13. お化け騒ぎ
「フェルナン様、こちらの書類をどうぞ」
「ありがとうエミリー。いつも助かる」
私が生徒会に入って一ヶ月経った。最近は定例の業務のお手伝いなら、ほぼ問題なくこなせるようになった。
えっと、たしか「アンズよりうまいもののほうがやすし」? だったっけ? 以前メグミが言っていた通り、初めてやることは緊張してしまっても、人は不思議と次第に慣れていくものだ。
でも、私が慣れることができたのは、この生徒会の空気のおかげだと思う。
この場所には、いつも活気がある――。
わが国の王太子という雲の上の存在であり、高貴なオーラを常にまといながら、鷹揚でフランク、みんなの纏め役のシャルル会長。
強そうで怖そうな見た目だけど、穏やかで優しいアレクシス様。彼のかしこまった口調にも、私は密かに癒しを感じるようになっている。
何かわからないことがあると、彼らだけでなく、闊達な美人のナタリー様や、見た目は「チャラい」けど頭の回転が早くて話しやすいジャン様も助けてくれる。
友だちのローラもすっかり慣れてきたみたいだ。彼女は任せられた会計の仕事をバリバリこなしている。シャルル会長から時おり意見を求められるなど、彼女はすでに生徒会の優秀な戦力になっていた。
――そして、フェルナン様。
みんなの相談役を務めながら、いつも全体を見渡している。それでいてフットワークも軽くて、みんなの先回りをしながらフォローまで行う。やっぱり凄い人だ。
「エミリー」
「はい」
「さっきの書類ありがとう。エミリーがしっかりチェックしてくれたおかげで、捗ったよ」
え、フェルナン様の作業、もう終わったの?
結構な量を渡したんだけどな……。
「ところで、生徒たちのために新しい申請書を用意しないといけないんだけど、フォーマットの作成をお願いできるかな?」
「承知しました」
フェルナン様は私の隣に座ると、これから作る申請用紙の用途などの説明を始めた。
「……」
ごめんなさい! さっきは慣れたとか調子に乗ったことを言って! 至近距離で私の目を見ながら熱心に話す彼の側にいるだけで、心臓バックバクです! 手汗がびっしょり状態です!
たまたま彼と体が触れてしまったときなどは、内心大変なことになってしまう私なのだった。
これって「ぼんのー」っていうんだったっけ?
メグミが以前言っていた、そんな不思議な言葉を思い出す。まあ私、俗物ですから……。
ただ最近は、フェルナン様を見て、彼が今何をしようとしているのかを、少しだけど察せられるようになってきた気がする。
そして彼は、私がしたことをいつも、ありがとうって言ってくれる。
「エミリー。わからないところはある?」
「大丈夫かと存じますわ」
「ありがとう、よろしくね!」
よしやるぞ!
――それにしても。
私は思った。
最初は凄く悩んだけど……。生徒会に入ってよかったな、って。
「お化け騒ぎ?」
ナタリー様が声を上げた。打ち合わせの時間に、私たちはシャルル会長から奇妙な話を聞かされていた。
「楽団からの相談でね。旧ホールで何やら不思議な音が聞こえることがあり、生徒たちが『お化けじゃないか』と気味悪がっているから、一度調べてほしいとのことだ」
楽団とは学生たちが有志で集まり、学院からも認められた団体で、学院祭などの催事では彼らが演奏をしてくれる。
ふと疑問を抱いた。
学院では今年、立派な新ホールが落成している。旧ホールの方はいずれ取り壊される予定なのに。
「あの、なぜ楽団の方々は旧ホールをまだ使用しているのですか?」
「新ホールには音楽室とかも併設されるんだけど、そのエリアはまだ建設中なんだ。だからそれまで楽団は、一時的な練習場所として、旧ホールを使用することが許可されているんだ」
ジャン様が説明してくれた。
「それにしてもお化けねぇ~。何かの間違いじゃない?」
「どうかしら。私、聞いたことがあるの」
ナタリー様が続けた。
「旧ホールにはこの学院の長い歴史の中で、いろいろな逸話があるのよ。例えばかつて、身分差の恋に苦しんだ令嬢が首を吊った、なんていう話もあるわ」
「ええ~! そんな話を聞かされたら、何だか怖くなってくるな!」
「まあ、古い建物にありがちな話で、本当かどうかはわからないけどね」
「ナタリーは平気そうだね?」
「ええ、もちろん。私昔から、怖い話や不思議な話を集めるのが趣味なの。ヴェルナーサ学院は歴史が古いから、そういうネタに事欠かないのがいいわ!」
楽しそうに語るナタリー様。彼女の意外な趣味に驚く私。
「まあ実害があるわけではないようだが、生徒たちの安心を保つのも生徒会の役目だ。少なくとも、設備などに異常がないかは見回って確認しておきたい。だから――アレクシス、ナタリー、頼めるかい? 今週の時間のある時で構わない」
「わかりました!」
「う、うむ……。しょ、承知した……」
設備関連となると庶務の担当だ。ただ、即答したナタリー様と異なり、アレクシス様は何だか躊躇していた。
……どうしたのかな?
