3 - 邂逅、そして…
翌朝、しばらく休んで回復したあたしの最初の仕事は一人で憑き人たちと会うこと。狩りに出かけたり戻ったりする時は遠くから見たことあったけど、彼らは基本的にみんなから離れて暮らしてる。みんなは憑き人を尊敬して感謝してるけど、特に守護神がいない間は近くに置くのは危険すぎる。
昨日の正装に加えて、右手は手袋で隠してる。別に誰もあたしを怖がったり気持ち悪がったりしてないけど、あたし自身は精霊様がくれたこの異形の手が気持ち悪くてあまり見たくない。
集落の外周を囲む川とそれを渡るための橋にたどり着く。向こうに私を待っているかのように黒髪の大人の男一人が立ってる。肩から足元を覆う毛皮のマントを羽織ってるけど、その下から除く上半身は裸、下半身は皮の腰巻き一枚。他の大人より大柄で、ものすごい筋肉をしてる。それにあたしと似たような形だけど、紺色の入れ墨を彫ってる。憑き人の印。
ちょっと怖い。でも出来るだけそれを顔に出さず橋を渡る。いつの間に尻尾が足の間に引っ込んでる。なるほど、素直すぎるのも困ることはあるね。
「ふーん。俺たちをまとめる守護のガキはこれか?そんなナリで共に戦えると本気に思ってんのか?」
大男の目の前に来ると向こうから声を掛けてくる。
「思って…ます。守護神はそういうものだから。」
「そういうもの、か。やはりその程度の覚悟で、何を引き受けたのもよく知らないでノコノコ儀式を受けてやってきたのか。」
男は両手であたしの肩を掴み、そのまま軽々と持ち上げる。体重が全部肩に支えられて、かなり痛い。そのまま相手の顔が目の前にいるところまで持ち上げられて、歯を…牙を見せつけて唸り、睨みつける。まだヒトの形のままなのに、猛獣に睨まれてるようで本能的な恐怖を感じる。宙に浮いてる足が震える。
祈祷師さんとの鍛錬、その時に言われ続けた言葉が脳裏に浮かぶ。怖がるな。呑まれるな。怒りを、暴力を、獣性を受け流せ。それが出来なくなった時は、せめては受け止めろ。
今でも、よく意味が分からない。でも、自分で自分を制御出来ない憑き人たちをあたしの力で助けるのが守護神の役目だと分かってる。だから、精霊様が最初に授けた魔法を開放する。睨みつける目を正面から見つめ返して、力を込める。目の奥が熱くなる。
次の瞬間、大男の表情が変わった。変な声を出してあたしを取り落とし、苦しそうに前かがみになる。橋の上に思いっきり尻をぶつける。痛い。でもそれどころじゃない。あたしは何かを間違えたのかな?あたしのことを友だちと思わせる力だと思った、苦しませるつもりなんてない。
「あ、あの大丈夫?」
「んぐっ…なるほど、素質はあるようだな。でもお嬢さん、あまり無闇に魅了を使わないほうがいいぞ。なんつーか、別の意味で襲われる。」
「別の意味で…?」
きょとんと首を傾げる。
「いや、いい。忘れろ。とにかく、俺が悪かったからどうしてもって時以外はあれを使うな。」
「…?分かった。」
ホントは分からないけど。
「ったく…やり方を間違えた。決まりだからって何も知らないガキに重荷背負わせやがって…まぁ、目を逸らさなかった分の根性は認めてやる。」
大男は手を差し伸べる。
「俺はブルリン。憑き人の中の一番の古株で代表だ。立てるか?」
「あたしはジャス…守護神ジャス。」
「よろしく…って言いたいところだが。いいか、チビ。あんたを認めるのは俺らの命と心を預かるということだ。多少の根性を見せただけでは足りない。」
なるほど。この人は守護神だからって、今日会ったばかりのあたしに自分と仲間を任せるのは不安なのね。
ずっとこうなることが決まっていたあたしはそんな人…守護神という仕組みを受け入れない人がいるだなんて想像した事もなかった。だからこそあたしはあまり迷わずに契約をした。決められた事に逆らう発想も無かった。思わず手袋で隠した右手を握りしめる。ブルリンの顔を見上げる。
「どうすればいいの?」
「…いい目だ。よし、今から俺と狩りに出ろ。それでお前の器を見極める。」
