第6話 要請
今回は短めです。
王都シュヴァイツはヴァネッサ王国の中央に位置する街だ。その規模は国内のどの街をも凌駕し、他の国のものと比べても遥かに大きい。それ故に、街には人が集まり発展していく。
シュヴァイツは、ヴァネッサ城の周囲にできた城下街であり、立ち並ぶ露店や第一級教会【涙碧苑】が有名だ。中でも【涙碧苑】の存在は大きく、毎年1万人を超える巡礼者がここを訪ねては他の国へと旅立っていく。そのせいか、この国では女神アルテミアを信仰する傾向が強い。日々の生活の中でも女神アルテミアに感謝を告げる機会は少なくない。
また、物の流通もよく治安も悪くないため、この国に骨を埋める冒険者や傭兵も多く、それもこの国が発展する要素の一つなのだろう。
そんな彼らがこの国で自らの生計を稼ぐために作り上げたものがある。
それは通称でギルドと呼ばれ、今や多くの冒険者や傭兵が所属している。
ギルドでは町人ないしは貴族、役人といった人物から請け負った仕事や依頼を冒険者や傭兵に提供している。そして、それを引き受けた冒険者たちが無事仕事を終えることができれば、仲介料を差し引かれた代金もしくは物品が依頼主から引受人へと支払われる。これがギルドの基本的システムであり、簡単に言ってしまうならばギルドはただの仕事の斡旋機関のようなものなのだ。
このシステムが発案されたのは随分と昔の話になる。少なくとも、このヴァネッサ王国が建国されてから今に至るまでの時間と比べても大差はなかったはずだ。
この国で最大のギルドは【片翼の蒼龍】。所属する人間の実に6割が全冒険者の中でもトップの実力を有し、1年のクエストの失敗率は10%未満――たいてい、どこのギルドもクエストの失敗率は2桁だ――という驚異的な数字を叩きだしている。
その中でも注目すべきは、全冒険者の憧れである『勇士』の存在だ。
『勇士』とは人類がとてもなし得ることのできないような偉業を果たした者に与えられる称号で、その数は世界でも五本の指で数えきれるほどしか存在しない。その内の二人が、【片翼の蒼龍】に所属している。それもまた【片翼の蒼龍】がトップを誇り続ける要因の一つでもある。
私が旅の同行にクレスを起用したのは、その辺りも関係してきている。
クレス・レンディオ。【片翼の蒼龍】に所属し、『槍滅士』の二つ名を持つ槍の『勇士』だ。彼の鋭い鷹のような目つきとがっしりとした強面は何者をも寄せ付けず、クレスを孤高の存在へと昇華させていた。しかし、その外見とは裏腹に情に厚い一面やユーモアに溢れた一面も持ち合わせている。
また、元王国騎士団でもあるため、彼との付き合いもそれなりにある。私が彼に会いに行くときまって私を馬鹿にするから躍起になって会いに行ったものだ。それでも彼から一本取れたためしはない。
彼の実力は確かであり、以前王都付近に出現した恐竜の群れを一人で掃討したという伝説すらある。その話の真偽は定かではないが、それを裏付けるほどの実力を彼は持っている。
だから、無事彼に護衛を頼むことができた時には内心ほっとした。急な予定故に、彼とのすれ違いを危惧したが、それも杞憂に終わったのだった。
適当に入ったカフェで3人して席に座る。ウェイターに各々ドリンクを注文して一息ついた。
「それで、何の用だお姫様?」
相変わらずの雰囲気を纏い、彼は私に尋ねた。その口端はニヤリと吊り上げられており、仕事の内容を知りたくてウズウズしているといった様子だ。
それもそのはず、この世の人間なら誰もが知る【世界の巫女】の依頼なのだ。その難易度は遥かに高いと予想するだろう。
だけど、残念ながらというべきか、私は彼の期待を裏切らなければならない。私の目的はあくまでこの世界に現れた勇者を早急に確保し、保護すること。隠密に行動すれば敵との衝突もない。それに、勇者の出現の探知は【世界の巫女】たる私にアドバンテージがある。
「いい加減そのお姫様っていうのもやめてくれない? 私も今年で16なの」
「そりゃ失礼」
クレスはまるで反省していないようにくつくつと笑う。そこに突っ込めば彼の思うつぼだ。私は鼻を鳴らしてそれを流すとすぐに本題を切り出す。
向かう先は幻惑の森、彼にそう告げると納得するように頷くと同時に渋い顔をした。
「なるほどな、それでそんな地味な格好を……」
ちらりと向けられた視線の先には、お目付け役が見れば卒倒しそうな恰好をした私の姿だった。
姫という身分とは程遠い、探検家のような格好に前につばのある帽子。腰にまで届いていた長い金髪は纏め上げて後ろで括ってある。腰には護身用のナイフも刺しているが、これの出番が来ることは恐らくないだろう。全体的にベージュを暗くしたような色で、周囲から見れば休んでいる探検家にしか見えないはずだ。
リースもまた私と同じ服を着ており、腰にはナイフではなく杖を提げている。
「しかしまぁ、アレのためだけによくそこまで行動できるもんだ」
