36. カトリーヌ・グラヴィエ4 / 家族への想い
「カトリーヌ。これが今日、わが家に届いた手紙だ……」
グラヴィエ侯爵邸でのんびりお茶をしていた私の前に、ゲームの父役キャラが膝をつき、ゆっくりと手紙を捧げてきた。
「……」
無言で手紙を受け取り、いつものように差出人を確認する。すると、その中の一通に目が留まった。
「これって……?」
その手紙には王家の封蝋が押されていた。王家から直接手紙が届くことは、グラヴィエ侯爵家でも、そうそうあるわけではない。
「あ、もういいから。あっち行け」
ぼうっと居座られると目障りなので、顎を使って下げさせる。どんな内容なのだろうと思いながら手紙を開き、達筆な文に目を通していく。
『――というわけだ。ついては、王国の聖乙女の兆しのことで貴公と話をしたい。その際、聖乙女の候補として、貴公の御息女も王宮に招きたい』
えっ?
瑞兆がもう現れたっていうの?
「……ゲームのシナリオが、変わった?」
前世の記憶との違いに、違和感を抱く。
いや、でも。もっと柔軟に考えたほうがいいのかしら?
このゲーム世界に転生して以来、悪役令嬢カトリーヌのシナリオとは正反対の行動を常に選択してきた。
もしかしたら、そのことによって世界全体のルールが変わったのでは?
「うふふっ!」
可笑しくなって笑ってしまった。まあ、悪役令嬢モノならありがちな展開よねぇ。あらゆることが都合よく変わっていってハッピーエンド。まさにお約束。
「それとも……」
もしかしたら私、悪役令嬢ルートをついに見つけちゃったのかしら!? だとしたらどうしよう! 前世の自分に教えてあげたいくらい!
冷静に考えても、何の懸念もない――。
学院の人間すべてに、私からの「お願い」をいつでも聞いてもらえるようになれば、私の勝利は確定したも同然だ。
すでに教師や三年生は攻略済み。あとは下級生たちにも私のパウダーをちょっと吸ってもらえば――。
学院は、いや未来は、私のものになる。
なぜなら、ヴェルナーサ学院はただの学校ではないから。
あの学院には、この国の上流階級である貴族の子女たちが全て集う。平民の生徒にも裕福な家の出身者が多く、成長した後には経済界に影響を与える存在も多数出てくる。
つまり、彼らだけでなく、彼らが将来学院に入れる子供たちにも私のパウダーを吸ってもらうようにしてオモチャを量産し続ければ――私がこの世界に死ぬまでいることになっても、安泰ってこと。
「まあこんな美味しい世界、仮に帰れても、帰る気なんてさらさらないけどね~!」
いよいよ私が、この世界の真のヒロインとなる時が来た――。
……それにしても。元ヒロインのローラ、それとあの忌々しいチュートリアルのクソモブ女は本当にウザかった。
ローラはいくら痛めつけてやっても、なぜか学院を辞めようとしなかった。そしてあのクソモブは、チュートリアルしか出番がない雑魚のくせに……。
なぜか生徒会にしれっと入ったと思ったら、垂涎のレアアイテムまでゲットするわ、その後も私の邪魔をするわ……。
調子こきやがって……!
ふざけるんじゃねぇよ! ゲームキャラの分際で、プレイヤー、つまり人間様であるこの私の攻略を手こずらせたなんて、万死に値するわ……!
記憶だけじゃなく、存在ごと消し去って、さっさとスッキリとしたいところね。
おっと、ローラの方は生かしてあげなきゃ。あのヤンデレのセルジュが、何をしでかすかわからないから。
……でも、あのクソモブとまとめて、傷モノにするくらいは許されるかしら?
「あーもう! どうしよっかな~!」
何でもできちゃうのも困りものね。これから忙しくなるわ!
