12. 異世界転生
「お、お、お嬢様……! 今、なんと……!?」
振り返ったメグミの表情には、驚愕の色が浮かんでいた。
えっ、そんな変なこと聞いちゃった?
彼女のただならぬ様子に眠気が一気に吹っ飛んだ。
「えっと、“おとめげぇむ”って、何なのか知ってるかな~って」
「誰から聞きましたか!?」
いつも落ち着いているメグミが、我を忘れたような勢いで私のベッドまで駆け寄ってきた。
「どなたからですか!?」
「え、えっと、学院で聞いたの」
「同級生の方ですか!? 教師の方ですか!?」
「ええと、カトリーヌ様という方よ。あのグラヴィエ侯爵家のご令嬢よ」
「侯爵……令嬢……」
メグミは愕然としたままつぶやいた。
「私以外に、転生者がいるなんて……」
「え? てんせいしゃ? それって何?」
「……」
メグミから返事はなく、彼女はとても哀しそうな顔を一瞬して、頭を振った。
「どうしたの……? メグミ……?」
「……」
いつも明るい彼女が見せたその陰りの表情――私はそれを昔見たことがあるような気がした。
「……取り乱してしまい、大変申し訳ございませんでした」
「いいけど、一体どうしたの?」
「そのご令嬢がどんな方か教えていただけませんか?」
「うん。私もほとんど話したことはないんだけど……」
――カトリーヌ=グラヴィエ様。
この国で名門中の名門と名高い侯爵家のご令嬢で、もちろん特別クラス在籍の二年生だ。シャルル会長やフェルナン様、そしてアレクシス様が学院の男子生徒の象徴だとするなら、女子のシンボルはカトリーヌ様になるだろう。彼女を慕う生徒はたくさんいて、もはや崇拝されているレベルだ。一年生の頃から彼女の評判はよく耳にしていたけれど、今や学院に君臨しているといっていい。
しかしカトリーヌ様はその名声に驕ることなく、謙虚で慈愛溢れる淑女の鑑だともっぱらの評判だ。さらに、孤児院の運営などの慈善事業にも積極的に取り組んでいるらしく、国王陛下からの覚えも目出度いとか。
カトリーヌ様は婚約者をまだ決めていないらしく、誰が彼女にふさわしいのかなんて話を、周囲の生徒たちがしているのをよく聞く。
でも彼女にふさわしい男性なんてそうそういないと思う。それこそ、シャルル会長やフェルナン様たちくらいじゃないと釣り合わないのではないだろうか。
「――では、その方は……。美人だけれど性格が悪く、ド派手で、誰かをいじめ抜いたり、空気が読めなかったり、素敵な男性に横恋慕したり、権勢を笠に着てふんぞり返ったり、最後は卒業式で断罪されるような、悪役のご令嬢ではないのですね?」
「ええ……」
な、何よそれ。
なんでお祝いの場である卒業式で断罪なんてされなきゃいけないの?
それに私たちはまだ二年生だし。
「カトリーヌ様は美人だけどそんな方じゃないわ」
「……」
メグミは私の両肩に手を置くと、言い聞かせるように話し始めた。
「もし、これから。これからお嬢様に何があったとしても、私は絶対にお嬢様の味方です」
「な、何かって……何?」
「上手く説明できませんが……。この世界では、何が起こっても不思議ではないということです」
「……」
その切迫感が込もった瞳は、とても冗談を言っているようには見えなかった。
「まいったな~」
「アラン、どうかしたの?」
翌日。芸術の実技の授業を終えて道具を片付けていたところ、同級生のアランが嘆いているのに気づいた。
「ああ、エミリー。いやぁ、ちょっと困っていてねぇ」
アランはトレードマークの丸眼鏡を外し、せっせと磨いていた。
「さっきの授業でさ、絵の具を派手に飛ばしちゃってね……。落ちないんだよ、これが」
眼鏡に付いた汚れを拭ったら落ちきらず、かえってガラスが曇ってしまい、なかなか取れないらしい。「ちくしょ~、高かった眼鏡なのに」と半泣きでせっせと眼鏡を拭き続けるアラン。本体である眼鏡をやられ、全体が弱体化しているようだ。
眼鏡の下の顔つきは相変わらず端正な顔立ちだ。でもやっぱり童顔だなぁ、などと思いながらカバンを探り、あるものをすっと差し出した。
「こちらをお試しになって」
「ん? なにこれ?」
私が出した小瓶に入った液体を、アランは怪訝に見た。
「こちらはですね」
「うん」
「スルーリ目、スルーラ科、スローラ属のスルートという珍しい野菜のエキスを抽出したものでございます。原産はスール国ですが、かの国が最近大量栽培に成功し、価格がお手頃になったものを取り寄せましたの」
「……」
「効能は鎮静、鎮痛。ポーションの原料に使われることもあるらしいですわ」
豆知識のスイッチが入ってしまった私は、アランに淀みなく説明をした。
「お、おう」
アランはちょっと引いていた。
「そのスルッ? スルット?」
「スルートでございます。私はなんと、この成分が油由来の汚れを落とすということを発見しました」
