信じられないくらい最低な婚約者。でも、死んだらしい。
もう何度目かわからない平手打ちをぶちかます。
リオンはぐふっと声を漏らし、吹っ飛んでいった。騎士のくせに軟弱な男め。
「もう顔も見たくない。婚約破棄よ」
「待て待て待て。本当に待って。話を聞いて。ちょ、アンネリエ!」
掴まれた腕を振り払い、ギロリと睨む。彼は土下座をしていたが、私はそのまま帰った。
翌々日、彼が死んだという知らせが届いた。
「嘘でしょ……」
騎士団から送られてきた赤い紙を見ながら、私は唇を噛む。どこからどう見ても『嘘でしょ』という感じの知らせだ。
まず赤色が薄い。どぎついピンクだ。先日、近所の老騎士様が殉職されたときは、鮮やかな赤い紙だった。
それに獣討伐中の死だと書かれているが、今は冬だ。冬眠だ。
あー、はいはい。文書偽造ね。どうせリオンのことだから、私を騙して浮気をうやむやにしようとしているのよ。
賭博場で身ぐるみを剥がされたときも、詐欺師から贋作を買ったときも、怪我だの病気だの大きな出来事を起こしてうやむやにされた。もう騙されない。
そう思って、紙を丸めて捨てようと思ったが――そこで、手が止まった。
「逆手に取ってみようかしら」
私は黒いワンピースの裾を翻し、喪に服して歩いた。彼の死を流布させ、戻りにくくしてやろう。最低な嘘つき男め。
まずは彼の生家。一人暮らしをしている彼だが、一応は男爵家の生まれだ。ピンク色の訃報を持って、私は涙ながらに追悼を述べた。
「彼が死んでしまったなんて……私、信じられなくて」
「そ、そんな!」
男爵当主である彼の兄は、突然の訃報に驚いているようだった。ピンク色の紙なのに。
「三日前までは、元気だったのに……亡骸にも会えないだなんて」
お兄様は涙を流して、そう言った。
「三日前? 彼と会ったんですか?」
「突然、ここに来たんです。ほら、あなたとの結婚式の日取りが決まったでしょう? 招待状を受け取りましたよ。あぁ悲劇だ……」
「はい?」
結婚式をゲストから聞かされる花嫁が私だ。婚約はしたけれど、それも一年前の話。取り柄は顔だけの救いようのないクズだと知って、今に至る。
次に、お兄様から見せてもらった招待状を頼りに、私は教会へと足を運んだ。
牧師先生は黒いワンピース姿の私を見て、痛ましそうに眉を下げる。彼が亡くなったことを伝えると、「そんな!」と声をあげた。
「五日前にここに来たときは、あんなに幸せそうだったのに。祈りを捧げることもできないだなんて」
「五日前、ですか?」
このパターン、さっきもあったな……と思いながら、一応耳を傾ける。
「ええ、このように式の日取りを相談し、サインをいただきましたよ。……あぁ神よ!」
牧師先生が取り出した紙には、新郎新婦の氏名、ゲストの氏名、そして彼のサインがあった。新婦の欄には私の名前が書かれていて少しほっとするが、一番下に見知った名前があり、思わず口がひん曲がる。
「サンドラぁ……?」
彼の浮気相手だ。私は教会を飛び出す。もう許せない。喪服でウォークラリーに付き合わせておいて――まあ、乗っかった私も私だけど――でも、ゲストに浮気相手を呼ぶ?
「いらっしゃいませぇ~」
花の香りが纏わりつく。浮気相手は花屋の店員だ。私のことを知らないようで、にこやかに接客をしてくる。
「あの、リオンをご存知ですよね? 死んだそうですよ」
「ぇえ!?」
ピンク色の紙を見せると、浮気相手はその場で泣き崩れた。そんな簡単に信じるものかね。ガシャンと倒れた花瓶から水がぽたぽたと落ちて、浮気相手の靴を濡らしていた。
「泣いてるところごめんなさいね。彼と最後に会ったのは、いつですか? 一週間前くらい?」
先手を打ってみる。昨日とか言われたら平手打ちを決めてしまいそう。
「……最後に会ったのは、一年前です」
私は眉をひそめた。
「まさか。だって、浮――いえ、お付き合いされているでしょ? 最近、連絡を取っていたはずです」
「一年前に別れています。結婚式用の花を注文したいと頼まれて……手紙でそのやり取りをしただけです」
元恋人の店に注文するなよ、と苛つく。
しかし、牧師先生から預かった紙をよく見てみると、彼女の名前の隣に極小文字で(花屋連絡先)と書かれていた。紛らわしいな!
