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37. 攻略対象フェルナン・ヴァレット8:もう一度、君と


 昼休みからヴェルナーサ学院に復帰した僕は、生徒会室に向かった。「王国の聖乙女」の件をアレクシスに共有するため、彼と会う約束をしていた。


「やあアレク」

「うむ」


 生徒会室に入ると、アレクシスは先に待っていた。


「旅はつつがなく終わったようだな」

「ああ。それで早速、例の件だが――」

「フェル、待ちたまえ」


 話し始めようとしたら、アレクシスはなぜかその大きな手で制した。


「すまないが、その話は後だ」

「どうした?」

「君にいま、会ってもらいたい人がいる」

「いま?」


 怪訝に思ったら、部屋の隣にある資料室の扉がそっと開いた。


 姿を現したのは、一人の女子生徒――。


 僕と同じく女性が苦手なアレクシスが、僕に女性を紹介するなんて。ますます意味がわからない。


 僕の前にとぼとぼと歩いてきた彼女と視線を交わした。


「……」

「……」


 可愛らしい銀の髪飾りをつけたその子は、澄んだブラウンの瞳で僕を見た途端、切なげに表情を曇らせ、うつむいた。


 ……たしか先日、ベンチにいた子だ。


「どうか彼女の話を聞いてほしい。――では」

「あ! おい!? アレク!?」


 彼は出ていってしまった。


 ドアが閉まる音が生徒会室に響いた。


「……」

「今日はお忙しいところ、突然押しかけてしまい、大変申し訳ございません」


 その子は丁寧にカーテシーをした。


「三年生、一般クラス在籍。エミリー・ランベーヌと申します」


 エミリー。


 そうだ。以前に書類の署名欄で見かけた名前だ。


 僕に何の用が?


 ……とにかく話を聞こう。


「大丈夫だよ。どういったご用件かな?」

「本日は、ずっと申し上げられなかったお礼をお伝えしたくて、参りました」

「お礼?」

「一年生のときのことなので、もう二年近く前のこととなります」


 ランベーヌ嬢は顔を上げた。


「私は授業で足を挫き、歩けなくなってしまったことがありました。でも、当時は友だちが一人もいなくて……」

「……」

「そのまま、校庭でうずくまっていました。そうしたら、フェルナン様が気づいて駆け寄って下さって、その後も何度も走って、助けてくださいました」


 ……そんなこと、あっただろうか?


 記憶を懸命に辿るが思い出せなかった。けれど、彼女の表情は嘘を言っているようにはとても見えなかった。


「私はその頃、学院を卒業するまで、一人なんだと思い込んでいました。もしかしたら卒業してから先もずっと、一人ぼっちなんじゃないかって……。そう思ったこともありました」

「……今は、そうじゃないんだね?」

「はい。おかげ様で、大切な友だちができました」

「おかげ様で?」

「誰かのために、陰ながらでも一生懸命になれることは、とても素敵なことだって。フェルナン様が、私にそう教えてくださったから……」

「……!」


 ハッとした。


 そんなことを、僕は誰かに話したことがあるような気がしたから。


「でもあのときの私は、フェルナン様にお礼を言いそびれてしまったのです。それからもずっと。……だからこの気持ちを、いつかお伝えしたいと思っていました」

「そう……」

「私を救ってくださり、本当にありがとうございました」


 彼女は深々と礼をした。


「……わざわざありがとう。僕はきっと、そんな大それたことはしてないと思うけど。でも、誰かのために何かできることを探すことは……。君の言う通り、とても素敵なことだと思うよ」


 ……やはり以前にも、同じ様な会話を誰かとしたことがあるような気がした。僕は自分の将来のことで、ずっと思い悩んでいたから。しかし、この虚無の悩みは、誰にも打ち明けたことはない。


 さっきから、脳裏が微かな記憶を思い描こうとし続けていた。


 だけど、どうしても――。


 形にならずに彼方へと消え去ってしまう。


 そう。この感覚に、ずっと苦しめられているのだ。


 なぜだ……!


 どうして思い出せないんだ……!


 自分が不甲斐なくて、どうしようもなく胸が苦しくて、頭を激しく振った。


「だ、大丈夫ですか!?」

「……あ、ああ。すまない。見苦しいところを見せてしまったね」

「い、いえ」

「そうだ。君はもう昼食は食べたかい?」

「え? まだですわ」

「そうか、僕もまだなんだ。でも、もうお昼休みの時間があんまりないね……。ちょっと待って」


 呼び鈴を鳴らした。現れた使用人に「今日は二人分を」と告げた。もう少し彼女と話したい衝動にかられて、つい強引に引き止めてしまった。


 食事の到着を待つ間、彼女はなんだかソワソワしていた。迷惑なことをしてしまったのではないかと罪悪感が募った。


 食べ慣れたプレートランチがすぐに運ばれた。


「遠慮しないで食べてね」

「……いただきます」


 少しでも彼女の緊張をほぐそうと、当たり障りのない会話を幾つかすると、彼女もぽつぽつと応えてくれた。


 しかし、彼女の食はあまり進んでいなかった。


 そして、最初に会った時から、ずっと気がかりなことがあった。


 ――彼女の瞳の奥底には、まるで雨を待つ雲のように、深い悲しみが沈み込んでいるのだ。


 なぜなのだろう?


