16. 初デート?
待ち合わせ場所である、王都の中央広場の噴水前に着いた。
「あ……」
フェルナン様が座っているのが見え、自然に早足になった。異様に見目麗しいその姿は、遠くからでもすぐにわかった。今日は晴天だ。近づくにつれて、噴水の霧が陽光を反射し、彼のことがさらにまばゆく輝いて見えた。
近くを通りすがる女性たちは皆そろって振り返り、彼に視線を向けていた。
うん、さすがに二度見しちゃうよね……。
私には彼女たちの気持ちがよくわかるような気がした。
「――お待たせいたしました」
「やあ」
フェルナン様は微笑みを浮かべながら立ち上がった。
白のワイシャツに薄いグレーの上質なジャケット、そして紺のトラウザーズを合わせた今日の装いは、洗練されていて上品だった。
っていうか、やっぱり、足、めっちゃ長い……。
いつもの凛々しい白の学生服も素敵だけど、今日のシンプルな私服は彼のスタイルの良さをあらためて示していた。
「……」
格好良さに目がやられてしまいそうだった。
……これはあれだ。美の神だ。もしくは、神話などでよくある、神様が下界に降りてきて人と禁断の恋に落ち、その結果生まれた半神半人の英雄とか、そういう類ではないか。まあ、彼の御母堂様は現国王陛下の妹君のはずだから、正確には神様じゃなくて王族の血筋なのだけれど。
私、こんな男の人とこれから一緒に歩くの……?
自分のあまりの釣り合わなさに、恥ずかしい気持ちが一気にこみ上げてきた。メグミたちは褒めてくれたけど、身内の評価なんて客観的ではないだろう。浮かれていた自分を心の中で責めながら、もう家に帰りたくなった。
「……」
あれ?
フェルナン様を見ると、どこか様子がおかしい。
私から目を逸らしてうつむいている。
「あ、あの、どうなさいましたか?」
「……いや、大丈夫だよ」
彼の顔は少し赤らんでいた。
……お体の具合でも悪いのだろうか?
「もしかして、お風邪など召されていませんか?」
「い、いや、大丈夫だ。むしろ至って健康だ。問題ない」
「あの、お待たせしてしまいましたでしょうか?」
「そんなことはないよ、時間通りだ」
そのとき。
リィーン、ゴーン……。
中央広場にある鐘楼から待ち合わせの時刻を告げる鐘の音が、私たちの頭上に鳴り響いた。
リィーン、ゴーン……。
リィーン、ゴーン……。
鐘が鳴り止むと、柔らかな風が私たちの間をそっと吹き抜けた。
「――エミリー」
「はい」
彼の青い瞳が私を見つめていた。
「今日の服装、とても素敵だよ」
「えっ」
「髪型もいつもと違うね。……とても似合ってる」
「あ、ありがとうございます」
美の男神は女性へのマナーも兼ね備えているのか。まあ、彼ほどモテまくる人なら、女性慣れしていていても不思議じゃないよね。
でもお世辞だって、褒められたら嬉しくなってしまう。
「じゃあ、行こうか。商業ギルド本部はこっちだよ」
彼は私の横に立つと、微笑みながら遠くを指差した。
そうだ、今日は生徒会の活動で来ているのだ。
しっかりとお役目を果たさねば。
フェルナン様と一緒に、ドキドキしながら午前の王都の街並みを歩いた。
「……もしかして、緊張してる?」
「あ、はい……。少しだけ……」
「無理もないよ。初めて行く場所だものね」
彼は、私が商業ギルドに初めて行くから緊張していると思ったみたいだ。それもあるにはあるのだけど……。
「エミリーなら大丈夫だよ。僕もついているし、リラックスして」
「はい」
しばらく進むと目的地が見えてきた。
「着いたね」
商業ギルド本部は、歴史を感じさせる大きな建物だ。前を通りがかったことは何度かあるけど、入るのは初めてだった。フェルナン様が受付を済ませ、私たちは中に通された。
応接室に入ると、二人の男性が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました」
「こちらこそ、お忙しいところ恐れ入ります」
「私どもは――」
お互いに挨拶を交わした。男性のうち、年配の方はクレマン様といって重役を務められている方だった。もう一人の方はサミー様といい、お父様と同じくらいの年齢だ。
「ところで、ヴァレット宰相はご壮健ですかな?」
「ええ、相変わらず仕事中毒です」
「ははは。そうですか」
フェルナン様はクレマン様と談笑を始めた。すると、サミー様が私にたずねた。
「エミリー様。失礼ですが、ランベーヌ家とおっしゃいますと、もしやミゲル様のご息女でいらっしゃいますか?」
「は、はい、そうです」
ミゲルとはお父様の名前だ。
「いやぁ、左様でしたか! ミゲル様にはいつもお世話になっております。ミゲル様は、本当に誠実な御方です。いつも気持ちよく、我々も取引をさせていただいております!」
「とんでもございませんわ。こちらこそ、大変お世話になっております」
わが家は海外の様々な物品の輸入事業を運営している。なので、商業ギルドとの繋がりは当然あるのだろう。
それにしてもお父様ったら。外では仕事をちゃんとやっているんだな。家だとほのぼのしたイメージしかないけれど。
でも、家族が褒められるのは嬉しいな。
「ミゲル様とお会いすると、いつもご息女の自慢話をされまして」
「えっ?」
「曰く、それはもう大変可愛らしく、清楚で、この国一番の美少女で、目に入れても痛くないと。なるほど、確かに可憐なお嬢様でいらっしゃる!」
「ははは……」
おい! お父様! 外でなに身内びいきしているんだ! 恥ずかしいじゃないか!
