過去③
矢田優馬 中学1年生
優馬は小学校を卒業し、中学に上がった。
それと同時に、辰馬も中学校を卒業して高校へと進学した。
辰馬は勉強が不得意だったので、あまり偏差値の高い学校には行けなかったが、母が気を遣わせて、なるべく柄の悪くない私立の学校へと通わせた。
恐らく偏差値の悪い公立の学校だと、ガラの悪い生徒が多く、辰馬が馴染めないのでは?と危惧したからだろう。
私学はある程度のレベルの学校でも、金さえ積めば入学出来ることがほとんどだ。治安の悪い公立に行くくらいなら、多少金を積んで、治安の良い方へと兄を逃したのだ。
矢田家は決して金持ちじゃない。父さんや母さんが辰馬の為に必死こいてはたいた金だ。
そんな一連の流れを見て、優馬は辰馬の事を意識していた。
無意識のうちに、辰馬とは同じ道を歩んだうえで、もっと称賛される結末を辿ろうと思っていたのだ。
要するに優馬のやろうとしている事は、辰馬と同じ野球部に入り、途中で辞めることなく三年間続ける。そして、尚且つ金のかかる私学ではなく、なるべく偏差値の高い公立に行こうとしていた。
その結末を通して、自分が辰馬よりも優れているという事を証明したかったし、辰馬がどれだけ甘えているのかも、辰馬自身に理解して欲しかった。
もしくは単純に、優馬は辰馬の事が嫌いであるから、辰馬よりも優れた実績を持って優越感に浸りたかっただけなのかもしれない。
そして早速優馬は中学生活初日に、体験なんてする事なく野球部に入部した。
しかし、優馬の想像していた部活動よりも、その中学の野球部の練習はハードであった。
どうやら県の中ではかなりの上位であるらしい。その為、監督も全国出場を目指している。よって練習がハードになる事は至極当然である。
初めのうちは、グラウンドを何周もしただけで、優馬はトイレで吐いてたりしていた。
辰馬ほどでは無いものの、優馬も運動は得意では無いのだ。筋肉痛だって毎日のようになっていたし、朝起きた時に立ち上がることが困難なほどだった。
それでも、彼の頭の中には退部という文字は無なかった。なんとか毎日の練習メニューに必死に喰らい付いていた。
優馬には、絶対に3年間続けてやるという強い意志があったのだ。
────それだけ、彼は辰馬の事を否定したかった。
そんなある日の事である。
いつものように過酷な練習メニューをこなしていると、見慣れない若い少年達が学校のグラウンドに来ていた。
少年とは言っても、優馬達、中学生よりは年上に見えた。恐らく高校生である。
「こんちわっす!!」
部の先輩が彼等を見た瞬間に、監督に向けるような挨拶をしていたので、優馬たち一年生も同じように挨拶した。
すると、彼等は我が物顔でグラウンドを歩いてきて、監督に挨拶していた。監督は笑顔で彼等に接している。
優馬たち野球部はそんな監督と少年達の談笑を黙ってみていた。でも決して気は休まらなかった。
理由は先輩達の顔が緊張して強張っているように見えたからである。
優馬はこれから何が起こるか分からず、不安な気持ちで一杯だった。
話が終わったのか、監督がその少年達を置いてグラウンドから立ち去った。
すると、さっきまで笑顔で監督と談笑していた少年たちが、急に怖い顔つきでズカズカと優馬たちの前に立った。
「よーし始めるぞぉ。まずはノックからー」
彼等は何故か監督のように仕切り出した。
「・・・はい!!」
先輩達は全く気にせずに、恐怖が入り混じった良い返事をした。1年の優馬達もそれに混ざって返事をする。
優馬は気になって、前に並んでいた1人の先輩に質問してみた。
「先輩。あの人達誰なんすか?」
「あぁ。この部活のOBの高校生だよ。めっちゃ怖いし厳しいから覚悟しておいた方がいいぞ」
先輩は苦笑いで言った。
「まじっすか・・・」
優馬も引き攣った顔で返した。
優馬が不安な気持ちを抱えたまま、怖い高校生達を指導者として練習は再開した。
高校生達は、ヘトヘトになった1年生に構うことなどせず、遠慮なく何度もボールを飛ばしている。
優馬を含める1年生達はそのハードな練習になんとか喰らいつく。
