第9話 巫女というモノ
風に青い髪をたなびかせ、さも自信ありげにその男は経っていた。まるでそうあることが普通であるかのようで、その立ち姿に揺るぎはない。
俺もレンも突然の乱入者にぽかんとしたまま動くことができなかった。
その手には血塗られたような深紅の槍。表面には何か模様が彫ってあるようで、それがなおさら禍々しさを醸し出している。ごつごつとしたランスというよりは、細いスピア型の槍だ。
あれほど存在感を放っていた黒い獣は今や地に倒れ伏し、黒い煙を上げていた。と思うと、突然にその姿が黒い炎に包まれ、その体を焼いていく。腐った肉が焼けるような腐臭が鼻をつく。その残り香をまき散らしながら獣は消えて行った。
「大丈夫か、坊主に嬢ちゃん」
「あ、ああ」
レンに視線を投げると、手を軽く振って怪我がないことをアピールしていた。
男はその答えに満足げな表情を浮かべ、そしてあの獣が燃えていた場所を調べ始めた。その顔つきは、何物も見逃さぬと言わんばかりに厳しい。
「ちょっとクレス! あんたは一応私たちの護衛なんだから……、ってあら?」
「お二人とも待ってくださいよ~」
木陰から少女と女性が現れた。その恰好はいかにも探検家で、目立たないようなベージュ色で全身を仕立て上げている。
少女はこちらに気付いて立ち止まり、後ろから追いかけていた女性はそれに気づくのが遅れ、わわと慌てた後に誰もいない地面に自ら転びに行った。
「う…うぅ、痛いです…」
「何やってんのよ。ほら、立てる?」
「はいぃ。すみません」
まるでコントの一シーンのようで場にそぐわない空気が漂う。少女はその空気を察したか、コホンと咳払いすると男に向き直った。
「で、あんたは何してんのよクレス?」
「見て分かんだろ。調査だよ調査」
少女は訝しげな顔をしていたが、クレスとよばれた男の調べている地面を見て納得したらしい。
数秒それを見つめた後に、彼女はこちらへ向き直った。
「ってことは、貴方たち異形に襲われたのね? 傷はない?」
「俺たち二人は無事だ」
「そう、よかった。でも気をつけなさい。こんな場所には異形がうじゃうじゃいるんだから、護衛を付けるなり腕の立つ人を連れてくるなりしないと次は本当に死ぬわよ?」
「すみません…」
もっともらしい正論を述べられ、素直に頭を下げるレン。だが、その時にちらと見えた表情はなぜか硬く、口はへの字に結んでいた。
少女はうんうんと頷いた後に、くるりと周りを見渡した。その仕草はまるで何かを探すようだったが、その視線は空から徐々に木々へ、そしてだんだんと下がっていき、最後には俺へと辿り着いた。
目を細め、まるで睨むように俺を見た後に彼女は小さく「ふぅん…」と呟いた。
「ねぇ、貴方」
「俺か?」
「そう、貴方よ。貴方……」
「貴方、一体何者?」
途端、場の空気が一変する。今まで地面を見ていた男は眉間にしわを寄せ、女性は驚きに満ちた顔で俺を凝視した。
殺伐とし始めたその訳が分からず首を傾げる。対するレンは唇を噛みしめ、先程とは打って変わって敵意に満ちた瞳で彼女たちを見つめていた。
「変な魔力があるわね…。いえ、これは…」
ザッザッと地面を踏みしめ、何かを確かめるようにゆっくりと俺に近づいてくる。
何者も何も俺はただ人間で高校生だ。そう答えようとして、レンが手でそれを制した。
「助けてもらったことにはお礼を言います、ありがとうございました。では私たちはこれで失礼させていただきます」
「幾つか聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「すみません、先を急いでいるので」
レンはそう言ってすぐさま俺の手を取り、もと来た道を早足に歩き始めた。
「全く…、人の話は最後まで聞くものよ」
背中越しにそんな少女の声が聞こえ、そして幾条もの光が地面を迸った。
その光は凄まじい勢いで地面を走り、一定の距離まで行くと垂直に空へとのぼり始めた。チチチチと千鳥の鳴くような音とともにやがて光は空の一点に収束した。
「…………!?」
「何も手荒なことをしようってわけじゃないわ。ただ幾つか聞きたいことがあるだけ」
「時間が惜しいのです。この拘束を早く解いてもらえませんかね?」