私の豆知識は止まらない。なぜかはわからないけど、これは私が生まれ持った癖のようなものだ。
「例えば食器を洗う際には、洗浄力が上がりながら、すすぎを減らす。手の荒れを防ぎ、うるおいを守る。さらにこすり洗いも、つけ置きも不要でございます。ささ、どうぞお試し下さい」
「こ、これが……?」
「ねえエミリー、次の授業行こうよ。……ん、どうしたの?」
ローラが現れた。
「こちらのお客様に新商品、スルートの効果を実感していただこうかと」
「お、お客? ス、スルッ?」
「あ、お待たせしちゃ悪いね。これで拭けばいいんだね」
アランはハンカチに小瓶を軽く振り、おそるおそる彼の本体を再び磨き始めた。
「……お、落ちた、落ちたよ! スルッと落ちたよ!」
「スルートです」
「いやぁ助かった! ありがとう」
アランが喜んでくれて私も嬉しくなった。一方ローラはなぜか苦笑していた。
「でもさ、何でこんなもの持ち歩いているんだい? 貴族の令嬢が普段持ち歩いているものではない気がするんだけど……」
「たまたまですわ」
いや実は。
私には苦手科目が幾つかあるのだけど、その一つが芸術の実技だ。芸術史はちゃんと記憶すればいいからまだいいけど、実技はね。まあ、その、生まれつき不器用なもので……。前の実技の授業の際、制服にインクを派手に飛び散らせ大変な目に遭ったことがあった。それで今日は、万が一に備えてカバンに忍ばせていたという訳である。
「よかったですね。それにしてもアランさん、絵が大変お上手ですね」
ローラはアランが描いている途中の絵を見て褒めた。今回のテーマは「魚」だ。私も彼の絵をのぞくと、渓流を泳ぐ魚が写実的に描かれていた。確かに上手い。
「いやぁ、そんなことないよ」
「エミリーはどんな感じかしら?」
「ん……?」
「あれ……?」
私の絵を見た二人が急に黙り込んだ。
――そこには、猫らしきものが、魚らしきものをくわえ、遠くには走る人らしきものが描かれていた。
「あの、ね、エミリー。これって……?」
「これは、えっと、どういうことなのかな……? ううむ……。わかった! 飼猫に飼い主が、ご飯のお魚をあげている、というシーンだろう?」
二人は目を白黒させていた。
「違いますわ。ドラネコが忍び込んでお魚をくわえて、それを見た御婦人がコラ! って慌てながら、陽気に? 追いかけているシーンですの」
「……」
「……」
また黙り込む二人。
いや、あのですね。授業で、絵はダイナミックな動きを表現したほうがいいとか、なんとか、かんとか。そんな話があったから。
実は、メグミが昔から家でよく口ずさんでいる、他では聞いたことのない楽しげな謎ソングを元に、インスピレーションの赴くままに描いたらこうなりました。
「まあ、伝わればいいかなって」
「……」
「……」
あれ? もしかして全然伝わってなかったりするのかしら?
「いやぁ、私、不器用で!」
恥ずかしくなって、頭をかきながら舌を出した。
「こ、個性的でいいと思うよ!」
「そ、そうね!」
二人はフォローしてくれた。
やさしい。
「ところで。二人とも生徒会の調子はどうだい?」
フォローからのさりげない話題変更。この眼鏡、やりおるわい。
「えっと、まだ業務を少しずつ憶えている最中ですけど、みなさん優しく教えてくださるわ」
「そうかい。もし困ったことがあったら、特にフェルナン君に相談するといいよ、彼はとても頼りになるから」
……前も思ったけど、アランはフェルナン様と知り合いなのかしら? 二人はクラスが違うのに。もしかしたら、昔からの知り合いだったりするのかな?
「二人とも、生徒会頑張ってね」
「ありがとうございます」
「が、頑張ります……」
「何だいエミリー。……君は前より元気になって明るくなった。いけるいける。大丈夫さ」
そうかな?
アランとは去年のアニェスさんの事件のときにたまたま知り合ったけど、そこまで普段話すというわけでもないのに。
「部外者の僕が言えることじゃないかもしれないけど……。学院の皆を守るという使命を持つ生徒会には、エミリーみたいな人が、きっと必要だと思うんだ」
アランはやたら確信を込めて言った。
そうかなぁ……。
「だから自信を持って。エミリー」
「う、うん……」
何だか大袈裟だけど、励まされるのは嬉しい。
「まあ、絵の方はもう少し練習した方がいいかもしれないね」
「え? それってどういう意味かしら?」
私はちょっと怒った。ローラが隣で笑っていた。
お読みいただき、本当にありがとうございます! もし続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや☆評価で応援していただけますと、とても嬉しいです! 引き続きよろしくお願いします!