「あの存在はこの世界にはあまりにも大きすぎる。それも、こんな戦時中ならなおさらよ」
「違いねぇ。最近戦争に加担する依頼も増えてきやがってる。どこかの国がとり込んだら、間違いなく戦況は傾くだろうな」
かつての勇者の詳しい資料というのは残されておらず、その実力は明らかにはされていない。しかし、勇者は存在するだけでその周囲に影響を及ぼす。
たとえば、仮にどこかの国が勇者を確保したとしよう。そうすれば、その国は他の国に比べてかなり優位に立つことができる。勇者という存在を名目にして、徴収、侵略とあらゆる策を弄することができるのだ。何か抗議されたとしても「全てはこの世界を救うため」の一言で事足りる。
勇者、それはこの世界の希望でもあり、絶望の種でもある。
一度その扱いを誤ればこの世界の破滅を呼ぶことすら可能なのだ。
「だが、リリー。そりゃこの国も同じじゃねぇのか?」
クレスの言葉にぐっと言葉が詰まる。予期していていたはずの言葉に私の口は容易く動かなくなってしまった。
「あらかじめ断っておくが、俺はこの国がそれなりにいい国だってのは分かってる。お前の親父さんたちが悪い人じゃないってのもな」
クレスはただでさえ鋭い目つきを更に細め、より一層厳しいものへと変えた。それはまるで何かを忌々しく思うかのようで、底冷えのするような目だった。
「力ってのは人を魅了し、人格を変えることすらある。それはお前の親父さんだって例外じゃねぇ。お前はそれをどう考えてるんだ? 俺はそれを聞かない以上、力にはなれないな」
「私は……」
私はお父様とお母様を信じたい。あの人たちだけは絶対に変わることはないと信じたい。それがたとえ身内による妄信だとしても、この想いだけは変わらない。
だけど、クレスが言うこともまた真実だ。絶対に力に魅了されないなんて保証は私にはない。
「お嬢様……」
右手の拳がふわりと柔らかいものに包まれた。それはとても暖かで、優しくて、私の手を包んでいたのがリースだと分かったのはその数秒後だった。
隣のリースは唇を震わせながらもギュッと引き結び、私の瞳をじっと見つめている。その瞳に映る私は随分と硬い表情をしていた。
……そうよ、答えは最初から決まっているじゃない。今ここで、私に引き下がるという選択肢はない。私には私の使命がある。誰に何と言われようと私は私のやるべきことをやらなければならない。
「私は、お父様とお母様を信じる。あの二人は変わらない、絶対に……!」
「ほぅ……」
クレスの声が恐ろしく低くなった。聞くこちらが緊張するかのような重低音。今までの私には向けられたことのない明らかな敵意。
「お前のその無茶な考えはどっから出てきた? 根拠がないなんてアホみたいなことはぬかすなよ」
「私はあの二人を信頼してる、それが十分な根拠だと思うけど?」
「お前のその選択が間違っていたら、この世界は破滅するかもしれないぞ?」
「そんなことはさせない。その時には……」
「私がこの命を賭けてでも止めてみせる」
真っ直ぐと、彼から目を逸らさずに私は言い切った。
彼は依然として表情を変えない。睨みつける目は相変わらず私に注がれており、固められた表情もぴくりとも動かない。
そんな状態が何分続いたのだろうか。不意に彼はフッと笑うと、両手を軽く上げた。
「分かった分かった、俺の負けだ」
あの雰囲気がまるで嘘のようにがらりと変わる。細められた目も、強張っていた表情もいつも通りの彼に戻っていた。
「え、じゃあ……」
「ああ、その護衛の依頼受けてやるよ。まったく、強情なところは親父さんそっくりだな」
「……私はお父様より素直な方よ」
そう言う私に、彼はやれやれと肩を竦めた。
何とか協力を取り付けられ、一息吐く。椅子に背中を預け、強張っていた筋肉を弛緩させた。
その時、ちょうどいいタイミングで注文した品が運ばれてくる。クレスの前にはコーヒー、リースの前には紅茶、そして私にはホットミルクが置かれた。
またクレスがからかうような視線で牛乳と私を見比べる。ニヤニヤと笑う表情の下では、きっと私をからかうためのセリフを用意しているに違いない。私はその視線を気にしない振りをしながらカップに口をつけた。
「それで、いつ出立なんだ? まさかこれからなんて馬鹿みてぇなことは言わねぇだろうな」
「あら、随分と察しがいいわね。そう、そのまさかよ」
してやったり、とばかりにニヤリと笑ってみせる。
彼は呆れ果てた顔で私を見、次いで仰々しくため息を吐いたのだった。
クレス・レンディオ…【片翼の蒼龍】に所属する『勇士』。槍を使うことを得意としており、その実力から『槍滅士』の異名を持つ。
<お知らせ>
どうも、鋼鉄侍です。
最近かなり更新が遅れてしまって申し訳ありません。
というのも、1週間に執筆できる期間が1日半しかないということもあり、中々進まない次第です。
なるべく早めに投稿はしようと思っています。
読者の方々、これからもよろしくお願いします。