「でも、あなた……彼を訪ねて騎士団に来ましたよね? 恋人だとか言って」
彼の同僚たちから散々聞かされた。門のところで大声で吹聴していたそうだ。それが噂になってしまい、私の耳に入り、しかも彼女からの手紙が郵便ポストに入っているのを見て、私は彼に平手打ちをお見舞いしたのだ。
彼女はあからさまに肩を震わせる。
「だって! 突然、好きな人ができたから別れたいと言われて、諦められなかったのよ! 別れてまだ一年しか経ってないのに結婚だなんて、許せなかった。ちょっと懲らしめたかっただけで。まさか死んじゃうだなんて……。棺桶に花も添えられないじゃない!」
「じゃあ、浮気は――嘘なの?」
浮気なんてしていなかったのだ。
胸が苦しくなる。どうして彼を信じられなかったのだろう。騙されて贋作を買って結婚資金を半分にされたって、それを取り戻そうと賭けをして全額なくなったって、ちゃんと彼を信じて――いや、普通に信じられないな。あいつが悪い。
私はその足で騎士団に向かった。
「リオンはどこ? こんなピンク色の紙で騙されないわよ」
彼の同僚に詰め寄る。同僚は目を見開いて、小さく首を振った。
「騙すだなんてありえません。リオンは、本当に――亡くなったんですよ」
遺体が帰らないときの訃報は、薄い赤色の紙が使用されるそうだ。彼は緊急招集で獣討伐に出向き、崖から転落した、と。
そんな慣例、知らなかった。足が震えた。
「じゃあ、嘘じゃなくて、本当に……?」
彼の死を、なぜ信じてあげられなかったの。半月以上、本物のギプスをして大怪我のふりをされたこともあったし、医者を買収して余命数か月だと嘘をつかれたこともあったけれど、私が彼を信じてあげなきゃ――いや、信じられないな。あいつは最低な嘘つき野郎だ。
「――ねぇ、獣討伐の場所ってどこ?」
私は森へと向かった。
キィーピチチチ……。不穏な森に入り込む。迷わない足取りで、彼が落ちた崖を目指す。
そこには、彼と同じ隊の騎士たちが、まだ諦めきれない様子で彼を捜索していた。
私がひょこっと現れると、彼らはひどく驚く。ここは冬眠しそこなった獣が出るから危ないというのだ。どうやら獣討伐は本当だったらしい。
「それで……彼はこの崖から落ちたんですか?」
「おそらく。ほら、崖の途中にリオンのハンカチが引っかかっているでしょう?」
ちらりと覗くと、確かに青いハンカチがある。
「とにかく、早くここから離れた方がいい」
騎士にそう言われて、さすがに怖くなってしまう。私は頷いて、その場を離れようとした。
そこで、後ろから咆哮が聞こえる。振り向くと、黒い何かがこちらに突進してくる。獣だ。巨大な獣体からは想像もできないほどの速さ。木をかき分け、一直線にこちらに向かってくる。逃げなければならないのに、小指の先すら動かない。
「……っ!」
だめだ、と思って目を瞑る直前、騎士の背中が私を庇う。剣を引き抜く音がしたかと思うと、肉を切り裂かれた獣の断末魔が聞こえ、次に地面が揺れるほどの衝撃が脚を伝った。
目を開けると――獣が横たわっていた。
「大丈夫? アンネリエ、怪我はない?」
穏やかな声で私の名を呼ぶのは、彼だった。
騎士たちは驚き、歓声をあげる。皆、リオンが死んだと信じていたせいか、奇跡の生還だと泣いて喜んでいる。
私は最後まで信じなかった。
だって、彼は最低な嘘つきだもの。
死んだなんて、そんなの信じられない――絶対に。
「心配かけて、ごめん」
彼は気恥ずかしいのか、少し俯いていた。
「ううん、助けてくれてありがとう。ところで、崖から落ちたんじゃなかったの? その割には怪我もなさそうだし、服も綺麗だね」
「え?」
ハンカチはわざと落としたのかと訊ねると、彼は笑って頭をかいた。やっぱり狂言だったのね。
もう何度目かわからない平手打ちをぶちかます。
リオンはぐふっと声を漏らし、吹っ飛んでいった。騎士のくせに軟弱な男め。
「もう顔も見たくない。婚約破棄よ」
「待て待て待て。本当に待って。話を聞いて。ちょ、アンネリエ!」
掴まれた腕を振り払い、ギロリと睨む。彼は土下座をしていたが――私はそのまま帰ったのだった。
おじいちゃんおばあちゃんになるまで一生繰り返してる二人。




