34. 高橋恵1
「ふーふふ、ふっふっふー♪」
鼻歌まじりでお屋敷の掃除をしている私の名は、メグミ・タカハシ。
パルシアラ王国――今でもたまに噛みそうになる名のこの国の男爵家、ランベーヌ家の侍女だ。
歳はアラフィフ……いや三十四? いや二十五? くらい、かな……。
別に誤魔化そうとしているわけでない。自分が何歳なのか本当によくわからない理由が、二つあるのだ。
まず私の「今の」人生は、十年前に推定十五才くらいで始まったこと。もう一つの理由は、前世の記憶があることだ。
私は「前の」人生で、二十四歳まで生きた。一方、この国の戸籍では二十五歳ということになっている。
両方の年齢を単純に足したら、もうアラフィフというわけなのだ。
前世は日本という国に生まれた。
海沿いの田舎町にある、ごく普通の家庭で育った。成人してからは上京し、家事代行サービスの仕事に就いた。本当は美容系の仕事に就きたかったけれど、就職難で叶わなかった。家の都合で就職浪人はできなかった。なので、次に好きなことである家事ができる仕事を探していたら内定をもらえて、当時はホッとしたものだ。
ところがどっこい――。
その会社は深刻な人手不足だった。まったく休めないまま、無理して働いていたら高熱でぶっ倒れた。今思うと、風邪をこじらせて肺炎にでもかかったのかもしれない。
あまりの熱の苦しさに気を失い倒れ、目覚めたら――。
なぜか十代の身体になっていた。自分でも何を言っているのか意味がわからない。
しかも周りを見渡せば、見たことのないファンタジーな? ヨーロッパっぽい? 世界だった。私はこの世界の人と違って、魔法とか使えないけど。呆然としながら「まるでゲームやマンガの世界みたい……」と思ったことをいまでも覚えている。
前世はゲームが趣味だった。貴重な休みの日は、一人暮らしのアパートに籠もってやり込んでいたものだ。よくプレイしていたものは、FPS系のアクションゲーム。
ゾンビサバイバルゲームとかもよくやった。
あとは格闘ゲームも大好きだった。女性プレイヤーはレアな世界だったけど。なので、一般的に人気な恋愛ゲーム系はやったことがない。
もしこの世界が仮にいわゆる「乙女ゲーム」的なものだとしても、一般的な設定とか用語くらいしか知らない私なのであった。
突然の異世界転生に、もちろん混乱した。
右も左もわからない中、なぜか言葉だけは理解できた。
どうしたらよいのかわからないまま、文字通り露頭をさまよい、再び死にかけた。
そしたら、今の御主人様と奥様が私を保護してくださった。まさに地獄に仏だった。
身元不明で身寄りのない私に、彼らは衣食住まで提供してくれた。さらに、里親を探してくれるなどと言った。彼らは本当に優しかった。
……私は彼らに、自分が転生者だとは明かさなかった。
いや、明かすことができなかった。
頭がおかしな子だと思われて、病院にでも連れて行かれたら困るというのもあったけど……。
自分がそれを認めてしまったら、元の世界に帰れないことが決まってしまうような気がしてならなかったから……。
体はともかく頭は大人だったので、ここで働かせてくれないかと頼み込んだ。御主人様たちは、驚いた後に快く了承してくれた。それから私は、この世界の常識を学びながら恩を返したい気持ちで必死に働いた。前世で家事代行をしていて良かった。めちゃくちゃブラックだったけど。
この世界にようやく慣れてきた私。しかし次の問題が立ちふさがる。それは――強烈なホームシックだった。
私は家族と仲が良かった。上京した後も、毎日のように電話していたくらいだった。
でも、前世の自分はおそらく死んでいるだろうし、魔法などが平然と存在するこの世界のことを知れば知るほど、もう帰れるとは思えなくなる一方だった。
……家族のことが恋しくて仕方なくて、何度も何度も夢に見た。
