第1話 白霧坂殺人事件 第5章 第二の痕跡
病院を出ると、冬の風が頬を刺した。
空は晴れているのに、どこか冷たく、乾いた匂いが漂っている。
佐伯美咲の証言は、事件を単純なストーカー殺人から遠ざけた。
むしろ、三宅浩一は“何かを知っていた”可能性が高い。
車に乗り込むと、藤井が深いため息をついた。
「……三宅さん、守ろうとしてたんですかね。
佐伯さんのこと」
「その可能性はある」
矢代はエンジンをかけながら、淡々と答えた。
「ただし、守る理由が問題だ。
三宅は“危険な人物がいる”と言った。
それが誰なのか、まだ見えていない」
「佐伯さんの周りの人間関係を洗いますか?」
「もちろんだ。
だが、その前に——」
矢代はバックミラー越しに藤井を見た。
「三宅の行動範囲をもう一度確認する。
彼が“何を見ていたのか”を知らないと、事件の構造が掴めない」
藤井は頷いた。
「じゃあ、白霧坂に戻りますか?」
「いや。
まずは“三宅が最後に立ち寄った場所”だ」
「最後に……?」
「佐伯美咲に会う前、三宅はどこにいたのか。
そこに“第二の痕跡”があるはずだ」
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三宅のスマホの位置情報から、最後に立ち寄った場所が割り出された。
白霧坂から徒歩五分ほどの、小さな公園。
冬枯れの木々が並び、遊具は冷たく光っている。
「こんな場所に、何の用が……?」
藤井が呟くと、矢代は周囲を見渡した。
「藤井。
公園は“観察するには最適な場所”だ」
「観察……?」
「視界が開けていて、人の動きがよく見える。
三宅はここで“誰かを見ていた”可能性がある」
二人は公園内を歩き、ベンチや遊具の周辺を調べた。
すると——
「矢代さん、これ……」
藤井が指差したのは、砂場の縁に落ちていた小さな紙片だった。
風に飛ばされず、砂に半分埋もれていたため、かろうじて残っていた。
矢代は手袋をして拾い上げた。
「メモ……?」
紙片には、震えるような字でこう書かれていた。
『見られている』
藤井は息を呑んだ。
「これ……三宅さんの字ですよね」
「鑑識に回せばわかる。
だが——」
矢代は紙片を光に透かした。
「この字は“急いで書いた字”だ。
落ち着いて書いた記録とは違う。
三宅はここで、何かに気づいた」
藤井は周囲を見回した。
「誰かに……見られていた?」
「その可能性が高い」
矢代は砂場の外側、遊歩道の方へ視線を向けた。
「藤井。
ここから白霧坂の入口が見える」
藤井も同じ方向を見た。
確かに、公園の端からは、白霧坂の街灯がかすかに見える。
霧が薄ければ、人影も確認できる距離だ。
「じゃあ、三宅さんは……
白霧坂に向かう“誰か”を見ていた?」
「あるいは、白霧坂から“誰かがこちらを見ていた”」
矢代は静かに言った。
「どちらにせよ、三宅は“危険な人物の存在”を確信した。
だから佐伯美咲に警告した。
そして——」
矢代は紙片を見つめた。
「その人物に気づかれた」
藤井は背筋が寒くなった。
「じゃあ……三宅さんは、その人物に殺された?」
「可能性は高い。
だが、まだ決定的ではない」
矢代はベンチの下を覗き込み、砂を指先で払った。
「藤井。
ここに、もう一つ痕跡がある」
「え?」
矢代が拾い上げたのは、細い金属片だった。
長さは数センチ。
先端がわずかに曲がっている。
「これは……?」
「“工具”の破片だ。
おそらく、何かをこじ開けた時に折れた」
藤井は驚いた。
「じゃあ、犯人は……何かを開けようとしてた?」
「あるいは、閉じようとしていた」
矢代は金属片を袋に入れ、立ち上がった。
「藤井。
事件は、まだ表面しか見えていない。
だが——」
冬の光の中で、矢代の目は爽やかに輝いていた。
「この金属片が、“犯人の行動”を暴く鍵になる」
藤井は苦笑した。
「矢代さん、また楽しそうですね」
「藤井。
事件は重い。
だが、謎は軽やかだ。
その両方を追えるのが、刑事の特権だよ」
公園の静寂の中で、風だけが砂をわずかに揺らしていた。
三宅浩一が残した“第二の痕跡”は、確かにここにあった。