「もしかしたら苦手なものがあったかな? だとしたらごめんね」

「いえ、何でも食べられます。実は子供の頃に――」


 彼女は、家族同然の親しい侍女から教えてもらったという、不思議な話を始めた。


 なんでも、食べ物を残すと夜にモンスターに化けて襲ってくるという話があまりに恐ろしくて、嫌いなものを克服できたらしい。


「……くっ!」


 あまりに可笑しくて、つい吹き出してしまった。彼女が語った話はあまりにも奇妙で、古今東西を問わず聞いたことがなかった。そんな僕の様子を見ながら、彼女は今日初めて、頬を少し緩ませた。


「あ、あの」


 彼女は硬貨くらいの小さな包をおずおずと取り出した。


「それは?」

「キャンディーです。甘さ控えめで、とてもすっきりした味です。よくわからないものはお口にされないかと重々存じておりますが……。食後のお口直しに、お一ついかがでしょう?」

「……」


 僕は、知らない女性から媚薬を盛られたことなどもあり、口にするものは強く警戒している。普段の自分だったら、ほとんど初対面の子が渡してくるお菓子など絶対に食べない。


 だが――。


「せっかくだから頂くよ。ありがとう。君が食べ物を粗末にしたり、悪いことに使ったりするような人だとは思えないから。それに僕だって、そのなんちゃらモンスターに襲われたくないしね」

「……どうぞ」


 受け取った飴を頬張った。


 ハーブを使っているのだろうか。香りがとても爽やかだ。口の中で転がした。


 それにしても……。


 モッタリナリモンスターなんて、まったくおかしな話だ。前も思ったけれど、はるか遠い異国の言い伝えなんだろうか?


 確か……うん。そう。


 残した食べ物が夜に薄着のマッチョに変身して、包丁を持って前腕を見せつけながら、「食べるいい子なのかい? 食べない悪い子なのかい?」とか言って迫ってくるんだっけ。


 また吹き出しそうになってしまう。


 でも、あんまり笑ってしまったら、また彼女が怒ってしまう。


 前も笑いすぎた僕をにらみながら、彼女は頬をふくらませていたっけ。


 そんな顔も、とても可愛らしかった。


「……」


 もう後がないような必死さを滲ませた彼女を見つめた。


 ――彼女に出会えて。


 自分の素を全部さらけだせて、心から笑い合える人がこの世界にいるんだって、僕ははじめて知った。


 彼女は不思議な豆知識にやたら詳しい。豆知識スイッチが入ると。いきなりおかしな話をまくしたて始める。隙あらばいつも僕の腹筋を攻撃してくる。


 笑うことで幸せな気持ちになれるなんて、僕は知らなかった。


「……」


 泣き出しそうな彼女を見つめた。


 ――いま、彼女の瞳に沈み込む深い悲しみ。


 それは、何かがどうしても上手くいかなくて困ったり。


 どうしようもなく一人ぼっちで、つらい思いをしたり。


 生きることそのものに、行き詰まってしまったり、虚しくてたまらなくなってしまったり。


 そんな誰かの悲しみが――彼女の瞳には、まるで鏡のように映し出されているように思えた。


 ……この世界は、本当は悲しみと虚しさに満ちている。


 それは仕方のないことだ。当たり前のことだ。彼女だって、きっとそんなこと、わかりきっているはずだ。


 でも彼女は――誰かが抱いてしまったその感情を無意識に感じ取ってしまって、いてもたってもいられなくなってしまうんだ。


 そして僕は――彼女のその優しさが、この世界で最も尊くて、かけがえのないもののように思えて、ずっと惹かれているんだ。


「……」


 今にも涙が溢れそうな彼女を見つめた。


 ――もし彼女がいなかったら、父との関係もいつかは壊れてしまっていただろう。


 僕は父のことを理解していなかった。父のことを典型的な貴族の価値観を持つ人だとしか思っていなかった。


 しかし彼女のお陰で、僕は父の不器用な優しさを知ることができた。


 なのに僕は――。


 彼女のことを忘れてしまっていた。


 みんなも彼女のことを忘れていた。


 彼女は一人になり、とてもつらくて、苦しかったはずだ。


 一体誰が、こんなことをしたというんだ。


 もう二度と。


 もう二度と彼女の瞳に悲しい曇り空なんて出させやしない。


 なぜなら、僕は彼女のことを――。


「エミリー」


 立ち上がり、唯一無二の人の名を呼んだ。


「僕は君なしでは生きられない」

「……」

「だから、お願いだ。もう一度、もう一度君と出会って――」


 ひざまずいて手を取った。


「君を愛したい。だから君の人生を、どうかもう一度、僕に恵んでほしい」

「フェル様……」


 頬から雫が溢れた彼女を、強く抱き寄せた。身体をかすかに震わせると、彼女は激しく泣き始めた。


「ごめんね……」

「フェル様……!」

「ごめんね、ごめんね……」

「フェル様……! フェル様……!」

「ごめんね……ずっとつらい思いをさせちゃったね……ごめんね……!」




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