39. 乙女の花の髪飾り
「明日からまた忙しくなりそうだなぁ……」
フェル様を待つ間、ベンチで夕日を浴びながら、うーんと背すじを伸ばした。
辺りには学院祭のために建てられたものや飾りなどが残っていて、すべて片付けなければならない。それ以外にも書類の整理とか。準備も大変だったけど、終わった後も仕事は盛り沢山だ。
けれど今の私は、それ以上の充実感に包まれていた。
……来年の今ごろは何してるのかな?
フェル様と一緒にいられるのかな?
だったらいいな……。
なんて思っていた矢先――。
「ごめん、お待たせ!」
突然響いたフェル様の声に驚く。もう少し時間がかかるものとばかり思っていた。いつも涼しい顔で汗一つ見せない彼が、今は息を切らせていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「……君を待たせたくなかった」
彼は息を整えながら恥ずかしそうに微笑んだ。そんなに急がなくても大丈夫なのに。ベンチを立とうとしたら、彼は首を振り私の横に座った。
「疲れたかい?」
「ええ。正直言うと。でも、とっても楽しかったです。実は去年はすぐ帰ってしまったので……」
「そうか。今年は楽しめたのならよかった。僕もね、去年は生徒会員じゃなかったし、それほど長居はしなかったんだよ」
「そうなんですか?」
「今年はどっぷり、だったけどね」
「ふふっ!」
二人で笑い合った。彼と充実感を共有できたことが、嬉しかった。
しばらく明日の仕事のことや他愛のない話をしていたら、彼はなぜか自分の制服の懐に手をやった。なんだろうと思ったら、彼の胸元から小箱が出てきて差し出された。
「え? あの、こちらは……?」
「君がずっとがんばってくれたから。僕からのお礼。開けてもらえるかい?」
受け取った小箱の包装をそっと開く。
「こ、これ……!」
姿を現した箱には、金色の文字で「レークリー・アグリー」と刻まれていた。さっきのロアナさんのお店だ。息を呑みつつ小箱の蓋を開ける。そこには、あのとき心を奪われた銀の髪飾りが美しい光を放っていた。
「……」
「君がそれをじっと見つめながら、とっても目をキラキラさせていたから。もし迷惑だったら、ごめんね」
「……」
驚きのあまり声が出なかった。
迷惑だなんて、そんなこと……そんなことない。
嬉しさが胸から溢れそうになりながら、頭を振った。
「うれしいです……。すごく、うれしいです……!」
嬉しい気持ちを彼にもっと伝えたかった。
でも、口下手な私は、それ以上の言葉がどうしても続かなかった。
「ねぇ、エミリー。つけてもいいかな?」
「えっ?」
フェル様から!? そんなの恥ずかしすぎる!
けれど、髪飾りを手に取って甘えるように首をコテンとした彼に負け、結局うなずいてしまった。
彼がゆっくりと、長い指で持つ髪飾りを私の髪に運ぶ――。
視界の端に、銀の髪飾りが夕日の黄金色の光を受けてまぶしく輝く。
思わず目をつむる――。
彼の手が髪に触れ、ついピクリとしてしまう。彼の手が一瞬止まる。
けれど、再び手は動き出し――。
銀の髪飾りがそっと添えられた。
「ありがとう、ございます……」
なんとかお礼の言葉を絞り出す。けれど、今の私の顔はきっと夕日よりも真っ赤になっているに違いないだろう。フェル様に視線を向けると、彼の顔も同じように赤く染まっていた。彼は恥ずかしそうに一度うつむいたあと、私を見つめながら口を開いた。
「あたた……」
「アタタ?」
えっ? フェル様、どこか痛いの?