レンはお座なりにそう言って少女の顔を睨み付けた。その時見えた横顔にはどこか焦りを感じているようだった。
来た時とは打って変わった様子。それはまるであの少女たちを恐れているかのようだ。
「私が聞きたいのはたった一つ」
「貴方…、この世界の住人じゃないわね?」
フッとレンの姿が掻き消え、続いて金属同士のぶつかる甲高い音が響き渡った。
そこには突如として互いの武器をぶつけ合ったレンと男の姿があった。軽く舌打ちしてレンはすぐに上方へと跳躍。スタッと静かな音とともに俺の前に着地した。男もレンもこれ以上ないほどの真剣な顔で互いを睨み合っている。
男の長物に対し、レンが持っているのは2刀の短剣。どちらも塗りつぶされた様な漆黒に赤く光る紋様が刻まれている。
「お、おいレン。一体どうしたんだよ?」
「…………」
小声で尋ねるも、レンはそれに答えることはなく、さらに男へと疾駆した。
一閃、短剣が残像を残して弧を描く。男はそれをひょいと避け、レンの胴に容赦なく薙ぎ払いを叩き込んだ。
またも甲高い音が響き、その勢いを殺すことなくレンは空中へと跳んだ。くるくると回転しながら見えない壁にレンは足を着ける。
その時、突然にゴウッと業火が辺りを包み込んだ。火は瞬く間に広がり、陽炎を作りながら燃え盛る。
「リース!」
「は、はい!」
少女の鋭い声に答えるように女性が腰に提げたロッドを掲げ、何かを呟き始める。
――パリン…。
轟々と燃える炎の音の中で微かにガラスの割れるような音。その音が聞こえたと同時に俺は思い切り後ろへと引っ張られ、そのまま宙を飛んだ。
「なっ…!?」
身体が宙に浮き、光のような速さで炎から遠ざかっていく。ヒュンヒュンと耳元で風音が鳴り、数十秒も経つ頃にはあの炎は完全に視界から消え、穏やかな森の姿だけがあった。
「…ハァッ…! ……ハァッ…!」
どさりと強かに背中を地面に打ち付けた。おぉぉ…と悶絶する俺の横には全身汗まみれで苦しそうに喘ぐレンの姿があった。
「大丈夫か、レン!?」
「私…なら…へ、平気で…す。それより…、早く…」
疲れているであろう体を重そうに引きずりながらレンは歩き始めた。
レンの後ろ姿を見ながら、俺の頭の中ではさまざまな疑問が飛び交っていた。何故いきなりあんなことをしたのか、あの少女たちの正体を知っているのか。
渦巻く疑問はあるものの、俺はひとまずそれらを抑え込んでレンの前にしゃがみ込んだ。
「フユト…さん?」
「ほら、しんどそうだしおぶるよ。そっちの方が速いし、レンも今歩くのは大変じゃないのか?」
「で、ですけど……」
レンはしばらく逡巡したが、疲労には逆らえぬのか恐る恐る体を預けてきた。
思っていたよりも軽い。これなら少しの間なら走っても大丈夫そうだ。
「さて…、どっちに行けばいいんだ」
「あっちです」
そう言って気だるげにレンは一方向を指さし、すぐその腕を下した。
よしきた、と返事をして軽く走りながらそちらへと向かう。
数分くらい走っただろうか、そろそろ足が限界を迎えそうな時に、レンは立ち止まるよう俺に言った。
「ここなのか…? 何もないけど」
「少し待っていてください」
背中から突き出されたレンの指にゆっくりと光が集まっていく。トクントクンと脈動するように淡く光り、やがてほろほろと零れるように消えて行った。
――リィン……。
鈴の鳴るような音が森全体に響き渡った。その音に共鳴するがごとく、周囲の木は枝を揺らし、葉を擂り合せる。
音は次第に大きくなり、一本の木に変化が訪れる。木の幹が大きく割け、そこに穴が出現していた。
幻想的とも言えるその景色に俺は見入ってしまっていた。それ故にレンの声はしばらく耳に届かず、気づいたのは彼女が俺の肩を強く叩いた時だった。
「フユトさん、中へ」
入るかどうかを躊躇っているうちに、レンは先へ進むよう背中を叩いて催促する。観念して大穴へと入っていく。
中は暗く、何も見えない。どう進めばいいのか分からなかったが、レンはまっすぐ進むようにだけ告げてコテリと眠りに落ちてしまった。
数分ほど歩いただろうか、周囲の闇がフッと消え、たちまち視界が白く染まった。
その光に目が眩む。しかしそれも数秒の間。すぐにその光にも慣れ、普通に見えるようになる。
一番最初に見えたのはどこか見覚えのある部屋。家具やら何やらがごちゃごちゃに積み重なっている所謂汚部屋。