狩りは憑き人たちの大事な役目だからあたしは出たことはない。でも何事にも初めてはあるし、だからこそこれからは避けては通れない。二つ返事で頷く。
「分かった、よろしくねブルリン。」
「よろしく、チビ。」
「ジャスよ。」
「よろしく、チビ。」
名前で呼ばれたいなら認めさせるってことか。上等。
———
しばらく後、ブルリンと二人で集落の外の森を歩いてる。あたしは昨日と同じ格好なのに、寒さは思った程気にならない。もしかすると寒さに強くなるような精霊様の加護でもあるかもしれない。まだ早いはずなのに空は灰色、木漏れ日があまり届いて無くて薄暗い。雪が降るかもしれない。
あたしの両手に槍がある。ブルリンの助言。「力も技術もないならこれにしておけ。いらないわけじゃねえが、他よりはなんとかなる。」らしいです。でも右手の形が変わってるせいか、ちょっと握りづらい。あたしは左手だけで使える投石紐がよかったけど、これは却下された。「冗談じゃない、石がどこに飛んでいくのは分かったもんじゃねえし、そもそも獣やモンスターは石ぐらいで中々死なない」だそうです。
じゃあブルリン自身はどうかというと、何故か武器を何も持ってこなかった。
「…ええと、それじゃ…狩りって具体的にどうする?」
「まぁ、初日のチビには多くを期待してない。俺についていけばいい。」
そう言うブルリンはマントを脱いで木の影に隠してから身を低くした。低い唸り声をあげた。一瞬にして雰囲気が変わる。目が赤く光り、牙を剥き出しにして、真っ黒な毛が全身から生えてくる。顔の形がぐにゃっと変わる。低い威勢は更に低く、両手が地に付く。いや…両手じゃなくて前足。四足歩行になった。完全な狼に変身した。
存在を知ってたけど実際に見たのは初めて。これこそは憑き人の頼りになる力、あたしたち部族を守る牙たる力。他の部族が彼らの事を人狼と呼んで恐れる理由。憑き物たる狼の力を借りて自分自身が狼の姿になる能力。そうか…獣の聴覚と嗅覚を使って獲物を探し出すわけね。
「ちょっとかっこいい…」
この姿で喋れないのか、ブルリンは特に反応せず鼻を上に向けて何度か鳴らしてから歩き出す。でもなんとなく相手は少し照れてる気がする。見失っちゃ大変だから急いで追いかけよう。
しかしすぐにヒトは四足歩行獣について行けるように出来てない事を思い知った。ブルリンはゆっくる進んでるように見えるのに、思いっきり走らないとどんどん姿が遠くなる。森が初めてのあたしが走ると槍はつっかえるしマントは枝に引っかかるし落ち木に踏んで音を出すし散々。次第に大きくなるブルリンのイライラを感じる…けど、あたしの歩幅に合わせて速度を落としてくれる。
残念ながらブルリンは参考にならないけど余裕が出来た分、少しずつヒトならばの森の歩き方を模索できる。時間が進む。日が昇っていく。方向はよく分からないけど多分どんどん村から離れていってる。もしこのヒトと離れ離れになったら、多分一人で帰れない。それが少し怖い。でも、絶対あたしを認めさせる。せめて荷物にならないようにしないと。
———
お日様が頂点に昇った頃、雪が降り出した。ほぼ同じ頃にブルリンの纏う雰囲気が険しくなった。急に方向を転換して全力で駆け出す。まるで意図的にあたしを置いていくかのように。
「ちょ、意地悪しないで!」
獲物を脅かさないよう喋らないことにしてたことを思わず忘れて叫んだ。そして後を追うように駆け出した。本気に走り出した獣に追いつけるわけがないのは分かってるけど、先ほど感じた不安があたしの背中を押す。
そして今度は、力が足の中を駆け巡ることを感じて、不思議と追いついてる。まるであたしの短い足が大人何人分ほ歩幅を生み出してる不思議な気持ち。もしかしてあたしはもう新しい魔法に目覚めたのかも。ブルリンは驚いた様子だが、走りながらもすぐに「帰れ!」というかのように牙を剥いて威嚇した。
「やだ!」
「(クソ、頑固なガキめ)」
頭の中にブルリンらしき声が響いた。気のせい…?確かにさっきから不思議と上手くこの人の気持ちを察してると思ったけど…