「……失礼。“あなた”の髪に、ぴったり似合っているよ」
「……」
彼もつい噛んでしまったのだと気づく。
なんてめずらしい。私じゃないんだから。
それにしても、あなたを、アタタって。
「ふふっ!」
自分の頬が真っ赤なことが恥ずかしくて、誤魔化すためにツッコんでみた。
「アタタって、それではまるで、格闘家の人みたいですわ」
「え? か、格闘家? それって誰だい? “アタタ”って名前なの?」
「ええと、名前まで存じ上げないのですが――」
これは妹のアメリからの情報だ。なんでもその格闘家は、試合で決め技を放つときに「アタタターッ! オアタァ!」という掛け声を叫ぶらしい。その格闘家は巷ではニッチな人気があるとか。格闘界隈にやたら詳しい妹は、そう熱く語っていた。
――ということをフェル様に説明した。
「くっ……! アッハッハ! アーハッハッハ!」
彼はツボにはまったのか笑い始めた。ツッコんだつもりなのに……。
「ね、ねえ、エミリー。そ、その、最後のさ、『おあたあ』っていう個性的な掛け声は何?」
「存じ上げませんわ。私は『終わりだ!』の意味ではないかと推察しております。 それとフェル様、よろしいですか。『おあたあ』ではございません。『ぅぅ~おあたぁぁぁっ!!!』です」
「や、やめてくれ! エミリー!」
苦しげにお腹を押さえているフェル様に追撃をかけてみた。自分もなんだかおかしくなってしまって、二人でしばらく笑い転げた。
「……ありがとうございました」
アメリのおかげで(?)、ひとしきり笑って、そのおかげで気持ちが落ち着いて、私はようやくお礼が言えた。
「どういたしまして」
「……!」
――夕日を浴びた彼の美しい笑顔を見て、気づいてしまう。
ああ。そうなのか。
私はこの人の笑顔を、いつまでもずっとずっと、見ていたいんだ――。
誰かの笑顔を見ること自体は、もともと好きかもしれない。最初にそう思ったのは、いつだったろう? すごくおぼろげだけど……たしか、そう。子供の頃にメグミと最初に会ったときのような気がする。元気がなかった彼女が笑ってくれて、すごく嬉しかった記憶がある。
「エミリー、きれいだよ」
「……」
私の心を照らす彼の笑顔が、不思議な感覚を満たしていく。
空気のように息を潜めながら、ただなんとなく生きてきた私が初めて、自分が本当に求めていることが何なのかを知ることができたような――。
それは、自分が生まれ変わったみたいな、とっても清々しい気持ちだった。
「――そろそろ引き上げようか」
「はい」
「エミリーはもう帰れそう?」
「ええと……」
あとやらないといけないことは……。みんなと一緒に校内を回りながら、学院を閉めるアナウンスをするくらいかな。あとは落とし物を目録に足したりとか。
「あまりありません」
「そうか。疲れただろう。早く帰って休むんだよ」
二人で通りに出ると、帰途につこうとする生徒たちの姿が目立ち始めていた。すると、横から優雅な声が聞こえた。
「フェルナン様、ごきげんよう」
「……グラヴィエ嬢。先ほどは世話になったね」
「とんでもございませんわ」
取り巻きたちを引き連れ、可憐な笑みを浮かべるカトリーヌ様。彼女もこれから帰宅するようだ。
「あら?」
突如彼女は私に顔を向け、じっと見つめてきた。
「あ、あの、なにか……?」
「……そちらの髪飾りですけど、先ほどの閉会式の時にもつけていましたか?」
「い、いえ。つけておりませんでしたが……」
「もしかして――今日、買われたもの、かしら?」
「えっと……さきほど模擬店で偶然見かけまして、つい衝動買いをしてしまいましたの」
「模擬店……?」
彼女はなぜか、そのアメジストのような深紫の瞳を見開いた。
「……ずいぶんと素敵なお買い物をなさったのですね?」
「……」
(――前と同じだ)
カトリーヌ様の長く美しい黒髪が風に揺れ、瞳は底知れない光を放っていた。彼女から謎めいた不気味さを再び感じ取ってしまい、途端に怖くなる。すると無表情なフェル様が私の方を向いた。
「行こうか。グラヴィエ嬢、失礼する」
「あら、お邪魔してしまいましたね。それではごきげんよう」
カトリーヌ様は静かに立ち去っていった。




