終章:終焉に咲く花
雪と別れてから、どれくらい経っただろう。
辺りは真っ暗で、月明かりだけが頼りだった。雪が時間を稼いでくれたおかげか、追っ手の気配は全くしなかった。
「……雪」
呟いてみたが、応えはない。
約束した場所──川の石橋で、私は恐怖と不安で震える体を抱きしめながら、彼の帰りを待っていた。
カサリ。
小枝が軋む音がして私は反射的に顔を上げる。
暗がりの中から現れたのは──紛れもない、雪だっだ。
「雪……!」
私はすぐに彼の元へと走った。
しかし──彼は傷だらけで、服が血と泥で汚れている。立っているのがやっとのようで、私が行き着く前にその場に膝から崩れ落ちた。
「ごめん……遅くなって、ごめん」
「こんなに傷だらけで……でも、帰って来てくれてよかった……!」
私は涙を堪えながら、彼の体を抱きしめる。雪は震える手で、私の頬に触れた。
「竜胆、俺……もう逃げられないかもしれない」
彼は震える声で、そう言った。
「な、何言ってるの……?一緒に、一緒に逃げようって……言ったでしょ?2人で生きていくって……」
「……俺はもう無理だ。傷を負いすぎた。自分でも……限界が近いって感じる」
「傷……村の、村の人がやったの?」
雪は少し目を伏せて、俯いて言った。
「……ああ。大勢で俺に襲いかかってきた。竜胆は……生き神様はどこだって」
「そんな……」
「でも、安心して。俺は君を……隣の村に、俺が居た村に逃したって嘘をついた。すぐには気づかれないはずだ」
「雪の、いた村?それって……」
私は雪と初めて出会った日を思い出した。
彼がいた村の話。私と同じ能力を持っているのに、「化け物」だと罵られていたと。
「ああ、そうだ。……俺の村の人と、竜胆の村の人が出会ったらどうなると思う?」
「どう……?」
「──きっと、争いが起きるはずさ。俺たちの存在を巡ってな。それぞれの村で、俺たちの扱い方は正反対だった。
そんな奴らが出会ったら、きっと互いに譲らず、いずれどちらかが滅びることになるだろう。それで皆死んでくれたら、一石二鳥だろ?」
私は突拍子もないことに、つい笑ってしまった。
「……ふふ。雪、考えることが凄いね。それなら私も、嬉しい」
いつものように雪と話していると、今の状況を忘れるくらい、楽しくて、心が和らいで。ずっと2人で生きていきたいなぁ……そう、考えた。
「ねぇ、雪」
「……なんだ?」
私はいつものように、雪に微笑んで言った。
「私、雪と一緒ならどこまでだって行ける。それが例え、天国でも、地獄でも」
「…………何が言いたい?」
私は意を決して、雪に話しかける。
「私も雪と一緒に逝く。絶対に、何があっても」
「はぁっ!?竜胆、何を言っているのか分かっているのか……?」
「もちろん。私をあの狭い世界の中から連れ出してくれたのは、雪だもん。雪が私を助けてくれてように、私も雪を助けたい。それが叶わないなら、私も雪と同じ場所に逝きたい。それが私の、唯一の願い」
私が言い切ると少しの沈黙が流れたが、雪は何かを決心したように口を開いた。
「分かった。竜胆がそうしたいなら、俺も受け入れる。
君の選んだ選択で、俺も一緒に歩んでいく。……化け物だと言われてきた俺を認めてくれたのは、竜胆ただ一人だった。一緒に過ごした時間は短いけど、俺は竜胆に救われた。本当に、ありがとう」
「本当に……?嬉しい。ずっと、ずっとこうしていられたら、いいのになぁ」
でもそれはもう叶わないと、よく分かっている。だから、最期は一緒にいこうって、決めたんだ。
「雪、私に手を合わせて」
「……?こうか?」
2人の手が重なった。瞬く間に、手の中から淡い光が流れた。その光は私と雪の体を包んでいく。
「……!」
そして──体いっぱいに、鮮やか花々が咲き乱れた。不思議と、痛みは感じない。
「竜胆、これは……」
「ふふ、綺麗だね。……雪、私雪のこと、大好きだよ」
私が告白すると、雪の顔が赤くなっていく。
「お、俺も……竜胆のこと、大好きだっ!」
「!……嬉しい。最期にその言葉が聞けて、私とっても嬉しい」
今だけは、誰にも邪魔されない2人だけの時間だった。ふと、雪の燃えるような瞳を見つめる。この瞳が、私と雪が出会った証。私は雪の目元に、唇を重ねた。
「なっ……!」
唇が触れると、雪の体は硬直したが、すぐに彼の目から優しい表情が浮かんだ。
「竜胆……もう、何も怖くない。一緒にいこう?」
「……もちろん」
私が答えると、雪の唇が私の口に重なった。私は雪の体を強く抱きしめる。
「雪、一緒に────花になろう」
彼が頷く。
その瞬間、花が散り、枯れ、私たちの体も虚空へと消えて行った。
「……雪」
「……竜胆」
『大好きだよ』
◇
古びた石橋の上には、多くの花びらが舞う。月明かりが照らす中、そこにはニ輪の花が寄り添うように咲いていた。
一輪は、凛とした紫色の竜胆の花。
もう一輪は、雪のように白く純粋な待雪草。
再度夜風が吹き、花びらが空へと舞い上がった。その様子は、星空へと旅立つ二つの魂のようで。
──いつまでも、共にあることを誓うように。
──時が経っても決して色褪せることのない想いを残すかのように。
星空の下、その二輪はただ静かに、だけど確かに咲いていた。
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