13. 高橋恵2
「あら?」
私、メグミ・タカハシは、エミリーお嬢様のお部屋の掃除中、あるものに気付いた。
お嬢様の机の横には何やら絵の練習をした形跡があり、その下には絵の具の道具入れが置かれていた。
「これって……?」
お嬢様は時々この道具入れを学院に持参している。しかもお嬢様は昨日、「絵の授業がんばるわ!」と言っていたような……。
もしかしたら、肝心の道具を持っていくのを忘れてしまったのでは?
間に合わないかもしれないけど、今から届けに行ってみよう。
私は急いでお屋敷を出た――。
「ええと、一般クラスの、三年生の校舎よね……?」
学院の正門で受付を済ませ、やたら広いキャンパスの中をそろそろと歩いていく。
「こっちの方かしら……?」
学院内に足を踏み入れるのは今回初めてだ。授業中なのだろうか。歩いている人はほとんどいなかった。キョロキョロしていると、壮麗な校舎や美しい木々が目に映った。
(う~ん、素敵な学校。ここはやっぱりゲームの世界なのね……)
前世の私はゲーム好きだったけど、乙女ゲームについては詳しくない。けれど、自分の中のふわっとしたそれらのイメージと、目に映るキラキラした風景は一致しているように思えた。
広いキャンパスを迷いそうになりながらフラフラ歩いていると、突然鐘の音が響き渡った。すると、校舎から生徒たちが次々と出てきた。
みんな若いわぁ……。前世で学生だった時代が、私にもあったなぁ。普通の公立に通っていたけど、おしゃれな私立に行きたいとか思ってたっけ。
お嬢様もいつも着ている、この学院の白い制服はとっても素敵だ。
もし自分がこの世界に生まれていたら、制服目当てでこの学校に行きたいって言って、母を困らせていたかもしれない。
「……」
(お母さん……)
しばらく立ちすくんだ、そのとき。
「――どうされましたか?」
振り返ると、柔らかなピンクブラウンの髪をした、丸い眼鏡をかけた男子生徒が、心配そうな表情を浮かべて立っていた。
我に返り慌てて名乗った。
「こちらに通う生徒の家のもので、メグミと申します」
「どうもご丁寧に。メグミさんがお探しの生徒のお名前を伺っても?」
「一般クラスの三年生、ランベーヌ家のご令嬢です。お嬢様にご用があって参りました」
「エミリーの?」
「あら」
「これは失礼。申し遅れました。私はアランと申します。エミリーさんとは友人で、いつも彼女には助けていただいております」
その生徒――アランさんは優しげに微笑みながら自己紹介した。しっかりした学生さんだなと思いながら、私も頭を下げた。
「エミリーとは次の授業が同じです。よろしければご一緒しませんか?」
「ありがとうございます」
「では参りましょう」
アランさんはにこやかにいうと、私の案内を引き受けてくれた。
「休み時間にお手数おかけします。アランさん」
「いえいえ、とんでもありません」
横を歩きながら思う――。
アランさんには何と言うか、身のこなしにキレみたいなものがある。穏やかそうな人だけど、実はよく体を動かす体育会系の人なのかしら?
「学生は勉強が本分ですが、困っている淑女をお助けすることは男として当然のつとめです」
「まあ、頼もしいですわ」
「折角いらしたのですから、学院をどうぞゆっくりご覧になさってくださいね。メグミさん」
「いえいえ、ただ忘れ物を届けに来ただけですから」
手荷物を掲げてアランさんに見せると、彼はそっと手を伸ばす――。
「私が持ちます。結構重たそうだ」
彼はお嬢様の道具入れを持つと、眼鏡の奥の端正な顔をほころばせた。
――思わずドキッとしてしまう。
「え、えっと、とっても素敵な学院ですわね。私、校内には初めて入りました」
「左様ですか。広いですから、迷わないようになさってくださいね」
「え、ええ……」
……私は前世を含め、異性とまったくご縁がない。
しかし、アランさんからは大人らしい成熟した気遣い、優しさのようなものが感じられた。
だから、冗談のつもりで言った。
「アランさんはお若いのに、まるで大人の男性みたいですね。ご立派ですわ」
「えっ」
なぜか彼は歩みを止めると、固まってしまった。慌てて弁明した。
「あ、あの! 気を悪くされてしまったらごめんなさい! 老けてるとかそういう意味じゃないんです!」
「い、いえ……普段そんなことをまったく言われたことがなくて、少し驚いただけです」
アランさんは微笑むと、再び歩み始めた。
「メグミさんはランベーヌ家には長くお勤めですか?」
「はい」
「では、エミリーの子供の頃もご存知ですか?」
「ええ、もちろん。もう十年以上ご一緒しています」
「そうなんですね。それにしてもエミリーって面白いですよね。普段はどちらかというと大人しいのに、急によく喋りだしたり、思い切った行動をしたり……。一緒にいて楽しい気持ちになれる、素敵な人だと思います」
「おほほ」
アランさんはエミリーお嬢様と親しいようだった。彼と話しているのが楽しくて、ついおしゃべりになってしまった。
「――そういえば、こんなこともありましたわ」
「ええ」
「お嬢様が小さな頃、避暑地で怪我したモモンガを拾ったことがありまして」
「ほう、モモンガですか」
「二人で頑張って世話して、モモンガの怪我は無事治ったんですけど……。ある日両手を開きながら聞かれたんです。『メグミ、凧ある?』と。どうしてとたずねたら、『これからモモンガのリハビリするのよ』って。慌ててお止めしましたわ』
「アハハハハ!」
アランさんは爆笑した。
あらいけない。
主人の子供の頃の可愛らしくも恥ずかしいエピソードを、勝手に同級生に話してしまった。密かに反省していると、彼は再び立ち止まった。
そして、しみじみと言った――。
「そうか……」
アランさんは優しげな、そしてどこか熱の込もった瞳で私を見つめた。
「エミリーがあんなに優しい子なのは……。貴女のおかげなのかもしれないな」
――柔らかな風が吹き、私の頬をそっと撫でた。
……ちょ、ちょっと! 私、何ドキドキしているの!? あ、相手は学生よ!
動揺した気持ちを隠しながら歩を進めていると、アランさんが先を示した。
「メグミさん、あちらを。お~い!」
ローラ様と一緒にいたお嬢様は私に気づくと、驚いた表情で駆け寄ってきた。
「メグミったら、どうしたの!?」
「お嬢様。こちらをお忘れではないかと」
「ほら」
アランさんがにっこりと笑いながら道具入れを掲げ、お嬢様はいかにも「やっちまった~」という顔をした。
「お忘れでした……」
「ふふっ。間に合ってようございました」
「メグミったらわざわざ持ってきてくれたのね。ありがとう。迷ったりしなかった?」
「大丈夫です。こちらのアランさんが、ご案内してくださいましたので」
「良かったね、エミリー。これで今日も個性的な絵が描けるよ!」
「……ちょっとアラン。それってどういう意味?」
二人はやはり仲が良さそうだった。
「メグミさん、ごきげんよう」
ローラ様とも挨拶する。可憐なローラ様を見ていると、やっぱりゲームのヒロインみたいだと思ってしまう。
「メグミ、ありがとね!」
「いえいえ」
「メグミさん、お気をつけて」
「はい」
優しげに微笑むアランさんに会釈して、帰路に着く。
なぜか心臓の調子が、少しおかしいような気がするけど……。それには気付かない振りをして気合を入れる――。
帰ったら、もうひと仕事頑張ろう!
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