第4話 主花黒鳥の命令
天の砦の使者が去ってから、ほどなくして。
イーヴはサシャの私室を訪れた。
いつもと同じ白衣。沈黙の気配を纏い、姿勢も声も、完璧に抑制されていた。
扉の前で、ひと呼吸だけ置く。
そして跪き、深く頭を下げた。
「……今回の天の砦による勧告と監査、すべて私の責任でございます。
主花殿に……ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
低く落ち着いた声。
だが、その響きの底には、わずかに苦悩が滲んでいた。
そのとき――
サシャが、ふいに笑った。
「ところで、イーヴ」
す、と立ち上がり、ゆるく扇をあおぎながら、彼女は続ける。
「あなたは、カミーユ様の侍従だけど……
そのカミーユ様の《唯一の番》である私の言うことも、聞いてくれるのよね?」
イーヴは即答した。
迷いのない声音で。
「はい。そのように、カミーユ様から承っております」
「……よかった」
サシャはゆっくり、扇を閉じた。
その拍子が、まるで“判決”の合図のように響いた。
「では――イーヴ。命じます」
声が変わった。
あの、制度の中で“最も強い女”が持つ、静かな威圧。
「私の、とても大事な侍女は――とても繊細で、華奢なの。
月の庭の風が、少し強く吹いただけでも、すぐに体調を崩してしまうのよ」
イーヴの瞳が、微かに揺れた。
それでも、言葉を挟まない。
「あなたは、侍医でもあるわね?
ならば当然――彼女の変調や不調に最も早く気づき、最も的確に対処できる立場にある」
「……はい」
「ならば、こう命じます」
声は、さらに低く、美しく、強く。
「シアノの体調を常に観察し、その保全に全力を尽くすこと。
食事、睡眠、顔色、歩き方、息の速さ、声の震え……
些細なことでも見逃さず、適切な処置を施すこと。
それがあなたの“医の務め”であり――《私の命令》です」
「……」
「言っておくけど、これは私、主花黒鳥の命令よ?
個人的な頼みではなく、制度上の職責に基づいた、正式な業務命令」
サシャの微笑は、酷薄にも見えるほど完璧だった。
「あなたは、自分の職責をよく理解して。
そして――そのように、働くように」
その言葉の意味を、イーヴが理解しないはずがなかった。
言葉にはされなかった名が、全ての行間に満ちていた。
シアノ。
私の大切な“花”。
あなたがたとえ恋を知らずとも――
私は、あなたを制度の中で守ってみせる。
それが、黒鳥サシャのやり方だった。
イーヴは、再び深く頭を下げた。
その手のひらが、震えていることに気づかれぬように。