わたくしのパンツ見てたわね! ①
「貴女たち……いま、わたくしのパンツ見てたわね! 見ないでって、あんなに言ったのに! あぁっ、信じられないわっ!」
一日全コース貸し切りのゴルフ場に響き渡る甲高い声は、高松 志乃――紫苑女学園高等部三年で、学園内最大の社交クラブ「紫風会」の主宰――のものである。怒りに震える表情で制服のスカートの裾を押さえる彼女は、同行する周囲の生徒たちから向けられたいやらしい視線を跳ね返すように周囲を睨み付けた。
「志乃……? 急にどうしたの?」
「ま、雅美……だって、さっきからこの方たちが、わたくしのパンツをいやらしい目で見てくるのよ……」
志乃が目に涙を浮かべてその腕に縋り付いたのは、彼女と長らく付き合いのある同級生の中浜 雅美である。ゆるくウェーブのかかった明るい髪色の志乃とは対照的に、ストレートの黒髪が美しく輝くクールな美少女という印象で、学園内では特にお似合いのカップルとして噂に上るほどの人気だった。
ゴルフ経験のほとんどない彼女が、しかも制服姿のままコースに出るのを許されているのは、ここが彼女の父によく世話になっているゴルフ場だという点が大きい。
しかし、この志乃の制服姿は彼女の忘れ物が原因というわけではなかった。当日のクラブハウスに手違いでゴルフウェアの用意が4着しかなく、どうしても誰かが制服のままコースを回らなければならなかったのだ。この会を主催する年長の志乃がその役を引き受けたのは、まさに彼女の徳から出たものだというしかない。
「なんなのよ、貴女たち……黙っちゃって! 貴女たちのパンツはスコートで守られてるからって……わたくしのパンツ、見ていいわけがないでしょう? 早くお答えなさい!」
なおも怒りが収まらない志乃は、後ろで打順を待っていた後輩の生徒たちをそう問い詰める。
大騒ぎしている一行だが、彼女たちはまだティーイングエリアの上である。志乃が何度かティーショットを試しただけで、ゲームは何一つ進んでいなかった。彼女の主張によれば、後ろで待つ後輩たちがスイングした拍子にスカートがめくれるのを今か今かと待っていた、ということらしい。
「い、いえ……私たちは、その……ねぇ、久保田?」
「えっ……私⁉ あ、章世ちゃん……えぇと、高松さま……私たち、決して見たつもりはなくて……ねぇ、小山さん?」
遠坂 章世と久保田 沙樹は共に高等部二年生で、やはり紫風会の会員である。彼女たちは寮の同室で生活を送る仲の良いルームメイトであり、今日は章世のわずかなゴルフの経験が買われてこの場に招待されたという。
陸上部で活躍する章世は志乃の役に立つチャンスだと張り切っていたのだが、一方の沙樹は章世の推薦で招かれたものの、いつもは茶道部で活躍する大和撫子である。ゴルフの経験はおろか大会さえ見たこともない沙樹は、前日にその不安な気持ちを章世に漏らしていた。
いずれにせよ、章世と沙樹は志乃が主催する会――特に高松会と呼ばれていた――に招待された名誉を喜んでいたのだが、今となっては後悔しか残っていない。彼女たちの知る志乃は、こんな鬼の形相でパンツパンツと騒ぎ立てるような人物ではなかったからだ。
二人は誤魔化すような苦笑いを浮かべたまま、答えもはっきりとしない。実際のところ、彼女たちは志乃のパンツを見ていた――というより、見えてしまっただけだ。しかし、そうはっきり答えるには、学園内での志乃はあまりに別格の存在であった。大空の下でパンツが丸見えになっていたなどと、後輩たちの前であけすけに指摘されたのでは彼女の顔が立たない。
「なによ、小山が見ていたのっ⁉ あなた……はっきりおっしゃいなさいな!」
「あっ……その、ですね……高松さまの、下着が……その、先ほどからずっと――」
章世、沙樹と背の順に並ぶ一際小柄な小山 正恵も、紫風会に所属する一年生である。一年生が高松会に招待されるのは異例の扱いだったが、コーディネートと撮影を担当する二年生の岡野 一葉の知り合いとして呼ばれたのだった。つまり、撮影の手伝いとプレーメンバーを兼ねて呼ばれた半ば雑用係のような立場である。
