17. 通じ合う心
フェルナン様に連れられて、彼がオススメだと言ったお店に向かう。
商業ギルド本部があった付近も栄えていたけど、あの辺りは事務所などが立ち並ぶ商業エリアで、落ち着いた感じだった。
一方、いま歩いている辺りには、服やアクセサリーを扱う高級店のほか、おしゃれなレストランやカフェが立ち並び、瀟洒な美観をかもし出している。
お昼近くになり、人通りも増えてきていた。
「ここだよ」
立派な建物を見上げる。看板には「ピエール・カレナ」とある。
私も聞いたことのあるお店だ。たしか、高位の貴族も利用することで知られたレストランではなかったか。
私も家族と外食に行くことはあるけど、わが家はみな、どちらかというと家で食べることを好むし、このお店にも入ったことはない。
「行こうか、エミリー」
――心臓が跳ねる。
フェルナン様が私の手を軽く握っていた。入口前では店員さんが一礼をし、ドアを開けてくれた。
「……」
素敵な店内につい目がいってしまう。椅子が引かれ、私は緊張しながら席に座った。
見渡せば、一流の内装が目を引くほど美しい。席からはガラス越しに外の様子がうかがえ、華やかな装いの人びとが楽しげに通りを行き交っていた。
キラキラしたものに囲まれて、ぽーっとしてしまう。
「エミリー」
「は、はい」
声をかけられ慌てて顔を正面に向ける。
うおっ、まぶしっ。
この空間において一番煌びやかなものは結局、フェルナン様だった……。
メニューを開きながら、フェルナン様がたずねた。
「エミリーは何か食べられないものはあるかい?」
「ありませんわ」
「じゃあ、あまり得意じゃないものは?」
「大丈夫です。何でも食べられます」
本当にそうなので即答してしまったけど、何か苦手なものがあったほうが、淑女らしかったかしら?
いやでも、淑女が食べられないものって何だろう? メニューを見ても、どれも美味しそうだなぁとしか思えない私なのでした。
「決まったかい?」
「はい、決まりましたわ」
私は無難に、スタンダードなコースをお願いした。胃からは「超ガッツリいきたいです!」と要望が上がったが却下。
さすがにね。淑女淑女。
あ、そういえば、昔は野菜が苦手だったなぁ。
子供の頃にしれっと残そうとしたら、侍女のメグミから、「モッタリナリモンスター」なるものに呪われると脅されたものだ。
メグミ曰く、そのモンスターは残したご飯が化け、夜に姿を現わすという――
ご飯が巨大化したそれは、なぜかタンクトップでマッチョ、そして幅広の包丁をチラつかせながら……。
「悪い子はいねがー? おい! お前は、食べるいい子なのかい? 食べない悪い子なのかい? どっちナリ!?」
と、迫りながら襲いかかってくるというのだ。なんて恐ろしい話なのだろうと、今でも私のトラウマとして残っている。
そのおかげで苦手な物はなくなった。むしろ誰も食べない、癖のあるハーブなども平然と口にするようになり、今やメグミからドン引きされているくらいだ。
「それにしても、素敵なお店ですね」
「うん、そうだね」
「フェルナン様は、こちらはよくご利よ」
「お待たせしました」
フェルナン様にたずねようとしたところで、前菜が運ばれてきた。
これはテリーヌかな? 中の野菜がとっても色鮮やかだ。
「どうぞ」
フェルナン様に優しく促され、私はそっと口にした。
「美味しい!」
口当たりが滑らかで香ばしい。お店の雰囲気に負けない味付けに、私は思わず声をあげてしまう。
「美味しいね」
「……」
フェルナン様が微笑んでいた。彼の前でつい舞い上がってしまった自分が恥ずかしくなってしまう。
「どんどん食べてね」
フェルナン様は綺麗な所作で食事を進めていく。そういえば、彼が食事をしているところを見るのは、あのバルコニーから落ちた日のランチ以来だ。
「フェルナン様は苦手なものはございますか?」
「う~ん、そうだね。今はないけど……」
彼は何かを思い出すような仕草を見せた。
「ああそうだ。子供の頃はトマトなどの赤い野菜がダメだった」
「あら」
「なんでこんな赤いものをわざわざ食べなきゃいけなんだって、納得できなかった。でも残すと、父から叱られるし……。火を通すと食べやすくなると気づいて、そうしてもらうようになったら、いつの間にか生でも食べられるようになったな」
「おほほ」
フェルナン様らしくない可愛らしいエピソードに私はクスリと笑う。彼と野菜苦手つながり(子供の頃限定)ができて、何だか嬉しくなる。
「私も子供の頃は野菜がダメでした。でも――」
すっかり調子に乗った私は、モッタリナリモンスターの話をフェルナン様に打ち明けた。
「――何て怖い話だろうって。その日の夜は眠れませんでした」
私は子供の頃に感じた恐ろしさを共感してもらいたくて、彼に話したつもりだったのだけど……。
「くっ」
フェルナン様は下を向いて震えていた。
あ、あれ?
