第7話 毒と花と、夜の会話
夜の帳が下りて、月の庭の灯が落ちるころ。
大公宮の奥にある私室で、サシャは一人、扇を弄んでいた。
そのとき、しずしずと扉が開く。
「やっと帰ったのね、カミーユ」
サシャの声音はいつも通り――けれど、その奥に微かな苛立ちが見え隠れしていた。
「大公宮での政務、長引いたのよ。……で? 砦が来たって?」
カミーユ=ヴァレリオン。
現宗家当主にして、次期大公。
冷ややかな瞳に、無駄のない立ち姿。
だがその優美さの下には、制度と毒を使いこなす“支配者の才”が眠っている。
「報告受けてるくせに、よく言うわ」
サシャは、長椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、あきれたように言った。
「ほんっと、あんたばっかりカッコいいとこ、全部持っていって、ずるいにもほどがあるわ!」
「そう?」
「そうよ! あたしは断然、天の砦に抗議するわ。
“制度の風紀”ですって? バカじゃないの?
あたしがいるときに来なさいよ、まったく……もう!」
扇で床をぱしんと叩くサシャ。
それを見て、カミーユはふっと笑った。
「……抗議、するの?」
「ええ、するわよ。思いっきりね!」
しばらくの沈黙の後――カミーユは、背を壁に預けて静かに言った。
「わたしはこれでも、宗家筆頭、次期大公。
父は現ヴァレリオン大公、セルジュ=ヴァレリオン。
制度上の母は――史上最高の毒の王、リュシールよ」
「知ってるわよ、そんなの」
「本気で“黙れ”と言えば、たとえ天の砦でも黙らせることなんて、造作もない」
その言葉に、サシャは口を閉じた。
カミーユが本当に“そういう人”であることを、彼女は誰より知っている。
「……でも、ちょっと引っかかるところがあるのよね、今の天の砦には」
「……そうなの?」
「そう。だから、まだ“黙らせてない”。」
カミーユの声が少し低くなる。
その口調は、制度の主でありながら、制度そのものを疑う者の響きだった。
「……あんただから言うけど」
カミーユは、扉に背を向け、窓の外を見た。
「今の天の砦は、よくわからない“外部”と接触があるらしいのよ」
「外部って……宗家外ってこと?」
「ええ。それが何かは、まだわからない。
でもね――あの天の砦が“上”だけ見ていない、っていうのは、制度としてちょっと異常」
「……それ、こわいわね」
「だから、わたしも、しばらく“手を出すのを控えてる”感じ。
でも――」
カミーユが振り返る。
その目は冷たくも、まっすぐだった。
「わたしの主花である黒鳥サシャに、手を出すっていうなら――話は別」
サシャは、少しだけ沈黙してから、苦笑した。
「……なんだか、変な方向に転がってるわね」
「そうねえ。でも、父上――大公閣下も、少し考えてらっしゃるみたい」
「セルジュ様が?」
「うん。最近、妙に“旧記録”を見直してるのよ。毒と制度の起源とか、上層議決の裏側とか」
カミーユは小さく肩をすくめた。
「たぶん――父上も、天の砦に対して“違和感”を抱きはじめてる」
サシャは、じっとカミーユを見つめていた。
制度を動かす者たちが、その制度に疑問を抱いたとき――
月の庭に、最初の風が吹く。