「ここであるな……」
「はい……」
数日後、私はなぜかアレクシス様と一緒に旧ホールの前に立っていた。辺りは人気が無く、とても静かだ。
どうして庶務ではない私がここにいるのかと言うと、ナタリー様が急に風邪を引いてしまったからだ。少なくとも今週はお休みらしい。
実は私は、ここの見回りに気乗りしない様子のアレクシス様のことがずっと気になっていた。そこで、ナタリー様の代役としてつい挙手してしまったのだ。
「で、では、参るか」
「はい」
今日は天気が悪く、今にも雨が降りそうで日中でも薄暗かった。アレクシス様が鍵をガチャガチャと取り出して扉を開け、私たちは旧ホールに足を踏み入れた。
カツーン。カツーン。カツーン。
私たちの足音だけが広い廊下に響いた。
「それにしてもエミリー殿、此度はご足労をかけてすまない」
「とんでもございませんわ」
アレクシス様のいつもの逆立った華やかな赤い髪が、今日はちょっと萎れているような気がした。
「ちょうど手が空いておりましたので。構いませんわ」
「すまない…。実は、ここだけの話なのだが……」
「はい」
「私は、お化けが大の苦手なのだ」
「えっ!?」
山のような巨体を揺らして、自らの秘密を告白するアレクシス様。
「剣の腕や体術ならば、この学院の誰にも負けない自負はあるが、怪異の類はどうもな……」
そう言った彼は、山から小山くらいのサイズに縮小していた。
彼なら仮にお化けが出たとしても、素手で瞬殺しちゃいそうな気がするんだけど……。
「お気になさらないでくださいませ。私もお化けは苦手ですし、誰にだって不得手なものはあるものですわ」
「そうか! エミリー殿もお化けは苦手なのか!」
アレクシス様は安堵の笑顔を浮かべた。そして私たちは建物内の中央にあるホールに着いた。ホールには誰もおらず静かで薄暗く、確かに不気味な感じがした。
「……」
私は辺りを見渡した。
「アレクシス様」
「う、うむ。どうした?」
「こちらをご覧ください」
ホールの隅のスペースを指差す。
「ほう……。これはまたずいぶんと大きな柱だな。これが何か?」
アレクシス様は木製の古い大きな柱にぽんぽんと触れた。ホールの中には、同じ大きな柱が距離を置いて並んでいる。
そのときだった。
ミィーン……インインイン……フォァーン……フォァーン……
なんとも形容しがたい音がホール中に響き渡った。
「な、なんだ! か、怪異か!」
ちょっとビビっているアレクシス様。
「……アレクシス様、その柱を、思い切り押していただけますか?」
「こ、これを? お、押せばいいのだな?」
「はい、できるだけ思いっきり」
ふぬぬ!とアレクシス様と柱を押した。いくら剛力の彼をもってしても、柱がへし折れることはさすがにないだろう。
すると、また同じ不気味な音が再現した。
「こ、これは……?」
「おそらく、その柱が老朽化しているか、あるいは含まれる水分の変動などによって、自然と小さな音が発生するようになったのでしょう」
「ふむ」
「そして、その振動が屋根などに伝わり……ホール全体で大きく反響しているのではないでしょうか?」
「なるほど……! では怪異ではないのか! エミリー殿は素晴らしい推理力をお持ちだな!」
アレクシス様の表情が、ぱあっと明るくなった。
「このホールは、この学院でもとりわけ古い建物。もしかすると、西にある体育館などでも、似た現象が起きているかもしれませんわ」
