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混沌戦士サソリちゃん -説教されるの大嫌い-  作者: ハレルヤ/TOKYO SICKS


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Chapter 27 『観測者の墓場 -The Graveyard of the Observer -』


挿絵(By みてみん)








無音。



世界は、真っ白ではなかった。全ての色が死に絶え、混ざり合った果ての、灰色だった。









芽衣子は、ゆっくりと目を開ける。

戦闘の余波で、全身に無数の傷があるはずだった。だが、血は一滴も出ていない。

ただ、そこに“在った”はずの痛みだけが、記憶のゴーストのように、身体の芯に、鈍く、重く、残っている。









芽衣子(心の声)


「……どこだ、ここは」








「音が、ねえ。

風も、ねえ。

私自身の、呼吸の音すら、聞こえねえ」









ゆっくりと、立ち上がる。

足音は、なかった。

踏みしめた、灰色の地面の“感触”だけが、かろうじて、自分の存在を、この虚無の世界に繋ぎとめている。











芽衣子


「……この感じ、嫌いじゃねえけどな。

でも――終わりが、見えねえ」







遠くで、ヒトミの、あの不器用な笑い声が一瞬だけ、聞こえた気がした。

だが、それは、ただの記憶のノイズ。この世界では、思い出さえもがバグを起こす。












芽衣子


「……なあ、誰か、いねえのかよ。

おい、誰か……!」









叫んだ。はずだった。









だが、声帯は震えず、唇は動かなかった。思考だけが、言葉の形をとって、しかし、どこにも届かずに、自分の頭蓋骨の中で、虚しく反響する。

この世界の空気は、音を、拒絶しているのだ。







芽衣子(心の声)



「……これが、レイナの言っていた“層”の、さらに向こう側か。

あいつ、本当に還っていきやがったんだな。

この、世界の“裏側”に、アタシだけを、置き去りにして」







ゆっくりと、地面のひび割れから、黒い霧が滲み出す。




それは、音もなく広がり、曼珠沙華の花弁の形をとって、宙を漂い始めた。

しかし、その花弁は、血のような赤でも、魂のような群青色でもなく――ただ、ひたすらに、灰色だった。



「……こんな色の花、見たことねえよ」





その、美しくも、何の匂いもしない花弁に、そっと触れようとした指が、まるでホログラムのように、すり抜ける。






それでも、彼女は、乾いた笑いを漏らした。






「……なんだよ、これ。

死んでんのか、生きてんのかも、もう、わかんねえじゃねえか」




そして、ゆっくりと、目を閉じる。

五感を閉ざせば、この虚無と一体になれるかもしれない、と思ったから。









「……“何も感じない”ってのは、こんなに、静かなんだな」













沈黙。
















遠くで、“記録の再生”のような、微かな声の残響が聞こえる。

ヒトミの、あの痛々しい祈りの言葉。レイナの、あの冷たい数式の羅列。

それらが、重なり合い、混ざり合い、そして、意味を失って、消えていく。








芽衣子


「……あーあ。

結局、私だけが、残っちまったのかよ」









灰色の風が、初めて、吹いた。

世界が、ほんの少しだけ、揺れた。







灰色の空。何も聞こえない。

芽衣子は、いつの間にか、膝を抱えて座っていた。

目の前に、無限の灰色の世界が広がっているのに、誰も、それを“見て”はいない。






















「……“生きる”って、なんだったっけな」























口の中で、その言葉を、意味のなくなった石ころのように、転がす。

でも、その“音”の形だけは、まだ、舌の上に、確かに残っていた。






「生きてるってことは、

痛いってことか?

苦しいってことか?

