40. エミリー・ランベーヌの正体
「美味しい!」
「でしょう!? エミリーのお弁当は絶品なのよ!」
「えへへ」
旧校舎のバルコニーで、ローラとナタリーと三人並んでランチ中だ。ローラが私のお弁当の話をナタリーにしたら彼女が興味津々だったので、今日は三人分用意してきた。
「ねえ、ナタリー、これも食べてみて!」
「ありがとう!」
もう一つサンドイッチをナタリーに勧めたら、彼女は嬉しそうに受け取ってくれた。
学園祭が終わり、私たちには静かな日常が戻っていた。
サンドイッチを食べ終えたナタリーはローラにたずねた。
「最近は大丈夫かしら?」
「ええ。もうあれから、本当に何もないわ」
ローラへの脅迫はついに止んだ。閉会式でのシャルル会長の宣言と、ベアトリス様たちへの処分が公表されたことが効いたのだろう。ちょっとした嫌がらせすら、もうなくなった。
――ただ、犯人は彼らで全員だったのかは、実ははっきりしていない。
ベアトリス様と、彼女に加担したジェレミたちは、騎士団から徹底的に取り調べを受けた。その結果、余罪なしという判断がされ、最終的な処分は学院に委ねられた。学院は彼らに一ヶ月から二ヶ月に渡る謹慎処分を下した。
謹慎処分といっても、この学院の学生にとって、それは致命的なものだ。なぜなら、この学院の成績などは生徒が卒業してからも人生に大きな影響を与えるからだ。それはたとえ貴族であっても。
名誉ある学院の在籍中に処罰を受けたという履歴は、まるで白い紙にインクを垂らしたかのように、彼らの人生に拭い去れない痕跡として一生残り続ける。
特に、元許嫁のジェレミの家はとりわけ風評には過敏だった記憶がある。彼が今回の件を挽回することは、極めて難しいように思えた。
彼らは、謹慎という処分以上の罰を受けたのだ――。
「そういえば、ベアトリス様とフェルナンとの婚約の話も流れたみたいね」
「うん……」
今回の件で、ベアトリス様の家はフェル様への婚約の申し出を取り下げたらしい。そのことはフェル様からも聞かされていた。
「ベアトリス様はもしかしたら……学院を辞めるかもしれないわね」
ナタリーはため息をついた。ベアトリス様のあの高いプライドを考えれば、確かにこのまま退学を選ぶ可能性の方が高いかもしれない。
「……」
あのカトリーヌ様に次ぐ、カースト最上位の存在だったベアトリス様の瞬く間の転落ぶりに、恐い気持ちになった。そして私は、すっきりしない気持ちをずっと抱えたままだった。
あの閉会式のとき、ベアトリス様に対して感情的になってしまった。けれど今となっては、同じ人を好きになってしまった者同士――彼女が取り返しのつかない状況に陥ったことに、同情にも似た気持ちがどうしても拭いきれなかった。
「ちょっと、エミリー。元気ないじゃない?」
「……」
「あのね、ベアトリス様が行ったことは許されないわ。今回の処分は妥当だと私は思う」
サンドイッチをずっと弄んでいたら、ナタリーがびしっと言った。
「ベアトリス様はね、きっと……。今まで誰かから本気で叱られたり、諭されたりしてこなかったのかもしれないわ。あの性格のままじゃ、遅かれ早かれ何かやらかしてもおかしくなかったと思うの」
「……」
「でも今回の件で、彼女も自分のことを見つめ直そうとするんじゃないかしら? もしそうなら、まだやり直すことだって、きっとできるはずだわ。それは彼女の選択次第だけれど」
「うん……」
視線を空に移す――。
白い雲がゆっくりと流れていた。頬を撫でるように優しい風が吹く。バルコニーから見える、ひときわ目立つ大樹の枝が微かに揺れていた。
するとローラが言った。
「あっ、そういえば。学院祭のお疲れ様会って、どうしよう?」
「去年の先輩方は野外でバーベキューをしたらしいわよ。私たちも派手にやりたいわよね!」
「ねえエミリー! バーベキューするときはあの燻製肉、また持ってきてよ!」
「え? 燻製肉? なにそれ?」
「うふふ。ナタリーは知ってる? 学食の燻製肉のこと」
「うん、もちろん! あれ美味しいよね!」
「エミリーの家に行くと、なんと食べ放題なのよ!」
「えっ、そうなの!? ちょっとエミリー、それどこで買ったのよ?」
ナタリーにたずねられ、豆知識スイッチが入った私は淀みなく答えた。