目的地について、ブルリンの態度が変わった理由がすぐ分かった。大きな木の元で、あたしとおんなじぐらいの身長の緑肌の人がぐったりして座ってる。右腕は包帯だらけ。
「ゴブリン…!」
「(ああ…昨日俺と小競り合いした奴だ。大怪我させたのになんで一人でこんなところ…)」
ゴブリンは弱々しく顔をあげた。
「獣人と…人狼カ…いや、今は誰でもいい…助けて、くれ。」
「(こりゃ俺が被わせた怪我だけじゃないな…それにこの臭い…)」
ゴブリンはあたしたちと争ってるのは耳にした事はあるけど、この人は丸腰で明らかに弱ってる。異種族だからって、言葉が通じて助けを求めてるのに放って置くのはあたしにはちょっと無理かも。
「何があったの?」
「…あっちの人狼は、おいらが戦った奴カ?違うのカ?ケモノの見分けはつかん…とにかく、みんなと…やり返しに来たガ…ヴェントゥールと、遭遇した。」
「ヴェントゥール…」
祈祷師さんの授業で聞いたことはある。あらゆるヒトの共通の敵、モンスターの一種。何人も呑み込めるほど長大な肉の塊。
「仲間が、みんな食われた…おいらは、体当たりで肋骨がやられた…見つかったら、俺も食われる…死にたく、ない…」
「(まずいな…こいつを助ける義理はないが、村に近すぎる。ヴェントゥールなんてでかい奴に襲われたらどんな被害が出るか…なんとかチビを帰せねえと…)」
そう聞かれたら黙るわけにもいかない。今は村はあたしの責任でもあるし、このゴブリンを見捨てたくもない。
「帰らない。憑き人を支えるのはあたしの役割でしょう?ブルリンを一人で戦わせない。」
「(…ん?お前、俺の心を…)」
「何故かさっきから聞こえるようになった。多分精霊様の導き。」
「(ふーん…まぁ、ヒトに戻らなくても意思疎通できるなら助かった。いいかチビ、ヴェントゥールはかなりやばいモンスターだ。お前には荷が重すぎる。今すぐ日の沈む方向に走って村に帰れ。)」
「そんなに危険なら、尚更ブルリン一人に押し付けられない!あたしだけ逃げてブリリンが帰ってこなかったらどうする!」
確かにあたしは子供で、戦ったことは一度もない。でも今より小さかった頃からずっとお父さんの話をお母さんに聞かされたから、憑き人がみんなを守って命を落とすことがよくある事なのは知ってる。今日会ったばかりのこの人があたしを守って死んじゃったら、あたしは何のために守護神になったのがわかんない。
「(…くそ、ガキのくせに石頭が!)」
ブルリンは駆け出した。あたしを置いていって一人でモンスターと戦うため。そうはさせるものか!
「ヴェントゥールを退治したらすぐ戻るから!」
「気をつけ、ロ…」
ゴブリンの人に一声掛けてから、さっきのように足に力を込めてブルリンの後を追う。
「(帰れって!俺はガキに守られるほど落ちこぼれていない!)」
「ガキとかチビとかうるさい!これが終わったら絶対、名前で呼んでね!」
「(っ…もう勝手にしろ!)」
———
ヴェントゥールはブルリンの鼻が無くてもすぐ見つけられたと思う。なんせ、向こうもあたしたちに向かって直進していた。あたしの家よりも大きな赤紫色の身体。目も鼻もないけど、歯のない大きな口はある。進みながらその中に積んできた雪が、若木が、逃げ遅れた小動物が見境なく吸い込まれて消えていく。辿った跡に残るのは何もかもが消えた大地だけ。こんな奴、確かに村に入り込んだら大変なことになる…そうでなくても、森の恵みが全部食い尽くされてあたしたちが飢え死にするかもしれない。
「(いいかチビ、戦うならせめて口の前に立つなよ。あいつに捕まって呑み込まれたら俺にはどうにもならん。)」
「分かった!」
ブルリンが先に駆け出した。あたしに注意したばかりのくせに正面から、熊でも簡単に呑み込めそうな口に向かって。ヴェントゥールはすぐに反応して、口の中から無数の触手が飛び出して彼を捕まえようとするけどブルリンは急に方向転換して回避、横に回り込む。ヴェントゥールはそのまま意外と早く身体を回転して付いていこうとする。
魔法を通して意図を感じ取る。注意を引こうとしてあたしに攻撃が行かないようにしてるのね。だったら、作ってもらった隙を活かさない手はない。槍を握りしめて、足に魔力を込めて、あたしの前の前に広がってるヴェントゥールの横面に向かって飛び出す。