……それとも、

まだ、何かを“感じてる”ってことか…?」







答えは、返ってこない。

代わりに、灰色の空の、そのさらに奥で、何か巨大なものが、“呼吸”をしている気配がした。







「谷川俊太郎がさ、『二十億光年の孤独』って詩を書いてた」





彼女は、誰に聞かせるでもなく、語り始めた。





「私、そのタイトルを初めて聞いた時、笑ったんだよ。孤独ってのは、そんなに遠くまで、旅をするもんなのかよ、ってさ」





少しの間を置いて、彼女は、音のしない息を、吐いた。












「でも、今は……その意味が、わかる気がする。

ここには、時間も、距離も、ねえ。

あるのは、ただ、絶対的な静けさだけだ。

二十億光年よりも、もっと遠い、静けさだ」





灰色の地面に、そっと手をつく。

触れた感触は、確かにある。なのに、その感覚は、皮膚の表面で霧散し、脳まで届かない。

手のひらに残ったのは、“何もない”という、確かな感覚だけだった。









「……生きてる、か。

あの詩人は、たぶん、それでもまだ、生きていたかったんだろうな。

私は……どうだろうな」









その瞳の奥に、ほんのかすかな、緑色の光が灯る。

その光が、この絶望的なまでに美しい灰色の空を、ほんのかすかに、照らし出した。











「……声が、届かないっていうなら。

せめて、息の跡だけでも、この世界に残してやろうか」









芽衣子は、ゆっくりと、立ち上がる。

その足音は、やっぱり、鳴らなかった。












でも、彼女が踏みしめた地面の灰が、ほんのわずかに、輪を描いて、舞い上がった。

それが、この死んだ世界に、最初の“動き”を、最初の“意味”を、取り戻した、最初の瞬間だった。





声を出した、はずだった。










だが、その声は、唇から離れた瞬間に形を失い、音になる前に、灰になって舌の上に落ちた。

一歩、踏み出す。





足音は、しない。





靴底と、灰色の地面が触れた、その“感触”だけが、自分がまだここにいるという、唯一の、そしてあまりにも頼りない証拠として残る。










「……“生きる”って、なんだったっけ」











その問いは、空に吸い込まれはしなかった。

なぜなら、ここには、吸い込むべき“空”そのものが、存在しないからだ。

ただ、どこまでも均一な、灰色の温度だけが、無限に広がっている。





彼女は、ゆっくりと屈んで、地面に指を当てた。

冷たさが、数秒遅れて、皮膚を這い上がってくる。そして、そこで止まった。

温度は、来る。でも、音は、来ない。

世界が、片方の肺だけで、かろうじて呼吸しているみたいだ、と思った。





「痛いはず、なのに、痛くない。

……ここ、そういう場所か」






地面に刻まれた、巨大なひび割れの線が、遠くへ、遠くへと伸びている。

伸びているのに、距離感がない。




十歩先も、十光年先も、同じ質感を保ったまま、一枚の絵のように、ただ平らに、そこに並べられている。





(――ねぇ、聞こえる?)








誰かの声――のような、記憶の形をした何かが、耳の奥を、優しく撫でる。

ヒトミの、あの不器用な笑い声に、よく似た気配。







レイナが、数字で夜を語った、あの日の、残り香。

でも、それらは、もはや音ではない。ただの、影に落ちた、温度だった。






「“遠い”ってのは、たぶん、こういうことを言うんだろうな」





彼女は、静かに立ち上がる。

酷使した膝の関節が、抗議の悲鳴をあげる。

でも、その悲鳴の音は、しない。

身体だけが、かろうじて、この世界への未練のように、重い。









灰色の空に、花弁のかたちをした、無数の欠片が浮いている。

曼珠沙-華に似ているが、赤くも、青くもない。

色そのものが、息をひそめ、ただ、「花」という概念の理屈だけが、化石のように、空に残っていた。




「……きれいだな。

でも、何の匂いもしない」






指先で、そっと触れると、花弁は崩れなかった。

崩れず、ただ、透けた。

触覚だけが、宙でつまずき、行き場を失う。







「なあ、レイナ。

置いていかれたほうは、ただ笑ってろって、そういうことか?

