第8話 申し出と沈黙
翌朝、陽光が差し込む控えの間にて。
サシャは扇を畳みながら、白衣の男に微笑みかけた。
「ねえ、イーヴ。あの子の体調も落ち着いてきたし……気分転換に、外庭へでも散歩に連れて行ってくださらない?」
「承知しました」
「ちゃんと“医療行為”としてよ。そう言えば、誰も文句は言えないから」
イーヴはわずかに頷き、控えの間を辞した。
***
外庭の通りには、夏の草花が静かに揺れていた。
石畳をゆっくり歩くシアノの横で、イーヴが一定の距離を保って付き添う。
まだ少し、緊張が抜けない。
昨晩の出来事が胸に残っていた。
だがその空気は、不意に破られた。
「――やはり、貴女でしたか」
振り向いた先にいたのは、白銀の装飾をまとった若い男。
星の座、第七位・搖光の称号を持つ宗家男子だった。
「シアノ殿。……どうしても私の陪花に来てもらえないだろうか」
穏やかな口調だったが、その視線には熱があった。
イーヴが一歩前に出る。
「お申し出は恐縮ですが、シアノ殿はすでに天樞・カミーユ様の陪花1席として、天の砦に登録されております」
搖光は首を傾げ、笑みを浮かべた。
「……侍従殿に聞いているわけではない。私は、シアノ殿ご自身の言葉で聞きたいのです」
その言葉に、シアノの肩がぴくりと震えた。
「私の番になることを、どうかお考えいただけないでしょうか?」
イーヴがわずかに身構える。
シアノは、言葉が出なかった。
否定していいのかも、どう答えていいのかも、わからなかった。
ただ――今はここにいたいという思いだけが、胸にあった。
搖光は、その沈黙を肯定と捉えたのか、口調を冷ややかに変えた。
「お答えいただけないということなら、改めて天の砦に申請します。
シアノ殿を陪花1席に推薦すると。……またお目にかかりましょう」
彼はひと礼し、そのまま立ち去っていった。
***
天樞の館へ戻る道すがら、シアノは一言も喋れなかった。
イーヴもそれ以上、何も言わなかった。
だが胸の奥で、確かに何かが形を持ち始めていた。
――天樞の館から、出たくない。
決して選ばれし身ではない自分。
それでも、ここにいていいと、思わせてくれた人たちがいる。
この場所で、暮らしていきたい。
その気持ちだけは、はっきりと、確かだった。