2話
今日も今日とて寝不足のまま、俺は満員電車に乗っていた。
学生から社会人になったばかりの頃は満員電車に億劫としていたが、流石に毎日乗っているとこの混み具合にも慣れてくる。
とはいえまだ社会人になって2ヶ月くらいしか経っていないというのに、人間の適応能力は凄まじいな。今ではもう立ったまま寝られるようにまでなってしまった。
まだ会社の最寄り駅まで時間あるし、少し寝ようかな。
「よう。矢田じゃん」
うとうとしながらそう思っていたら、突然隣の男性から声を掛けられた。
しかしよく見ると、そこに立っていたのは会社の同期の一人だった。
彼とは一か月の研修を共にした中であり、話も合って、同期の中ではかなり仲の良い奴だった。まさか同じ電車だったなんて、全く気付かなかった。これも満員電車の弊害だろう。
「久しぶりだな。仕事はどう?」
俺は周りに気を遣って、若干声のボリュームを下げながら同期に聞いてみた。
彼とは配属された営業所が違うから、研修が終わってからどうなっていたのか全く知らないのだ。
「あぁ。俺はもう今月には辞めようと思うよ」
・・・まじで?
と、俺は言葉には出さず、そう思った。
流石に早すぎじゃないか?まだ2ヶ月くらいしか経っていないのに。
「なんていうか・・・ずいぶん思い切ったな」
「そうか?まあかなり早い方ではあるな」
「またなんで急に?」
「まあ仕事がキツイのはそうなんだけど、やりたい事見つけてさ」
「やりたい事か・・・」
やりたい事があるのは良い事だけど、こんな2ヶ月やそっとでやりたいことが見つかるだろうか?仕事が辛いから辞めたい一心で変な道に進んでたりしないだろうか?
「俺さ、もともと広告業界に行きたかったんだ。でもめちゃくちゃブラックって聞いてたから嫌だなぁと思って諦めてたんだよ。
でも最近さ、どうせブラックな環境で働くなら、興味がない事より興味がある事かなって。この前の休日に考えこんじゃってさ。それで大学の先輩に聞いたら伝手を紹介してくれて────」
同期はそう語りながら、どこか楽しいそうだった。
「でもそんなにすぐ辞めたら、経歴に傷が付いちゃうんじゃないか?もう少し経ってからでも・・・」
「それも思ったんだけどな。でも、今の時代は転職が当たり前だ。確かに経歴に傷がつくのは困るけど、20代っていう若い時期に嫌いな仕事に時間を割くぐらいならマシかなって」
同期はそう言うと、何かに気付いたようでハッとしていた。
「あ、悪い。お前は辞めようなんて思ってないんだよな。なのにこの仕事の悪口みたいになっちゃって・・・」
同期は俺から顔を背けて申し訳なさそうにしていた。
俺は全くそんなこと思ってなかった。むしろ共感でしかない。
「いや全然。むしろ考えさせられたよ」
俺がそう言うと、少しの間沈黙が続いた。
こんなにも周りに人が居るのに、電車が線路を走る音と、車内アナウンスしか聞こえない。
少し間が開いてから、同期が聞いてきた。
「────矢田は、何かやりたい事無いの?」
俺はその質問に、曖昧な答えしか思いつかなかった。
やりたい事・・・俺にそんなものがあれば、こんなとこで働いていないし、あんなにも適当な就活はしなかった・・・と思う。
「仕事は確かに辛いけど、やりたいことは無いなぁ」
『そっか。まあ仕方ないよな』
この会話を最後にそれに関する話は終わった。あとは当たり障りのない会話が俺の営業所の最寄り駅まで続いた。
同期と別れ、俺は会社に向かう。
会社に向かう道中。俺はずっとさっきの話が頭から離れなかった。
確かに辞めるにしては早すぎるのかもしれないが、彼の言う事には一理あるような気もする。彼は楽な方に逃げたわけでも、無職になるわけでもない。なんなら諦めた夢を追いかけるというのだ。
彼の顔は話の内容の割に、とても気持ちが晴れたような表情だった。
それが、俺にはとても輝かしく見えてしまった。
────興味がない事よりも、興味のある事。
どうせ働くなら、興味のある事かぁ。
俺はなんとなく、転職アプリをインストールした。本当に何となくだ。別に仕事を辞める気なんて無い。そんな勇気もない。
その日の休憩時間。昼飯を食べながら、業界研究という物を始めてみた。
