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16. 妹の危機


「えっ? 楽団?」

「ええ。どうしようか決めかねていまして……」

「そうなのね。あなた楽器も得意だし、お友達が増やせるならいいかなって思うけど」


 通学中に妹から相談を受けた。どうやら同級生から学院の楽団に勧誘されているらしい。私自身は入学早々、友だち作りに非常に苦しんだ経験があったので賛成した。


「練習は朝と放課後?」

「はい。ただ、朝はいろいろ忙しくて……」


 アメリはなんだか気乗りしない様子だった。どうしたのかな? そういえば、妹は最近なぜか緑色の傘を持って朝早く家を出ることが増えてきていた。別の用事と被ってるのかな?


 それにしても楽団か……。ちょっと懐かしくなる。


 楽団といえば、去年アレクシス様と一緒に解決した(?)、旧ホールのお化け騒ぎのことを思い出す。あれからもうあっという間だ。新ホールの増設はもう終わっているので、楽団はそっちで練習しているはずだ。


「もしあなたが楽団に入ったら、ローラと見に行ってもいいかしら?」

「えっ? ふふっ。構いませんけど、なんだか恥ずかしいですわ」


 アメリは可愛らしくはにかんだ。




「――エミリー先輩」


 休み時間に一人で歩いていたら、突然名前を呼ばれた。振り返ると、セルジュ・グラヴィエが女の子たちに囲まれながらこちらに手を振っていた。


「少しお話しません?」

「いいけど……」


 セルジュが微笑みを浮かべながら近づいてくる。彼の正体をローラから聞かされてはいるものの、感情の読めない瞳につい警戒心を抱いてしまう。すると彼は振り返った。


「あ、みんな。悪いけど、俺はエミリー先輩と話があるから。またね!」

「えー!」

「そんなぁ!」


 取り巻きの女の子たちは、いかにも「なによ、この女」と言いたげに私を睨みつけながら去っていった。


「……何か御用かしら?」

「あれ?」

「……」

「なんだか俺、怖がられてます?」

「べ、別に……」


 類まれなる美貌を持つセルジュは、下級生の男子の中でたぶん一番モテる。そんな彼に声をかけられて嬉しくない女子なんて珍しいのかも。


「……もしかして、聞きました?」

「え?」

「姉さんから、俺のこと」


 セルジュの「姉」は、あのカトリーヌ・グラヴィエ様だ。……表向きは。けれど、心の奥底を覗き込むような彼の瞳に、その真意を悟る。


「……聞いたわ」

「……他に知っている人間はいますか?」

「いないと思うわ」


 ローラの生まれのことだけでなく、セルジュの秘密のことも知っている人は、たぶん私だけだと思う。


「……」


 彼は皮肉めいた、けれどどこか悲しげな表情を浮かべた。


「姉さんの一番の友だちのエミリー先輩だから言うけど――こんな学院、姉さんには早く辞めてほしいんだ」

「え? ど、どうして?」

「さあ? 何でだと思います? だからエミリー先輩の存在は、はっきり言って目障りなんです」

「……」

「だって去年、姉さんへの脅迫が酷かったとき――もしエミリー先輩がいなかったら、姉さんは心が折れて学院をとっくに辞めていたはずだから」

「……」

「でもエミリー先輩のおかげで、姉さんは今、幸せだ。……世の中って複雑ですよ」

「私は別にたいしたことはしてないわ……。それに例えば、シャルル会長だっていらっしゃるもの」


 友だちの想い人の名を思わず言った。なぜなら、誰から見ても彼らはお似合いで、相思相愛だから。しかし。


「ふうん。シャルル……ねえ」

「……」


 セルジュが急に殺気を放ち、身が竦む。しかしすぐに、彼は作り笑顔へと戻った。


「……ふっ。信じてもらえないかもしれないけど、俺、エミリー先輩のこと、結構好きなんですよ」

「えっ?」

「だからまあ、いろいろと気をつけてくださいね」


(気をつける? どういうこと?)


 そう聞こうとしたけど、セルジュはさっと身を翻して行ってしまった。




「――アメリさん、うまくやっているかしら?」

「どうかな~」


 放課後になり、私はローラを誘って一緒に新ホールへ向かっていた。今日は生徒会の予定が無いので、楽団に入った妹の様子を見に行くことになったのだ。


(あ、そうだ。この前のセルジュとのこと、ローラに話そうかしら……?)


 そう思った矢先。


「おーい、二人とも!」

「あら」

「やあ」


 手を振りながら現れたのはアランとフェル様だった。


「どこに行くんだい?」

「今から新ホールに行くところでして――」


 妹の話をした。


「へえ、面白そうだね。ねえ、フェルナン。僕たちも見に行こうよ」

「はい」


 フェル様も微笑みながらうなずいた。急に大所帯となった私たちは、立派な新ホールの中に入り、楽団の練習場がある階上へと向かった。


「キャー!」


(な、なに?)


