14. 攻略対象フェルナン・ヴァレット1
「――フェル」
「うん?」
「まだ帰らないのか?」
すでに日は暮れかけていた。僕、フェルナン・ヴァレットがまだ執務を続けていたら、親友のシャルルが声をかけてきた。
「ああ。このあと定例の“打ち合わせ”があるから」
「そうだったか。じゃあまた明日な!」
皆が帰った後の静かな生徒会室に一人残った。
「……」
僕は手持ちの水筒で喉を潤しながら、今日のことを思い出していた――。
昼間のことだ。
『フェルナン様、大丈夫です。私、一人でできますわ』
『いやいや、力作業は僕に任せてほしい』
僕とエミリーは互いに譲り合わないまま、倉庫室に向かっていた。
シャルルの指示で、十年前の書類の確認をすることになったためだ。アレクシスたちは別件で忙しそうだったので、自分で書類が納められた倉庫に取りに行こうと立ち上がると、エミリーがたずねた。
『フェルナン様、もしかして倉庫へ向かわれようとしていますか?』
『うん、そうだけど』
よく気づいたな。エミリーと一緒に働いていて知ったのだが、彼女は敏い。
『私が行きます』
『いや、書類は倉庫の奥の方にしまわれているかもしれない。もしそうなら、君が大変だ』
『いえいえ、雑用はこの私めにお任せを。フェルナン様はこちらでドンと構え、全体の戦況をご覧いただけたらと存じます』
『……』
ここは戦場でなく生徒会、僕は将軍じゃなく副会長なんだが。
そういえば、エミリーは他にも何か言ってたな? 何だっけ? 「クンメイモ ウケザル トコロアリ」とかなんとか。聞いたことのない格言(?)だった。呪文かな?
結局エミリーのことが心配で倉庫までついて行くと、目的の書類はやはり、倉庫の奥地に眠っているようだった。彼女は置いてあった脚立を設置し、自ら書類を探し始めた。
『……』
脚立を登る足元がフラフラしていて、もう何だか危うかった。絶対にこけると思った。
こんなにハラハラさせられたことが、今までの僕の学院生活であっただろうか?
『キャッ!』
息を呑んで見ていたら、やっぱりこけた。
物凄く派手なこけ方だった。
自分の反射神経のすべてを出し尽くす勢いで彼女の元へ駆け寄った。あらかじめ風魔法の詠唱をしておけばよかったかもしれない。
すんでのところでエミリーを無事抱き上げた。
『あ、あ、あ……!』
彼女は熟れたリンゴのように赤くなっていた。あんなに恥ずかしがられたら、こちらまで恥ずかしくなってしまう……。
しかし、思った以上の激しいこけぶりだった。あれは想定の範囲外だ。自分の推測の甘さを思い知らされた。
……エミリー、僕はまだ将器に足らぬ未熟者だよ。
って、僕の将来は将軍じゃなくて宰相なんだが。
コンコン。
生徒会室のドアがノックされた。
「お待たせ、フェルナン」
「いえ、お疲れ様です」
トレードマークの丸眼鏡を光らせながら、打ち合わせ相手のアランが姿を現した。
「あれ? なんか楽しいことでもあったのかい?」
「なんでもありません」
お互いの近況を伝え合った。
「――という状況だね。ローラ本人からも聞いていると思うけど、外から見ていても彼女に問題は起きていない」
「そうですか」
「彼女への嫉妬は一般クラスでいまだに強いよ。でも、少なくとも嫌がらせはひとまず落ち着いたと見ていいんじゃないかな?」
アランの見立てなら、事態は沈静化したと判断していいかもしれない。彼は一般クラスに潜入して久しいのだ。
エミリーが旧校舎から落下したあのときも、令嬢たちがローラを害そうとしていることに気づいたのは、実はアランだった。彼が迅速に動いてくれたおかげで、僕たちは現場に間一髪駆けつけることができたのだ。
しかし、エミリーが危険な目に遭ってしまったことに、アランは強い責任を感じていた。そんな彼は、ローラだけでなく、彼女の友だちのエミリーにも、いっそのこと生徒会に入ってもらうというアイデアをシャルルに具申したのだ。
実はアランは学生ではない。
彼は次期国王であるシャルルを警護するため学院に入り、もう一年以上になる。彼が近衛騎士団の魔術部門の人間だということを知っているのは、シャルル、アレクシス、学院長、そして僕だけ。
「このまま何も起こらないといいねぇ」
「ええ。国王陛下からの特命ですから」
僕たちには、シャルルを護衛するという任務に加えて新たな使命が密かに追加されていた。それは――。
特別な転校生のローラを守ること。
「君の母君の期待にも応えなければね」
「はい」
微笑むアランにうなずいた。国王陛下だけでなく、陛下の妹――つまり元王女である僕の母も、ローラのことをずっと気にかけてきたらしい。ローラには、皆が知らない秘められた過去がある。その過去を知るものは、国王陛下と僕の母や父のほか、極わずかしかいない。
しかし、巡り巡って――。
平民となったローラが男爵家の養子となり、ヴェルナーサ学院に入学したのはまったくの偶然だった。彼女が、祖父を同じくするシャルルや僕と同級生になるなんて、まるで巷の青春小説みたいじゃないか。
「事態が落ち着いたのは、あの“姫”こと、カトリーヌの影響も大きいかな」
「……」
カトリーヌ・グラヴィエ、か。
伝統ある名門侯爵家の生まれであるカトリーヌは、入学するや否や、瞬く間に名声を高めていった。彼女に心酔する生徒は、男女を問わず学院中に存在する。ちなみに、親戚の女の子も彼女の信奉者だ。
そういえば、『学院の聖純姫』なんて大層な渾名まであったな。
ずいぶんとご立派なことだ。
先日もカトリーヌが、特別クラスの生徒たちに「いじめはよくない」と語り、皆が感動して聞き惚れていたことを思い出した。
「……まあ、カトリーヌ・グラヴィエ嬢の人気が高いことは、否定しません」
「何だいフェルナン。彼女のことが嫌いなの?」
「そういうわけではないですが……」
カトリーヌ個人のことは詳しく知らない。評判はよく聞くのだが。例えば彼女が孤児院を開くなど、慈善活動にも積極的なことなどは、もちろん知っている。
けれど。うまく言えないが――。
彼女がカリスマとして強い影響力を持ち、彼女の言う事を無条件で信じる生徒たちがひたすら増え続けている現状は、本当に良いことなのだろうか?
