30. 呼び出し
その後、ローラは久しぶりに生徒会に復帰した。
「ローラ、今日も忙しくなりそうだ。頼りにしておるぞ!」
「もう、ローラったら、待ってたんだから!」
「ねえ、さっそくだけど、ここの数字のまとめ方なんだけどさ――」
生徒会のみんなは温かく、そしていつものようにローラのことを迎えた。時々、彼女の様子をそっとうかがった。何かに集中している間は気持ちが落ち着くのか、いつも通り過ごせているようでホッとした。
「エミリー」
振り向くと、フェル様が優しげに微笑んでいた。
「はい」
「さっきの書類は終わったよ。他に何か、早めに片付けた方がいいものはあるかい?」
「それなら――こちらはジャンからの書類です。ご確認をお願いします。それと、アレクシス様が学院祭の備品の購入について、一度とご相談されたいとおっしゃっていました」
「わかった。ありがとう」
「……」
いつも通りの放課後の風景。けれど私は、今日の昼間のできごとを思い出していた――。
シャルル会長から個人的に呼ばれた私は、今朝の脅迫の件について説明した。
『――話してくれてありがとう。エミリー』
私の話を聞き終えたシャルル会長は、怒りを滲ませながらつぶやいた。
『ローラが学院を辞めるまで、犯人は続けるつもりだということだな……』
『彼女はもう、限界に近いように思えます』
『そうか……』
『彼女のご両親もいたくご心配されているらしく、お母様におかれては、お体の調子を崩されているとか……』
彼女の涙を思い出し、私まで泣きそうになってしまった。
『エミリー。話はわかった。教えてくれてありがとう』
『いえ、私はお伝えするだけで、何も……』
『いいや』
シャルル会長はそっと首を振ると優しげに微笑んだ。
『君はいつもローラのことを支えてくれている。君がいるからこそ、彼女は学院に登校できているのだと思う。なんとかしたい。エミリー、君のことも頼りにしてるよ』
『会長……』
『ところで、だ……』
『……どうかなさいましたか?』
『私が口を出していいことなのか……いや。言うべきだな。話は変わるが、エミリー』
「は、はい」
『フェルのことは聞いているな?』
『えっ……? あ、あの、もしかしたら、ベアトリス様のご婚約のことですか?』
『ああ、そうだ』
シャルル会長は苦々しげだった。
『あいつがその話に乗り気でないことを、君は知っているか?』
『え、ええ。あくまで私の印象ですが、そのように思えました』
『……では、彼が乗り気でない理由は?』
『いえ、存じ上げません』
『そうか……。そうだよな……』
シャルル会長は苦笑しながら金髪をかき上げた。
『私も人のことは言えないが……あいつはな、しがらみだらけの世界に生きる人間だ。あいつは生まれながらにして、そういう立場の中で育ってきた』
『……』
『そういうやつはな、考えすぎる癖がある。まあ、そうせざるを得ないんだけどね……。そんな、一人で色々抱え込みがちな人間の心根に、寄り添うことできるのは――』
シャルル会長は真剣な顔で私を見つめた。
『エミリー、私は君しかいないと思っている』
『私が……』
フェル様のあの時の言葉。
“僕は、君の気持ちが知りたい”
今でも脳裏に焼き付いて離れない、水面のように揺れていた青い瞳。
フェル様はあの時――私の心の深い所に向けて、問いかけてくれていた。
でも、私は……答えられなかった。それはただ、悩んでいたからではなくて……。
怖くて逃げてしまったのだ。彼は私の本当の気持ちを、知ろうとしてくれたというのに。
『ベアトリス・ルーレアン嬢の件が、これからどうなるかはわからないよ。ただね。いざとなったら、あいつなら何でもやる。そういうやつだ。もちろん私だって応援したい。幼馴染だし、大切な友だと思っているからね。……そのことを、君に話しておきたかった』
『はい……』
勇気を持たないといけないのだろうか?
たとえ、怖くたって。
だって、あのフェル様だって、悩んでいるのかもしれないのだから――。
翌日も空には相変わらず分厚い雲が垂れ込めていた。
ローラは学院にちゃんと来てくれた。今日は生徒会がない日なので、授業を終えた私たちは下校の準備中だ。
「エミリーのノートのおかげで助かったわ!」
「どういたしまして」
「ううん。本当に凄く見やすくまとめられていたわ」
「えへへ」
ローラが前に教えてくれた数学のまとめ方が凄くわかりやすかったので、それを参考してノートを書いてみたのだ。出来る人の出来るところは真似しないとね。今日も彼女は家の馬車で帰るので見送ろうとしたら、声がかけられた。
「ちょっと、いいかしら?」
「えっ?」
振り返るとベアトリス様が立っていた。
「話がしたいわ」
「……」
穏やかな話でなさそうなことは、彼女から漂う雰囲気から一目でわかった。
「……ローラ。先に帰ってもらえる?」
「え、ちょ、ちょっと……。エミリー、大丈夫?」
ローラもベアトリス様から剣呑な雰囲気を察したのか、心配そうな表情を浮かべていた。
でも、この件は私の問題だ。ローラを巻き込みたくない。彼女を強引に先に帰し、ベアトリス様の後に続いた。
着いた場所は、授業で時おり使われる空き教室だった。薄暗い室内に重い沈黙が漂う中、ベアトリス様が切り出した。
「あなた、まだフェル様の周りをうろちょろしているらしいじゃない?」
「……」
彼女が浮かべる憎悪の表情に、心臓の動悸が早まっていく。
「フェル様が迷惑をしているから、生徒会、とっとと辞めてくれない?」
「……迷惑?」
「聞いたわよ。あなた、”貴族もどき“”って呼ばれてるんですって? もともと平民の家なんでしょ? 生徒会にふさわしくない『いらない』お荷物が、フェル様の邪魔ばかりするから、彼がおかしくなっているのよ!」
「……」
私が“貴族もどき”と馬鹿にされていることは事実だ。
でも、フェル様がおかしくなってるって言われても……。
「あなたの成績がいいなんて噂も聞いたことないわ。どうせ、ただの一般クラス生でしょ? 生徒会でもフェル様に助けてもらってばかりなんじゃないの? それが迷惑だって言ってるの!」
「……」
確かに生徒会に入ったばかりの頃は、フェル様に限らず、みんなから教えてもらったり、助けてもらったりした。それも事実だ。でも、今は仕事を覚えて、みんなのためにお手伝いすることも増えてきたとは思う。勝手な推測で話をふくらませないでほしいと思った。私の成績がぱっとしない件は否定できないけど……。
「彼がおかしいのよ! あなたのせいで!」
「落ち着いてください、ベアトリス様。私がフェルナン様のことを、どうこうできるわけがありません」
「あなたのせいで……! 彼との婚約の話が進まないのよ……!」
「私に言われても……」
とんだ言いがかりだ。やんごとなき方々の、しかも家同士の話にどうして私が関係しているっていうの?
「どうして、あなたなのよ……?」
「えっ?」
「どうして!? どうして!? どうして!? 役立たずでいらないあなたが、どうしてあのフェル様の心を動かしているのよ!?」
――ガラッ!
突然、教室の扉が開いた。