すると、フェルナン様と話していたクレマン様が私の方を向いた。
「おお! ランベーヌ家のご令嬢でいらっしゃったか! ご祖父のアントニー様は、本当にご立派な御方だった……。私も若い頃、大変お世話になったものです」
クレマン様は深い皺のある顔をほころばせた。
わが家は祖父の代の功績で叙爵された、元は平民の商家だ。祖父は私が生まれる前に亡くなっている。私は家族以外で祖父のことを知っている方に会えて、とても嬉しくなった。
「私など、ただの若輩者でございます。本日はお忙しいところ恐れ入りますが、ご教示いただけましたら、ありがたく存じます」
二人にあらためて深くお礼をした。
「ははは、こちらこそ」
初めて入る建物に、初めて会う人。
とっても緊張していたけど、彼らの笑顔に心が軽くなった。
ふとフェルナン様を見たら、私を見つめて微笑んでいた。
「では、早速ですが――」
打ち合わせが始まった。後で議事録を書くので、漏らさずメモを取ろうとペンに力を込めた。
……のだけど。さほどメモを取る必要もなく、打ち合わせはあっという間に終わった。今年も基本的に例年のやり方を踏襲するので、議論というより、確認を対面でしていく流れだった。
フェルナン様が質問にスムーズに答えてくれたしね。私の方も今日に備えて過去五年分の資料を読み込んでおいたので、話についていくことができた。これならあとで議事録もさくっと書けそうだ。
「――今後ともよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
彼らの笑顔に見送られながら、私たちは商業ギルド本部を後にした。
ぐぅう~。
ん?
外に出たところで、異音を耳にした。
その乙女らしからぬサウンドの発生源は、なにを隠そう私の胃だった。
うわぁぁあ!
し、しまった!
いつもより早起きして朝食も軽く済ませたことに加え、打ち合わせが無事終わって気が抜けてしまったのがよろしくなった。
私の胃が「あの~、ちょっとよろしいでしょうか?」と本体に語りかけてしまったのだ。
お待ちなさい! まだ戦場よ! とお腹に力を入れるがもう遅い。
私は「あら、なんだか不思議な音がしたような気がしましたけど、一体なにかしら?」というような表情を急いで作り、さりげなくフェルナン様を見た。
「……」
男神はいつもの涼やかな表情をしていた。乙女の胃からの陳情は隠蔽できた模様。
ふう、危ない危ない。
家に帰ったらお腹いっぱい食べよう。
「お疲れさま。助かったよ、エミリー」
「いえいえ、私は特に何も……。フェルナン様にばかりお話しさせてしまいました」
「そんなことはないよ。さっきの会話で、わからないことはあったかい?」
「いいえ、大丈夫です。打ち合わせもスムーズでしたから」
「ふふっ」
なぜか彼は小さな笑い声を上げた。
「エミリー。さっきの打ち合わせが無事に終わったのは、君のおかげなんだよ」
「えっ?」
「さっき会ったクレマン殿は、商業ギルドの重役の中でも、特に気難しいことで有名な大物なんだ」
「え?」
「気骨のある御方らしくてね。聞いた話によると、訪問した生徒会員が横柄な態度を取って、建物から追い返されたことが過去に何度もあるらしいよ」
「そ、そうなんですか!?」
そんなこと、読み込んだ過去の資料には書いてなかった……。
私はクレマン様のことを、優しいご年配の方だとしか思わなかったのだ。
「君のおかげで、打ち合わせを円滑に進めることができた」
「い、いえ、たまたまクレマン様が、祖父のことをご存知だっただけで……」
「ううん。たぶんね――」
フェルナン様は優しげに目を細めた。
「君の真面目な態度を、クレマン殿が好ましく思ってくれたんだと思う。だから……ありがとう」
「……」
恥ずかしくなってうつむいてしまう。するとフェルナン様がつぶやく。
「いやぁ、ちょっと早いけど、お腹空いたなぁ」
あら。男神にもお腹が空くことがあるのね。
「ねぇエミリー、今日のお礼をさせて」
「えっ!? お礼なんてそんな……」
「……この後に予定でもあるの?」
彼の瞳にさみしげな色が浮かんでいた。彼のいつもと違う表情に思わずドキッとしてしまった。
「いえ、特にございませんわ」
この後の予定は、家でランチをお腹いっぱい食べることです。
とはさすがに言えない……。
「なら、これからご飯を食べに行かない? 近くにいいお店があるんだ」
「……」
つい私は、フェルナン様の普段の女性関係を想像してしまった。
学院の憧れの的で、筆頭貴族の公爵家の嫡男ともなれば、引く手あまたなはず。休日はいつも違う女性と会い、それはもう豪華絢爛で、愛憎やら何やらが入り乱れ、夜は愛を囁き合っている、みたいな(?)。
殿方との交際経験のない私なので、後半になるにつれてイメージがあやふやです。
もちろんそんな噂を聞いたわけでなく、勝手な妄想だ。
「ええと……」
フェルナン様と休日にご飯を食べる――そんな機会はもう二度と訪れないかもしれない。そう思うと、妄想の世界をほんの少しだけでも垣間見たいという心の誘惑に抗えなかった。
「なら、ご一緒させてくださいませ」
「よし! 行こうか!」
フェルナン様は美しい笑みを浮かべた。