「やああああーーー!!」
授かった人離れた脚力のおかげで距離を一瞬で詰める。槍の先はヴェントゥールの分厚くも柔らかい肉に深く差し込み、柄の半ばまで深く抉りこむ。
「(あ、バカ!深く刺しすぎ!)」
「え?」
追撃しようと柄を引っ張るとブルリンの言ってる意味に気付く。モンスターの贅肉に槍の先が引っかかり、すぐに引き抜くことが出来ない。あたしの存在に気づいたヴェントゥールはそのまままた方向転換して、差し込んだままの槍はあっけなくあたしの両手から引き離される。そして武器を奪われたと焦る間もなく、ヴェントゥールの巨体の回転に巻き込まれる。
正面からの衝撃。肺の中の空気を全部吐き出す。足は地面を離れ、一瞬だけ重力から解放される。次に来るはずの衝突に備え、本能的に受け身を取る。後ろからの衝撃。木が砕ける音。背中に刺さる木片。短い人生で経験した中で、精霊様に腕を食われた時の次ぐらいの痛みが襲いかかる。さっき息を吐き出したから悲鳴をあげることも出来ない。目がちかちかする。
「(ぼっとするな!すぐに立て!)」
ブルリンの警告の念に釣られて顔をあげる。ヴェントゥールは完全にあたしの方に向いてきて、あたしの視界に入るのは底のない巨大な口中だけ。触手があたしを捕まえようと伸びる。まだ力が入らない。不快な感触とともに触手は足首に巻き付く。捕まれた。
「(こっち見ろ、化け物ぉ!!)」
雄叫びとともにブルリンは狼の姿のまま後ろ足に立ったように見える。いや、多分一瞬にして変身した。戦闘に特化してる半獣形態。両手の爪でヴェントゥールの横面を引き裂いて、あたしから注意を逸らそうとする。でもヴェントゥールにとってあたしはよっぽどのご馳走に感じてるのか、その血が盛大にぶち撒かれて雪を染めてるにも関わらずあたしの足を強く引っ張り、口の中に取り込もうとしてる。何かを掴もうとするも手は虚しく空を切り、池面を抉りながらずるずると引っ張られる。
あたしはこのまま、魔物に食われて死ぬ?
恐怖の中で、闘争心に火が付く。いや。あたしはブルリン、そして村を守るために来た。何もできないまま食われてたまるものか。
じゃあどうする?武器は奪われたままよ?
せめてあたしにもブルリンたち憑き人のような、どんな敵にも負けない爪と牙があれば…
右手が突然燃えるように熱くなる。理由もわからず、あたしは手袋を口に咥えて外す。抑え込まれた巨大な何かが解放される感覚。轟音が鳴り響く。本能に従って腕を振るうと、ヴェントゥールの触手は笑ってしまうほどあっさりと千切って、足首を引っ張る巨大な力が消える。声もなく怯むヴェントゥールを前にあたしはすぐ立ち上がり、魔力を足にも回して飛び引く。
そこでやっとあたしの腕を見て、自分の身に何が起きたかを把握する。右腕が全部黒いオーラに包まれてる。その色も形も異形の手と同じで、まるで腕がそのまま巨大化したかのよう。その巨大な疑似腕があたしの思いのままに動き、その気になれば人型のブルリンの身体を鷲掴みできそうな程手が大きくて、あたしの小さな体にとてつもなく不釣り合い。そして指先のすべてが鋭い爪になってる。
祈祷師さんの言葉が脳裏に浮かぶ。精霊様の魔法はその人の素質と必要性により様々な形で顕現する。そして新しい魔法がもっとも覚醒しやすいのは生死を掛けた極限状態になった時。
「形勢逆転…かな」
その言葉を否定するかのようにヴェントゥールはまた身体を大きく回転した。今度は横面に食らいついてるブルリンが甲高い鳴き声とともに吹き飛ぶ。未だにすばやく、力強く、全然怪我が効いてるようには見えない。それに対してあたしは魔法の覚醒でピンチを脱したものの、吹き飛ばされたダメージが消えたわけじゃない。それに、急激に力が抜けていく感覚はある。多分この手は大きさの分だけ魔力消耗が激しい。
それはつまり、すぐに決着をつけないといけない。けど槍に刺されても憑き人の爪で引き裂かれてもびくともしないこんな贅肉の塊のどこに弱点はある?