「アハハハ、失礼。んっ、アハハハ! ぐふっ!」
普段はクールなフェルナン様がむせながら、珍しく爆笑していた。
なんでさ。
「いやすまない。そんな珍妙な話、僕は初めて聞いたよ。この国のおとぎ話どころか、神話ですら聞いたことがない」
そういえばメグミのあのおはなしは、一体どこの国のものなのだろう? 今まで考えたこともなかった。
「ええっと、その、モッタリ・マッスル・モンスターだっけ?」
「モッタリナリモンスターです」
「ああそう。でもね、そのお化けは、なんで薄着なの? 暑いの? それとも肉体美を見せつけたいの? いやでも、大きな包丁を持っているのだよね? 訳が分からないよ。ふふっ!」
「……」
ツボに入ってしまったのか、まだ苦しそうにしているフェルナン様。当時の私はめちゃくちゃ怖かったから、フェルナン様の反応にちょっとふくれてしまう。
するとメインディッシュのステーキがきた。
もうやだ。
お肉食べる。
ナイフを通すと、とろけるように柔らかい。溢れ出る肉汁をなるべくこぼさないようにしながら、口にそっと運ぶ。
「これも美味しい……!」
「うん、美味しいね!」
フェルナン様も楽しそうに食べていた。
機嫌を瞬時に直してお肉を堪能していた私は、ふと気づく。最初、フェルナン様と生徒会室でご飯を食べた時は緊張して、味もよくわからなかった。
でも今はとても美味しくて、楽しい。
同じ自分のはずなのに、なんだか不思議だなって思った。
食事を終え、化粧室に行って戻ると、店員さんがフェルナン様の元を立ち去るところだった。
「あの、お会計はいかがしましょう?」
「今日は僕からのお礼だから、大丈夫だよ」
「……ご馳走様でした」
私は頭を下げた。ここは素直にお礼に徹する方がスマートだろう。それにしてもフェルナン様、ここに女性を連れてよく来るのかしら?
――そう思ったら、なぜか胸が少しざわついた。
二人でお店を出ようとしたところ、カウンターにお菓子が並べられていることに私は気づいた。
「あの、恐れ入ります」
「ん、どうしたの? エミリー」
「家族にお土産を買っていきたく、申し訳ないのですが、少々お待ちいただけますか?」
「うん、わかった」
カウンターを眺める。特に焼き菓子が可愛らしくて美味しそうだ。
えっと、これはお母様の分で、これはアメリに、それと……。フェルナン様をあまりお待たせしないよう急いで選ぶ。
お父様の分はどうしようかな。最近太り気味なんだよな。ちょっと多めに買っておきつつ、後でお母様に采配を委ねよう。
店員さんにお菓子を包んでもらい、ソファーに座って待つフェルナン様の元へ向かおうとした、そのときだった。
お店の扉が開き、男女が入店してきた。
「あら? エミリーじゃない?」
「あっ」
生徒会のナタリー様だった。