そんな彼女が、か細い声で志乃のみっともない様子について指摘しようというのは、志乃の格の高さがまだ正恵に染み渡っていないせいもあったが、ここは二人よりも勇気があると表現するべきだろう。事実、志乃が学園でここまで声を荒げる姿を見たことがある者はいなかった。
「――みんな。志乃が嫌がってるから……やめてあげて」
しかし、正恵が絞り出した勇気の声は雅美にかき消されてしまう。雅美は毅然とした表情で志乃を隠すように三人の前に立ち塞がると、彼女を守らんと言わんばかりに腕を広げた。志乃はその姿を見てはっと驚いていたが、それから小さく頷くと身を縮めてその背中に隠れて身体を小さく震わせる。
なんでそんな真剣な顔で高松さまをかばえるんだろう。本当は何かの撮影なのかな。章世と沙樹はそれぞれそんなことを考えた。
「わたくし、本当に怖くって。この方たち、本当にゴルフに興味がおありなの? ストレッチの時から、わたくしのパンツをジロジロと……」
(高松さま……どうしてあんなにスカートを折ってるわけ? 移動の時は普通の丈だったんだけどな……)
(あれ、別に買ったスカートを切ったんじゃない? 新品に見えるもん)
スカートの裾を強く引いて押さえる志乃だが、彼女が履いているのはなぜか、ほんの少し歩くだけで水色のサテンがきらめくショーツがチラチラと覗く超ミニスカートだった。屈んだりストレッチで脚を広げればもちろん、クラブをスイングするだけでパンツが見える。今は雅美の後ろに隠れたのでやっと見えなくなった、というだけだ。
もちろん、この三人は志乃とゴルフをプレーしてほしいと言われてここに来ただけで、クラブの主宰を務める先輩のパンツに興味があって集まったわけではない。結局、手が付けられないほど怒り狂う彼女に困惑しながら立ち尽くすしかなかった。
正恵は二人の会話を聞いて、短く切ったスカートを持ってきたという案に密かに賛成した。スカートを折ってどうにかなる丈ではなかったからだ。
「遠坂! 久保田! 何をこそこそ話しているのっ! わたくしのパンツがそんなに面白くて⁉」
すると、雅美の背中から飛び出した志乃が二人に向かって指を差してそう叫ぶ。もちろん、身体が大きく跳ねた拍子にまたパンツが見えていた。まるで走り高跳びのような流れるような動きで、するりと。
「いえっ、なんでもありませんわ!」「章世さんにゴルフのアドバイスをいただいてましたの。おほ、おほほ!」
「あら……そう。ならいいわ。でも、そのような助言はみなさんに聞こえるようになさい」
取り繕った笑顔で「はいっ!」と答えながら心の中でほっと安堵の息をつく二人の前で、志乃も呆れたように大きな溜息をつく。そして、今度はここまでカメラを回していた岡野につかつかと歩み寄った。
カメラ目線でまっすぐ向かってくる志乃は、もはや強引なマスコミの取材に対峙する痴女である。
「この方たち、一葉がお集めになったのでしょう? いったい、どういうおつもりなのかしら……」
「はっ、はい! 遠坂にゴルフの覚えがあるというので、ご友人と共にお誘いしました。小山は私の旧知でして、手伝いを兼ねて来てもらおうかと……」
一葉はカメラに向かって話す志乃の様子をそのままに、音声だけをカメラに乗せてそう答えた。いつもプロの撮影を意識している一葉にとって、こうして無駄なライブ感が出てしまう演者との会話は、本来なら三流の振る舞いである。今日はあくまで例外だ。まさか撮影係にまで飛び火するとも思わず、ぐっと握り込むカメラの画角が少し揺れる。
映像を見返すときに手ぶれがあると志乃が酔ってしまうのを思い出して、一葉はそっと脇を締めた。
「一葉……貴女、さっきからわたくしにカメラを向けているわね? こんなに……パンツが見えているというのに」
「し、しかしそれは……普段から撮れるものは撮っておけと、高松さまがいつも……」