「えっとね。ポルペ国のポル―地方の特産物店から買い上げたの。その豚の品種名は、ポルーペと言って、風光明媚な高原でストレスなく育てられた脂肪の甘さといったらもう格別で、ポルペ国の名物なの。ちなみに、それがどうやって燻製にされるかというと、まずポルポルウッドという名の木から燻製用のチップが作られて――」
「ぽ、ぽる、ぽる……?」
我に返ると、ナタリーは目を白黒させ、ローラは苦笑いしていた。
あ……。いつもの癖が出てしまった。頭をかくと、ローラとナタリーは顔を見合わせて笑った。
「エミリーったら、いつものノリが戻ってきたじゃない!」
「そうよ、エミリー。その調子で放課後も頼むわよ!」
屈託のない笑みを浮かべるローラ――私が大好きな笑顔を彼女が取り戻してくれたことに、思わず嬉しくなってしまう。
「ところで。ねえエミリー、その髪飾り素敵ね?」
「えっ!? え、ええと……」
ほっこりして油断していたら、ニヤリと笑ったナタリーが答えにくい質問を投げかけてきて焦る。
実はせっかくもらったものなので、私はそれを神器のように自分の部屋に封印し、個人的な家宝とするつもりだった。しかし翌日、フェル様からすごく悲しそうな顔をされ、髪飾りの所在を聞かれてしまった。それで結局、これを毎日つけるようになっていたのだ……。
「学院祭の模擬店で、たまたま見つけまして……」
「えー? たまたま見つけて? ほんとお~? 誰かさんに買ってもらったんじゃないの?」
「ちょっとエミリー! 私、その話聞いてないわ!」
「いや、あのですね……」
笑顔を浮かべた二人にからかわれながら思った――。
私は入学してからずっと一人ぼっちだった。自分の居場所なんてなかった。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど……。自分がいる場所がたとえどれほど息苦しくても、そこで生きていかなければならないときが、人にはある。
でも今は。心を許せる友だちがいる。自分らしくいられる場所がある。
――そんな自分に、何だか不思議な気持ちになった。
「あ、もうお昼休みも終わりね。いかないと」
「うん。えっと次は……魔法の授業だったかしら? あ、そういえば実技用の杖、新調したんだったわ。えっと、あれ? どこに置いてたっけ?」
「ローラ、いいかしら?」
「なあに? エミリー」
再びスイッチが入った私は、すかさずアドバイスした。
「武器や防具は、装備をして、身につけてくださいまし。持っているだけではいけませんことよ!」
◆◇◆◇◆◇
「今回の件も、あんたの差し金だよね?」
「もう、セルジュったら差し金なんていわないで。それと、あんた、じゃないでしょう? カトリーヌお姉様、でしょう?」
私、カトリーヌ・グラヴィエは、向かいに悠然と座る美男子に向かって苦言を呈した。
私の屋敷――グラヴィエ侯爵家の豪奢な部屋は、ひっそりとした静けさに包まれている。夜は静かな方が好みなのだ。だから屋敷の下僕どもには、無駄な言葉は一切しゃべらせないようにしている。前世でも、夜はテレビをつけない派だった。
「ハハッ! お姉様、ねえ……」
ベルベットのソファーに優雅に腰を下ろす彼は、私の“弟”――セルジュ・グラヴィエ侯爵令息。彼のシャルルたちにも匹敵する整った顔立ちは、攻略対象と呼ぶに相応しい、彫刻のようなシルエットを映し出していた。
「前はお前と呼んでいたろう? 少しは進歩したと褒めてもらいたいものだね」
セルジュは皮肉な笑みを深めた。その碧眼は氷のように冷たく、“姉”の私に対し、さっきから険のある目つきを保ったままだ。
「文句を言いたいのはこっちの方なんだがね。もし“姉さん”にあれ以上の危険が起きていたら、俺はとっくにあんたを殺しているよ」
「大丈夫よ、ローラに身体的な危害は加えないよう調整していたから。あなたとの約束は違えていないわ」
「ふーん。そうなんだ……」
セルジュは殺気をようやく抑えた。
「じゃあ今回の顛末は、あんたの目論見通りというわけかい?」
「そうね、まずまずの結果かしら」
ベアトリスをこの舞台から退場させたことに、私はひとまず満足していた。
実はこのゲームにおいて、ベアトリスはプレイヤーの間では有名な「初心者殺し」だ。
――公爵令嬢ベアトリス・ルーレアン。彼女はフェルナンルートでも、条件によってはシャルルルートでも登場する。