もう二度とあの海沿いの家を見られないということが頭をよぎるだけで、涙がどうしても止まらなかった。
生きる気力がひたすら薄れていくようだった。段々と寝込むようになり、次第に立ち上がれないほど衰弱した。
ベッドの上で朦朧としながら――自分は解雇されてこの屋敷から放り出されるのだろう――そう思ったことを今でも覚えている。
そうなれば文字通りの天涯孤独だ。この世界で野垂れ死ぬしかない。
でも、生きる気力を失っていた私は、本当はそうなりたかったのかもしれない。
ところが、いつまで経っても御主人様たちは私を解雇しないどころか、お医者まで呼んで介抱してくれた。
そんなある日のこと――。
ベッドの上でおかゆをそっと口に運んでいたら、ブラウンの髪をした小さな女の子が、ドアに隠れながらじっとこちらを見ていた。
この家の御息女、エミリー様だった。
『どうされましたか?』
あまりの可愛らしさに、つい声をかけてしまった。
『えっと……。これ……』
とことこと歩いてきたエミリーお嬢様は、小さな手に持った小皿に謎の緑色の物体をちょこんと乗せていた。
『え? ええと、それは?』
『あのね。この『アイテム』を食べれば……』
アイテム?
やっぱりここは、ゲームの世界なのね。
そう思った。
『きっと元気になるわ』
『……』
私を見つめるお嬢様の瞳には、確信めいた光が宿っていた。
でも、どうしてこんな小さな子が、そんなことを知っているのだろう? ゲーム補正とかいうやつ?
あまりにお嬢様が真剣だったから、思わず言ってしまった。
『いただきます』
その怪しい謎の緑ペーストをおかゆに乗せ、えいやと食べた――。
『うぐぅぉっほぅっ!!!』
ベッドの上で悶絶した。前世で飲んだことのある有名な健康食品「ブル汁」とかとも比べ物にならないくらい苦かった。匂いも激ヤバだった。
『どう?』
『……』
いや、そんな純粋な目で聞かれても……。
しかしその時の私はなぜか、ここは「お約束」を果たさなければいけないという気持ちに駆られた。
『まずぅい! ですけど、もぉう一杯!!』
『やったぁ!!』
ぱあっと笑ったお嬢様は小走りで去るなり、嬉々として本当におかわりを持って戻ってきた。やめて。
――その後、お嬢様はなぜか私のベッドのそばにたむろするようになった。その後もしきりにオススメされた謎汁の件は丁重にお断りした。たまに断りきれず食べたけど。
エミリーお嬢様は不思議な子どもだった――。
どこで仕入れてきたのかわからない豆知識を、時おり急に披露し始めるのがおかしくて、私はベッドの上で何度も腹筋を破壊されそうになったものだ。
お嬢様と毎日一緒にいたら、謎野菜のせいなのか、彼女の明るさのせいなのか。
いつの間にか私は、ベッドから卒業していた――。
「どぅーるる、るるっるー♪ きょうーも、いい……あっ」
ふと時計が目に留まった。そろそろかしら?
「ただいま戻りました」
「お嬢様。おかえりなさいませ」
帰ってきたエミリーお嬢様は私を見るなりニコッと笑った。
「ただいま!」
「おかえりなさい。今日は忙しかったですか?」
「学院祭がもうすぐだから、今日もバタバタしちゃった。でもね――」
お嬢様のことを見つめながら思う。
――彼女がいなければ、とうに私は壊れていただろう。
異世界転生してから十年。
正直今でもあの家のことは恋しい。
――恋しくてたまらない。
けれど、私のもう一つの人生は、もうここに根付いてしまった。
今の私の居場所は――ここ。
お嬢様の笑顔を見ていると、その確固たる気持ちが生まれてくるのだ。
お読みいただき、本当にありがとうございます! もし続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや☆評価で応援していただけますと、とても嬉しいです! 引き続きよろしくお願いします!




