12. 君を悲しませたりしない
「ピーッ、ピッピッピ、フゥゥオーッ」
うつむき続ける私の耳に、庭園にいた野鳥の個性的なさえずりが木霊した。その野鳥は、今の時期によく鳴くことから季節の風物詩の一つだ。
鳥つながりだろうか――。
以前メグミから聞かされた、不思議な昔話のことをふと思い出した。
えっと、なんて鳥だったっけ?
聞いたことのない名前の鳥だったな。なんだったっけ?
ツ、ツ、ツル……ツルリ? だったっけ?
メグミが語った話によると――そのツルリが、どうやったのかわからなかったけど、人になって、ええと、こっそりと服を作って? そして……。
最後にその鳥は、本当は好きな人とずっと一緒にいたかったはずなのに――。
どこかに飛び去っていっちゃうんだっけ……?
あらすじの記憶が怪しかった。でも、メグミがあの時言ったことは、はっきりと思い出すことができた――。
『どちらかだけが悩んだり、突っ走ったりするのではなく、どこかでお互い腹を割って話さないといけません』
フェル様がいま考えていることを、私はちゃんと理解しないままで、本当にいいのだろうか?
もしかしたら、私だって……。
その鳥みたいに、好きな人に二度と会えなくなって。
そして最後は、一人ぼっちになっちゃうかもしれない。
そんなこと……。
そんな悲しいこと、絶対に嫌だ――。
「……フェル様」
「なんだい? エミリー」
「どうして、そこまでされて、早くご卒業されたいのですか?」
「エミリー……」
何とか絞り出した質問に、フェル様は青い瞳を見開いた。
「そんなに悲しい顔をしないで……」
彼の手が私の髪にそっと触れた。
「君を悲しませるためにやろうとしているわけじゃないんだ……」
切なげに揺らめく彼の碧眼に、胸の鼓動が早まっていく。
「フェル様にも、お考えがあってのことだと思います。王宮にいち早くご出仕し、この国に貢献されようとしていることも、素晴らしいことだと思っています。私なんて、将来も何も、決めていませんし……」
言いたいことをうまく言いきれなくて、胸が詰まってしまう。すると彼は私の頭を優しく撫でた。
「もし僕と会えなくなったら、エミリーはさみしいって思ってくれるの?」
「……」
心に湧き上がる、いつものためらいの気持ち。しかしなぜか今の私は、それを振り切ることができた。
「そうです! 凄く、凄く……凄くさみしいです! だって、生徒会でも、学院でも、フェル様に会えなくなってしまうから……!」
目をつむりながら。
フェル様の掌の温かな体温を感じながら。
何とか自分の本心を、ほんの少しだけ言うことができた。
でもその先が続けられなかった。
――あなたが好きだから。
ずっと一緒にいたいから。
あと、たった、そのひと言、ふた言だけ。その言葉をなんで、どうして私は言えないの?
勇気を出しきれない自分が嫌になりそうだった。
「エミリー。僕たちの関係は、生徒会や学院が無くなったら消えてしまうものなの?」
「そんなこと、ないと、思い、ます。そんなの……絶対に、嫌です!」
「いいかい、エミリー」
瞳に強い意思を宿しながら彼は続けた。
「僕が早く卒業して王宮に出仕したい理由は、君と、いつまでも一緒にいられるようになりたいからだ」
「フェル様……」
「僕たちは血に縛られてしまう存在だ。社交に職業、結婚など、何だってそう。僕たちは生まれというものに、まるで運命のようにとらわれてしまう。でも、人は血だけで決まるわけじゃない。なぜなら、行動でもまた、決まるから。君とこれからも一緒にいるためにできることを、僕は何でもやりたいんだ」
「……」
そうだったのか……。
つまりフェル様は、みんなより一足早く社会に出て、「一人前」になって、私たちの間にある問題をなんとかしたいと、そう考えてくれていたのだ。
いくら彼だって、この国に根強くある常識やしきたりを覆せるかは、わからない。でも……。彼がどこまでも真剣に想ってくれているということが、私の胸をこの上なく温かくしていた。
「……ありがとう、ござい、ます」
「僕は君のことを不安にさせてしまっていた……。ごめんね、エミリー……」
私の頭を何度も優しく撫でるフェル様の顔に、庭園の外から差し込む光が静かに降り注ぐ。
それはまるで、胸の奥に詰まった塞がりをそっと解きほぐし、開いてくれるかのようだった――。
しばらくしてから、彼がふと思い出したように言った。
「ねえ、エミリー」
「はい」
「ええと、たしか、ツルーリ? かな。そんなことをエミリーが言っていたような気がするけど、知らない言葉だな。それって何だい?」
「あ、ええと……」
さっき色々と頭の中で考えていた時、ポロッと口に出てしまっていたようだ。
「『ツルリのウォンがえし』ってお話なのですけど――」
メグミが熱弁した物語のあらすじを彼に話した。記憶がちょっと、いや、かなり怪しかったけど。
「へえ……」
聞き終えたフェル様は、不思議そうな、なんともいえない顔をしていた。
「なんか、ハチャメチャな……異国の? おとぎ話? なのかな? 初めて聞いたよ。う~ん、何だろう。でもどこか、切なくなるおはなしなんだね」
彼もまた困惑しつつ、悲しい気持ちにもなったようだ。
私は、あのときのメグミからのアドバイスを再び思い出しながら言った。
「あの、出過ぎたことだと重々承知しているのですが……」
「うん」
「フェル様のご卒業の件、フェル様の御父上様にも、きっと何かお考えがあるのでしょうし……。あの、例えば、その、ケンカになってしまうとか……とにかく、ご無理はなさらないでください」
「――うん」
フェル様は少し困ったような笑みを浮かべた後、きっぱりと言った。
「そうする。君を悲しませたくないから、必ずそうする。約束だ」
「……」
安堵して深くうなずく私を見て、彼は表情を崩した。
「……ちなみにね」
「ええ」
「僕の正体が実は、かつてエミリーに助けられた謎の鳥っていうことはないから、それも安心して」
「ふふっ!」
急に冗談を言われて、つい笑ってしまった。
「大丈夫ですわ。昔、樹から落ちたモモンガを助けたことはあるのですけど、鳥はございません」
「モ、モモンガか……。実物をちゃんと見たことはないな。ねえ、エミリー。その昔話によると、鳥は服を織ってくれたのだろう? じゃあモモンガだったら、助けてくれた人に、夜はこっそりと何を作るのだろう?」
「そうですわね……。う~ん。傘でしょうか? こんな感じです」
空を舞うモモンガっぽく手を大きく広げて、少し揺れてみせた。
「くっ!」
フェル様は突然ベンチに突っ伏した。
「そ、それってさ、毛織物の傘ってこと? 珍しいね」
「はい。雨の日だと水が垂れてしまいますので、日傘限定ですわ」
「くっ!」
また突っ伏すフェル様。
まったくもう。彼のせいでなんだか可笑しな話になってきちゃったじゃないの。
緑に囲まれた美しく静かな庭園。
そこには、私たちの笑い声と、鳥のさえずりだけが響いていた。