仕事中に何をやってるんだろうとは内心思いつつ、なんだかんだやってみると楽しかった。
今の仕事を辞めて、やりがいのある仕事をしている自身の姿を思い浮かべると、なんだかワクワクした気持ちになる。
仕事が終わった後も電車に乗っている間、眠気を忘れてずっと調べていた。
建設業界。広告業界。不動産。金融。外資系。IT系。
調べれば調べるほど夢は広がる。
今日の朝までは一本道だった心象風景が、幾つも枝分かれしているようにまで感じた。
何でも出来る気がしたんだ。
でも、電車を降りる頃には現実に引き戻されていた。
そんなにも世の中は甘くない。
俺の大学は俗に言うFランだ。書類選考で落とされるだろう。挙句の果てには一年も経たずに仕事を辞めているときたもんだ。俺が人事なら、絶対にそんな奴通しはしない。
それに俺には同期の彼の様に人脈があるわけでもない。ましてや企業を斡旋してもらうだなんて・・・
ここで俺はようやく学生時代の自分に憤りを感じた。
もっとちゃんと就活をしていれば。もっと面接対策をしていれば。もっと業界研究をしていれば。もっと資格の勉強とかしていれば。
そんな事ばかり頭に浮かんで、俺は後悔の念に囚われながら帰宅した。
珍しく、今日は湯船に浸かった。なんとなくそうしたかっただけだ。それだけ今の気分は沈んでいる。
俺は湯船に浸かりながら、どうやったら今の仕事を辞められるのだろうかと考えていた。
正直辞めるだけなら簡単だ。ただ辞表を出せば良いだけのことなのだから。ただ、それを俺の両親が許してくれるはずがない。
昔から何かと口うるさかった両親だ。辰馬があんなのだから、俺にはちゃんとしておいて欲しいのだろう。学生時代も勉強の事にはやけにうるさかった。
でも俺が高校になった辺りで反抗しまくっていたら、あまり何も言わなくなったんだっけか。
ん?勉強?
俺はある事に気づいた。
そうか・・・資格だ! 資格勉強だ!
資格勉強は別に今からでも遅くないじゃないか。
今は学生の頃よりかは比べ物にならない程時間は限られているが、通勤時間と休日の時間を削れば勉強出来ない事は無いはずだ。
俺は風呂場から飛び出て、髪も乾かさずに携帯で調べた。
色々な業界の資格を調べた。なるべく勉強時間が少なくて、尚且つ転職に有利な資格。
そんな都合の良い資格があるとは到底思い付かなかったが、あまりに必要な勉強時間が長すぎるのも、働きながら勉強するのであれば非現実的だ。それにそれだとモチベーションを保つのが俺だと経験上難しいとも思ったからだ。
調べていくとIT系の資格が望ましいと思った。ネットの情報だと、ITは民間の資格が多くて、資格一つに知識がまとまっていないのだという。
まあ要するに一つの資格に求められる知識の範囲が少ないのだ。
しかしそれでも初心者が取るには中々の難易度でもあるとの事だ。
ネットの情報だけでは少し不安だ。
ネットの情報を過信して教材を買うのもなぁと俺は購入を渋っていた。
しかしその時、俺は再び転職アプリのある項目に目が留まった。
それは現役で各業界で働いているエンジニアから、転職に有利な情報やアドバイスを教えてくれるというサービスだった。
早速俺はそれに飛びつき、急いで次の休日に面談を予約した。
ここまで一連の行動力には自分でも驚いている。転職アプリの導入から、転職先の業界の面談までを平日の一日で終わってしまった。
全く。俺は相当今の仕事が嫌なんだなと感じた。
ITか・・・時代の最先端だし、今の仕事よりはやりがいがありそうだ。
そう思いながら、母が用意してくれた飯を食べて、自分の寝室まで移動する。
「よう優馬。おかえり!」
そして安定に辰馬の事はスルーする。辰馬に構っている時間があるなら、その時間は睡眠に当てたいのだ。
そういえば、辰馬はIT系の学校に通っていたんだっけ?しまったな。何か聞いておけば良かったかも。
いや、無駄か。そもそもあいつはIT系の学校に通いながら、今の全く関係のない職種についているんだった。そんな奴に何を聞いても意味が無い。
そんな感じで、これから激動の日々を過ごす予感を感じながら、俺は明日の仕事に備えて眠った。
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