ヒトミ。お前なら、この虚無に、どんな祈りを置くんだ?」





その問いには、いつまでも、“…”が続いた。








沈黙にも、文字数というものがあるのだと、彼女は初めて知った。

ここでは、沈黙が、一つの長い長音記号になって、地平線の果てまで、どこまでも伸びている。




















――確かに、世界は、変わってしまった。

そして、世界が変わってしまったという、その“事実”だけが、音の代わりに、ここに残った。





芽衣子は、歩く。





歩く、という行為だけが、かろうじて、前に進むという概念を、この世界に繋ぎとめている。

景色は、動かない。




ただ、歩数だけが、砂時計の砂のように、彼女の胸の奥に、静かに、静かに積もっていく。
















「生きてる証拠が、どこにも、見つからない」














笑おうとする。

笑い声は、出ない。




唇が、ただ、形だけの、空虚な湾曲をつくって、そこで止まる。

笑うという行為は、音の出ない、自分自身への打撃に似ていた。



(――過去の自分が、こっちを見ている)










体育館の、埃っぽい朝の匂い。


喧嘩のあとの、口の中に広がる金属の味。


真冬の水道で、ぱっくりと裂けた、指先の痛み――


それらは全部、確かな“音”だった。





音が、過去を、記憶を、運んできていたのだ。




だが、ここは、違う。

音がないから、過去が、来ない。









「じゃあ、この“今”は、一体、何で出来てんだ?」







彼女は、立ち止まる。

地面に引かれた、白線めいたひびに、ゆっくりと、膝をつく。

灰が、舞わない。

たった、それだけのことが、絶望するには、充分すぎた。





「……遠い。

二十億光年とか、そういう単位のある遠さじゃない。

これは、単位のない、“無”そのものだ」




その、絶対的な虚無の中で、彼女の言葉が、初めて、詩の形を探し始めた。

詩というものは、声のない場所で、魂が呼吸するための、最後の器官なのだと、彼女は、気づいた。

彼女は、声の代わりに、この灰色の世界に、最初の“文”を、置いていくことにした。





“わたしは、ここにいる。

ここは、わたしを、指ささない。

名を呼ぶ、口がない。

だから、歩く。

歩くという、文を並べる。

文だけが、まだ、前に倒れてくれるから。”




その詩が、彼女の足の裏に、小さな、しかし確かな地面を生んだ。

ひと行の分だけ、この世界の虚無が、固まる。

次のひと行で、また、固まる。

彼女が紡ぐ文が、この音のない道に、文章の石畳となって、敷かれていく。






――その時。



微かな、揺れ。

遠くで、砂鉄が、磁石に引き寄せられるような、低い、低い気配。

音ではない。

ただ、“方向”だけが、この何もない世界に、かすかに生まれた。





彼女は、顔を上げる。





「……今、何か、あったな」




風は、吹かない。

けれど、灰色の花弁が、たった一つだけ、彼女の心の向きに従うように、斜めに、すっと動いた。

彼女は、それを、追う。




文を置き、文を踏む。

声のない世界に、一つ、また一つと、読点が、打たれていく。





息を、吸う。

息は、返事をしない。

息を、吐く。

吐いた息は、この虚無に、温度だけを置いていく。

温度は、わたしのかわりに、ここに残る。

それを、在ると呼ぶことにする。






(――また、あの低さ)







今度は、確かにあった。

気のせいではない。胸骨の内側で、小石が、ことり、と転がるような、わずかな、しかし確かな輪郭。



彼女は、ゆっくりと両手を広げる。

抱きしめる対象は、どこにもない。

ただ、“抱きしめる”という、その形だけが、この灰色の空気に、残像のように写る。







「……おい。

誰だか知らねえけど、もう一度、やってみろ」



返事は、ない。

しかし、“返事を待つ”という、その姿勢が、彼女の背骨に、一本の、見えない芯を通す。

姿勢が、音の代わりに、この世界を、静かに鳴らす。

姿勢は、意思の骨格だ。




(低い、ざわめき。金属でも、風でもない。

耳ではなく、彼女が紡いだ、文字の奥で、何かが、震えている)