 突然、女子の悲鳴が響いた。私たちは顔を見合わせ、急いで階段を駆け上がった。広い一室へ足を踏み入れると、そこには信じられない光景が広がっていた――。


「この泥棒猫! 絶対に許さない!!」


 一人の女子生徒がなんと刃物を煌めかせながら、もう一人の女の子へじりじりと迫っていた。凶器を突きつけられたその相手は。


「ア、ア、アメリ!」

「お姉さま!」

「殺してやる……!」


 アメリに著しい殺気を向ける生徒の顔は、死霊に取り憑かれたように激しく歪んでいた。明らかに正気とは思えない。それは、かつて旧校舎のバルコニーでローラを囲んでいた女子たちの異常な姿とそっくりだった。


「――君、止めるんだ」


 アランがすっと前に出て、眼鏡をくいっと上げた。


「話があるなら僕が聞こう」

「この女が! この女がシャルル様を誑かしているよ!」

「はあっ!?」


 私たちは疑問の声を一斉に上げた。


 そんなバカな。


 シャルル様、つまり会長のことだと思うけど、アメリとは何の接点もない。そもそも、妹が好きな人はアレクシス様だ。そして、シャルル会長の本当の想い人は、すぐ隣にいる私の友だち――。


 一体どうしたら、アメリがシャルル会長を誑かしているなんていう発想になるのか、さっぱりわからない。


「君は何か誤解している。さあ、その刃物をこちらに渡すんだ」


 穏やかな声で語りかけながら、アランは静かに距離を詰めていく。しかし、女子生徒の瞳に宿る狂気の色は消えない。


「シャルル様の心を惑わす泥棒猫! ぶっ殺してやる!!」


 彼女が白刃を振りかざす――。


「アメリ!」

「待て!!」


 駆け出したアランを凌ぐ俊敏さで、一人の男子がその間に割って入った。


「フェル様!」


 しばらく揉み合った後、フェル様は刃物を巧みに取り上げた。一方、女子生徒は髪をかきむしりながらベランダの方へ駆け出した。


「くそ! くそ! くそ! もう死んでやる!!」


 ま、まさか、死ぬ気!?


「待つんだ!」

「アラン!」


 彼らがほとんど同時にベランダから落ちる瞬間が、白昼夢のように視界に映る。ベランダへ駆け寄り、縁に手をかけて下をのぞき込む。そこには、少し先にある地上の噴水の中に倒れ込む二人の姿があった。


「アラーン!」


 アランはずぶ濡れのまま立ち上がると、女子生徒を抱えながらこちらを見上げて大きく手を振った。まるで私たちに、大丈夫だよって、いうみたいに。


「アラン……」


 生徒を抱えたまま魔法を詠唱して、衝撃を吸収しつつ、噴水に着地したのだろうか。……すごすぎる。さすが凄腕の魔術師だ。


(ハッ!)


「ア、アメリ! 大丈夫!?」

「お、お、お姉さま……!」

「よかった……!」

「お姉さま……! 怖かった……!」


 震える妹を強く抱きしめた。


「アメリさん、怪我はないか?」

「はい……。フェルナン様、ありがとうございます」

「いいんだ」


 妹に優しげに微笑むフェル様。けれど、なぜか腕を背に回したままの彼の顔は、どこか青ざめていた。すると大柄な生徒が息を切らせながら現れた。


「大丈夫か!」

「アレクシス様!」

「はあ、はあ、はあ。皆も来ておったのか。楽団の生徒から通報があって駆けつけたのだが……」

「アレク。下に女子生徒が落ちた。様子を見に行ってくれ」

「……フェル? お、お前……?」

「……」


 フェル様はアレクシス様の問いに答えぬまま私たちへ向き直ると、冷たい口調で早口に言った。


「君たちもすぐ下に行くんだ。おそらく教師たちが来ている」

「わ、わかりました」


 強張った表情の彼の勢いに押され、ローラと一緒にアメリを支えながら新ホールを出る。噴水の周囲にはすでに人だかりができていて、アランの姿は見えなかった。しかし、こちらに向かってくる知り合いの教師の姿を見つけた。


「先生!」

「どうした!? 何があった!?」

「妹が、襲われて!」


 アランのことも心配だったけれど、教師に事情を取り急ぎ説明した。


「――そうか、わかった。君。詳しい話を聞かせてほしい」

「……アメリ、また後でね」

「はい」


 教師と共に去る妹を見送り、アランがいるはずの噴水の方へ向かおうとすると、優雅な声で呼び止められた。


「――お二人とも、ごきげんよう」

「カトリーヌ様……」

「何やら大変な騒ぎですね。なにかございましたの?」

「……」


 カトリーヌ様はその美貌に困惑した表情を浮かべていた。けれど、瞳の奥には、こちらを探るような鋭い気配が漂っているような気がした。


「え、ええと……」

「聞かせてくださいまし」


 正直、そんな状況じゃないんだけどな……。でも、その神秘的な深紫の瞳には、私たちを逃さないような圧があった。


「実はこちらの練習場で――」


 私に代わってローラが手短に経緯を説明してくれた。カトリーヌ様は無表情のまま話を聞き終えると、口を開いた。


「まあ! なんてこと! それは大変なことでございましたね!」

「ええ。本当に危ないところでした……。でも、エミリーのおかげで現場にちょうど居合わせることができて、何とかなったんです。ね? エミリー?」

「えっ? あ、はい。偶然こちらに来ておりまして……」

「偶然……そう……」


 カトリーヌ様にじっと見つめられ、背筋に冷たいものが走った。


「……おっと。お取り込み中ですよね。失礼いたしますわ――エミリー・ランベーヌ様」


 そう言って、カトリーヌ様は去っていった。


「……」


 彼女の後ろ姿を見ながら、違和感を覚える。


(なぜだろう……?)


 ――そうか。これまで顔を合わせても、私のことはまったく眼中にない様子だったカトリーヌ様。そんな彼女が、私の名を呼んだのは初めてだったからだ。


「ね、ねえ、エミリー」

「うん?」

「私たち何か……カトリーヌ様のお気持ちを損ねるようなことを言ってしまったかしら?」


 ローラの顔にも困惑の色が浮かんでいた。確かに私も、カトリーヌ様からどこか強い苛立ちのようなものを感じていた。


(……どうして?)


 けれど、そのぼんやりとした疑問は、すぐにかき消されてしまう――。


「お師匠! ローラ!」

「アレクシス様!?」

「フェルが大怪我だ!」

「ええっ!?」




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