後日談:語乃の独白
私の名前は語乃。親はおらず、苗字はありません。私はこの縋依村に5年程前から越して来て、今では神社の巫女をしております。
私が違和感に気づいたのは──越して来てから半年、初めて生き神様の祭事を見た時のことでした。
その祭事は村で最も重要な儀式であり、村の安泰と豊作を願うため、毎年行われているとおかみさんにお聞きしました。
生き神様と言われるほどだから、私は勝手に年老いた人を想像しておりました。しかし、その日に私が見たのは──まだ幼い、十もいかないくらいの少女、片目が燃えるように赤い少女が、広場に花を咲かせる姿でした。
村の人たちはその少女を、神聖視しており、丁重に扱っておりました。ですが……私には、その光景が少し異様に映ったのです。
その日あたりから、私は生き神様の食事係を任されました。仕事は単純。朝、昼、夕の決まった時間に、神社まで生き神様の食事をお届けするという内容です。
生き神様に初めて食事を届けた日のことはよく覚えています。私は緊張して向かいましたが、神社にいたのはいたって普通の少女でした。私が盆を手渡すと、ただ一言
「ありがとう」と小さな声でお礼を言いました。
その時の彼女の赤い瞳の中には無関心と……少し哀しみが宿っているように思えたのです。
◇
それから何年か。私は毎日食事を運び、お礼を言われるという関係を続けていきました。
本当は生き神様と話してみたかったのですが、あまり仲良くしてはならないと、大人の人……特に、神主様からはきつく言われていました。
──そんな生き神様に、変化が訪れたのは、雪が薄っすら積もった肌寒い朝のことです。
私はいつものように朝食を生き神様の元へと届けました。いつもなら、「ありがとう」その一言で終わるのですが……今回はその後も言葉を続けました。「お願いがある。朝食を増やしほしい」そう、静かに呟いた彼女の表情はいつもより穏やかな気がしました。
私は初めて生き神様と挨拶以外に話したことと、彼女からのお願いに、心が躍りました。
何があったのかは知らないけど、この狭いところに閉じ込められている彼女のお願いはなんでも聞いてあげたい。私が長年思い続けてきたことでした。
だけど、その時の私はとても馬鹿だった。今になってそう思います。
◇
転機が訪れたのは、それから数日経った日のことです。
あれから数日、毎日の彼女はずっと穏やかで、何か希望を見出している、そんな表情でした。
ですが、私がお礼を言われた直後、生き神様の表情が少し変わり、一言呟きました。
私がその言葉に反応して後ろを振り返ると、そこには神主様の姿が。珍しいなと思い、なぜここに来たのかを尋ねる私を横目に、神主様は生き神様に詰め寄りました。
「部屋に入らせてもらう」
そう言い放った直後、みるみる生き神様の表情が変わります。彼女が「待って」と叫ぶのも虚しく、どんどん神主様は部屋へと向かいました。
私は咄嗟に、彼の袖を引っ張って動きを止め、大声で叫びました。
ですが……神主様を止めることは出来ませんでした。部屋まで向かう彼を追いかけると、そこで驚くべきものを見ました。
「竜胆?どうしたんだ……?」
そこには、紛れもない人が。生き神様と同い年くらいの男の子がいました。
神主様は恐らく勘づかれていたのでしょう。私にも一つ、心当たりがあります。
少し前、いつものように食事を届けた時。今日のように薄っすらと雪が降り積もっていました。
そこにはあってはならないものが。
足跡……恐らく、生き神様のものです。その足跡が、境内の外まで伸び、その先には少し大きな何かの跡がありました。それを神主様は見ていたのでしょう。それに加え、「ご飯を増やして欲しいとのお願い」。
そんなことを思い返しているうちに、神主様の手が彼へと伸び、気づけば私は神主様を突き飛ばしました。
「竜胆!行くぞ!」
その言葉を最後に、彼らはこの神社を後にしました。
◇
それから何時間経ったことでしょう。私は呆然と家に戻り、1人になっていました。心の中にあったのはただ一つ。
──罪悪感。
この村を支える生き神様を逃してしまった。
神主様を突き飛ばして、逆らってしまった。
そんな事実に、生き神様の無事を願う気持ちも薄れて、ただ呆然と家でうずくまりました。
たまに女将さんが心配しに来てくれましたが、何があったかなんて言えるわけもありません。
──この村の人々は生き神様に縋り、依存し、支えられて生きているのだから。
◇
そうしているうちに、夜がふけました。
気づけば寝ていたようです。外からの人々の声に目が覚めました。何があったのでしょうか。
