを鼻で笑う。歴戦の戦士が今更怖いという感情を持つわけがない。
身体を軽く捻る。次の瞬間、チッと音が鳴ったかと思うと、彼は槍の射程圏内にウルフォスを捉えていた。
反応が間に合わない。ウルフォスの視線は依然として彼のいた場所に向けられており、間合いを詰められたと分かったのは反転し、落ちていく視界を見てからだった。
鮮血が飛び散る。ごとりと首が落ち、ウルフォスの体は血だまりの中にどっと倒れた。
「まずは一匹」
ゆらりともう一匹に向き直る。負傷し、動けないウルフォスは赤い目でクレスを見つめながら荒い息を漏らしていた。
フンと鼻で笑い、槍を構える。その切っ先は抹殺すべき対象に。
狼が吠える。最後の抵抗とばかりに傷ついた体を引きずり、クレスに突進した。
しゃらん…。鈴のような音が響く。すると、狼は突如として突進をやめ、その動きを止めた。クレスはその狼を鋭い眼差しで睨みつける。
「月影」
ずるり…。
その言葉が告げられると共に狼の体が縦にずれた。左右に割れ、綺麗なまでの切断面を晒す。直後、身体がパシン!と耳障りな音とともに煙へと姿を変えた。
それは一瞬の出来事。
それを一瞥してくるりとクレスは背を向ける。自分の役目を終えた彼には地面に転がる死体には何ら興味はない。クレスは彼の背後で無事でいることができた5人を見ながらフゥと息を吐いたのだった。
§
「ありがとうございました、旅のお方」
老夫婦は揃って私達に頭を下げた。
ニコニコと笑う二人はとても人柄がよさそうで、本当にほっとしたような顔だった。
「いや、魔物に襲われてるのを見てりゃ誰だって助ける。俺らもそれをしたまでさ」
「それでも、お礼を言わせてください。私達はあなた方がいなければあの獣の餌となっていたでしょうから」
なおも礼を言う老夫婦らにクレスはよそを向きながらポリポリと頬を掻いていた。照れて困っている彼を見てクスリと笑う。ジロリと横目で睨まれたが鼻歌を歌いながら無視してやる。
「この子も無事で本当に良かったです。この子は…私たちにとっての希望ですから」
老婆が手の中で眠る少女の頭を撫でる。緊張が解れたのか、彼女は私が宥めているといつの間にか眠っていた。
無理もない。いきなりあんな事態に遭遇したら、それもこんな幼い子ならごく普通の反応だ。
「では、わしらはそろそろ行きます。少々急いでおりまして」
「まだ異形が出ないとも限りません。十分に道中でも警戒なさってください」
「はい。もうあんな目に合うのはごめんですからな」
ふぉっふぉと笑いながら老夫が歩き出す。老婆もぺこりと頭を下げてそれに続いた。
自分たちの馬車を貸すことも提案したのだけれど、「もう街も近いから」とやんわりと彼らに断られた。
「大丈夫でしょうか、あの人たち」
「近くに街があったから大丈夫だろ。ここからなら徒歩でも10分はかからん」
「無事を祈りましょう」
そう言ってひょいと馬車に乗り込む。リースも私を追いかけるように慌てて馬車に乗り込んだ。
道草を食ってしまったせいで目的地に着く頃には夜になってしまいそうだ。だけど、人の命に比べればその程度なんてことない。いざとなれば一人で入る覚悟もある。
「さぁ行きましょうクレス。目的の場所はもうすぐそこよ」
ラビナー…頭部から尾の付け根まで走る背中の褐色の毛が特徴的な、最速と称される騎乗用の獣。乗るにはかなりの実力を要求される。
クックル…足の筋肉が発達している地上を走る騎乗用の鳥。最大で2人まで乗ることができ、温厚な性格をしている。
ウルフォス…森の奥に住む狼が変異した異形。獰猛な性格だが、自分のテリトリーである森から出てくることは珍しい。
<お知らせ>
こんにちは、鋼鉄侍です。
長らく更新を空けてしまい申し訳ありません。
生活で時間に余裕ができ始めたので、もう少しはやく投稿できるようになると思います。
お待たせさせてしまい本当にすみませんでした。
12/9 改稿
12/10 修正
2014/05/05 改稿