Chapter 17 『義理狩り NO MERCY』
見たことのない『異形』の現実――
ヒトミは、その光景を、世界の果てから眺めているかのように見つめていた。
抱えたノートの燃え滓はまだ熱を帯び、ページの中で文字が悲鳴をあげている。
頭の奥で、国語の授業で習った一節が、壊れたレコードのように繰り返される。
『恥の多い生涯を送ってきました』
――それは、義理を果たせなかった男の、あまりにも有名な告白だった。
(義理って…本当にそんなに価値があるの? 義理を守るために拳を振り上げ、血を流すのが正しいの? じゃあ、太宰みたいに義理を踏み外した人間は、みんな“失格”なの? でも、あの言葉が、私はいちばん心に突き刺さるのに――)
彼女の葛藤を嘲笑うかのように、芽衣子の希望の炎と、アヤネの絶望の鉄が、再び激突した。
アヤネは口角を吊り上げ、血に濡れた白い歯をギラつかせる。
「……はっ。ノートが武器になっただと? 上等じゃねえか、転校生。お前がその“紙切れ”で義理を語るってんなら――私は、この“鉄”で、その義理ごと叩き折ってやるよ!」
肩に担いだ金属バットがギシリと鳴り、夕陽を反射して冷たい光を放つ。
彼女の背筋は、獲物を前にした野獣のようにしなやかだった。
対する芽衣子は、ジザニオンを構え直し、緑炎をまとった瞳で真正面から睨み返す。
「……折れるもんなら折ってみろ。これはただのノートじゃねえ。ヒトミが読んできた“痛み”そのものだ!」
――ダンッ!!
砂が爆ぜる。
二人が、同時に地を蹴った。
アヤネのバットが、竜巻のような唸りを上げて水平に薙ぎ払われる。
それを、芽衣子のジザニオンが、まるで古の聖者のように、静かに、しかし確固たる意志で受け止めた。
――ガキィィィィィンッ!!
衝撃波が、目に見える壁となって周囲の空気を圧迫する。観客の生徒たちは思わず目を覆い、耳を塞いだ。
砂塵が爆発的に舞い上がり、二人の姿を、世界を、一瞬だけ真っ白に塗り潰した。
「ぐっ……!」
芽衣子の足が、砂の上をずるずると数センチ後退する。アヤネの膂力は、常識を超えていた。
だが、緑炎を纏ったジザニオンは折れない。インクが凝固した黒い鎖が、穂先から地面にまで伸び、まるで植物の根のように、校庭そのものを縫い止めて支えていた。
「……っははは! マジで受け止めやがったか!」
アヤネは、苦痛ではなく、歓喜に満ちた笑い声を喉の奥から響かせる。
「いいぜ! “義理狩り”には、丁度いい玩具だ!」
再びバットを振り上げる。
今度は縦に――頭蓋骨を叩き割るためだけの一撃。
芽衣子は槍を逆手に持ち替え、地を蹴って、自らその一撃を迎え撃った。
緑炎の軌跡と金属の閃光が、天と地が衝突するかのように、真上から激突した。
――ドォォンッ!!
地響きが走り、グラウンドに小さなクレーターが刻まれる。
亀裂が、まるで巨大な蛇のように砂の上を走り抜け、観客の足元まで到達した。
ヒトミは、ただ呆然とその光景を見ていた。
(……あれは、私のノート。私が書き散らした弱さや、嘲笑された言葉や、どうしようもない苦しみが…今、反町さんを守る、武器になってる…)
ページの断片が、風に舞いながら、緑の炎と共に二人の戦場を照らしていた。
インクで書かれた文字が、破片のまま、声になって漏れ出す。
「優しさクライシス、ギリギリだ」
そのヒトミの“本音”に呼応するように、芽衣子の炎が、一瞬だけ、激しく燃え上がった。
「……まだまだだッ!」
アヤネが吠える。
「私は、義理を理由に、ここで倒れるわけにはいかねえんだよ!!」
彼女の咆哮が、夕暮れの校庭を裂いた。
「お前みたいな奴が一番ムカつくんだよ! 義理もねえ、根性もねえ、ただ本に逃げてきたクソみてえな女が……その手に、そんな化け物持ってんじゃねえッ!」
「……だからこそ、だよ」
芽衣子の声は、爆音の中でも、奇妙なほど静かだった。
「“毒”はな、弱い奴にしか見えない。弱い奴にしか、触れられない。だから、私が持つ」
「ハァァッ、笑わせんな!!」
バットが唸る。横薙ぎの一撃が竜巻を巻き起こし、砂を削りながら襲いかかる。
芽衣子はジザニオンを振り上げ、炎を纏わせて受け止めた。
ギギギギギギィィィッ……!
火花、衝撃、轟音。
二つの武器が擦れ合い、互いの力が均衡する。
時間が一瞬、スローモーションになる。
燃える緑の瞳と、血のように赤い瞳が、ゼロ距離でぶつかる――
「義理は鎖だ!」
芽衣子が叫ぶ。
「鎖に繋がれてることを誇るな! それは、ただのお前を縛る檻だ!」
「檻でもいい! 私はその中で、殴って、勝って、生きてきたんだ!」
アヤネが吠え返す。
「義理もクソも知らねえ奴が、私の世界に土足で入ってくんじゃねえええッ!」
一瞬、ジザニオンが脈打った。
緑の炎が、まるで生き物のように伸び、バットを飲み込まんとする。アヤネの両腕に、肉が焼ける灼熱が襲いかかる。
しかし、彼女は笑った。炎の中でも、歯を剥き出しにして。
「――まあ、てめえをぶちのめすのに、理由なんか、ねえんだわ!」
バキィィィィィィン!!
衝突が極点を迎え、世界が裂けた。
砂煙の爆発。
生徒たちの絶叫。
夕焼けを、完全に喰らい尽くすほどの、緑と紫の閃光。
だが、二つの武器は――まだ、折れていなかった。
燃える槍と、血を啜るバット。
互いの存在を、その哲学を、真っ向から否定し合う、二つの信念。
この戦いに「義理」も「慈悲」も存在しない。
ただ――
NO MERCY。
(to be continued…)