私が家から出ると、そこにあったのは──生き神様が逃げた先であろう山の半分が、赤々と燃える炎に包まれている光景でした。
「ひ……っ!?」
息が止まるような思いです。
私は急いで山の麓まで向かいました。誰かの怒声が響き、咄嗟に隠れて見ていると何とも言えないことが起こっていました。
先ほどの男の子……確か、雪と呼ばれていましたね。大勢の大人がその子を取り囲み、次々と殴りつけている。信じがたいことでした。
ついにその子が倒れ、何かを言うと大人たちは何処かへ向かって行きました。
私は彼に駆け寄り、体を支えます。
「大丈夫ですか!?」
「……あなたは、巫女さん……?」
「はい、私は生き神様についている巫女……語乃と申します。私はあなたたちの敵ではありません。むしろ、助けたいと思っています!何か出来ることはありませんか……?」
私は今まで溜めてきた思いをぶちまけました。
生き神様を崇拝する村がずっと異常だと思っていたこと。私だけが違和感を感じていたことを。
「……俺を、村の先の石橋まで連れて行ってくれないか?」
ついに男の子が口を開きました。出会ったばかりの私を頼ってくれたのか。否、頼れる人が私しかいなかったのか。
「分かりました」
私は彼の体を支えながら石橋まで向かいました。
◇
「もう、大丈夫。ここからは一人で行きます」
ふいに彼が呟きました。まだ石橋までは道があるのに……でも、ここで私が深入りするのはなんだか良くない気がして、彼の言葉を飲み込みました。
「分かりました。ここから先、お気をつけ下さい」
「本当にありがとう。こんな村にも君みたいな人がいてくれて、良かった」
不思議と、彼は生き神様を救ってくれるような気がしました。私では成し得なかったことを。
「……それと、一つ忠告を。もうこの村にはいない方が良い。近々出て行くことをおすすめします」
「はい……?」
私はその言葉の意味が理解出来ませんでした。確かに、この不気味な村より良いところはたくさんあるでしょう。ですが何年か過ごしてきて、それ以外に大変だったことはありません。
「それは、どういう──」
私が尋ねるよりも早く、彼はふっと笑って静かに首を振りました。
「詳しくは言えない。一つだけ言えるとすれば……この村は、もう長くはないと思う」
ぞくり。背筋が凍るような感覚に陥りました。冗談かとも思いましたが、彼の目には確かなものが宿っていて──まるで、この先の未来が見えているかのように。
「それじゃあ、俺は行きます」
「……あなたと、生き神様のご無事を祈ります」
私は一礼して、彼の背中を見送りました。
◇
それから数日。私は言いつけどおりに村を去りました。その数日で、生き神様の存在がどれだけ大切だったか、身に沁みて分かります。
あの夜にいた大人はみんな、隣の村へと向かって争いを始めました。恐らく、彼が何か吹き込んだのです。だからあの時、村が長くないと分かっていたのでしょう。
そして次には、村に異質な植物が咲き始めました。私が知っているだけ、上げてみます。
ジギタリスの花、トリカブトの花、ドクウヅキの花、ベラドンナの花、キョウチクトウの花……
どれも美しい見た目のものばかりですが、これらには全て毒性があり、触るだけ、燃やした煙すら有害です。
無知な者は皆、不用意にもそれらの花を触り、命の危機に晒されています。
その光景はまるで──村全体が呪われているようでした。
美しい毒花が村を埋め尽くし、人々は次々と倒れ、自ら争いを仕掛け、果てに村は自滅したのです。
私は少し離れた村で、その噂を耳にしました。
「縋依村が滅んだらしい」
その一言が、全てを物語っていました。
◇
程なくして、私は彼が行きたがっていた石橋まで、行ってみることにしました。
──そこには、二輪の美しい花が。
確か名前は竜胆と、待雪草。
まるで、ずっと昔からそこにあったかのように、静かに、だけど力強く咲いていました。
私はそっとしゃがみ込み、その花に向かって囁きます。
「……あなたたちなのですか?」
もちろん、返事はありません。それでも、不思議と確信がありました。
──竜胆。
──雪。
互いにそう呼び合っていた二人は、きっと自由を手に入れたのでしょう。
私はそっと手を合わせて、再度囁きます。
「どうか、あなたたちが幸せでありますように」
あの村はもう無い。あの二人ももう居ない。
けれど、彼らの想いは消えることなく残り続けるでしょう。
──────────後日談・end──────────
……これは余談ですが、あの二輪の他に桑の実も落ちていました。桑の実の花言葉は、
──「彼女の全てが好き」「ともに死のう」らしいですよ。