06. 学院の聖純姫
翌日。朝の待ち合わせ場所でローラを見つけた瞬間、思わず駆け寄った。
「ローラ! おはよう~!」
「ちょっと、エミリーったら。ヴェルナーサ学院の生徒は、『ごきげんよう』って言うべきなんじゃなかったっけ?」
ローラはからかうように笑った。朝日に揺れるラベンダー色の髪がきらめき、その碧眼は水面に反射する光みたいに輝いていた。
「正解!」
軽口を交わせる安心感が嬉しくて、私も笑った。素敵なローラ。楽しくて聡明で、優しい彼女のことを知れば知るほど、もっと好きになっていく。
初めて会ったときから私は――ローラのことを、素敵なおはなしの中に出てくる“ヒロイン”みたいな女の子だと思っている。
「ローラ、あれから大丈夫だった?」
「エミリーこそ。私の方はね――」
昨日のことをお互い話し合った。
「――へえ~。すぐに治してもらったんだ。本当によかったわ。やっぱりお噂通りに凄いのね、フェルナン様って」
「あ、うん……」
実は、彼に抱き上げられた昨日の感触はまだ身体に残っていた。再びそれが蘇ってしまって、落ち着かない気持ちになった。
「なら、足はもう平気なのかしら。だってエミリー、さっき全力で走ってきたし」
「そうよ! すっかり治っちゃったみたい!」
令嬢らしからぬ動作でわざとらしく足を軽く蹴り出すと、ローラが呆れたように肩をすくめる。他愛のないやり取りをしながら学院の門をくぐる。
「それでね――」
「ちょっと待って、エミリー」
「ごきげんよう」
――黒髪の美女が立っていた。
彼女の背後には十人以上の生徒たちが控え、彼らからの冷たい視線が一斉にこちらへ向けられた。
「はじめまして、ローラ様」
艶やかな黒のロングヘア、わずかに吊り上がったアメジスト色の瞳。その優雅な微笑みの奥は、どこか読み取れなかった。
「私、カトリーヌ・グラヴィエと申します」
「……」
密かに息を呑んだ。
――学院の聖純姫。
このキャンパスの頂点に君臨する彼女の存在感は、やはり圧倒的だった。
「昨日は大変な目に遭われたと聞きましたわ。私、とても心配しておりましたの」
「お、恐れ入ります」
ローラにだけ向けられる優しい言葉。対して、私の存在は透明なガラスのように、視界に入っていないかのようだ。
「これから困ったことがあれば、私に何でもお話くださいな」
「え、ええ……」
恐縮するローラをじっと見つめた後、踵を返しかけたカトリーヌ様――けれど、そのまま去ると思ったその足が、ぴたりと止まった。
「ところで、ローラ様は――」
カトリーヌ様はローラに近づくと、耳元に顔を寄せた。
「乙女ゲームって……お好き?」
「え……?」
ローラが怪訝そうに眉をひそめている。私だって知らない。
……おとめげぇむ? それって何?
流行に疎い私には、初耳の響きだった。
カトリーヌ様を見たら、笑っていた。
そして、微笑みを崩さぬままアメジストの瞳でローラを射抜くように見つめていた。
「……」
背筋の奥がぞわりと冷えた。その美しさの裏に、底知れない何かをほんの一瞬だけ垣間見た気がしたから。
「……お忘れになって」
吐息ほどの声でそう告げ、カトリーヌ様は今度こそ踵を返す。長い黒髪が夜の帳のようにひるがえり――彼女はもう振り返らず、群れを引き連れて去っていった。
「ね、ねぇ、エミリー」
「うん」
「カトリーヌ様がさっき言ってたんだけど……“おとめげぇむ”って、知ってる?」
「いいえ、知らないわ……」
遠ざかるその背中を無言で見送った。謎めいた彼女の言葉だけが、まるで呪いみたいに耳の奥へ沈み込んで、しばらく抜けなかった。
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