高慢ちきで、幼稚で、いかにもありがちな当て馬キャラ。初見プレイでは、たいてい油断する。しかし、学院生活を通してベアトリスは瞬く間に成長を重ね、魅力的な女性となっていく。そして、ヒロインのローラの強力なライバルとなり、選択肢を少しでも誤れば、プレイヤーをゲームオーバーに追い込んでくる存在だった。
だから私は、ベアトリスを早々に籠絡して私の信奉者になってもらった上で、彼女が成長するイベントをことごとく潰している。
「あんたが最終的に何をしたいのか知らないし、興味もない。だけど、俺との約束はこれからも守ることだね。……忘れるな」
彼は私を再び睨みつけると去っていった。
「……まあまだ、焦る必要はないわね」
他にもライバルとなり得るキャラは、今まで着実に始末してきた。一番警戒していたベアトリスも再起不能にしてやった。あとは、来年入学してくるはずのアメリ――新入生の小娘キャラを消せば、学院の「ライバル」はいなくなる。
できれば今回、本丸のローラを蹴落としておきたかったが。しかし、彼女が「王国の聖乙女」に覚醒するイベントは来年の話だ。それまでまだ、だいぶ時間はある。
私が目指すこのゲームの勝利条件――学院で揺るぎない地位と評判を築き上げつつ、ライバルどもを消して悠々と攻略対象たちを籠絡し、ローラではなくこのカトリーヌが「聖乙女」に推挙されるための条件は、着々と満たされているのだ。
しかし、予想外なことがただ一つ――。
「……どうして髪飾りを、あのよくわからないモブキャラがしていたの?」
ここは、乙女ゲーム『Memory ~ヴェルナーサ学院に咲く乙女の花~』の世界。あのモブがつけていた「乙女の花の髪飾り」は、ゲームタイトルのロゴにも使われている、いわばゲームのシンボルだ。
ヒロインのローラが髪飾りをつけたスチルを出すのに、私も大層手を焼いた記憶がある。なぜなら、あれを入手するためにはルートを確定させ、さらにその攻略対象の好感度を上げまくるだけでは足りない。
幾つもの条件をクリアし、さらに、学院祭の特定の時間にだけ模擬店に出現する、天才デザイナーという設定のレアキャラと会話してはじめて――攻略対象から貰えるという、初心者泣かせのレアアイテムなのだ。あのアイテムを入手できるかどうかで、にわかと熟練の差がはっきり分かれたものだ。
「あのモブキャラ……まさかフェルナンから貰ったっていうの?」
ベアトリスが敵視していた生徒があの女なのは間違いない。もう一度、攻略対象フェルナン・ヴァレットの隣に立っていた女の姿を思い出す――。
「……あっ!」
思わず叫んでいた。
「あいつ! チュートリアルにでてこなかったっけ!?」
前世の記憶を何とか掘り起こす。たしか、どうでもいい豆知識のセリフを吐く、チュートリアル担当のキャラがいた気がする。
あの女にそっくりだ――。
地味で、空気みたいな、いらないNPC。
チュートリアルなんて初回プレイ時に一応するだけで、その後は当然スキップ対象だ。本編にもまったく出てこないキャラなので、すっかり忘れていた。
「そんなチュートリアル担当のモブがどうして……?」
『みなさん! エミリー・ランベーヌに拍手を!』
シャルルが閉会式で言っていた、あのNPCの名前。
……ランベーヌ?
もしかしたらあの女、来年入学する小娘キャラ、アメリ・ランベーヌの姉なの!?
「そういえば……」
以前、下僕どもを密かにけしかけてローラに暴行を加えようとしたとき――現場となったバルコニーは、本来ならヒロインが攻略対象から卒業式で告白される場所。そしてどんなルートでも、チュートリアル担当のモブが、攻略対象に助けられるなんてイベントは存在しない。
転生者は私一人だけに違いないはず。だから、油断していた。
「……まさか、配役が変わっていたりは、してないでしょうね?」
忘れていた「いらない」キャラが、急に危険な存在に思えてくる――。
「いらないモブが、この私のプレイにでしゃばるなんて論外よ」
かすかな苛立ちを感じながらつぶやいた。
「配役が変わるのはこの私、『悪役令嬢』カトリーヌ・グラヴィエだけで十分だわ」
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