吹き飛ばされたブルリンは足から着地して、牙を剥いて雄叫びをあげてヴェントゥールを威嚇する。さすがにあたしよりずっと戦いの経験を積んでるだけはある。頼もしい。
「ね、このモンスターどこを攻撃すれば致命傷になるの知ってる?」
しかし返事は来ない。ブルリンから流れてくる思念は怒りと闘争心に満ちて、もう言葉になってない。憑き人の呪に呑まれ、理性を失って、暴走しかけてる。
「そっか…そう言えば理性を持って考えるのは、守護神の役目だったね…!」
無論、ヴェントゥールはそんなゆっくり考える暇を与えてはくれない。口を大きく開けてすごい勢いで突進してくる。触手を何本か無くしたから、直接あたしを口の中に掬い上げる気だ。すぐに逃げる衝動を抑えて正面から見つめて距離を測る。あと少し…あと少し…今!巨体があたしに届く寸前のところで横に飛ぶ。こいつ、大きい割に方向転換が早いから避けるタイミングに気をつけないとまたすぐ捉えられる。すれ違い様に巨腕で引っ掻く。浅い。こんなんじゃ倒せない。考えて、ジャス!
急所は必ず、どこかにあるはず。どこかに…そういえば、殆どの生物は胃袋が急所だと聞いた。あらゆるものを呑み込むこいつの特性から考えると、身体の殆どが胃袋でも不思議ではない。だとしたら問題は贅肉を突破してそれに届く方法。自分から口の中に飛び込むのは…いや、危険すぎる。獲物を生きたまま丸呑みするこいつは中からの攻撃に対策がないのは考えにくい。そう思ってる間にブルリンはまた魔物の横面に引っ付いて、両手の爪で肉を抉る。口でも文字通りに食らいつく。しかしヴェントゥールが巨体を力強く振ると、またあっさりと吹き飛ぶ。さすがに憑き人でもこいつに力では敵わない。もっと考えて…!
一度引っ掻いたら飛び引く。追撃しようと密着距離にいるとまた身体の回転に巻き込まれるから。そうしてるうちにいつの間にブルリンは同じような動きをするようになった。暴走してなおあたしの考えが届いてるのかも。だとしてもどうする?この爪ならそこそこ大きな怪我を付けられるけど、内蔵まで届くように深く貫くことはできない。それに巨大だから威力はあるけど、あまり細かい事はできそうにない。あたしの力自体が強くなったわけでもない。ブルリンの方は力があるし半獣形態ならヒトの器用さも兼ね備えてるけど、爪が短くて魔物の肉を深く抉ることも無理。何か…何かが足りない…
何度目のヴェントゥールの回転体当たりを避けてるうちにあたしの目が解決策に止まった。あたしの初撃の失敗で奪われた槍がまだ贅肉に突き刺さったまま。
「よし...!閃いた!」
あたしは敢えて魔物の口の前に飛び込む。再生したのか、温存していたのかヴェントゥールはまたあたしを捕食しようと触手を伸ばし、あたしは巨腕の一振りでそれを撃退する。その間あたしの考えを拾ったブルリンは回り込み、飛び込んで、両手を槍につける。そのまま踏ん張り、魔力とも関係ない純粋な筋肉の力で引き抜く。それに気づかず、魔物は突進してあたしを喰らおうとする。どうやらあたしはよっぽどおいしそうに見えるらしい。
でも十分時間を稼いだ。ありったけの魔力を足にまわして、全力で跳躍する。まだ使い慣れてないこの術はあたしの予想を超えて、一瞬で木の上まで行く。でも今は高く飛べれば飛ぶほど都合がいい。あたしはそのまま、獲物を見失いわずかに混乱してるヴェントゥールに向かって落下し、落下の勢いを付けて巨腕の斬撃を食らわせる。肉は大きく引き裂かれる。これでもまだ内臓にはとても届かない、けどあたしの役目はこの「切り口」をつけるだけ。
地面に衝突。攻撃に集中していた分、着地に失敗した。全身に衝撃と痛みが襲う。もしかするとどっか折れたかもしれない。あたし一人だったら、多分立ち上がる前にこのままヴェントゥールに捉えられて今度こそ食われる。でもあたしは一人じゃない。
ブルリンは天をも揺るがす雄叫びとともに突進して、すべての力を振り絞るように槍を、あたしが作った切り口に突き刺さった。発声器官のないヴェントゥールは不気味なほど静かに全身を強張らせて、次の瞬間にのたうち回る。今までの肉を斬っただけの傷で出なかった反応だ。ちゃんと、致命傷になったのか…?
