01. エミリー・ランベーヌ
私は地面に突き倒されていた。
「チッ。さっさとどけ。邪魔だ」
お昼休み。荷物を抱え直していたところ、背後から不意にぶつかられて倒れ込んだ私に、舌打ち混じりの声が浴びせられた。
「おい、早くどけって言ってんだよ――ん? お前、一般クラス生か」
大柄でプライドの高そうな茶髪の男子は、私の制服の青いリボンに視線を止め、ぶっきらぼうにそう言った。彼とその後ろの集団から向けられる、見下すような冷たい蔑みの視線が一斉に突き刺さる。
「……」
――打った膝の痛みを堪えながら、私が選んだのは沈黙。
なぜなら、彼らのタイやリボンの色が赤だったから。彼らは、このヴェルナーサ学院のエリートコースである特別クラスの生徒たちだった。彼らに逆らえる者など、ここにはいない。
実際に周囲を見渡しても、ただの一般クラス生徒にすぎない地味な私のことなど、誰も見ようとすらしない。すると茶髪の男子が問いかけてきた。
「おいお前、何年生だ?」
「二年生、です……」
「名は? どこの家のものだ? それとも平民か?」
「エミリー・ランベーヌと申します。男爵家です」
「ランベーヌ? いつからある家だ? 二百年前か? 三百年前か?」
「三十年前くらいです……。もと平民の家でしたので……」
「ハッ! “貴族もどき”かよ。お前、俺を馬鹿にしてんのか!?」
「あら、どうなさったの?」
集団の中から、ひときわ華やかな美貌をまとった令嬢が姿を現し、茶髪男子に優雅に声をかけた。
「大丈夫かしら?」
彼女はたしか――。
「カトリーヌ」
「どうなされたの?」
「ふっ。姫はいつも優しいな。君こそまさに、この学院に相応しい淑女だ」
私を睨んでいた男子は、今は陶酔したような目で――彼の腕にそっと手を添え、潤んだ瞳で可愛らしく見上げるその美人、カトリーヌ様を見つめていた。
カトリーヌ様は侯爵令嬢であり、名実ともに学院のカーストトップに君臨する有名人だ。皆から淑女の鑑と称えられているらしく、“学院の聖純姫”なんてあだ名も聞いたことがある。
つまり、彼女こそ――この学院における“姫”なのだ。
「ゴミにぶつかっただけさ。気にしないでくれ」
「あら? ゴミが落ちてたの? ふーん」
カトリーヌ様は、地面に倒れた私を石ころでも見るように冷ややかに一瞥すると、男子へと視線を戻し楽しげな笑顔を浮かべた。
「そんなことより、早くお昼にいたしませんこと?」
「姫、聞いてくれよ。こいつ、“貴族もどき”なんだとさ。姫が前に言ってたろ? この学院にふさわしくない“もどき”。つまり、いらないゴミクズってわけだ」
「あら! 私、そんなことを申し上げましたかしら~? あいにく記憶力がよろしくなくて、よく覚えておりませんわ」
「まあ別に、姫がわざわざ気にするようなことじゃない。……おっと、まだゴミが落ちてるな」
茶髪男子の視線の先には、さっき私が落としたお弁当の包――。
「邪魔なんだよ!」
バシッ!
彼は包を乱暴に蹴り飛ばした。
「どうだ? 姫が間違って踏んでしまって、靴が汚れないようにしておいたぞ」
「あら、お優しいのね。でもあなたの足こそ、汚れてしまうのではなくて?」
「ふっ。構わないさ。姫のためだ」
「おほほ。さあ、参りましょう」
カトリーヌ様は可憐な姫君のような無邪気な笑みを浮かべると、集団の先頭に立って悠々と立ち去っていった。
「お、お弁当……」
這いつくばりながら、遠くへ蹴り飛ばされた包へ必死に手を伸ばす。
「ああ……」
友だちのために心を込めて用意したお弁当は、無惨にくしゃくしゃにされていた。包の皺を伸ばそうと一生懸命に手を動かしていると、悔しさで涙が滲みそうになり、すんでのところで堪えた。
……別にこんなこと、珍しくない。
「早く行かなきゃ。……ローラが待ってるんだから」
静かに立ち上がって制服の埃を払い落とし、まだ痛む足を前に進めた。