「ははは! この前の門のことといい、エミリー殿は学院内のことに本当に詳しいのだな。私はいつも、同じような場所を行ったり来たりするだけだから、学院全体のこととなると、さっぱりだ」
「おほほ。たまたまですわ」
いや、実をいうと――。
私は一年生の頃、一人でいる時間をあまりにも持て余し過ぎていた。そのため、おひとりさまの時間を一番快適に過ごせる場所はどこなのかを探して、学院中を歩き回った。一度調べ始めたらつい熱中してしまい、それこそ隈なく、端から端まで徹底的に調べた。
生まれつきの豆知識精神(?)に、火が付いてしまったのだろう。
もしかしたら、この広大なヴェルナーサ学院のキャンパスマップがすべて頭に入っている生徒は、全生徒の中で私ひとりかもしれない。
せつない。
こんな知識なんて、「学院を初めて訪れた人に、初日のガイド役をする」くらいしか、役立たないだろうって思っていたけど……。
結局、学院生活にいまだ不慣れなローラに、いろいろと案内することができているし、人生何が役立つのかはわからないものだ。
実は、このホール付近も一時期、孤独な私の憩いの場だったことがある。外にある古びたベンチにぽつんと座りお弁当を食べながら、ぼっちのグルメを堪能していたら、さっきの妙な音もよく聞こえた。
最初は驚いたけど、後でお父様に聞いてみたら、古くて大きな倉庫なんかには、同じような現象が起こるって言っていた。
だから今回の原因も、最初からあたりはついていたのだった――。
「ここも大丈夫そうだな」
「ええ」
私たちは念のため、建物全体の設備も見て回り、特に異常が無いことを確認し終えた。
「任務完了だな! 助かった! エミリー殿!」
アレクシス様は、元の体のサイズと髪の高さを取り戻していた。
いえいえ、こんなことでお役に立てたのなら。
「まったく……ストレスでニキビが増えてしまうところだった」
「あら、アレクシス様。ニキビでお悩みですか? わかりますわ」
任務を終えた私たちは、唐突なニキビトークで盛り上がり始めた。
「いや。気を付けて洗顔していておってもな……。次の日の朝には、新たな敵が急に吹き出してくるのだ」
「――ならば、こちらをお試しください」
鞄から小瓶を取り出した。
「これは……?」
「アレクシス様、よろしいですか。お肌の維持には速やかなターンオーバーが肝要。皮脂の過剰分泌は、我々学生の天敵。こまめなケアが必要でございます」
「ほうほう」
アレクシス様の目が輝く。
「そこで。こちらがわが家で販売予定の化粧水でございます」
「ふむふむ」
「なんとこちら! ただの化粧水ではございません!」
「おお! それでそれで」
「こちら、なんと全て天然由来でございます。私独自の技術で複数のハーブを配合し、特に若い方の肌トラブルに最適。ただいま在庫が少なくなっておりますが――」
前のめりになっているアレクシス様に、キリッとした顔で言った。
「本日は、お客様のためにこちらを、無料で進呈させていただきます!」
小さな瓶を、めちゃくちゃ大きなアレクシス様の手に渡す。
「なんと、エミリー殿は博学でもあるのだな! ありがたい! ぜひ試してみる!」
ニキビトークですっかり意気投合した私たちは、その後も熱い議論を交わした。アレクシス様は意外にも美容男子だった。私は自らのスキンケアの知識を、お肌を気にするお年頃の同胞と認識した彼に、惜しげもなく伝授した。
別れる前にアレクシス様は言った。
「エミリー殿」
「はい」
「貴殿のことをこれからは、“お師匠”とお呼びしてもよいか?」
こうして、私には友だちが一人増えたのだった。