少し回復したあたしはヴェントゥールをじっと見つめたまま立ち上がる。ブルリンは槍を手放し、ダメ押しと言わんばかりに両手の爪でめちゃくちゃにヴェントゥールの身体を引き裂く。何度か痙攣する巨体に弾かれるも、もう反撃らしい反撃が来ない。
そしてやがて、魔物の動きが完全に止まった。ブルリンは勝利を宣言するかのように遠吠えをする。でもあたしは多分、あと一つ仕事が残ってる。あたしは念じて、腕を元の姿に戻す。あの最後の斬撃で、もう魔力が殆どない自覚はある。でも…
ブルリンはゆっくりとあたしに向き直る。目はもう完全に獲物を見てる肉食獣のもの。今の状態のブルリンがあたしの考えを従ったのはあくまでも共通の外敵が目の前にいたからで、今は言葉で止められないとは確信する。
怖がるな。呑まれるな。怒りを、暴力を、獣性を受け流せ。それが出来なくなった時は…
だから。残りの魔力を全部目に込めて、肉食獣の目に正面から魅了の魔眼を合わせる。その結果何が起きても、あたしは受け止める。あなたが本当は優しい男だってもう知ってる。だから、罪を犯させないためにあたしはいるから。
———
夜の森。
大きな木の下であたしは寝てる。近くに倒れたヴェントゥールの遺体から流れる血は雪を赤く染めてる。激しい戦いの後で、体力もアドレナリンも魔力も全部使い切って指一つも動かせない気がする。でも、いいの。真冬の夜なのに、今のあたしはとっても温かい。なんせ、大きな腕の中にもふもふの毛に抱かれてるから。
「(しかし、魔法のことはよく知らんが、一日に3つも新しく覚えるのはかなりの素質じゃねえか?)」
「どうかな。この状況を切り抜けるために必要な力だったから授けられたってだけかも。」
「(てか、魔力無くなったのにまだ俺の心を読めるのな。)」
「聞こえるように考えてるからじゃない?」
「(なんだそりゃ)」
魅了を掛けた後に何が起きたのか、実のところはよく覚えてない。無理をしすぎて記憶障害を起こしたってブルリンが言う。でもこの状況を見ると、どうにか上手く行ったみたい。
「…あ!しまった、怪我したゴブリンのことを忘れた!」
「(あ…まぁ、あいつらしぶといし、死にはしないだろう。それに昨日俺に毒矢を放った奴にこれ以上助ける義理はねえし。)」
「え、そんなことあったの?じゃあ放っとく!」
ブルリンの胸が上下動いて不思議な声を出した。多分狼の姿で笑うとこうなる。
「(まあとりあえず…ガキはガキでも、お前はとんでもなく強いガキなのが分かった。お前となら思ったよりは上手くやれるかもしれない。)」
「あたしは…むしろ、色々と足りないものに気づいてたのかも。」
「(それでいい。自分が何も知らないって気付くのは真の叡智の始まりって、誰か偉い奴が言ったらしい。とにかく、これからはよろしくな、チビ。)」
「ジャスよ。」
「(…ああ。よろしくな、ジャス。)」
これにて「狼の幼き守護神」を一旦完結といたします。停滞してる長編からの気分転換として書いた程度の話ですが、少しでも楽しんでもらえたら幸い。個人的には結構この二人を気に入ってるので、またいつか彼らを扱う何かを書きたい。ここまで読んでくれてありがとう。
よかったブックマークや評価、何よりも感想をお願いします。web小説作家は承認欲求の塊!
私の他の創作活動に興味を持ってくださったら、マイページにMisskey,ioの垢が載っており、そこに更新報告と活動関係の呟きをしてる。個人的な話もままあるけど、そこは御愛嬌ということで。昔はツイッターでやってた事だが、ご事情によりあちらから撤退しました。
ただし18歳未満の方はMisskeyでのフォローをご遠慮して、なろう内だけお気に入り登録するようお願いします。あそこは魔境ですから。