「ジザニオン……?」




口に出したその名は、音にならず、ただ、名の形のまま、虚空に浮かび上がった。

名は、名だけで、電流になる。




それは、灰色の花弁に、初めて浮かび上がった、微かな脈に似ていた。

花が咲くときの、あの、目には見えない、生命の拍動。




芽衣子は、ゆっくりと目を閉じる。










眼球の裏側の、その完全な暗闇は、この世界の、どこまでも続く灰色よりも、ほんの少しだけ、あたたかい。






暗闇は、彼女を拒まない。

暗闇は、唯一、名前を持たない、やさしさだった。





「なあ、谷川俊太郎」

(誰にも届かない、その宛先に、あえて、彼女は宛てる)





「アンタは言ったな、『生きているということ いま生きているということ』って。

それは、音がする世界での話だろ。

じゃあ、感じないで、音もしないで、ただ“立つ”ってのは、どうすればいいんだ?」




暗闇に、彼女自身の答えが、文となって灯る。

文は、灯りの素。

文は、火打石。

声のない時代の、これが、最後の火。





わたしは歩く。

歩きながら、わたしを作る。

作りながら、わたしを捨てる。

捨てながら、あなたを待つ。

あなたの名は、まだない。

ないのに、ここに来るという、気配だけがある。

(低音、もう一度。今度は、はっきりと“方向”を持つ)



彼女は、目を開く。

灰色の、どこまでも平坦だった平面に、一本の、髪の毛のようにほそい線が、立っていた。





地平と地平のあいだに、針を一本刺したような、微かな違和。

その線は、音の代わりに、震えている。







「……いるのか」






声は、まだ立たない。

だが、言葉は、立つ。

彼女の口の形だけが、この世界に、最初の指示を出す。

口の形が、この虚無の海を進むための、羅針盤になる。





孤独は、形のない器だ。

器は、いつか水で満ちる。

満ちる前の、その空白を、わたしは飲む。

飲み干した空白の、その重みで、立つ。



彼女は、立った。

膝に溜まっていた、あの重い沈黙が、ほんの少しだけ、軽くなった。

軽くなった、という実感が、初めて、音に似た。

音に似た、という実感が、この世界で生まれた、最初の音になった。







「来い」









命令する声は、出ない。


命令の、その“意志”だけが、光のように、走る。

その瞬間、遠くの線が、心臓のように、一度だけ、脈を打った。




ほんのわずか、ジ……という気配。

音を名乗るには、あまりにも足りない。だが、もう、それで足りると、彼女は思った。



「置いていかれたんじゃない。

……置き場所になったんだ、私が」



その理解が、ストン、と、胸の中に座り込む。

居座った理解は、重い。

けれど、その重さこそが、

この世界が、再び、こちら側を向くための、最初の支点になった。



(ジ……ザ……)

細い、細い、再送信。


名が、名の方から、彼女に近づいてくる。

ジザニオンは、音ではない。意志の輪郭だった。



芽衣子は、この世界に来て、はじめて、笑った。

笑い声は、出ない。

それでも、その笑いは、確かな熱になって、彼女の指先を、温める。









「二十億光年なんて、嘘だ。

もっと、ずっと遠い。

でも――届く」








歩く。

文を、置く。

灰が、初めて、舞う。

舞い上がった灰が、この世界で書かれるべき、最初の譜面に見えた。


(低音、微かに、その音程を上げる。

まだ曲にはならない。

でも、曲が始まる、その手前の、かすかな勾配)






「待ってろ。

私は、ここで、“在る”を続ける」






ここで。

声がなくても。

音がなくても。

ただ、詩だけで、立ってみせる。




(灰色の世界に、遠い、遠い、微光。

ジザニオンの名が、まだ言葉にならない音を抱いて、静かに、揺れている)





――暗転。




(to be continued…)







挿絵(By みてみん)



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