♦♢♦♢♦♢
「ローラ、このお店よ」
「な、なんだか、とっても素敵なカフェね。初めて来たわ……」
一緒に学院を早退した私とローラ。
私たちは、ジュディ様に教えてもらったカフェに来ていた。学院の外で落ち着いて話せる場所として、ぱっと思いついたのがここだった。
カラン。
お店のドアを開けると、カウベルが心地よく鳴り響いた。
「いらっしゃいませ。ようこそまたお越しくださいました。こちらへどうぞ」
今日も店員さんは、私を見てニッコリと笑うと奥に通してくれた。重たい扉がゆっくりと開き、私たちは個室に入った。
「すごい場所ね……何の部屋なの? ここ……?」
豪華な内装に見とれながらローラは座ろうとした。
「……キャッ!」
「ローラ!」
柔らかすぎるソファの上で体勢を崩しそうになった彼女に、慌てて腕を伸ばした。
「だ、大丈夫……」
「ローラ! ごめん! 私も前に転びそうになったから、先に言えばよかったわ。そのソファ、体重全部もってかれちゃいそうよね?」
「私の家のソファ、こんなにふかふかしてないんだけど……」
「家にこんなのあったら、一日中ずっと座ったまま、そのまま寝ちゃうかも」
「うんうん。これは人をダメにするやつだわ」
「ふふっ!」
ローラと笑い合った。こうして二人で他愛のない話ができることが、まるで奇跡のように思えた。
「エミリーはここによく来るの?」
「ううん。たまたま知っただけ」
「そうなんだ。さっき、店員さんがまるでエミリーのことを常連さんみたいに接してたから」
「来たのはこれでまだ三回目よ」
そんなことを話しながら、店員さんを呼び注文をした。お茶が届いた後、今までのことをお互いに一通り話し合った。
「――私だけじゃなくて、エミリーのことまでみんな忘れていたのね……」
ローラは痛ましげな表情を浮かべた。
「私は大丈夫……。それに、ローラのネックレスのおかげで、何とか状況が打開できたのよ」
「でも……。私に隠れた凄い素質があるなんて言われても、とても信じられないわ。その力を再現してって仮に言われたって、私、できるかしら……」
ローラは心細そうだ。
そうだよね……。いきなりそんなこと言われたって信じられないし、むしろ責任を感じてしまうと思う。
「ねえローラ。今できることを考えようよ。少なくとも、まだあと二回は試せるんだから」
「そうね。あと二回……。なら、シャルル会長とフェルナン様ね」
「うん!」
二人でうなずき合った。けれど、ローラがまだ何か話したそうな顔をしていたのでたずねた。
「ねえローラ。夜会の他に、何か気になることはあった?」
「……」
しばらく沈黙した後、ローラは口を開いた。
「実は、セルジュのことなんだけど……」
「セルジュ?」
彼女によると、セルジュが「学院を辞めてサヴィーア男爵家も出て、二人で生きよう」と迫ってきたというのだ。
「――前にもそんなことを言われたことはあったけど、セルジュの様子がいつも以上に強引で、ちょっとおかしかったの」
「おかしい?」
「学院にこのままいたら、危険な目に遭うかもしれないって」
「危険な目……」
「そのときは、前の嫌がらせの件みたいな話かと思ったのだけど――」
セルジュはかなり切迫した様子だったらしい。
「それとね。彼はこうも言っていたわ。卒業後、彼はグラヴィエ侯爵家の当主になる見込みなんだって」
「えっ? 代替わりってこと? それはまた随分と急ね……」
グラヴィエ侯爵家の跡継ぎは、今はカトリーヌ様しかいないはず。この国は正当な理由があれば、女子でも当主として認められる。ただ、親戚筋からの養子ということになっているセルジュに、継承権が移ること自体は一応理解できる。
でも……。
現当主が健在なのに代替わりするとなると、話は別だ。なぜなら、後継者は少なくとも、領地や王宮などでちゃんと実績を積んでから当主となることが一般的だからだ。
当主が早逝したり、重病などで実質的に不在状態となった場合は、その限りではないけど。
そう。当主が不在になれば……。
『ゾンビは死者が操られるのが定番です。しかし、生きながらになってしまうケースもあります』
メグミの言葉、そして、教師への暴行事件の際にカトリーヌ様のことをまるで「ゾンビ」みたいに陶酔して見つめていた男子たちのことを思い出す――。
強い悪寒に襲われた。
まさか……。
カトリーヌ様は、自分の父親まで洗脳しているの……?
いや、まさか、そんな……。
「ねえ?」
ローラは悲しげな顔を向けた。
「セルジュも、関わっていると思う?」
「……」
「私、セルジュともう一度、ちゃんと話してみようと思うの! こんな大変な事件を起こしてしまったかもしれないなんて……!」
「ダ、ダメよ! あまりにも危険だわ! ローラがいなければ、私は無事でいられなかった! アレクシス様だって記憶を取り戻せなかった!」
「……」
「ローラ、聞いて。あなたは、みんなの希望なのよ……!」
「エミリー……」
ローラは目に涙を浮かべ、両手を握りしめながら震えていた。
どうすれば……。
いつも頼りになるフェル様。そして、ローラがつらい目にあっているときでも、彼女のことを支えてきたシャルル会長のことが浮かんだ。
……やっぱり彼らも絶対に必要だ。
なんとかしなければ。




