第1話 白霧坂殺人事件 第8章 予備校の灯り
白霧予備校に着いた頃には、すでに夜の帳が降りていた。
建物の窓から漏れる蛍光灯の白い光が、冬の空気に滲んでいる。
静かな住宅街の中で、ここだけが妙に明るい。
藤井は緊張した面持ちで言った。
「……佐伯さん、本当にここで働いてるんですね」
「本業は病院。
だが、副業の方が“本音”を隠しやすい」
矢代は淡々と答え、予備校の自動ドアをくぐった。
受付には若い職員が座っていた。
矢代が警察手帳を見せると、職員は驚いたように目を丸くした。
「佐伯美咲さんにお話を伺いたい。
今、勤務中か?」
「え、ええ……今日は夜の授業がありますので……
三階の数学科講師室にいると思います」
「案内は不要だ。
ありがとう」
矢代は軽く会釈し、階段へ向かった。
藤井が小声で言う。
「……なんか、嫌な予感がします」
「嫌な予感は、だいたい当たる。
だが、外れることもある。
それを確かめるのが捜査だ」
三階に着くと、廊下の奥に“数学科講師室”のプレートが見えた。
扉の下から、白い光が漏れている。
矢代はノックした。
返事はない。
もう一度、少し強めにノックする。
それでも返事はなかった。
藤井が不安そうに言う。
「……留守ですかね?」
「いや。
中に“気配”がある」
矢代は静かにドアノブを回した。
鍵はかかっていない。
扉がゆっくりと開く。
---
講師室は整然としていた。
机が四つ並び、ホワイトボードには数式が書かれている。
だが、その中に——
「矢代さん……!」
藤井が震える声を上げた。
部屋の奥、机の上に置かれたノートパソコンの画面が光っていた。
画面には、白霧坂のライブ映像が映っている。
「これ……防犯カメラの映像ですよね……?」
「そうだ」
矢代は画面に近づいた。
白霧坂の街灯、霧、そして——
映像の端に、黒い影が揺れている。
藤井は息を呑んだ。
「誰か……いる……?」
「いや。
これは“録画”だ」
矢代は再生バーを確認した。
「三宅浩一が殺害された日の映像だ」
藤井は青ざめた。
「じゃあ……佐伯さんは、事件の映像を……?」
「見ていた。
あるいは——」
矢代は画面を指差した。
「“保存していた”」
藤井は震える声で言った。
「じゃあ……佐伯さんは犯人……?」
矢代は首を振った。
「まだ断定はできない。
だが、佐伯美咲は“事件の瞬間を知っている”」
その時だった。
廊下の奥から、足音が聞こえた。
軽い足音。
だが、迷いのない歩き方。
藤井が振り返る。
「誰か来ます……!」
矢代は静かに言った。
「藤井。
落ち着け。
ここからが本番だ」
足音は近づき、講師室の前で止まった。
そして——
扉が、ゆっくりと開いた。