「ひょっとして……わたくしのこと、裏切るおつもりなの? わたくしのパンツを撮って、あまつさえ売り捌こうだなんて……キーッ! 貴女のこと、信じていたのに!」
一葉はまた思わず「えっ!」と驚いた声を上げる。高松会の撮影では指示があるまでカメラを止めるな、と日頃から言われていた一葉だったが、そうまで言われて無用な疑いを被るわけにもいくまい。
慌ててカメラを下に下ろすと、よく整えられた芝生と志乃の足元が映り込む。綺麗な緑の絨毯の上で、志乃が怒りのあまり地団駄を踏む姿がよく映っていた。
「いえっ! そんなことは決して――」
「貴女っ、どうしてカメラを止めるのっ⁉ ちゃんと撮りなさい! 裁判になったら、これが唯一の証拠になるのよっ!」
「は、はぁ……分かりました。では、続けさせていただきます……」
これでどんな裁判を始めたところで、きっと志乃に不利な証拠になるに違いない。
なぜか彼女をかばう雅美はまだしも、付き合いが長いはずの一葉でさえも志乃の奇行に翻弄されている。そんな姿を見た後輩の三人の間には、どうやらこれは高松会の洗礼ではなく、ただの異常事態なのだという確信――屈折した安心感と言ってもよい――が訪れていた。地獄の中に砂丘を見つけて喜ぶようなものである。
「あの……高松さま、そろそろゴルフの続きを……」
そうと決まれば、と章世が志乃のゴルフボールが飛んでいったフェアウェイ右寄りの前方を指差す。強引にコースに戻せばこの怒りも収まるかもしれない、と思ったらしい。確かに、もともとは章世が志乃や周囲の生徒にゴルフの基礎を進講しながら楽しく過ごす会、のはずだったのだ。
「だって、視線を感じるんですもの。貴女たちの、とってもいやらしい視線を!」
「そ、そうですね。視線が……はい。でも、コースも回らないといけませんし……」
「わたくしだけが一人でミニスカートを履いてるのが変なのよね? それがおかしくって、見てしまうんでしょう?」
「いえ、高松さまがおかしいわけではないんですが、その……」
「一葉だってそうよ。昔はあんなにギラギラしたカメラ捌きでは、なかったもの……」
怒っていたと思ったら、急にしおらしく黙り込む。高貴な高松さまをこのまま押し込んでしまうには、どうにもばつが悪い。一歩前に出て声を上げた章世は、早くもその決断を後悔した。なにせ今の志乃は、後輩から何を進言しても被害妄想で曲解してしまうパンツモンスターである。今は一葉さえも彼女を止められない。でも、どうしたらよかったのか。
雅美が動くまで待つべきだったかもしれない、と策もなく黙り込む章世。そんな彼女を救うつもりか否か、再び雅美が志乃の前に立って三人に優しく語りかける。
「みんな、志乃の下着を盗み見るのをやめなさいと言ってるの。志乃だけじゃないわ……私からもお願いしてるのよ」
その言葉を聞いた志乃がうんうん、と大きく頷く。いや、中浜さまはどういうおつもりで言ってるんですか……と章世はアイアンを差し出した手をそっと下ろした。志乃はもはや扱えないと分かった中で、三人の興味は雅美が自分たちの味方なのかどうかという点に移っていた。どうしてそんなに冷静に志乃を庇えるのか……単なる幼馴染の絆と説明するのも難しいだろう。
では、なぜ――それでも、今は雅美の助け船に乗るしかなかった。
「はい……決して見ませんわ。お二人も、ね?」
「はい。高松さまの下着は見ません」
「私も……絶対見ません」
「えぇ、それでいいのよ。分かってるじゃない。それで、次はどうしたらいいの? 遠坂、教えてちょうだい」
ここまではっきりと意味不明な誓いを立てたおかげで、やっと志乃の気持ちが落ち着いてきたらしい。章世が差し出したアイアンを受け取ると、楽しそうにフェアウェイを歩き始めた。もちろん、スカートはひらひらと舞ってパンツは丸見えのままである。
彼女の球はちょうどバンカーに落ちていて、芝に抜けるバンカーショットの練習にはぴったりのシチュエーションだった。




