2 - 憑き人ブルリン
昼過ぎの森の中、俺は緑肌の少年と睨み合ってる。いや、少年のような体型をしているが、恐らくこいつは成人。俺等と狩り場を奪い合ってる南のゴブリンどもはそういう種族らしい。
体格は俺の方が圧倒的に勝ってる。しかも俺の指先にはどんな獣の皮もあっさり引き裂く凶悪な爪がある。しかし相手は弓を引き絞って俺に向けてる。俺の鋭い目は矢先が濡れてることをしっかり捉え、鼻は不愉快な腐った匂いを拾ってる。毒矢だ。狡賢いあいつららしい。
正直迂闊だった。先に気配を察知して奇襲をかけるべきだったところで、獲物を追うには夢中で敵の存在に気づくのが遅れた。
ゴブリンが牙を剥いて威嚇する。半獣の姿の俺も口いっぱいの牙を見せつけて唸る。この姿はヒトらしい言葉を発音出来ないから眼力で語る。撃つなら撃てよ。だが毒が回る前にお前の首に確実に食らいつくぞ。
睨み合いが1分、2分続く。ゴブリンは威嚇する威勢を維持したままだが、目は怖がってる。そりゃそうだ。立場が逆だったら身長が2倍近くある二足歩行の獣なんて俺だって怖い。
どこかで枝が折れる乾いた音。限界まで緊迫した何かが切れる。ゴブリンは悲鳴をあげて矢を放つ。本能的に首を僅かに傾けるとそれは俺の頬の横を切って木に吸い込まれる。
二発目を用意できる前に俺は雄叫びをあげて大地を蹴る。強力な脚力で一気に距離を詰めて腕を振り下ろす。弓は俺の手の中で砕け、爪はゴブリンの右腕に食い込む。赤い血が手を染める。
武器を失ったゴブリンは更に悲鳴をあげて尻もちを打つ。このままトドメを刺して肉を喰らう…そんなケモノの衝動を、ヒトの理性で必死に抑え込む。もう決着がついた。狩り場争いを戦争にすることはない。
恐れた追撃来ないと見たゴブリンは慌てて後退り、立ち上がってそのまま背中を向けて逃げ出した。俺はそれを見送り、完全に姿が見えなくなったら初めてケモノを自分の内に戻す。鋭い爪分厚い毛は引っ込み、狼の耳と尻尾だけ残して俺はヒト…一般的な獣人の姿に戻る。
「もう来るんじゃねえぞ。」
次も理性が保つとも限らないからな。地面に落ちた俺の服…なるべく変身と冬の寒さ両方を考慮した毛皮のマントと腰巻きを回収して羽織る。
———
夕暮れ、村に戻った俺は特に用もなく川に沿って散歩してる。冬の水辺はヒトの姿でいるには肌寒く、獣の姿の自前の毛が恋しい。
川と言っても、部族の村を守るために外周を囲むように大昔に掘られた人口の奴。そしてこの俺、憑き人代表のブルリンは部族に所属しながらその外側にいる。俺だけじゃない。仲間はみんなそうだ。渡ることが許されるのは狩りの収穫を届ける時と外敵が内側に入り込んだ時だけだ。無理もない。
なんせ今この瞬間も俺の内なる獣は静かに囁いてる。殺せ。奪え。喰らえ。犯せと。そんな衝動は狩りと戦いと同族との組み手でどうにか発散してるが、まぁこんな奴は危なっかしくて村の本陣に入れたくない気持ちも客観的には分かる。
だがな…23歳の俺が一番古株ってほど危険な仕事を全部引き受けてるのは俺ら憑き人だからもうちょっと暖かく信用してくれてもいいって思う自分もいる。
そう心の中で愚痴をこぼしていたところに川の向こうから大勢の歓声があがる。どうやら俺が落ち着かない原因でもある例の儀式が成功してしまったらしい。
「ちぇ…守護神か…」
川岸に落ちてる小石を拾ってなんとなく思いっきり水の中に投げつける。まったくイライラする。これじゃ明日から年端もいかない、命をかける意味も背負わされた使命の重さも知らないガキの魔法使いはリーダー面でやってきて俺たちの戦いに首を突っ込むことが確定した。
前の守護神がいた頃は、みんながそれほど自制心に苦労することが無かったのは事実ではあるが…その代わりあいつ自身は色々とすり減ってきて最後に…
首を振る。今思い出すのを止そう。とにかく順当に行けば守護神成り立てのガキは明日挨拶に来るはず。みんなに会う前に俺が出迎える。部族の掟を覆す力は俺にはないが、並のガキならちょっと脅かせば逃げ出すだろう。それを何回繰り返せば憑き人ではない連中も諦めが付く。その方がお互いにいいに決まってる。
気がついたら日は殆ど沈み、代わりに月が見えてきた。まだ満月には遠いが、満ち月ではあるな。内なる獣の囁きは無視できないざわめきになる。拳を握りしめて変身して暴れる衝動を我慢する。
「組み手の相手探すか…」
出来れば女連中がいいな。そしたら決着がついた後の楽しみがあるし、衝動の発散の効率がいい。どういうわけか憑き人の呪いを発症する女はそんなに多くはないから、引く手数多なんだがな。急ぐとするか。
明日のことは明日考えよう。
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