結局その日は、いつも以上にくたびれた。次の日起きた時はいつもの倍以上筋肉が悲鳴を上げていた。
それからというもの、野球部の卒業生である怖い高校生達は、たまーに顔を出したかと思えば、監督と談笑をし、当たり前のように練習メニューを組んでくるのだ。
優馬は『この人達暇なのか?』と思っていた。恐らく他の部員も何人かは同じ事を思っているだろう。
ただ、確かにOB達が仕切る練習はキツかったが、それ相応に身体は鍛えられるし、必然的に野球も上手くなってきていると優馬は感じていた。
もともと優馬は野球を上手くなろうなんて思ってはおらず、ただ3年続ける事しか考えていなかった。辰馬を否定できればそれでよかったからだ。
しかし、優馬の野球の呑み込みは平均よりも早かった。故に毎日練習する毎に成長し、実力を身につけていく。1年のうちからユニフォームを任せられるんじゃないかと部内では有名だった。
優馬自身も、今まで運動なんて物は嫌いだったが、野球を通して自身の身体能力の向上を感じていた。日々の練習でどんどん野球が上手くなっていくことに楽しみを感じ、辛い練習にも前向きに取り組めるようになっていった。
もはや優馬の中で野球は、辞めるか続けるかというものでは無くなり、成長するか停滞するかという物になっていたのだ。
いつの間にか優馬は自分でも驚くほど、野球にのめり込むようになっていった。
*
それから半年ほどが過ぎた。
ある日の事、またOBの高校生達が来た。
部活の休憩中、部室で先輩方とOB達が何やら楽しそうに話していた。優馬は特に気にしなかったが、さっきまで話していた先輩が、優馬のことを呼んだ。
優馬は未だにOB達の事を恐れていたので、緊張しながら部室に足を運んだ。
「失礼します!!」
俺はなんとなく、職員室に入る時と同じような畏まった入室の仕方をしてしまった。
「よう。お前が矢田の弟か!」
「へえ。なんか全然雰囲気違うじゃん」
OB達は、優馬を見るなりそれぞれの感想を述べた。
優馬はどうして自分が呼ばれたのかさっきまで分からなかったが、自分の兄である辰馬の事をどうして知っているのかと疑問に思った。
「俺たちお前の兄貴と同じ世代なんだよ」
「へ、へぇそうなんですね」
優馬が疑問に思っていた事を、向こうから切り出してくれた。しかし、その話題に優馬はどう返答したら良いのか分からなかった。
・・・すると、OB達はこんな事を言い始めた。
「お前の兄貴めちゃくちゃ気持ち悪かったぞ」
「それな。ずっと泣いてたし、俺ほんとに嫌いだったわ」
「半年も居なかったのに俺たちの間では伝説なんだぜ?」
OB達は辰馬の事を嘲笑うかのように、辰馬に対する侮辱を吐露していた。
すると、それを聞いた優馬がなにやらワナワナと震えていた。
「ん?どうした?」
優馬が震えていることにOBの1人が気づいたのか、彼の事を気にかけた。
すると、OBのまた違う1人が口を開いた。
「あ、おい。あんまり肉親に悪口言うのはよく無いだろ」
「はぁ?お前だって言ってたじゃねえか」
優馬は俯いて、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。その様子を見たOB達も、優馬の雰囲気に当てられて流石にやり過ぎたと思ったのか、優馬を気にかけた。
「その、ごめんな?ちょっとした冗談っていうか・・・」
・・・すると優馬は俯いていた顔を上げ、ようやく口を開いた。
「やっぱり・・・やっぱりそうですよね!」
「え?」
OB達は思いがけない優馬の反応に、思わず動揺した。
そんな先輩達を気にすることはせず、優馬は喋り続けた。
「そうなんですよ。あいつは勉強だって運動だって何も出来無いんです。それに加えて頑張る気力も無い。少しでも厳しいと思ったらすぐ逃げます。
それでいて、うちの両親も兄には甘いんです。先生達だって特に厳しい事は言いません。だから兄は調子に乗るんです。高校になってからの兄はもう本当に酷くて、部活もやってないくせに勉強も全然出来ないんです。家に帰ってからは食べて寝てばかりだからどんどん太っていってます。
挙げ句の果てには言動まで子供っぽいって言うですから、尊敬なんて出来ません!
