01. エミリー・ランベーヌ
私は地面に突き倒されていた。
「チッ。さっさとどけ。邪魔だ」
お昼休み。荷物を抱え直していたら不意にぶつかられて倒れ込んだ私に、舌打ち混じりの声が浴びせられた。
「おい、早くどけって言ってんだよ――ん? お前、一般クラス生か」
大柄でプライドの高そうな茶髪の男子は、私の制服の青いリボンに視線を止め、ぶっきらぼうにそう言った。彼とその後ろの集団からの見下すような冷たい視線が一斉に突き刺さった。
「……」
打った膝の痛みを堪えながら、私が選んだのは沈黙。
なぜなら、彼らのタイやリボンの色は赤――このヴェルナーサ学院のエリートコースである特別クラスの生徒たちだったからだ。彼らに逆らえる者などここにはいない。
実際に周囲を見渡しても、地味で平凡な一般クラスの生徒にすぎない私など、誰ひとりとして見ようともしなかった。
そのとき、集団の端に見覚えのある男子の姿をふと見つけた。
「……」
彼――ジェレミは、私と目が合うとすぐに視線を逸らした。実は彼は私の元許嫁だ。けれど、無視を決め込むような冷たい表情を見て、彼が周囲に私との過去を知られたくないのだと、すぐに悟った。
茶髪の男子が問いかけてきた。
「おいお前、何年生だ?」
「二年生、です……」
「名は? どこの家のものだ? それとも平民か?」
「エミリー・ランベーヌと申します。男爵家です」
「ランベーヌ? 知らねぇな。いつからある家だ?」
「二十年前くらいです……。もと平民の家でしたので……」
「ハッ! “貴族もどき”かよ。お前、俺を馬鹿にしてんのか!?」
「あら、どうなさったの?」
ひときわ華やかな美貌をまとった令嬢が姿を現し、茶髪男子に優雅に声をかけた。
「大丈夫かしら?」
彼女はたしか――。
「カトリーヌ」
「どうなされたの?」
「ふっ。姫はいつも優しいな。君こそまさに、この学院に相応しい淑女だ」
私を睨んでいた男子は、今は陶酔したような目で――彼の腕にそっと手を添え、潤んだ瞳で可愛らしく見上げるその美人を見つめていた。
カトリーヌ・グラヴィエ様は侯爵家の令嬢で有名人だ。皆から淑女の鑑と称えられているらしく、“聖純姫”なんてあだ名も聞いたことがある。
つまり、彼女こそ――この学院における“姫”なのだ。
「ゴミにぶつかっただけさ。気にしないでくれ、カトリーヌ」
「あら? ゴミが落ちてたの? ふーん」
カトリーヌ様は、地面に倒れた私を石ころでも見るように一瞥すると、男子へと視線を戻し楽しげな笑顔を浮かべた。
「そんなことより、早くお昼にいたしませんこと?」
「姫、聞いてくれよ。こいつ、“貴族もどき”なんだとさ。姫が前に言ってなかったか? この学院にふさわしくない“もどき”。つまり、いらないゴミクズってわけだ」
「あら! 私、そんなことを申し上げましたかしら~? あいにく記憶力がよろしくなくて、よく覚えておりませんわ」
「まあ別に、姫がわざわざ気にするようなことじゃない。……おっと、まだゴミが落ちてるじゃないか」
茶髪男子の視線の先には、さっき私が落としたお弁当の包――。
「邪魔なんだよ!」
バシッ!
彼はそれを乱暴に蹴り飛ばした。
包は元許嫁のジェレミの足元へと転がった。彼は冷ややかにそれを見ると、避けるように集団の中へ姿を消した。
「どうだ? 姫が間違って踏んでしまって、靴が汚れないようにしておいたぞ」
「あら、お優しいのね。でもあなたの足こそ、汚れてしまうのではなくて?」
「構わないさ。姫のためだ」
「ふふっ! さあ、参りましょう!」
カトリーヌ様は無邪気な笑みを浮かべると、集団の先頭に立って悠々と立ち去っていった。
「お、お弁当……」
這いつくばりながら、蹴り飛ばされた包へ必死に手を伸ばした。
「ああ……」
友だちのために心を込めて用意したお弁当は、無惨にくしゃくしゃにされていた。包の皺を懸命に伸ばしているうちに、悔しさが込み上げ、涙が滲みそうになるのを必死に堪えた。
……別に、こんなことは珍しくともなんともない。
「早く行かなきゃ。……ローラが待ってるんだから」
立ち上がって制服の埃を払い落とし、まだ痛む足を前に進めた。