「へ?」
思わず間抜けのような声が出た。
「む、帰ってきたか。ふむ、ひとまずはお疲れ様とだけ告げておこう」
見覚えのあるのも当たり前だ。なぜならここは、俺たちが出発したレンとニーナの住む家なのだから。
§
「それで…、何があったか聞かせてもらおうか」
向かい側に座ったニーナは茶だけ用意すると、いきなりそう切り出した。
「何があったかって言われても…」
正直よく分からないと前置きした後、俺はあった事を初めから話し始めた。
水を採取しようとした時に黒い化け物が現れたこと。その時にいきなり青髪の男が乱入してきて、化け物をいともたやすく葬ったこと。そして、その連れと思われる少女と女性に会い、その一行と戦闘になったこと。
ニーナは俺の話を聞きながらところどころ質問を入れていた。それに俺はあったままのことを話していく。
全て話し終わる頃には喉はすっかり乾いていて、ニーナの入れてくれた茶で喉を潤した。
「なるほどな…。道理でレンがあんなにも疲弊していたわけだ」
レンは今彼女の部屋で寝かせている。すやすやと穏やかな寝息を立てているのを聞いた時にはほっとした。
「なぁ、ニーナ。一体あれはなんだったんだ? それに、なんで彼女たちは俺が別の世界の人間だって分かる?」
「……ふむ」
机をトントントンと叩きながらニーナは眉根を寄せて難しい顔を作る。
「これはあくまで推測だが…、それは恐らく【世界の巫女】だろう」
「世界の……巫女? なんだそれ?」
「『世界を知る者』、『唯一の交信者』。名は多々あるが一言で説明するなら、この世界を誰よりも知る者といったところか」
「世界……、交信者…?」
「あー、そうだな…。少し待っていてくれ」
ニーナはそう言うと、リビングから出て行き、すぐに一冊の本を持って戻ってきた。
その本の表紙には『世界語り』と書かれており、相当な分厚さの本だった。
ニーナは席に戻ると、パラパラとページを捲り、あるページを俺に見せた。
「これが一番詳しい資料だな。残念ながら【世界の巫女】については教会によって情報がかなり制限されていてね。詳しいことはあまり知られていないんだ」
そのページもまた他のページと同様に読めない原語で書かれている。しかし、唯一違う点がある。
「……!? な、なあこれ…!?」
「君の疑問も最もだが、今の私にはその問に対する答えは生憎持ち合わせていない。すまないが、本を読むことに集中してくれ」
「あ、ああ…」
そのページの隣、そこには俺のよく知る言語、つまり日本語が書かれていた。ページのレイアウトはそのすぐ隣のページと同じもの。おそらく、それの日本語訳なのだろうということが分かる。
ページの一番初めには【世界の巫女】というトピックスがあり、そこから数行だけそのことについて書かれていた。
この世界には意思がある。
意思は世界の安定と秩序を求め、それを何よりの最優先事項とし、それを脅かすものがあればその存在を容赦なく排除する。
世界の意思と唯一意思の疎通を図ることができるのは【世界の巫女】のみであり、この世界の唯一の存在である。
故に【世界の巫女】はこの世界の誰よりもこの世界を知る者である。
それがここに書かれていたことだった。
これを読んで分かるのは、この世界には秩序を守ろうとする意思とかいうものがあること。そして、それと連絡を取り合うことができるのが【世界の巫女】とやらだけだということ。
一番興味を惹かれたのは世界の意思という部分。まさかこの世界に自我があるなんてわけじゃあるまい。
「この世界の意思って何なんだ?」
「なんだと問われると、字面の通りだと返す他ないな」
「……なんだそりゃ?」
「世間一般ではこの世界には意思があり、世界を破壊しようとするものがあればそれを排除し平穏を保つ、ということになっている。が、しかし真相は誰も知らん」
無茶苦茶だ…。誰も真相を知らないものが何故世間一般に出回っているとは、恐ろしい限りだ。
「教会は『世界神の啓示』だと言い張っているが、実際分かるのは【世界の巫女】くらいだろう」
ニーナはそこで言葉を区切ると、ふぅと一息吐いてまた話し始めた。
「だがまぁ…、世界に意思があるのではないかと感じられる時があるのは確かだ」
意思を感じられる?
