18. 告白
「あ、エミリー!」
お昼休みに待ち合わせたナタリーが言った。
「フェルナンから伝言よ。旧校舎のバルコニーで待っているって」
「えっ? フェル様が?」
「じゃあ私たち、先に食堂に行ってるわね!」
「またあとでね!」
ナタリーとローラは行ってしまった。急いで旧校舎の三階へ向かうと、美しい花を咲かせた木々を背に、彼がベンチに座って待っていた。
「フェル様!」
「やあ」
「……お怪我は大丈夫ですか?」
一見すると、いつも通りの彼。けれど、制服の下の右手には包帯が巻かれているはずで、あらためて心配でたまらなくなる。
「ありがとう。安静にしていれば問題ないよ」
「フェル様……」
「生徒会として、生徒の安全を守ることは使命だ。それにね――」
彼は左手で私の手をそっと取り、熱を帯びたまなざしで見つめてきた。
「君のかけがえのない家族を守ることも、当然のことだ」
「あ、ありがとう、ございます……。あの、アランは大丈夫ですか?」
「叔父上かい? 無事だよ。ちょっと骨折しちゃったけどね」
「ええっ!?」
「応急処置をしっかりされていたから、大丈夫だと思う。ただ……」
「ただ?」
「叔父上は、どうも風邪をこじらせてしまったみたいだ。だから今は入院している」
そんな……!
「大丈夫。叔父上は強靭だ。騎士だから鍛え方が違う。それに以前から、そろそろ休めと周りに言われ続けていたんだ。きっといい休暇になると思うよ」
「左様ですか……」
本当に申し訳なくなる。今度お見舞いにいかなきゃ……。
「エミリー」
「はい」
「昨日、父上と殴り合いのケンカをしそうになったよ」
「えっ!? ど、どうして……?」
「……価値観の違い、かな」
「……」
不安と疑問に駆られる私に、フェル様は穏やかに微笑みかけながら言った。
「未遂だから、安心して。父と冷静に話すことができた理由は、君が話していた『ツルーリとウォーン』のおかげだ。つまり、君のおかげだよ」
?
クエスチョンマークが浮かんだ。
ツルーリとウォーン? そんなこと話したっけ?
私は混乱した。
「もし父と大喧嘩をして関係が壊れてしまったら……。君がきっと悲しんでしまうと思った。だから、僕は父に対して冷静に自分の気持ちを伝えることができた」
あ……。もしかして、私が話したことって「ツルリのウォンがえし」のことかしら。先日語った昔話のことをようやく思い出した。
「ありがとう。エミリー」
「……」
――胸がじんわりと温かくなっていた。
フェル様と御父様の言い争いの経緯はわからない。けれど彼は、あのときの私との約束を、忘れずにちゃんと守ってくれたんだ……。
そのとき、バルコニーに優しい風が吹いた。
彼が私の手をきゅっと握った。
「エミリー。聞いてくれ」
「はい」
「――僕は君が好きだ」
「……!」
心臓の鼓動が急に高まり、透き通るような彼の碧眼に吸い込まれそうになりながら――。
それでも、何かが私のことを強くためらわせた。
「……わが家は男爵家です。とてもフェル様のお家とは……釣り合いません」
どんなに嬉しくたって。
ほしくてほしくてたまらなかった言葉を、もらえたのだとしたって――。
そう言わざるを得なかった。
「エミリー」
彼は顔を近づけると、ゆっくりと続けた。
「君は、僕の両親が僕たちの仲を認めないかもしれないということを、心配しているんだよね?」
「……」
そっとうなずいた。彼は私の胸の内を正しく理解してくれていた。
「僕の家の話をするなら、母が良いと言えば、最後は何でも通る」
「えっ?」
「そして母は、君と僕のことを反対していない。むしろ、応援している」
そ、そうなんだ……。
「それにね。“鬼宰相”とか巷で言われている父も、母だけには弱く、絶対に勝てない」
「な、仲がよろしいということでしょうか?」
「そうだ。もっともそれは、最後の手段だから使いたくないんだけどね。それで――」
彼は私の額にそっと自分の額を重ねると、静かに問いかけた。
「君の気持ちは、前向きだと思っても、いいのかな?」
耳に響く彼の甘い声――頭の中はもう真っ白で、喉はカラカラだ。
でも……今までみたいに、返事ができないなんて。
何も言えないなんて。絶対に嫌。
絶対に、絶対に答えるのよ、エミリー!
その強い気持ちだけが、私の口をなんとか動かしてくれた。
「ふぁい」
し、しまった!
ふぁいって何よ! 返事は、はい、でしょう! はい!
「OK、という意味だととらえるよ。いいよね?」
コクコクとうなずいた私の手が、強く握られる。
蕩けるような美しい笑みが目の前に浮かぶ。
立ち上がった彼が私の前に跪く。
「エミリー。僕が父を説得することができたら、僕の家族に会ってもらえないだろうか? お願いだ」
「……」
心臓の鼓動が、全力疾走したときみたいに高鳴っていた。
ずっと悩んでいた家格のこと、フェル様との今まで思い出、ローラたちが励ましてくれたこと。それらがいっぺんに頭の中に浮かぶ――。
息を吸った。
「――はい。お会いさせてください」
「ありがとう」
フェル様が私の手の甲に口づける。バルコニーに再び柔らかな風が吹き、花びらが舞い落ちてくる。
それはほんのわずかな時間だった。
けれど私には、永遠のように思えた――。
「またあとでね、エミリー」
「はい、フェル様」
夢見心地な気持ちの中で思った。
私たちの仲を応援してくれているフェル様のお母様。一体どんな人なんだろう?
元王女様なんだよね……。だからきっと、凄くおしとやかな淑女で、宰相様もメロメロになっちゃうような、深窓のお姫様みたいな人なんだろうな。
そんな人にいつかお会いするなんて、今から緊張しちゃう。
まだ見ぬご両親の姿を想像しながら、ローラたちが待つ食堂に急いで向かった。