あんなだらけた奴を兄だなんて今まで思ったことありませんね!」
「そ、そうか」
優馬のあまりの勢いに、OB達は若干引き気味だった。
しかし少し時間が経つと、優馬とOB達の会話は大いに盛り上がった。
話題は主に辰馬の事だった。もちろん彼の事を褒め称えるような内容じゃない。
辰馬のあれが駄目だ。これが駄目だのといったエピソードトークである。
優馬は楽しかった。
内容はともかく、初めて自分の気持ちを共有し合える人間と出会えたからだ。小学校高学年から今の今まで、兄に対する不満を、誰にも共有する事が出来なかった。
親に訴えかけても、『辰馬は仕方ない』
教師に相談しても『お兄ちゃんは仕方ない』と、その言葉しか返ってこない。
しかしOBの人達は違った。
優馬が、辰馬のここがムカつくと言えば、OB達は共感して話に乗ってくれた。なんならそれ以上の悪口が返ってくる。今度は優馬がその話に乗っかり、更に酷い悪口を返す。
優馬は生まれて初めて、辰馬の事を愚痴りあったのだ。
その日から優馬は、OB達から気に入られるようになり、練習もよく見て貰えるようになった。OBの実力は本物のようで、徹底的にしごきあげられた優馬はみるみるうちに野球の実力を身に付けていった。
そしてあっという間に優馬はユニフォームを貰った。1年の中で唯一のレギュラー入りである。
そのおかげで優馬は同級生の中で慕われ、羨望の眼差しを向けられていた。
誰かに認められ、尊敬の念を向けられることに慣れていなかった優馬は天狗になり調子に乗っていたが、実力は本物であるため、誰も文句は言えなかった。
次の年も、その次の年も優馬はユニフォームを着ていた。なんなら、県ではかなり有名な選手に成り上がっていた。
しかし部活ばかりしていたおかげで、勉強面ではかなり疎かになっていた。
両親に勉強に関して厳しく言われていたが、周りから圧倒的に評価を得られるのは野球をしている時の自分自身。勉強を疎かにしたところで、全く気にしなかった。
そう思えてしまっていたのは、辰馬に対する対抗心だ。
優馬は辰馬を意識して、辰馬よりも良い人生を歩もうと潜在的に考えてしまっている。
今の優馬は、辰馬が中学生の頃よりも、圧倒的な名声を得ていた。
自分は兄よりも好かれている。勝っている。それをOBやクラスメイト、部員のみんなが証明してくれる。優馬にとって、それだけでも気分が良かったのだ。
故に彼は、現状に甘え、苦手な事から逃げていたのだ。
そして、受験期になって優馬は頭を悩ませた。
案の定、優馬には辰馬よりも偏差値の高い学校に行けるほどの学力が無かった。
優馬は絶望したが、唯一の希望があった。
それは県大会などで、注目を浴びていたから、ある私学から声が掛かっていた。それも、辰馬よりも圧倒的に偏差値が上の学校でだった。
いわゆるスポーツ推薦である。
その学校は全国の中でも運動部にうんと力を入れている学校で、もちろん野球部にもかなりの力を入れていた。全国大会には毎年のように出場し、テレビに出るようなプロ野球選手を何度も排斥したことがあるお墨付きだ。
もちろん環境も一流で、界隈で有名なコーチや監督、最新鋭の設備など、余すことなく完ぺきだった。
そんなところから推薦を受けたのだから、優馬はかなりはしゃいでいた。
だが、両親はあまり良く思わなかった。
それは、優馬に届いた推薦が学費を免除してくれるようなものでは無かったからだ。
両親は強く反対した。
優馬の家には、優馬を私学に通わせるほどの財力は有して無かったのである。
優馬は激怒して、強く反抗した。しかし、所詮保護者によって養ってもらっている立場の優馬に選択肢など最初から無かった。
それから優馬は辰馬だけでなく、両親にまで心を閉ざすようになった。
────そして優馬は、地元で有名な公立の底辺高校に通うことになった。
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