一体全体どういうことなのかと首を捻る。そう感じられるということは、世界が人に対して何か分かるようなシグナルを出したということなのだろうか?
「何年前だったか…、原因不明の大旱魃が起きた。国どころか大陸中の作物が不作、そのせいで食用の動物も死に絶え、連鎖の如く人間にもしわ寄せが来た。未だかつてあれを超える大災害はないだろうな。無論、国もただ手を拱いていたわけじゃない」
「打てる策を出して尚、切り抜けられなかったということか」
ニーナは俺の言葉に頷いた。
つまりそれは、世界から食料が枯渇してしまったということになる。
「当然、そうなれば残された食料を求めて争いは起きる。結果として戦争は起き、さらに多くの人間が死んでいった」
脳裏に浮かぶのは飢えに苦しみ、苦悶の表情で死にゆく人々。あるいは争いに巻き込まれ、命を落としていく兵士たち。阿鼻叫喚の図になったのは間違いない。まるで当時の人々の怨嗟の声が聞こえてくるようで、背筋がゾクリと震えた。
「世界は瞬く間に混乱に満ち、もう誰もがダメだと思っていたその時、それは起こった」
もったいぶるようにニーナはそこで話を区切り、コップの茶に口を付けた。
「昼間であるにも拘らず突然に空が暗くなり、大陸中のありとあらゆる場所で雨が降り注いだのさ。不思議なことに、その雨を受けた植物たちは生死に関係なくその枝を伸ばし、葉を茂らせ、そして実をつけた。成長の速度も尋常じゃなかったと記録されているよ」
「それじゃまるで…」
「そう…。まるで神の仕業のようにも思える」
植物が一気に成長し、実を付けるなど常識で考えればありえない。もしそんなことが起こりうるのならば、それは確実に常識を超えた何かによる仕業に違いない。それこそ、奇跡を可能とするような存在がいたとしか考えられない。
「そうして飢餓は無事回避され、めでたく世界は平和を迎えた」
「……俄かには信じがたい話だな」
「ああ、その通りだ。そしてこの話にはまだ続きがある。この突然の奇跡が起きた次の日、ある国で不思議な能力に目覚めた少女がいた」
「それが今でいう【世界の巫女】というわけか」
「ご明察」
私が知っているのはここまでだ、と締めくくると、ニーナはこの話は終わりだとばかりに席を立った。
俺も茶を飲み干し、自分の茶器を片づけるため席を立つ。
「まぁ」
「…………?」
ニーナはふぅと息を吐くと、少しばかり強めに声を立てる。
「傭兵らしき人物と共にいたからレンも警戒してしまったのだろう。彼女は少しばかり早とちりなところがあるからな」
しょうがない奴だ、そう言ってニーナは自分の部屋へと戻っていった。
その時、ドアがコンコンとノックされる。誰も出る気配はなさそうだ。これは俺が出るべきなのだろうか?
2、3秒ほど考えて俺は出ることに決めた。ひとまず茶器を机の上に置き、はいはーい、と言いながらドアに駆け寄る。
ガチャリとドアを開けた瞬間、俺はぎょっとした顔でそこに立つ人物を見てしまった。
来客と言えば来客になるのだろう。しかしながら、俺はその人物を知っていた。
「こんにちは、さっきぶりね」
そこには【世界の巫女】と呼ばれた少女が、ニコリと笑顔を浮かべながら立っていた。
更新が遅れてすみません。
何度も何度も書き直した結果、酷いことに…。
2013/8/29 少し修正
2014/05/05 改稿