そんな不安が、僕の中にあった。
「あとね。自分で言い出しておいて何だけど、エミリーに生徒会に入ってもらったのも、良かったと思うよ」
「ええ」
アランの言葉に深くうなずいた。
身分差が厳しいがゆえに――互いに助け合うことよりも、保身と他人を蹴落とすことに必死な生徒ばかりのこの学院で、異質なエミリーのことに最初に気付いたのは、アランだった。
「いつもローラのそばにいてくれるからね。エミリーの存在も、隙あらばローラを攻撃しようとする輩たちへの、よい牽制になっていると思う」
「エミリーは……本当によく、生徒会に入ってくれました」
以前の彼女の悩ましげな表情を思い出した。
「彼女は迷っていました。それでも生徒会に入ることを決めた理由は、ローラを守るためなんだと思います」
「うん。エミリーは本当にいい子だよ。……彼女は生徒会で元気にやっているかい?」
元気、か。
「ふっ」
今日の倉庫でのハプニングを思い出して、またつい笑ってしまった。
「……ん? あれ、どうしたの?」
「いえ失礼。ちょっと今日、おかしなことがあって」
「君が思い出し笑いするなんて、オジサン初めて見たなぁ。でも彼女って面白いよね」
「面白いというと?」
「いやね、この前授業で、眼鏡に絵の具が飛んじゃって困ってたんだけど――」
アランは、エミリーが謎の洗剤(?)で彼を助けてくれたこと話した。
「くっ……!」
図らずもまた笑ってしまった。
一日の内に何度も心から笑うなんて、普段はまったくないことなのに。
「いや失礼。あまりにもおかしくて。なぜそこで謎野菜のエキス? ええっと、スルリン?」
「スルートだ」
「え、ええ。どうしてそんなものが、すぐに鞄から出てくるのかと。貴族の令嬢が普段持ち歩いているものではないと思ってしまいまして、つい」
「そうだろう!? 僕だってびっくりしたよ! あとさ――」
さらにアランから、魚がテーマだというのに、不思議な髪型をした御婦人がお魚をくわえたドラネコを陽気に(?)追いかける躍動的なシーンが描かれた絵の話を聞かされ、笑いの追撃をくらう。
「――アッハッハッハ!」
「おかしいよねぇ!」
指で涙を拭う。
エミリー、さっきからずっと笑ってしまって本当にすまない。
だけど、その絵は前衛的すぎる。
魚がメインになってないじゃないか……。
「……あの子は。エミリーは。とても優しい子なんです。一緒に仕事をしていて、そう感じます」
思わず口にしていた。
「あの子はたぶん、他人の気持ちを察する能力がとても強いんです」
「……」
「そして、困っている誰かを見つけたらいつも気遣おうとしていて……」
「君が、笑顔で女性を褒める日がくるなんてね……」
「……え?」
驚いているアランを見ながら、自分に対しても驚いた。
「ねぇフェルナン」
「はい」
「僕たちの使命は、シャルル王太子殿下とローラ・サヴィーア嬢を護ることだけど……」
アランは眼鏡を外して磨き始めた。彼は童顔で同年齢にしか見えないが、本当は僕の父方の叔父であり、魔術の師でもある。
「エミリーのことは、君がしっかり守ってあげるんだよ」
「……」
そんなこと、言われるまでもない。
僕はエミリーから偶然聞いた、彼女にかつて許嫁がいたという話を思い出していた。
あの時の彼女のつらそうな表情が気になった僕は、同級生のジャンにそれとなく何か知らないか聞いた。すると、同じクラスのジェレミという子爵令息が、ある男爵令嬢との許嫁を解消していたことを知った。
僕はジェレミを掴まえ、直接そのことをたずねた。彼は明らかに動揺しながら、エミリーとかつて許嫁だったことを認め、家の都合でそれを解消したと答えた。突っ込んで詰問すると、実は彼女がクラスで孤立していたので、もしかしたら自分も立場がなくなると思って彼女との縁を切ったと、ついに吐いた。
それを聞いたとき――僕はいつの間にか奴の胸ぐらを掴んでいた。危うく自分が暴力事件を犯すところだった。
『ですから、今は誰も……いません』
――あのときの彼女のつらそうな表情を思い出して、胸が締め付けられた。
アランを介して彼女のことを偶然知ったとはいえ、僕は彼女の内面までは知らない。彼女は身を挺して親友を守ろうとするくらい芯が強い女性だとは思う。でも、もしかすると彼女は、悩みを抱えながら学院での日々を過ごしてきたのではないだろうか。
もしあの子がひとりで悲しんでいたのだとしたら……。それに気づけなかった自分のことが、悔しかった。
「……」
深く息を吐いた。
(――彼女のことを、大切にしたい)
「ん?」
眼鏡をかけ直した叔父は、優しげに微笑んだ。
「オジサンがわざわざ言わなくても、大丈夫そうだね」
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