第1話 白霧坂殺人事件 第3章 被害者の素顔
白霧坂から署に戻ると、すでに被害者・三宅浩一の身元照会が進んでいた。
会議室のホワイトボードには、三宅の顔写真と簡単な経歴が貼られている。
藤井が資料を手に、矢代に説明した。
「三宅浩一、三十六歳。
地元の建設会社に勤務。
独身で、実家は市内。
勤務態度は真面目で、トラブルの報告はなし。
ただ……」
藤井は資料の一枚をめくった。
「最近、会社を休みがちだったようです。
理由は不明。
上司も“急に元気がなくなった”と」
矢代は椅子に腰を下ろし、指先で机を軽く叩いた。
「元気がなくなった、か。
人間が急に変わる時は、必ず理由がある」
「家庭の問題でしょうか?」
「独身だ。
家族関係のトラブルは少ないだろう。
むしろ——」
矢代は写真を見つめた。
「仕事か、人間関係か、金か。
あるいは、もっと個人的な何かだ」
藤井はメモを取りながら言った。
「会社の同僚に聞き込みしますか?」
「もちろんだ。
だが、その前に——」
矢代は立ち上がった。
「三宅の自宅を調べる。
人間の“変化”は、生活空間に必ず痕跡を残す」
藤井は頷いた。
「了解です。
じゃあ、すぐに向かいましょう」
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三宅のアパートは、白霧坂から車で十五分ほどの場所にあった。
築二十年の古い建物だが、外観は清潔に保たれている。
管理人が鍵を開け、二人を部屋に通した。
「最近はほとんど姿を見なかったねえ。
夜遅く帰って、朝早く出ていくような……そんな生活だったよ」
矢代は軽く会釈をし、部屋の中へ入った。
ワンルームの部屋は整頓されていた。
生活感はあるが、乱れはない。
しかし——
「藤井、ここを見ろ」
矢代が指差したのは、机の上に置かれた一冊のノートだった。
表紙には何も書かれていない。
藤井が手袋をして開くと、そこにはびっしりと文字が書かれていた。
「……日記、ですかね?」
「いや、違う」
矢代はページを覗き込み、眉をひそめた。
「これは“記録”だ。
誰かの行動を、毎日細かく書き留めている」
藤井は驚いた。
「ストーカー……?」
「可能性はある。
だが、まだ断定はできない」
矢代はページをめくりながら言った。
「対象は“女性”だな。
名前は……佐伯美咲。
年齢二十九歳。
勤務先は……市内の病院」
藤井は息を呑んだ。
「被害者、ストーカーだったんですか?」
「そうとは限らない。
記録の仕方が妙だ」
矢代はノートを閉じた。
「ストーカーなら、もっと感情的な記述がある。
だがこれは——」
彼は少しだけ笑った。
「“観察者”の書き方だ。
まるで研究対象を追うように、淡々としている」
藤井は背筋が寒くなった。
「じゃあ……三宅は何をしていたんです?」
「それをこれから調べる。
だが一つだけ言える」
矢代は窓の外を見た。
冬の光が差し込み、部屋の空気を白く照らしている。
「三宅浩一は、誰かを“追っていた”。
そして——」
矢代は振り返り、爽やかに微笑んだ。
「その誰かが、事件の鍵を握っている」
藤井は思わず苦笑した。
「矢代さん、また楽しそうですね」
「藤井。
事件は重い。
だが、謎は軽やかだ。
その両方を見られるのが、刑事の特権だよ」
部屋の静寂の中で、矢代の声だけが妙に明るく響いた。




